名のない山脈・中
ミーマに案内され、たどり着いた先は少し開けた土地だった。
人工的に慣らされた跡があり、その土地に藁などで作られた家がいくつか建っていた。所々から子供たちの声が聞こえ、大人の声はあまりなかった。
ミーマはわたしを案内し終え、家のうち一つに走っていった。エルマはわたしの近くに留まる。
「……ここが俺達の集落だ。今日はもう遅いから泊めるけど、明日には消えてくれ」
エルマの声は苛立ちを孕んでいた。幼い外見とのギャップが強かった。
それは困ると首を振ろうとするわたしの耳元で、彼は言った。
「この村で人間を嫌っているのは俺だけじゃない。長居してもいいことはないと思うぞ」
「わたし、ここに旅行しに来たんだけどなぁ……」
おちゃらけた調子でぼやくと、彼が断固とした口調で「ここは人間のための観光施設じゃない」。
「……向こうが俺達の家だ。入って良いから、とにかくはやく消えてくれ」
「はーい」
わたしはしぶしぶ引き下がった。
確かに、旅行とは言えど人の住んでいる場所に突撃したのだから、これくらいの反応を受けても仕方はない。
むしろ、女将が優しすぎたともいえる。
エルマのような反応が当然なのかもしれない。
考えながらとぼとぼと、言われた家へ歩こうとした時だ。
「うーん、狩猟用のナイフをなくしちゃった……。どうしようかな……」
一人の猫耳族がぼやく声を聞いた。
困っている人を放っておけない職業病にかかっているわたしは、口角を上げて彼に近づいた。
「どうしたの?」
「わわわっ、びっくりした! 全く、おどかすな……って、誰だお前……?」
わたしが少年の背丈くらいに屈むと、彼の眼が大きく開いた。
「見ない顔……もしかして、人間……!?」
背後で、エルマのため息が聞こえた。
目の前の猫耳族は、わたしから距離を取った。わたしは即座に【組成魔法】を行使し、彼に近づいた。手に生成したのは、一握りの刃物である。
「ユイ!?」
「ひっ!?」
エルマと、目の前の少年の悲鳴が同時に上がった。
わたしは彼の肩を掴んだ。
「はいこれ、ナイフ」
「えっ……」
彼は状況がつかめないのか、中途半端な顔をしていた。
「……ナイフ、なくしたんでしょ?」
「あ、ああ」
丁寧に差し出してやっと、彼は受け取ってくれた。
わたしは微笑み、彼に背を向けて歩き出した。
***
その日、ミーマとエルマの家でわたしは眠った。
久しぶりに悪夢を見た。
目が覚めるとそこは真っ白な明るい空間で、わたしはこれが夢なのだと悟った。
吐き気を催す悪臭とこの白い空間が、その悪夢の印だった。あと、強い虚無感。
視界の隅に、真っ黒ななにかが映った。
ソレは段々わたしの視界一杯に広がり、わたしを恐怖に陥れる。何とも描写しがたいそれは肉塊や皮、涙で構成されていた。つまり死体だ。
現実で見たことのあるものしか、夢には出ないという。それは事実だと、わたしはよく知っていた。
「……ウ……ウゥ……」
「オォォ……」
わたしは泣いていた。大きな声を上げたかったが、それさえできないほど死体はわたしのまわりに密集していた。
金属の音が聞こえる。
やがて、パッと視界が開けた。
死体の山の上に、誰か立っているのが見える。痩せ細った見た目の、小さな人型だ。生気のない瞳を、わたしに向けている。
……いやだ、そんな目でわたしを見ないで。
でも、目を瞑ってはならない。
わたしが直視しなければならない。この旅行の目的も、そこにあるのだから。
口の中にしょっぱい味。
血だった。
***
「……はぁ、はぁ……」
わたしはじっとりとした悪夢から目を覚ました。
全身が熱い。薄暗い天井が見えた。
被ったままの麦わら帽子が、取れていないのを確認する。帽子はきちんと頭の上にあった。
わたしは、口角に指を当て、押し上げた。
そして、指を放した。
そこに割り込まれる、エルマのふてぶてしい顔。
「オイ、人間が夜行性とは初耳なんだが?」
彼は茶色い瞳でわたしを睨んでいた。
夜行性?
