名のない山脈・上
「……さて、と。一件目の観光は終わったけど……」
わたしは砂漠をトボトボ歩きながら、ため息をついた。
勢い任せにドラゴンを倒してしまったせいで、王都から目を付けられるリスクが出てしまった。おかげで、ほとんど村に居座れなかった。
わたしは帽子に手をおき、厚い砂漠のど真ん中でうめいた。
あー、女将の温泉にでも浸かっておけばよかった。
たった二泊しかできてないくせして、一泊目は疲れで寝落ち、二泊目は考えることが多すぎてゆっくりできなかったから、温泉には浸かれていない。
どうせなら三泊させてもらえば良かったかな~……。
王都からはメチャメチャ離れているから、すぐに追ってはこないだろう。やっぱりゆっくりすればよかった気がする……。
「もういいや! 進も!」
くよくよ悩んでいても仕方ないと、わたしは歩く速度を速めた。
その足に迷いはない。というのも、次の目的地は前もって決めていたからだ。
山だ。
付き合いの長い友達から、『森に行くとリラックスできる』と聞き、実際に試してみたいと思ったのである。
ここから最寄りの、緑の多い山までおよそ……400kmくらい。
【移動速度上昇】の魔法を使ったわたしの走りで、大体10時間で到着する算段だ。王都からの距離はここほどではないにしろある程度離れているし、悪くないだろう。
行きますか。
わたしは名残惜しい気持ちを捨て、走り出した。
***
走り始めてから予定通り十時間後、太陽が西の空に沈むころ、わたしはその山にたどり着いた。
人の口に戸は立てられぬとでも言ったものか、道中すれ違った旅人から「ドラゴン討伐」の話題を小耳にはさんだりした。
「ドラゴンを一人で倒したバケモノがいるらしいぞ……」
「なに!? それは一体どんな奴なんだ!?」
「旅人らしいってこと以外、全くわからねえけどな」
なんだか恥ずかしいような、しかしそれだけでない複雑な気持になると同時に、自分の軽率な行動を後悔した。
やっぱり、噂が広まりすぎている。そのうち、パーティーの人たちがわたしを追ってくるかもしれない。
「い、今は目の前の旅行に集中しよう!」
明るい調子で言って、目の前の山を見た。
「山にたどり着いた」と言っても、山頂に辿り着いてはいない。山のふもとにたどり着いたところである。
夕映えでオレンジ色に染まる山を前に、嘆息が漏れた。
山に住んでいる人はほぼいないため、人を助ける勇者として活動していたころは山になど一度も来たことがなかった。故郷は田舎でこの山そっくりなのだけど、それ以上に濃密な時間を勇者として過ごしてきた。人の手が加わっていないこの景色が新鮮だった。
空気を吸い込むと、なんだか体が喜ぶみたいだ。
「おっと、いけないけない。感想の長広舌は、ちゃんと中に入ってからにしないとねー」
わたしはごくりと唾を飲んだ。
けもの道に等しい道へ足を踏み出した──
──と同時に、わたしは殺意を感知した。
あたりを見回すと、草木が生い茂っているだけに見える。オレンジ色の日光は木に覆い隠されて、もはや全く届かない。
うーん、気のせいかな?
わたしが一歩足を進めると、今度は明確な、何かが動く音が聞こえた。
間違いなく、ここには誰かいる。
道沿いの、右奥。
音が聞こえたのは、右奥にある木の上からだ。視覚で確認されないよう、上手に身を隠している。
今度は、ゆっくり旅行できると思ったんだけどなぁ。
わたしはため息をついた。
ぎこちない笑みを作って、尋ねた。
「えーっと、わたしのこと殺そうとしているのかな?」
「……!」
空気が揺れた。
相手が動揺しているらしい。
「……チッ」
はっきりとした舌打ちが聞こえた。
やはり目星を付けていた木の上からだ。わたしは警戒して【組成魔法】で剣を作り出した。
パンッ。
音がした。
わたしは飛んできたモノを、剣で弾き飛ばした。
かなりの手応えで、手が痺れる。
二発目以上は耐えられないと踏み、わたしはこのスナイパーの元へ接近した。
「……どこ行った!」
姿も見えない敵は、慌てているようだ。でも、武器は手放しておらず、冷静にあたりを見渡し索敵している……と思う。姿が見えないから、確かなことは言えない。
にしても、声が思ったより幼い。12歳くらいの男のものだ。
なんで、12歳の男児が、殺人を犯そうとしているの?
わたしはスナイパーのいる木へたどり着き、剣を地面に置いた。
音が鳴らないよう、剣を置く時は細心の注意を払った。あたりはどんどん暗くなっている。
まだ、気付かれていない。
さて、わたしが何故、わざわざスナイパーの真下に移動したかというと。
両手が空になった状態で、わたしは木に拳を打ち付けた。
「わわっ」
木が大きく揺れたことによって、スナイパーが落下した。そう、こうやってスナイパーを自分と同じ地上に引きずり落とすためだった。
落ちてきた彼を、わたしは冷静に両腕で受け止めた。
その男は、想像以上に軽かった。この重さでは、40kgもない。かといって、彼が痩せているわけでもない。
なぜなら、彼はわたしの腕の中に納まるほど小さい少年だったからだ。
「見ない顔……やっぱりお前、人間だな!?」
「えっ」
わたしはその物言いに驚いた。
彼は、手に持った、小さいクロスボウをわたしに向け「人間め!」。
わたしは「危ないよ」と言って、片手でクロスボウを払いのけた。クロスボウは鈍い音をたてて、わたしがさっき落とした剣にぶつかった。
『人間め』、ねぇ……。
スナイパーは丸腰で、わたしの腕の中だ。わたしを睨む視線が鋭い。見てくれに反して、相当人間を恨んでいると見える。
君も、パッと見た限りでは人間なのだけど?
