表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/30

砂漠の村・上

「オイ、ゴ…………だ! ぜ……ぶ……おいて……!」

「アン……どうし……だい? いつ……」


 翌朝、わたしは現実のものか夢のものなのかわからない怒鳴り声で目覚めた。


 跳ね起きると、静けさと所々に穴の開いた壁が広がっている。

 つけっぱなしの帽子に手をおき、んーと体を伸ばした。


 夢、だったのかなー。

 ここにはわたし以外誰もいないし、たぶん、夢なんだろう。


「クッソ、いいから全部渡せ!」


 ……あ、違った。


 はきはきとした声に、わたしは夢などではないと悟った。

 小鳥のさえずりは黙り込み、男の怒鳴り声が響いている。わたしは耳がよく、ちょっとした音でも拾えるのだが、この声は「ちょっとした」なんて音量では無かった。

 続いて女の怯えた声……こちらは、あまり大きな声ではない。


 寝ぼけた状態のまま部屋の外に出た。

 男との声と女の声は交互に聞こえ、段々とエスカレートしているようだ。男の声も女の声も、両方とも震えている。


 んー、なんだか嫌な予感がするなぁ。


 廊下を歩き出入り口に向かうと、やはりそこには男と女の姿があった。


「あっ、アナタは……」


 逆光でシルエットになっていたが、着物の影が特徴的で、わたしは女が誰かすぐに理解できた。

 昨日、わたしのことを運んでくれた女の人だ。

 男は刃こぼれしたナイフを手に、丸腰の彼女を脅していた。


 ……こういう時の嫌な予感って大抵当たるよね。

 わたしはため息をつき、二人に声をかけた。


「どうしたんですかー?」

「……あっ、アンタ! ここに来ちゃダメだよ!」


 声をかけた途端に、彼女から指摘された。

 それと同時に、男がわたしに寄ってきた。携えたナイフの切先が、わたしに向いている。


 そのナイフは震えていた。

 前のめりではない体勢を見るあたり、人を脅すのは初めてなのだろう。むしろ、そういったことをするのに対し、強い不快感を覚えているようにも見える。


 なら、そこまでの脅威はない。


 わたしは大人しく両手を挙げた。 

 首元にナイフが突き立てられた。玄関の隅に張った蜘蛛の巣には、蜘蛛こそいれど獲物はかかっていない。


「……へ、へへ、女将。人質だ。この宿の食料、全部俺に渡しな」


 彼は女の人の方を向いていた。


 女将?

