名のない山脈・下
ユイが小屋から出て行ったあとも、俺は変わらずミーマの傍にいた。
ミーマは汗だくで、とても苦しそうに見えた。俺は薬草をすりつぶしては彼女の口に運び、飲ませた。苦いのが苦手な彼女は、それを吐き出そうとした。
俺はそれを無理矢理飲み込ませた。
しかし、参ったな。
「一向によくなる兆しがない。薬草ももうじきそこを尽きるし、とりにいくか……」
ちらりと、ユイにミーマの看病を任せればよかったという考えが浮かんだ。
俺は頭を強く振ってその邪念を払った。
人間なんて、信頼してはならない。猫耳族と二人っきりになったら、確実に殺すか、誘拐する。アイツも化けの皮を被っているだけで、いつその本性を表すかわからないんだ。
そう考えた時、外から嵐の眼たるユイの声が聞こえた。
どうやら、誰かと話しているらしい。その内容は──
──薬草を取りに行く?
人間なんて自分勝手で、押し付けがましくて、最低な存在だ。それが誰かのために行動するなど、考えること自体が失望へとつながる。
遠くで、一際大きく狼の鳴く声。
でも、アイツは俺がアイツの声を聞いているなんて知らないはずだ。
だったら、『優しい人』を演じるためじゃなくて、親切心から行動を起こしているということになる。
信じてみてもいいのか?
俺はミーマの顔を見た。
彼女の顔は、少し安らかになったようだった。でも、どんな夢を見ているのかまではわからない。
双子だからって、言葉が通じるわけじゃない。
薬草は尽きてしまい、どうしたらいいのかわからなくなった。だから俺は、彼女の頭に手を置いた。
外からポタポタと音がした。
***
俺の両親は人間に殺された。
殺されたと言っても、実際に俺がその記憶を覚えているわけではない。俺が0歳のときだったから、「見たけど思い出せない」というのが正解だ。
俺が「かわいそう」なのは、俺を匿ってくれた仲間たちの態度からなんとなく理解していた。
なのに周りの数少ない大人は、俺に何があったのか教えてくれなかった。
そして7歳、ある雨の夜、俺は大人に詰め寄った。「なんで俺や他の子供に親がいないんだ」
彼は話すことをためらっていたが、ゴクリと唾を飲み込み話した。
俺の親は、俺が0歳のとき、人間に殺されたという。
猫耳族とは、魔物と人間のハーフ(獣人)の中でその血が薄く、運よく耳のみに特徴が現れた種族だ。つまり、必然的に親のどちらかは魔物の血を持っているということになる。
俺の場合母に魔物の血が混じっていて、父は人間だ。だから母は『魔物』として討伐され、父は「魔物の近くにいては危ない。人間の都で保護する」として人間に連れていかれた。
その時、俺の親だけでなく、周りの奴らの親も殺されたそうだ。
人間達に見つからないよう、子供を見守っていた数少ない猫耳族だけが今、「大人」として残っている。
だからこの集落には、子供が多い。
話し終わった彼の前で俺はうなだれ、自分の皮膚をズタズタに引っ掻いた。
大人が止めようとしたが、俺は首を振って引っ掻き続けた。
許せなかった。
そして何より、自分にもその、人間とかいうクソ野郎と同じ血が流れていると思うと、自分の体が罪のように思えた。
声が枯れたとき、ミーマが小屋から出てきた。
俺はすぐさま立ち上がり、涙を拭った。ミーマは心配した顔でこちらに近づいてくる。
「エルマぁ~!? どうしたの、それ!? たくさん血ながれて、すごくいたそう!」
「わざわざ出てきてくれてありがとう。だけど、俺は大丈夫。さ、家に戻ろ……」
「でも、すごくいたそうだよ! ミーがお薬とってくる!」
「あ、コラ、ミー……いってぇ……」
彼女は俺の話も聞かずに、走っていってしまった。
俺は追いかけようとするが、疲弊しきった体ではとてもじゃないが走れない。元々運動神経では彼女の方が上手なのだから、疲弊しきった体では無理に決まってる。
自業自得という言葉が頭に浮かび、ふざけるなと思った。
俺はとぼとぼと家に向かった。
彼女は山の頂上に生えている万能薬を取りに向かったらしく、中々帰ってこなかった。
痛みに耐えかね、俺は家に保存してある薬を飲んだ。
ほろ苦かった。
少し背伸びをした。
正直に言うと、とても苦かった。
けれど良薬口に苦しというべきか、薬の効果はてきめんで、すぐに傷口は塞がった。
つまり、わざわざ取りに行く必要などないのに、ミーマは走り出してしまったのであった。
およそ一時間後、ようやくミーマが帰ってきた。
「ハァ、ハァ……エルマ、お薬とってきたよ!」
「よかった、ミーマ……って、オイ、その傷……!」
見ると、そこには想像以上に大量の傷を負ったミーマがいた。
「俺よりお前の方が重傷じゃないか! 無理してとってきたんだろ、すぐ横にな……」
俺が言っている間にも、ミーマは疲労のあまり倒れてしまった。