金髪と黒髪が混ざっていること以外、特におかしな点はない。
「触るな、人間! 降ろせ!」
わーわー騒ぎ暴れまわる彼をなだめつつ、わたしは彼を見つめた。
彼は睨み返してくる。
そうして、ずっと覚えていた違和感の正体に気が付いた。
彼の頭に、奇妙な二つの出っ張りが付いていた。
それはまるで、猫についている耳のような三角形だ。
猫耳? 君、猫なの?
***
猫耳族、という言葉は耳に馴染みがあった。
警戒心と縄張り意識が強く、人間を嫌う傾向がある種族。身体能力がおしなべて高く、特に聴覚が異様とも言えるほど鋭い。
魔物と人間の混血──つまり、獣人の子供のうち、耳だけに魔物の特徴が現れた者を、特別に猫耳族と呼ぶ。
***
わたしはため息をついた。
この少年、まるでわたしの話を聞こうとしない。聞こえは悪いけど、彼の命はわたしが握っているというのに、彼は物おじしていなかった。
よほど人間が嫌いなようだ。
彼を担いで、無理矢理山の中に入るという考えも、ちらりと頭に浮かんだが、そんなことをした暁には他の猫耳族からの印象が地に落ちる。警察に警告される立て籠もり犯が如く、弓を向けられて終わりだ。
「エルマぁ~! どこ行ったのー?」
わたしが頭を悩ませていると幼い声が聞こえてきた。
声が聞こえた瞬間、少年の体が震えた。少なくとも知り合いであることは間違いなさそうだ。
ただの仲間か、親族か恋人か……
いずれにせよ、その音源は近づいてきていた。
数秒後、わたしは彼女の姿を見た。
エルマと呼ばれた少年と同じように、頭に猫耳が生えていた。茶色がかった目は、暗い森で輝いている。
腕についた傷は、エルマを探しているうちについたものだろう。身長は彼より一回り小さかった。
「逃げろ、ミーマ! ここは危ない!」
彼女の姿を目におさめたと同時に、わたしの腕の中でエルマが叫んだ。
少女はその声でエルマに気付き、近付いてきた。わたしはエルマを降ろし、笑った。
「……えっ……」
エルマの口が半開きだ。
彼の言葉を、ミーマという名前らしい少女が遮った。
「エルマー! どったばったって音がしたから、びっくりしたよー! だいじょうぶ? ケガとかしてない?」
エルマがわたしに背を向け、少女を見た。
「……あ、ああ。そう言ってるお前の方こそ、さっき転んだ音が聞こえたぞ。怪我は?」
「だいじょうぶだよー。いたくないもん!」
可愛らしい会話だ。
この親しさから察するに、二人はかなり親しい間柄──兄弟のようだった。やがて、ミーマがこちらを見た。
「こんにちは、あなたの名前は?」
エルマと違い、彼女はわたしに対する敵愾心をむき出しにしていなかった。ミーマの隣でエルマが、「そうだ、逃げなきゃ!」と声を上げる。
わたしは笑みを見せた。
「旅人の『ユイ』だよ。自然に囲まれたこの森に、リラックスしに来たんだー」
そこまで言って、わたしは少し黙った。
こういうときの自己紹介って、どうすればいいんだろう。
生まれは最北の山脈、好物は和菓子だけど。
「ところで、君は?」
「ミーは猫耳族のミーマ! こっちは双子のエルマです!」
「……」
ミーマがエルマの頭をわたしの方にグイッと曲げた。
双子か。
悪いけど、とてもそうとは思えなかった。双子にしては、性格や身長が違いすぎているような気がする。
エルマがミーマの耳に口を近づけ、「オイ、逃げるぞ」。
しかし彼女は、「ダメだよ! この人間さん、悪い人じゃないもん!」と大声で主張する。
やっぱり、双子には見えないなぁ……
わたしは首を傾げた。
彼女はわたしの手を取った。
「この先に、ミーたちの暮らしてる場所があるのです! ユイも一緒に来る?」
「……オイ、ミーマ!」
エルマの顔は露骨に嫌そうだった。呼ばれた彼女はきょとんとして彼の顔を見返す。
「どうしたの?」
「……相手は人間だぞ? 人間を俺達の場所に連れて行くなんて……」
「でも、もうすぐ夜になる。このままにしておくと、あぶないよ?」
「……」
彼はしばしミーマの眼を見た。その純粋無垢な瞳に押し負けてか、かわりにわたしを見た。ミーマはもう話が終わったと判断したのか、わたしの手を掴んだまま歩き始めた。
エルマはキッとわたしを睨んでいる。
遠くで鳥の鳴く声が聞こえた。