 なら、わたしは宿にタダで泊まらせて貰ったということになる。

 あんまり詳しくないけれど、商売的に、それって大丈夫なんだろうか。


 わたしはナイフを突きつけられたまま、彼女に礼を言わねばならないなと考えた。


「にしても、こんな女、村にはいないはず……。でも、痩せてて人質にはもってこいだよな」


 彼はぎこちない笑みを浮かべた。


 女将はあまり顔色がよろしくない。気丈に振舞ってはいるが、心臓の鼓動は早くなっているはずだ。


「オラァ、アンタんとこの客が今に死ぬぞ! それが嫌なら、ここの客ども全員から食料奪って、全部俺に渡せ!」


 そう彼が叫んだ時、お、ちょうどいいと思ってわたしは口を開いた。


「……わたし、客じゃないんですけどー」

「なに、じゃぁなんでここに……」


 彼の言葉をさえぎった。


「女将さーん」

「な、なんだい!?」


 彼女はわたしを見返した。

 喉元に突き立てられたナイフに、手をおいた。ナイフの切先は驚くほど簡単に、わたしからズレた。

 わたしは、女将に深々と頭を下げた。


「一文無しのわたしを泊めてくれて、ありがとうございましたー。お礼は今から、きちんと払いますので」

「……ッ! アンタ、頭おかしいのかい!? 渡せるモンは全部こいつに渡しちまうから、黙って……」


 わたしは目を細め男のナイフをはたいた。

 日光が反射して、部屋の隅にある蜘蛛の巣に、埃だけ絡まっているのが見える。


 一秒。


 わたしが彼を持ち上げ、床に叩きつけるのにかかった時間。


 そして、さらに一秒。

 彼が驚きと痛みに、声にならない声を上げるまでに時間だ。


 わたしは破顔する。


「……わたしは、あなたみたいな人のために生きているので!」


 「あなたの言葉ですよー」

 何が起きたかわからないのか、男は尻餅をついてわたしを見上げていた。そばかすのある彼の顔は、さっきより青っぽい。


「な、なにをした、お前!」

「投げたよ」


 見ればわかるでしょ、と言いたくなるほど簡単な答えだった。

 吹き飛びそうになった帽子を手で抑えながら、わたしはまた目を細めた。


 女将を見ると、彼女は口を「あ」の形に開けたまま硬直している。


「……すいません、昨日泊めてもらった分のお礼、これだけじゃ足りませんよね……。食器洗いとか、何か手伝えることありませんか?」

「……あ、ああ」


 女将はわたしの声で我を取り戻し、声を発した。 

 昨日の夜の第一印象通り、本来は肝のすわった女性なのだろう。驚いてはいるが、少なくともこれまでわたしの見てきた人たちよりは、ずっと冷静だ。


「アンタ、強いんだねぇ。宿泊費なら、たった今……」

「……なんの騒ぎだ、女将さん!?」


 光が玄関に入ってきた。かと思えば、入口の扉が開いている。

 目を細めると、そこに立つ数人の男が確認できた。身長や年齢は一見すると様々だが、若い人が若干多く、全体的にやせ気味であるようだ。


 わたしの故郷も田舎だからよくわかるけれど、

 こういう小規模の集落では住民はみな『知り合い』と化すものなのだ。


「あ、いや、なんでもない、ただのケンカみたいなモンだよ」

「ケンカって……」


 村の男が何かを言いかけたが、わたしを見るとその口は止まった。

 その男がわたしを指差した。


「……オイ、誰だ、この嬢さん」


 低くて響く声でそう言うと同時に、彼の手が彼の腰を弄った。手がナイフの柄に触れている。


 さざめきが広がり、人々の目がわたしに集中した。次々彼らの手が腰の辺りを弄り始める。

 取り出すは刃物、むろん刃はわたしに向いていた。動物の血がべったり張り付いているものが多い。


 ……えっ、血の気多くない?


「か弱い女に見えるが……見ない顔だ。まさか、部外者か?」


 うーん、言い方にトゲがあるなぁ。


 わたしはただの村人で、じきに次の目的地へ行く予定だと言おうとした。けれどこの口調といいさっきの男といい、何か裏があるような気がしてわたしは口を閉じる。

 悪戯に弁明してはならない。相手の話を聞くのが先決だろう。


 女将が、縦でも横でもなく曖昧に首を振った。「なんて言ったらいいんだか、自分でもよくわかんないなー……」


「なんだと?」


 女将の煮え切らない態度が、男達の不信感を増幅させた。

 彼らはわたしのことを睨んでいる。わたしはぼんやりと見返す。


 全員がナイフを構えているのに、誰も使わない。

 わたしもこの場にいる全員を薙ぎ倒すわけにはいかないので、動けない。


 気まずい頓着状態。わたしたちの視線は交差する。女将の着物が風に揺れている。



「やめろ、お前ら!」


 最後に物音がしてから十秒後、隣から鋭い声が響いた。

 

 聞いた瞬間、「あの男だ」と直感的に理解した。

 隣を見るとその音源はやはり見覚えのある男だった。


「……レオン……」


 誰かがため息交じりに呟く声。わたしが床に叩きつけた彼は、不安定ながらに立ち上がっていた。

 頬からたらり、と血が垂れている。


「痛い目に遭いたくなければ、こいつに手を出すな。下手したら死ぬぞ」


 一滴の赤い液体は軌跡を描いて頬から零れ落ちた。

 彼の剣幕は想定以上に凄まじく、わたしは思わず後ずさりしそうになった。弱腰で、ナイフを持つ手が震えていたとは思えないほど、手入れされたナイフを想起させる、堂々とした態度だ。