俺はため息をついた。
こいつはまっすぐで、誰よりも優しい。
彼女の皮膚に彼女が持ってきた薬を塗る間、俺はある決意をした。
ミーマには、人間を恨まず、美しくまっすぐなままでいてほしい。
だから、彼女には猫耳族の過去を語らない。
そして俺がミーマを守り、人間から遠ざける。
それ以来俺は狩猟をこなすとともに、昼間は見張りに立つようになった。
人間は絶対に、俺達の場所へ入れない。
その信念を携えて。
***
二時間経過し、夜が更けてくると、自然とミーマの容態は安定し始めた。
呼吸は安らかになり、全身の腫れも引いている。額に触れると平熱程度だ。
安静にしていればじきに治ると思われた。
あの人間はいまだに帰ってきていない。
当然だ、人間なのだから。
それでも、アイツが自ら薬草を取りに行った時は少し期待してしまった。
その期待は見事に裏切られ、月が傾いている。
このままでもミーマは治癒するだろうが、薬草のストックはなくなってしまった。
足りなくなった薬草は自分でとりに行こうと、立ちあがった時。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
息切れ交じりの声が、外から聞こえてきた。
オイ、嘘だろうと俺は鼓動の高まりを感じた。その声と地面を蹴る音は、近付いている。
「……ごめん、遅くなった!」
現れたユイは息を切らしていた。その手には薬草が握られている。
猫耳族は、非常に目がいい。
だから俺は、彼女の表情を、はっきりとらえていた。
「ミーマに使ってあげて。多分、これでよくなると思う……」
俺はユイにおそるおそる近づいた。間違いなくそれは、あの日ミーマがとってきたのと同じ万能薬だった。そして、ユイの体はやはり傷だらけで、たくさん出血していた。
今、その薬を一番使うべきはお前だろ。
俺は、血の気が失せたユイの顔を見た。
驚いたことに、その顔は笑みを浮かべていた。
なんで使わない?
人間が俺達にしたように、魔物の末裔など殺せばいい。
そうすればお前は、むかし仲間が殺しそびれた魔物を殺した『英雄』になれる。
少なくとも、お前に魔物のことを考える義務なんてない。
自分の為に使う方が、ずっと楽だ。
人間が……
「……どうしたの、エルマ? ミーマに使ってあげ……」
「寄るな!」
ミーマに近づこうとしたユイに対し、耐え切れず叫んだ。
「何度言ったらわかるんだ! お前は人間だ、人間は信用ならない。だから、余計なことはしないでくれ!」
「でも、君はミーマに早く良くなって欲しいんでしょ?」
狼がないた。
俺は首を振った。
「……お前はしょせん、人間だ。母さんを殺したみたいに、俺も殺せばいい!」
傍に置いてあるクロスボウを手に取り彼女に向けた。
ユイは黙って、ボロボロの麦わら帽子に手を置いた。少し考えこむようなそぶりを見せたのち、彼女はミーマへと歩いた。
「撃っていいよ」
すれ違いざま、悲しげに笑ったまま、ユイが呟いた。
「辛くて、悲くて、憎いよね。わたしもそうだから、よくわかるよ。わたしを殺して君の痛みが癒えるなら、わたしのことを撃っていいよ」
彼女の背中に矢尻を向けたまま、俺は静止した。
指は引き金にかかっている。あと少し動かすだけで矢は放たれるのに、俺にはそれができなかった。
「なんで……」
なんでお前は赤の他人にそんなことができるんだ、と言いたかった。けれどそれだけではないような気がして、上手く言葉にならなかった。
ユイは薬草を、丁寧につぶしていた。俺のことなど見ていない。
「やめてくれよ……」
「……」
彼女は何かを待っているように黙っていた。
俺は言葉をつづけた。
「やめてくれ……!」
最初の一滴が零れると、一滴また一滴と眼から溢れ出した。
俺が下を見ていると、ユイの音が近づいてきた。顔をあげると、すりつぶした薬草を載せた手が差し出されていた。
「これをミーマに飲ませてあげて。わたしがやるより、エルマに飲ませられた方が、ミーマはきっと嬉しいはずだよ」
俺が眼を拭い、ユイの顔を確認する。傷だらけの顔に笑み。「だいじょうぶだから」
俺は首を振った。
「いや……いい。お前が飲ませてやってくれ」
俺は下を向いて呟いた。
彼女は「そっか」と言った。彼女はミーマの口に、その薬草を近づけた。
そして、ミーマが一口飲み込んだのを確認すると、彼女はミーマに覆いかぶさるように気を失ってしまった。
静まり返った小屋の中、俺はユイに近いた。
余った薬を、そっとユイの口に含ませた。
***
「……ん……なにこれ……」
だんだんと覚醒しつつある意識の中、わたしは手に何かが当たるのを感じた。
それはまるで生き物のように温かく……
撫でるとやわらかく……
縁を触って確かめると、三角形の形をしている。
猫耳?
