砂漠の村・中
その日、わたしは村の偵察を行った。
村の人口はおよそ20人。
女は体力がないためか、女より男の割合が高い。そして男は全員黒肌で、男女双方ともに痩せている。
また村自体の様子については、ところどころに家畜はいるが畑はなく、家畜が飢え死にするのも時間の問題のように思われた。魔物に荒されたという痕跡は未だ残っており、ところどころ地面にいびつなへこみがあった。より注意深く見れば、白骨死体が転がっていてもおかしくはなさそうである。
それらが、この村の窮状を物語っていた。
そりゃ、こんなに大変な状況じゃピリピリもするよね。
客人を歓迎なんて、できるはずないよ。
……なおさら、匙を投げるわけにはいかない。
わたしがなんとかしなければ。
わたしは、キュッと唇を噛んだ。
偵察のあとは、村の外で食料調達を行った。
ネズミ、サソリ、トカゲ……小動物ばかりだが、ちりも積もれば何とやら、一日分はしのげると知っていた。砂漠に住む動物のような知性のない魔物を数匹殺して捌いたりもして、かなり長い間ずっと外にいた。
にしても、熱い。
この砂漠にいると、汗さえも噴き出なくなってしまう。
普段は涼しいはずの風も熱気と砂をまとうことで脅威になり、照り付ける日差しは帽子さえも貫通し、わたしを攻撃する。
「お、ユイじゃないか。アンタ、調子はどうだい?」
唐突に声をかけられ、わたしはフラフラと顔を上げた。そこにいるのは、緑色の着物を着た、不敵な笑みの女性である。
「おか……っ」
「水分補給が必要だねぇ。とりあえずこれ飲みな」
彼女はわたしに、小さな水筒(粘土でできているように見える)を渡した。
ありがたく受け取り、一息で飲み干す。体に染み渡るようだった。わたしも笑った。
「ありがとうございます……」
「いいよいいよ、礼なんか。アンタには借りがあるんだ」
彼女は豪快に破顔し、水筒に口を付けた。
「……砂漠慣れしてない奴は、すぐに脱水症状が出ちまう。キツくなったら村に帰るのが正解だ」
「だいじょうぶですよ~。数十時間だったら水・食料なしで生きられるので」
「ゲホッ!」
彼女がむせ、水を吹き出した。奇跡的に服は汚れていない。強いて言うなら、目の前にいたわたしに少しかかった程度か。
彼女はわたしに水がかかったことに、気付いていない様子だった。
「……アンタ、すごいね。アタシらよりずっと砂漠慣れしてるじゃないか」
「脱水症状が出ていたので、わたしもまだまだですよー」
わたしは軽く首を横に振る。
数秒後、女将は「そうそう、アンタに伝えたいことがあったんだ」と言った。
「昼間は悪かったね。アイツはずっと苦しんでるんだ」
「……『苦しんでる』?」
アイツとは、レオンのことだ。
オウム返しに尋ねると、赤毛の彼女は首肯した。
「昼間も言ったけど、昔、村がたくさんの魔物に襲われてねェ。そんとき、アイツは大切な人を全員、なくしたんだよ」
女将はゆっくりと語る。
「戦闘は、苦手なヤツなんだけどね。アイツはずーっと村の為に食料を取ったり、魔物から村を守ったりしてきた。でも、村の飢えがピークに達して──」
女将はため息をつき、沈黙が訪れた。
わたしはどのようにその沈黙を破ったらよいかわからず、ただ黙った。
たった二秒後、女将が口を開いた。
「──アイツがアタシを襲ったのは、アタシが人を匿う『女将』だからだ。アンタみたいな旅客がいたら、そこから食料を奪って、村は生きて行ける。お客さんにこんなこと頼むのはなんだけど、アイツのこと、悪く思わないでやってくれ」
わたしは笑って、頷いた。
彼女は顔をほころばせて笑い、口に水を含んだ。
「ならよかった」
そう女将が言った瞬間、わたしは彼女の背後に不気味な影を見た。
条件反射的に「危ないッ」と叫び、手に剣を握っていた。女将は慌てて振り返る。
人とも動物とも言い難い、おぞましい魔物がいた。