 村の男は少し口ごもって、「だが……」


「いいから去れ!」


 村人の話を遮りレオンの声が玄関に響き渡る。

 不満ありげな表情は見せつつも、男達は出て行った



 何があったのかは知らないが、男達があまり怖がっていない様子を見るに、普段から彼は大声を出すのかもしれない。



 ピシャリと締まった戸の前、暗くなった空間で、誰より先に声を発したのは女将だった。


「悪いねぇ、客人にこんな失礼なことしちゃって。根っこからの悪人ではないんだけど、どーしても部外者への意識が強いっていうかなんていうか……」

「……悪かった、女将」


 レオンと呼ばれた彼は、潔く頭を下げた。

 密かにわたしは感心した。


「まぁ、いいよ。いつかやると思ってたからねェ」

「……」


 彼はいづらそうに、あらぬ方向を向いた。

 刃こぼれしたナイフが、ベルトの鞘に納められていた。鞘はボロボロで、使い古されている。頬から落ちそうになる血を彼が拭う。


 わたしは口元を少し上げて尋ねた。


「この村って、いっつもこんな感じなんですか?」

「いつもって感じではないよ」


 女将は目を逸らした。


 ……やっぱり、何か事情があるのかな?

 それも、深く詮索しちゃいけないような。


 わたしが「なるほど、ありがとうございます」と話を終わらせようとしたとき、外を向いていたレオンが首を曲げわたしを見た。


「6年前、村が魔物に襲われたんだよ」

「アンタ……」


 女将がレオンを凝視した。

 額に傷のある彼は、彼女を無視してわたしを見ている。「無理して語らなくてもいいんだよ」と言おうとしたが、彼の真摯な瞳がそれを許さない。


「畑や家畜が荒され、村は食糧不足だ。いつの間にか住人は、20まで減ってたよ……ハハッ、元々40人はいたのになぁ! みんな、死んじまったんだ!」


 歯ぎしりの音。


「昼間みたいな騒動も、飢えに耐えかねた奴ならたまーにしでかしちまう。要するに、ただの鬱憤晴らしみたいなモンだ──俺は冷静じゃなかった」


 彼は顔を地面に向け、「クッソ」。


 その姿を見て、胸の隅に少しの罪悪感が芽生えた。

 何も考えず彼を投げるべきではなかった。レオンにはレオンなりの事情があったのだ。


 にしても、そっかぁ、魔物に……。

 元々魔物を殺す仕事をしていたわたしは、彼らの恐ろしさを知っていた。レオンや女将が生き残れたのは、奇跡だ。



 そしてどうしよう。

 気付けば、サラッと次の目的地を目指せるような雰囲気ではなくなってしまった。

 元々長居するつもりはなかったのだけれど、ここまで聞いておいて「わたしには関係ありません」では、あまりにも悪人だ。


 わたしはレオンを一見した。

 彼はまだ物憂い顔で女将の顔色を窺っている。明るい声音で尋ねた。


「……ねぇねぇレオン、この村って今も食料不足なの?」

「当り前だろ……。じゃなかったら、俺は女将を脅したりなんてしてねぇ。悪いけど、これ以上お前を匿ってやれるほどの余裕は、俺にも女将にもねーぞ」


 女将は頷いた。「残念だけどね、それが現状さ」


 留まって食料不足を解決してあげた方がいいような雰囲気だなー……っていうか、わたしの人助け魂が残れと叫んでいた。

 

「……なら、自分の分の食料は自分で賄うので、泊まる場所を用意してもらえますか?」


 わたしが笑顔で尋ねると、レオンの顔がこわばった。少しずつ収まってきた頬の血が、彼の口に流れる。彼はその血を舐めない。


「おま……正気か? この辺、ロクな食料ないぞ!? それに、魔物も出るし……お前が強いのはわかったが、それでも」

「いいからいいから。それで、いいの、ダメなの?」


 女将とレオンは仲良く顔を見合わせた。そして、ためらいつつもほぼ同時に頷いた。

 わたしは笑った。いつものように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