わたし、猫と一緒に寝てるの?
わたしは目を開いた。
手が触っているのはやはり猫の耳で、その根元には金髪交じりの黒毛があった。
規則正しい寝息が聞こえている。私に当たっている体があたたかい。
あっ違う、猫じゃなくて、猫耳族だ。
つまりはミーマとエルマだった。
……エルマ?
彼等を起こさないように、慎重に質素な布団から出た。
やはりそこには、エルマとミーマが横たわっている。
そうだ、わたしはミーマに薬を飲ませて、そのまま眠ってしまったんだ。
じゃぁそこに、エルマが『自主的に』入ってきたってことでいいんだよね?
かわいくない?
このぷにぷにしたほっぺたとか、猫耳とか……。
わたしが彼の頬を触ると、眠っているにも関わらず、すごく嫌そうな顔をされたので、触るのをやめた。
わたしは小屋を出た。
「やっと起きましたか、ユイさん」
小屋の外では、分厚い葉っぱの天然の天井を貫通して、太陽が照り付けていた。わたしは目を細める。
左に、知らない猫耳族の女性が立っていた。
「……えーっと、なんでわたしの名前を?」
「ふふ、ミーマがさんざん言っていましたからね。それにエルマも、ユイさんについて皆に言っていました。おかげで、今やこの集落であなたを嫌う人はもういません」
彼女は数少ない大人の猫耳族のようだった。
丁寧な言葉遣いや背丈、顔のしわがそれを物語っている。
わたしは、一目見た瞬間、何か違和感のある女性だと感じた。
目に見える違和感は、他の人より少し毛が濃いということ。しかも、その毛は茶色が勝っていた。けれど、なんというか、それだけでなく、おかしなオーラを放っている。
……それに、こんな人いたっけ?
女性の顔をじっと見ていると、彼女は怪訝な顔をしたので、わたしはやんわり尋ねた。
「……それで、わたしに何か用事でもー?」
「ああ、そうでしたそうでした」
彼女は笑って、わたしについてくるよう促した。
わたしがそれに従うと、彼女は話した。
「この先に、温泉があるんですよ。ユイさんは旅行しに来たと聞きましたし、ひと浸かりどうです?」
「わざわざそのために待っていてくれたんですか!?」
「ええ、もちろん」
猫耳族は夜行性だから、今の時間帯は人間にとっての『夜中』のはずだ。相当に眠いはずだろうに……
先を行く彼女に、わたしがついていく。わたしたちは道を歩きながら談笑した。
「猫耳族がたくさんお世話になったので。少しくらいお礼をさせて下さいな」
「眠くないんですか?」
尋ねると、彼女は目を細めた。
笑った、というよりうとうとしているというイメージだった。
「まぁ、少し──いや、かなり眠いですね。しばらく眠りたいです……けど、今は恩人への礼が最優先ですから」
「そんなに感謝されるようなこと、してないですよ……でも、ありがとうございます!」
やがてわたしたちは、彼女のいう『温泉』に着いた。
モクモクと白い煙が立ち上り、穴が青色の水で満ちている。そこだけは木で覆われておらず、日光が直接当たっていた。
「さ、ここです。ゆっくり浸かっていってくださいな」
そう言って立ち去ろうとした彼女を見て、わたしは「あなたは浸からないんですか」と尋ねた。
彼女は微笑んだ。
「私は、もう眠る時間なので。一人で楽しんでください」
「ああ、そうですか……」
そうだ、この人にとってはもう深夜だったとわたしは自覚した。
女の人はあくび一つして、立ち去ろうとした。
「あ、すいません。ここって……」
「ここは女湯ですし、今は昼です。人目を気にする必要はありませんよ」
わたしの質問を先読みして、彼女が答え歩いて行った。
わたしはひきつった笑みを浮かべた。
……着替えについて聞きたかったんだけど。ま、【組成魔法】でなんとかすればいっか。
にしても、温泉か。
しかも、こんな景勝の地を独り占めしている。
とうとう『旅行』らしく、羽を伸ばせるというわけだ。
女将の温泉に浸かれなかった無念を晴らすときが、きた──!
