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嘘つき

 振動を伴った低い音に、段々と意識が浮上していく。

 懐かしい音、懐かしい揺れ。

 ゆっくりと目を開けると、そこは車の中だった。


 自身の体を見下ろせば、ミントグリーンのドレスではなくて見慣れた制服だ。

 臙脂色のブレザーに臙脂色のタイ、灰色のプリーツスカートを着たあずきは、どうやら車の後部座席で眠っていたようだった。


「あら、あずき。起きたの? よく寝ていたわね」

「もうすぐお墓につくぞ」

 母と父に声をかけられるが、二人共特に不自然な点はない。

 お墓ということは、あの真っ白な空間に行く直前に戻ったのだろうか。


「呑気よね、あずきさんは……え? どうしたの?」

「何が?」

 妹の円香(まどか)が狼狽しているようだが、何かあったのだろうか。

 円香に指差されるままに顔に触れてみると、いつの間にか頬が濡れている。


「……あれ?」

 泣いている。

 涙がぽろぽろと零れて、あずきの頬を伝っていた。


「ちょっと、いつまでそうしてるのよ。ハンカチくらい出したら?」

 押し付けるように渡されたハンカチを受け取ると涙を拭くが、泣いているつもりはないの一向に涙が止まらない。


「今日は命日だからな。ササゲがいなくなって一年になるし。あずきは、よく頑張っているよ」

「お義兄さんもお義姉さんもササゲも、ちゃんと見ているから大丈夫よ」

「……うん」

 父と母に慰められ、妹のハンカチで涙を拭う。



 ――ああ、本当に戻って来たのだ。


 嬉しいはずなのに何故か心は晴れず、涙も止まらなかい。

 墓地に到着すると、お墓を掃除して花と線香を供える。

 白と黄色の中に混じった緑色の菊が、妙に視界に残った。


 手を合わせると、お墓を見上げる。

 ここに実の両親と愛猫のササゲが眠っている。

 今まで何度も来たはずなのに、何だか足元がふわふわしていた。


「あずき、先に行くよ」

 父と母が先に駐車場に戻っていく。


 いつもお墓参りの時には、こうしてあずきにひとりの時間を作ってくれる。

 円香と分け隔てなく育ててくれた、優しい両親だ。

 もう一度会えてよかった。

 そう思うのに、やはり心は晴れない。


「……あのさ」

 普段なら両親と共に駐車場に向かっているはずの円香が、何故か残っている。

 円香は言いにくそうにモジモジしたかと思えば、意を決したように深呼吸をした。


「帰りにお寿司食べるって言ってたから、早く来なよ。――お、お姉ちゃん」



「え?」

 あずきが問い返す間もなく、円香は真っ赤な顔で走り去ってしまった。


「お姉ちゃん、だって。……初めて言われた」

 十三歳で叔父に引き取られてから、ずっと名前で呼ばれていたのだが……どういう心境の変化だろう。


「お姉ちゃん、だって」

 円香は何だかんだ言っても、あずきを家族として見てくれていた。

 その最後の砦というべき呼び名を、変えたのだ。


「ねえ、円香がお姉ちゃんって呼んでくれたよ」

 お墓に向かって話しかけると、陽光を浴びて墓石がきらりと光る。

 母の遺言は『幸せになってね』だ。

 こうして日本に戻ってこれて、家族は無事で、円香は少し歩み寄ってくれた。

 このまま生活していけば、幸せになれるだろうか。


「クライヴは国の天候も安定して、私のお守りからも解放されて、幸せになれるよね。私は……」

 言葉を続けるよりも先に、頬を涙がつたう。

 元の世界に戻ったというのに、さっきからちっとも嬉しくない。


「どうして。ものは考えよう、でしょう?」

 そうだ。

 異世界に行った時からほとんど時間も経過していないから、そのぶんの授業の遅れもない。

 ちょっとした不思議体験だとしたら、面白かったではないか。


 ……なのに、駄目だ。



「……ここじゃ、私、幸せになれない。クライヴがいない。――ねえ。お父さん、お母さん、ササゲ。私、クライヴに会いたい」


 今更気付いても遅いのに。

 クライヴはあずきのことが苦手なのに。

 彼が向けてくれた笑顔は、『豆の聖女』に対するものなのに。


 それでも、会えないのは――寂しい。

 ぽたぽたと零れ落ちる涙を拭おうとポケットに手を入れて、そこに何かがあることに気付いた。


「……これ。豆ケース?」


 黄緑色の豆の形を模した缶は、確かにクライヴに貰った豆ケースにそっくりだ。

 だが戻って来る前はドレス姿だったので、豆ケースは部屋に置いてあったはず。

 ドレスすらなくなっていたのに、何故豆ケースがここにあるのだろう。

 恐る恐る蓋を開けてみると、中には日本では絶対にありえないピンク色の落花生がひとつだけ入っていた。



『俺が必要になったら、呼んでください。必ず――必ず、行きますから』



 豆の噴水のそばでクライヴが言った言葉が、脳裏によみがえる。

 まさかとは思いながらも、震える手で落花生を二つに割った。

 ……だが、落花生は消えずにあずきの手の中にある。

 ほんの少し光った気がしたが、陽光が反射しただけかもしれない。


 考えれば、当然の話だ。

 ピンク色の落花生を折ると光って消え、もう片方の豆が光って教えるだなんて妙なことが、日本で起こるはずがない。



『必ず――必ず、行きますから』



 淡い金髪に豆青の瞳の、美しい少年の姿が浮かぶ。

 その顔も、その声も、今なら鮮明に思い出せるけれど……もう二度と会うことはないのだ。


「……嘘つき。来るって、言ったのに」

 あずきはハンカチで涙を拭うと、駐車場に向かって走り出した。




 お墓からの帰り道、あずきは車窓を流れる景色をぼうっと眺めていた。

「もう少しでお寿司屋さんだぞ。……あれ? あんな看板あったか?」

「懐かしいわね、羊羹男(ヨウカンマン)。小さい頃、円香(まどか)も大好きだったわね」

「それにしても大きすぎない? テーマパークでも作るのかな」


 家族の会話にふと視線を前方に向けると、そこにはビル二階分ほどの高さの大きな羊羹男(ヨウカンマン)の立体看板が立っている。

 何となくそれをじっと目で追っていると、すれ違う際に羊羹男(ヨウカンマン)がこちらに向かってウィンクしたように見えた。


 そう思った瞬間、あずきは真っ白な光に包まれていた。



明日も夕方と夜の2回更新予定です。

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