わたしはその影に向かって剣を振った。確かな手応えと共に噴き出た血は剣にべったりと張り付いた。
既に、魔物は動かなくなっている。
「だいじょうぶですかー?」
「ああ、だいじょうぶだよ」
彼女は戸惑いながら笑った。
「また、助けられちまったね」
「さっき助けられたし、お互い様ですよー」
わたしは剣を地面に落とした。
これくらい、なんてことない。
「……やっぱり、アタシよりアンタの方が砂漠慣れしてるんじゃないのかい?」
女将が呟いた。
わたしは笑った。女将と話していると無理なく笑顔になれるので、心地よかった。
「それじゃ、伝えることは伝えたし、アタシは村に戻るとするかね。レオンのこと、頼んだよ」
「はい」
わたしは帽子を少し上げ、女将にわたしの顔がよく見えるようにしてから、破顔した。
彼女も笑い、背を向けた。
「──アンタを見てると、あの日の恩人のことを思い出すねェ」
わたしは何も言わず、手を振った。
そして、夜。
村に帰るころには風は冷たくなり、これで少しはマシになると思っていた。
けれど現実は非常で、風が冷たくなりすぎ、吐いた息が凍りそうなほど厳しい環境と化した。
昼と夜で、30度くらい違うんじゃないだろうか?
断っておくと、角度ではなくて温度の話だからね。
女将が一人、入り口でわたしを待っていた。
「おかえり、ユイ」
空腹や寒さで余裕もないだろうに、彼女は笑いを絶やしていなかった。
わたしは女将の笑みを絶やさぬように、笑った。
「ありがとうございます、女将さん。……ごはんを取りに行ったんですけど、余っちゃったのでおすそ分けしますねー」
わたしは女将が何か反応するよりも先に、指をパチンと鳴らした。すると何もなかった空間に真っ黒い穴が開き、ドバドバと今日捕まえた生き物たちを吐き出した。
俗に言う【収納魔法】だ。
4、5体の魔物の巨躯。小さな生き物たちの死体。
「どうぞー」
わたしが女将の顔を見ると、彼女はあんぐりと口を開けていた。
「……んえっ?」
おかしな声が出る。
それを境に、沈黙。
「……これ、全部もらっていいのかい?」
「はい。わたしじゃ食べきれないので、代わりに食べてください。もう火は通してあるので、全部食べられるはずです」
村の入り口で立ち話をしていると、村の人たちが集まってきていた。
「オイオイ、なんだなんだ?」
「デカい山ができてるな」
「うー、なんか腹減ってきた……」
「魔物の死体? 一体だれが」
ちょうどいいと思い、わたしは彼らに頭を下げた。
全体に聞こえるよう、かなり大きな声で。
「……昨日、泊めてもらった分のお返しです。村の皆さんで食べて下さい」
「「「ええっ!?」」」
男たちの低い声が綺麗にかぶさった。
暗かった彼らの顔が、まるで花が咲いたようにパッと明るくなった。女将が困ったような笑みをわたしに向け、「全く、男ってヤツは」とでも言いたげにため息を吐いた。
「……マジ? そんな、貰っていいのかよ!?」
「まて、怪し……」
この村にいる数少ない子供。それが大人の静止を振り切って走り出した。
女将もわたしも、大人さえもそれを止めない。
子供は魔物の足にかぶりついた。
魔物の肉は相当に固いはずだ。
けれど子供はいとも容易く肉をかみ砕いた。
「……」
わたしは笑みを浮かべた。隣を見ると、やはり女将も笑っていた。
子供はうまい、まずいの一言さえ漏らさず食べている。無我夢中といった感じだ。
最初は不安げな目で見つめていた大人たちも、胸の前で組んでいた腕をほどき、食料に近づいた。
一体、彼らが最後に満足な量の食事をとったのはいつなのだろう。
誰一人として、肉がこびりついた骨を無下に捨てる者はいなかった。
その大人たちの中には、レオンもいた。
彼は他の大人たちと同じように食料に興味を示し、手を近づけた。
