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否定しているのは

 舞踏会の当日。

 気合の入ったポリーにつかまったあずきは、朝からフルコースで体を磨かれまくっていた。

 日本でここまで丁寧かつ豪華な体験はないだろうと、今回は全面的に協力するつもりだった。

 しかし、さすがに慣れないことは疲労が激しい。

 お風呂で磨かれた時点ですっかり疲れ切ったあずきは、協力するというよりもされるがままの状態である。


「『まな板の上の鯉』って、こういうことなのね。きっと」

「何ですか、それは?」

「じたばたしないで覚悟を決めるってこと」


「……なるほど。『莢を剥かれた豆粒』ですね」

「何、それ」

「諦めてされるがままになれ、という意味です」


 もうすぐ去るというのに、このタイミングで豆王国の慣用句をひとつ学んでしまった。

 日本では使えないのに、何だか頭に残りそうで怖い。

 うっかり解答用紙に書いたらどうしよう。

 そんなどうでもいい心配をしているうちに、どんどんと支度は進んでいく。

 絵本の中のお姫様は優雅に過ごしているイメージだが、これは結構な体力勝負だ。



「さあ、完成です」

 誇らしげに胸を張るポリーと侍女達に促され、姿見の前に立つ。

 そこには、豆原あずきとは思えない少女がいた。


 胸元はビスチェタイプ、スカート部分がAラインのドレスは、全体的にミントグリーンの生地が使われていて、爽やかな印象だ。

 その上に白いシフォン生地が幾重にも重ねられ、更にピンクや黄色に白などの色とりどりの花の飾りが散りばめられている。


 ウエスト部分には小さめの花飾り、胸元は大きな花で彩られ、背中側にはシフォン生地の大きなリボンが揺れている。

 銀の鎖のネックレスには、ミントグリーンの一粒石。

 これは緑瑪瑙(グリーンアゲート)らしいが、半透明の淡い緑色が美しい。


 髪はいくつかの編み込みを束ねてサイドに流してあり、ドレスと同じ花飾りが咲き誇るように散らされている。

 手袋と靴は白で、手首には緑瑪瑙(グリーンアゲート)のついたブレスレットが輝いていた。


「前回はどう見ても小豆色で、小豆の粒のネックレスだったけど。今回は普通なのね」

「いえ。その花飾りは、豆の花を模しています。それからネックレスとブレスレットも……」

「え。やっぱり、この緑色は豆なの? グリーンピース?」

 自身の手首を見つめていると、ポリーがもの凄い顔をしている。

 蔑むとは違う、憐れみに似た……残念なものを見るような眼差しだ。



「そんな気はしていましたが、やはりですか」

 そう言うと退室する侍女を見送りながら、ポリーはため息をついた。


「アズキ様。このドレスは、殿下が用意させたものです。……どうですか?」

「どうって? 可愛いわよ? ……もしかして、無駄遣いだってこと? 確かに、前のドレスでも良かったと思うわ。もったいない」


 前回の小豆なドレスは、結局一度袖を通しただけだ。

 服飾文化が違うとはいえ、一度着てそれっきりというのは日本の庶民には受け入れ難い。

 もったいない魂が、あずきの中でメラメラと炎を燃やすのだ。


「違います。それから、金銭のことは頭から離してください」

「え? お金じゃないなら、何? ……クライヴが用意したということは、まさか」

 ひとつの可能性に思い当たり息をのむあずきを見て、何故かポリーが満足そうに何度もうなずいている。


「クライヴ、デザインとかできたの? 多才ね」

「違います!」

「じゃあ、縫ったの? 意外と暇なのね」

 公務で忙しい印象だったが、裁縫をする暇があったとは驚きだ。


「そんなわけがありますか! もう。――色、色を見てください!」

 地団太でも踏みそうなポリーに面食らいながらも、自身のドレスに視線を落とす。

「色。ミントグリーンね」


「いいえ。これは、豆青(とうせい)です。豆の青、です」

 幼子に教え諭すように言われ、あずきも以前に聞いた言葉を思い出す。

「確か、クライヴの瞳の色をそう呼ぶんでしょう? 王家の証って聞いた気がする」


「そう、それです」

 期待に満ちた眼差しを向けられるが、だから何なのかわからない。

 何も言わずともそれを察したらしく、ポリ―の表情が見る見る曇っていく。



「ここまで言っても駄目ですか。……わかりました。殿下が不甲斐ないというよりも、アズキ様が問題です」

「問題って何?」

 あずきの疑問に答える間もなく、ポリーは手を腰に当てて深呼吸をしている。


「いいですか? 一国の王子が、王家の証である自らの瞳と同じ色のドレスを、アズキ様に贈ったのです。この意味は、何ですか?」

 まるで問題を出す教師のような様子に、あずきも何となく背筋を伸ばして考える。


「……豆の聖女も、豆色になれ?」

「ああ! 何か、絶対違う意味で言ったのでしょうが、意外と近いです!」

「やった。当たり?」

 どうやら正解のようだが、その割にはポリーは嬉しいというよりも悔しそうである。


「呑気なことを。……アズキ様の言葉をお借りすると、殿下色に染まってほしい。あるいは、染めたいということですよ」

「ええ?」

 少し鼓動が跳ねたが、よくよく考えればそんな素敵なことではないとすぐにわかる。


「それはないわ、ポリー。豆の聖女を豆色にしておきたいだけよ、きっと」

 深いため息をつくポリーには、心なしか疲れの色が見えた。


「何故ですか。ああもわかりやすいのに。どうしてアズキ様は否定するのですか?」



 ポリーは常々、クライヴがあずきに好意を持っているという前提で話してくる。

 それは少し恥ずかしくて、心地良くて。

 そして、残酷にあずきの心を抉る。


「……否定しているのは、クライヴの方よ」


 思わずぽつりとこぼれた言葉に、ポリーが首を傾げている。

 見たり触れたりするぶんには平気だけど苦手で、演技をして関わる存在。

 ……それが、豆の聖女のあずきだ。


 でも、それはクライヴが悪いわけではない。

 ナディアとの婚約は嘘だったらしいが、何にしてもクライヴは本当はあずきのことが苦手なのだ。

 それなのに真摯に関わってくるのだから、もう称賛に値する。


 あれだけ完璧に『契約者』として『王子』として接してくれているのだから、あずきもまた『豆の聖女』として振舞うべきだろう。


「アズキ様? ……それは、どういう……」

 ポリーの言葉を遮るように扉をノックする音が響き、クライヴが部屋に入ってきた。



 白を基調にした上着には金の糸で刺繍が施され、まさに王子様という華やかさだ。

 所々に緑色が使われているのは、恐らく豆をイメージした装飾なのだろう。

 滑稽なはずのそれも、美少年が身に纏えば素敵に見えるのだから、恐ろしいものである。


「アズキ。とても似合っています」

 微笑んで手を差し伸べてくれるクライヴに、笑みを返す。


 ――ものは考えようだ。

 一生着ないであろう豪華なドレスに、絵本から飛び出たような美少年の王子様と舞踏会。

 そして、家族は皆無事で、あずきは元の世界に帰る。

 いいことだらけなのだから、楽しまなければ損だ。


「ありがとう、クライヴ」

 あずきは笑顔でクライヴの手を取ると、共に部屋を後にした。



明日も夕方と夜の2回更新予定です。

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