「……ん……今、何時なの……?」
「ちょうど、満月が南中したころだ。真夜中だよ」
「……なんでこんな時間に起きたんだ、わたし……」
そうわざとらしく口ではいうものの、悪夢を見て夜中に飛び起き、飛び起きたあと眠気が吹き飛んでしまうのまで含めて、あるあるだと思った。
猫耳族は夜行性だから、夜中に狩りなどを行う。だからエルマはまだ起きているのだろう。
わたしは質素な毛布から出て、座った。
笑った。
「……怖い夢を見ちゃってね~。どうする? 怖い話でもする?」
「猫耳族に夜、怖い話をしても無駄だ。昼間やってくれ」
彼は昼間話した時以上に冷たいように感じた。
冷たいというより、様子が少しおかしかった。よく見ると、頬に汗をかいている。この山は涼しかった。
「んー、なんで家にいるの? 外に出て、狩りをするのが普通じゃない?」
「…………」
彼とわたしの間に、沈黙が流れた。
わたしがめげずに彼を見返していると、彼が諦めたように視線を逸らした。
「ミーマが風邪をひいたから、それの看病をしていたんだ」
「風邪?」
彼の視線の先を見ると、布団に横たわるミーマの姿があった。全体的に肌が赤っぽくなっている。
「……あんなに元気だったのに?」
「多分、昼間作った擦り傷から菌が入ったんだと思う。あのあとミーマがお前を案内したせいで、消毒する暇がなくなったから」
彼はわたしを睨んでいた。
「黙って寝てくれ」
「ごめん、目が覚めちゃってさー。何か手伝えることある?」
わたしはこのまま引き下がってはならないと思い、彼に申し出た。
エルマはため息をついた。
「お前がミーマに触るなら、俺はお前を許さない」
「……でも」
「失せろよ、人間」
彼の諦めきった口調に、わたしは、これ以上引き下がるのは無駄と理解した。
彼は絶対に、わたしに彼の手伝いをさせてはくれないだろう。人間嫌いの彼からしたら、最愛の親族を人間に触らせるなど、言語道断だ。
ここに居たら、彼の迷惑になる。もう一度眠るには、あまりにも目が冴えすぎていた。
「……ちょっと、外に出るね」
「勝手にしろ」
外に出ると、夕方見た時より多くの猫耳族がいた。そのほとんどが女(メス?)なところを見るに、男達は狩猟に向かったらしい。山に鬨の声が響いていた。
「……あれ?」
猫耳族とすれ違ったとき、わたしは違和感を覚えた。
誰も、わたしがいることに対して露骨な嫌悪を示さない。時々顔をしかめる者はいるけれど、わたしから距離を置いたり、指をさして「帰れ」と叫ぶ人はどこにもいなかった。
何があったんだろう? 活動時間帯だから、他人に構ってられないのかな?
「……ユイ、って言ったっけか」
「はい?」
歩いていると、背後から声をかけられた。
振り返る。一人の猫耳族が、わたしを見つめていた。
昼間ナイフを与えた、あの彼である。
「礼を言うために、待ってたぜ。昼間はありがとな」
「どういたしましてー……ところで、なんで皆わたしを避けないの?」
笑みを浮かべ、声を潜めて彼に尋ねた。
彼は「ああ、それのことか」。
「ミーマが、お前のことをみんなに話したんだよ。『ユイはわるい人じゃない』ってさ。
最初は誰も相手にしなかったんだけど、アイツが汗だくになってまで呼びかけ続けるうちに、何人か『悪い人と決めつけるのはよくない』と考え始めたんだよ。それで、今に至る」
これで満足か、とでも言いたげに彼は軽く首を傾げた。
わたしは頭を下げて、感謝の意を示した。彼はわたしに背を向けた。
ミーマがわたしのことを呼びかけてくれたんだ。
それで疲れて熱を出して……。
そこまで言えるわけじゃない。
ただ、わたしの責任だと思った。
わたしは去りかけた少年の肩を掴んだ。
狼の吠える声と、一際大きな鬨の声。
「ん、まだ何か用か?」
「……病気に効く薬草って、この辺りにある?」
彼は顎に手を当てた。
「まぁ、あるにはあるけど。でも、この山の頂上付近にしか生えてない貴重な薬だから、夜中に人間が捕りに行くのは危ないぞ」
どんな薬かと尋ねると、彼は白い花だと答えた。
「見ればわかる。頂上に咲いている白い花なんて、それ以外ないからな」
「オッケー、ありがとう!」
わたしは深々と頭を下げた。
そして、駆け出した。
背中に声がかけられる。
「オイ、だから人間には危ないって!」
「だいじょうぶ、夜目は効く方だから!」
この集落を出ると、無作為に大量の木々が生い茂った斜面だ。
足元にはたくさんの丸太や石が転がっていて、走りにくい。枝に膝をひっかけて瞬く間に擦り傷がついたが、気にならなかった。
雨が、降り始めた。
エルマは、わたしを嫌って当然だ。
わたしのせいで、大切なミーマが病気になった。わたしが来なければ、ミーマが苦しむことはなかったのだから。
人間という種族そのものを嫌っていいとは思わないが、わたしという一個人を嫌うのは仕方ないと思う。
いつだってそうだ。
勇者なんて大層な肩書を背負っておきながら、その実は身勝手で救いようがない。だから全員から嫌われる。
突如、狼が現れた。
わたしは手刀で彼を殺した。狼は力なく倒れた。
わたしは構わず先を目指そうとした。
そうしたら狼の体につまずいて転んでしまった。
わたしの頭から麦わら帽子が落ちた。
わたしはそれを拾うが、被らない。
擦り傷で、膝が鉛のように重くなっていた。頬も痛みを訴えている。
呼吸が荒い。
自分が焦っていると自覚した。深呼吸はしない。
焦っちゃいけないけど、急がなくてはならない。
走り続けた。