しかし、料理には触れず、手は静止していた。数十秒葛藤した結果、何かしらの結論が出たのか、彼は食料ではなくわたしに近づいてきた。
わたしは首をかしげる。わたしの額の辺りを見ながら彼は言った。
「ほ、本当にいいのか? お前の分は……」
「もう食べたからいいよー。それに、困難も幸せも、分け合うものでしょー? わたしはだいじょうぶだから、ホラホラ」
そう答えるわたしの姿に何かおかしなところでも見たのか、彼の目が小さくなった。
しかし何も言うことはなく、他の人々と同じように食事を始めた。
わたしと女将は、顔を見合わせて笑った。
「女将さんも、食べてください」
「そうだねェ、このままじゃアタシの分まで食べつくされそうだよ、全く……」
緑色の着物が、揺れた。
「ま、それでいいんだけどねェ」
深夜、女将の宿にて。
「……ん……?」
他の人より耳が鋭いわたしは、廊下で誰かが歩いている音を聞いた。昨日の夜は聞こえなかった音で、女将のものではなさそうだった。
おっかなびっくりとしたこの感じは……
考え始めた直後に響く、一際大きな足音と「やべっ」という声。
……レオンだな、間違いない。
目星をつけたところで、トントンと扉がノックされた。
眠い目を擦って「入っていいよ」と歓迎すると、そこにはやはり額に傷のある彼がいた。昼間つけてしまった頬の傷はむき出しだけれど、ほぼ完治していた。
彼は言った。
「夜遅くに悪いな。でも、どーしても話ときたいことがあった」
「どうしたの? もしかして、愛の告白?」
にやにやしながら尋ねると、「ば、バカヤロウ!」と彼は首を横に振った。
ヤロウじゃなくて、アマだよ。
彼は咳払いをして、居住まいをただした。わたしの背筋も、自然と伸びる。
「昼間は悪かった」
「べっ、別にいいよ~。こちらこそごめんね、何にも知らないのに横槍いれちゃって」
頬の傷を見て申し訳ないと感じていた矢先だったから、少し言葉がどもった。するとなぜか彼がより深く頭を下げ、声を震わせた。
「なんでお前が謝んだよ。悪いのは俺だろ」
「……」
「やっぱりレオンは真面目だ」と思った。
わたしは笑みを作る。
「ねぇ、レオンはなんでこの村にとどまってるの?」
このまま「悪いのはわたしだよ」と主張しても水掛け論になるのは目に見えていたので、わたしは話題を変えた。
彼は目を開いたり閉じたりし、とつとつと答えはじめた。
「このあたりが砂漠だから……出て行こうにも、出ていけねぇんだよ。それに、まぁ、なんだ、ある意味、父親とか母親とかの形見だしな」
「父さん」「母さん」と彼は呼ばなかった。
レオンは語り終わった時、「ほら」と言った。
「やっぱり、悪いのは俺じゃねぇか。俺が自分の意思で勝手にとどまって、勝手に腹空かせて、勝手に窃盗に手を染めたんだから。体ばっか大人になって、心は浅はかな子供のまんまだ。俺みたいな弱い奴……」
彼は、顔を下に向けた。声にならない声が漏れる。うめき声とも嗚咽とも捉えらられる音だ。
わたしの脳裏に、昼間の女将の言葉が過った。
──レオンのこと、頼んだよ。
「君は強いよ」
レオンの頭に手を置いた。
彼は顔を上げた。彼の黒目に、わたしの笑顔が映っている。
「魔物が村を襲ってから六年間、今日まで君はずっと両親の残した村に留まり、守ろうとした。辛いことがあっても耐え抜く強い心がないと、絶対にできないことだと思う」
「……」
レオンが凍ったように沈黙したかと思えば、プイッと顔を逸らした。わたしは手を放した。彼が、額の傷に手を当てている。
少し、顔が赤いようだった。
わたしが何か声をかけようと考え始めたころ、彼がズボンのポケットに手を突っ込み、口を開けた。
「あ、危ねぇ、要件忘れるところだった。お前さ、今日飯食べてないだろ」
「……いや、食べたけど?」
その瞬間、わたしのお腹が鳴った。わたしの顔は赤くなる。
レオンがため息をついた。わたしはぎこちない笑みを作った。