一人、ガッツポーズをとる。
わたしは、汗や血に汚れた服を脱ぎ、たたんだ。ひんやりとした森の空気が、地肌を撫でる。
わたしは浮かれた気分で湯船につかった。
魔法を使っているのか、それとも地熱なのか、お湯はちょうどいいくらいに温かかった。傷口は既に治っていたため、お湯がかかってもまるで痛くない。
狼の声が聞こえた。
わたしは温かい湯につかりながら、思いをはせる。
このあとはどうしようか。
ミーマもここの住人も、そしてエルマもわたしに心を開いてくれたし、もう少し留まるのも悪くないかもしれない。三日から四日くらいが安牌だろう。
それで、そのあとはどこに行こう。
候補としては海、平原……変装していっそ王都なんてのもアリだ。平原以外はかなり遠いけど、なんとかなるだろう。
でも結局は、ここが一番落ち着くんだよなー。
麦わら帽子を外し、露わになった二つの凹凸を触りながら、足を延ばした。
そういえば、ライたちは今頃、何をしているのかな。
わたしなしで十分やっていける集団だけど、少しだけ心配だったりする。元気だと良いなぁ……。
考えるのを終えて目を開いたわたしは、温泉の岩に何か彫ってあるのに気が付いた。
近づくと、それは文字だった。
あの女性が彫ったものだろうか。
丁寧で読みやすい、美しい字だ。
「『うちの子がお世話になりました。』」
わたしが声に出して読むと、その文字は勝手に消えてしまった。
***
「……行くのか?」
「うん、次の目的地に行こうと思うよ」
あれから三日後、わたしは集落の隅で、皆にお別れを言った。
ミーマが近づき、わたしを抱きしめた。
「ミーとかミーたちとかを助けてくれて、ありがとう! だいすき!」
つい最近熱を出したとは思えない程、彼女は元気だ。
わたしはミーマを抱きしめ返し、「わたしもだいすきだよ~」。彼女は嬉しそうな声を出して笑い、周りの猫耳族たちから笑い声が漏れた。
「……ありがとう、ユイ」
エルマもわたしの近くに寄ってきて、抱きしめはしなかったけど頭を下げた。
ミーマに抱き着かれたまま近づき、彼の頭に手を置いた。彼はそれを躱さず、ただ目を瞑って受け入れてくれた。
ふわふわしてる。
二人が離れた時、わたしは頭を下げた。
「それじゃぁ、みなさん、さようなら。またどこかで会いましょう~!」
元気よく声を張り上げ、わたしは集落に背を向けた。
背中に「バイバイ」と声がかかる。
わたしは振り返らず、歩いた。
足元の木の根にひっかかることはなくなっていた。
そして山のふもとに出た時、振り返った。
ここに来た時とは対照的な時刻だが、山の染まる色は同じオレンジだった。
さーて、行きますか。
歩き出そうとしたとき、激しい光が迸った。
あまりの眩しさに目が閉じた。薄目を開ける。
「やっぱりここにいたか、ユイ」
一人の女性が立っていた。
凛々しく筋肉質な体と、青色の綺麗な髪、わたしより少し低い背丈に、わたしは見覚えがあった。
「『山に行くとリラックスできる』とは言ったが、まさかこの山を選ぶとはな」
「……」
わたしは驚いて、口を開けていた。
なんで、君がここにいるの?
「……トワ」
「久しぶりだな、ユイ」