「……なんでわかったの?」
「お前、一人だけ先に食うような性格じゃねぇだろ。それに腹空かせた奴を見るのには慣れてるからな。見分けるくらい、なんてことないさ」
レオンは首を曲げて音を鳴らした。
「ほら、食えよ」
彼が差し伸べた手に、肉塊が握られていた。昼間わたしが捕ったものと同じものに見える。けど、手に取ると少し違って、手にざらざらしたものがついた。
塩だった。
彼は他の村人のように食料を食べきらず、少しでも長く生きるために、一部を保存しようとしたのだとわかった。
それを、わたしにくれるんだ。
わたしはにっこり笑って、「いただきまーす」。
シンプルな塩の味付けと風味が癖になる、わたしにとっては親しみのある味だ。でも全てわたしの非常食と同じ味という訳ではない。
レオンの眼があることも忘れ、一心に食べる。
「えへへ。ありがとう、レオン。実は、ちょっとお腹減ってたんだー」
「知ってるよ、そんなこと。……にしても、お前さ」
彼は目を細めた。
「一体、何者だ? その尋常じゃない強さ、人間じゃねぇんだろ?」
肉がなくなったので、口の周りを舌でなぞった。
わたしは、彼の頭に右手を置いた。左手は無意識のうちに、自分の麦わら帽に触っている。
「うわー、ひどいな。わたしはただの旅人だよ? 旅行しているの」
「……」
レオンが静止する。彼の眼が大きく開かれた。
でも、何も言ってはくれなかった。
しまった、会話が途切れちゃった。
「……6年前、この村が襲われたって言ったよな」
レオンの方から話題を提示してくれて、わたしは内心ほっとした。
「言ってたね」と頷いた。
「その時、俺は見知らぬ……冒険者?みたいな人に助けられたんだ。その人、メッチャ強くてさ。俺はその日以来あの人に憧れてるんだけど──」
彼は空を見上げた。
「今日、お前に出鼻を挫かれた。やっぱ、世界には強い人がたくさんいる」
「わたしなんて、全然強くないよ」
わたしは本心から首を振った。
レオンはわたしを見ていなかった。
「……羨ましいな」
わたしは初めて、レオンという男の本心を聞いたような気がした。
彼は気まずくなったのか、咳払いした。
「なんでこんなこと話してんだろ。悪い、気に障ったなら忘れ──」
何かを言いかけた時、わたしは地を揺るがすような咆哮を聞いた。
「!? なんだ、一体……!」
レオンが動揺した様子で左右を見回した。咆哮に続いて地面が揺れ、わたしの鼓動が早くなった。
魔物か?
でも、ただの魔物じゃない。いっとう巨大な……
「……っ!」
わたしは宿の外へと駆け出した。
レオンが続く。
外には人が集まっていた。
「ああ、こりゃおしまいだね……」
「女将! これは一体……」
「ああ、レオンかい」
彼女は空を見上げた。
その先を見るのが、怖い。わたしはその視線を、ゆっくり追った。
「……ドラゴン……」
呆然とした。
月の光を反射して光る緑色の鱗、20mは優に超える巨大な体躯、力強く動く翼。それが、上空にあった。
それはまさしく、たった一匹で都を落とすと言われる有名な魔物・ドラゴンの姿だった。
わたしは右手を宙に掲げた。強く握ると右手に光が集まり、鉄でできたありきたりな剣の形になった。
【組成魔法】だ。
わたしは足に力を籠め、地面を蹴った。
周囲の景色が一気に流れ、わたしはドラゴンと同じ高さへ跳んでいた。
「ごめん、ドラゴン。村の人に手を出すなら、わたしは君を殺すよ」
ドラゴンはわたしの言葉を聞いていないようだ。強く羽ばたき、口を大きく開いている。
わたしは仕方ないな、と首を振った。
パーティーの人たちに追いつかれたくないから、あんまり、目立ちたくない。
時間をかけての説得も出来ない。
魔物相手に説得って考えが、そもそも間違ってるか。馬鹿だな、わたし。
顔に笑みは宿らない。
剣を片手に、わたしは宙を蹴った。