特別なのは
「そう、上手ですよ」
余裕のクライヴとは違って、あずきの方はかなり必死だ。
時々バランスを崩しそうになるので、知らず知らずクライヴの手をぎゅっと握りしめていた。
「ダンスって、パートナーとだけ踊るの? 他の人とも踊る?」
「そうですね」
「えー、嫌だなあ。知らない人と、こんなにくっつくの」
満員電車で隣にいるのとは違い、手を握るし腰や背中にも手を回される。
シャイな日本人には、かなり心理的ハードルが高い。
不満が吐息となって口からこぼれると、クライヴがそれにつられて笑った。
「俺は、いいんですか?」
「うん? クライヴは、まあ……嫌ではないかな。知らない人じゃないし」
「それは良かった。――安心してください。アズキを他の男に触れさせませんから」
なるほど。
豆の聖女は不特定多数と踊らなくてもいい、ということか。
初めて聖女という肩書をありがたいと感じたかもしれない。
「じゃあ、クライヴが他の人と踊っている間、私は踊らずに待っていていいのね。良かった」
断るのは失礼だとか、踊るのも聖女の仕事だと言われなくて助かった。
今度は安堵の息をつくあずきに、クライヴが苦笑している。
「踊りませんよ。……アズキを放って他の人とは踊りません」
「え? でも、クライヴは王子様でしょう? それじゃ駄目じゃないの?」
「そうかもしれませんね」
「笑いごとじゃないでしょう。今からでも、他の人と踊った方が……」
豆の聖女と契約者の王子としてはもう踊ったわけだし、問題ないだろう。
ナディアとでも踊ってもらえれば、彼女の不満も和らぐだろうから一石二鳥な気がする。
そう思ってクライヴから離れようとすると、腰に回された手に力が入り、一気に抱き寄せられた。
「な、何?」
「……次のステップです。右足を前に出して」
「え? ちょっと待って、待って」
矢継ぎ早に出される指示にどうにか食らいつくと、クライヴが楽しそうに笑っている。
「上手ですよ、アズキ」
「ちょっと、話しかけないで。必死なんだから――ああ!」
慣れないダンスとヒールの高い靴に、うっかりつまずいてしまう。
クライヴが傾ぐあずきの体を抱きしめるように引き寄せると、周囲から悲鳴にも似た歓声が上がった。
「ご、ごめんなさい。ありがとう。……もう危ないから、戻ろう?」
すると、あずきを抱きしめたままのクライヴが、髪が触れるほど顔を近付けてきた。
「俺が踊りたいのは、特別なのは――アズキだけです」
耳元でささやかれ、くすぐったくて思わず首をすくめる。
それと同時に、周囲から再び悲鳴のような歓声が上がった。
「――は?」
何を言われたかわからず反射的に顔を上げると、ミントグリーンの瞳の美少年は優しい笑みを湛えている。
これは、社交辞令だ。
豆の聖女であるあずきに、契約者であるクライヴがお世辞を言っただけだ。
そうわかっているはずなのに、何だか胸の鼓動が早まっていく。
クライヴが美少年なのがいけない。
イケメンから言われれば、お世辞だって威力が増すのだ。
顔がどんどん熱を持っていくのがわかる。
どうしたらいいのかわからなくなって、酸欠の金魚のように口をパクパクさせるあずきを見て、クライヴは更なる笑みをこぼす。
「戻りましょうか、アズキ」
「う、うん」
差し伸べられた救いの手にすがるようにうなずくと、手を引かれてホールの中央を離れる。
周囲の視線は痛いが、あずきの顔が熱いのはそのせいだけではない。
ミントグリーンの瞳は優しくあずきを見つめていて、おかげでいつまで経ってもざわついた心は落ち着かなかった。
「昨夜は、殿下と仲睦まじく過ごされたようですね」
舞踏会の翌日、朝の紅茶を淹れるポリーはご機嫌だ。
「何、それ?」
「アズキ様の手を取る殿下は、見たことのない笑みを浮かべていたともっぱらの噂です。しかも、一緒に踊った際には途中で抱きしめて、頬に口づけしたとかしないとか」
歌いだしそうなほど楽しそうなポリーは、とんでもないことを言いながらティーカップをあずきの前に差し出した。
「そんなことしてないわ! 転びそうになったのを支えてくれただけよ。キスもしてないわ。ちょっと、耳元で……」
そこまで言って、昨日のクライヴの言葉を思い出す。
『俺が踊りたいのは、特別なのは――アズキだけです』
特別とは何だ、特別とは。
もっと普通のお世辞にしてくれないと、こちらの心がもたないではないか。
豆王子はそのあたりの加減をわかっていない。
社交辞令だとわかっているのに、何だか頬が熱くなってきた。
「あら? あら、まあ。ようやく意識してくださるようになりました?」
満面の笑みを浮かべるポリーが、何だか憎らしい。
「別に、そういうことじゃないわ」
「はいはい。そういうことにしておきましょうね」
「ポリー……」
視線でたしなめると、ポリーはやれやれといった風に小さく肩をすくめた。
「はいはい。アズキ様、サイラス様からお手紙が届いていますよ」
「サイラス?」
そういえば昨日の舞踏会では見かけなかったが、神殿が遠いからなのか、あるいは神官は浮ついた舞踏会には出ないということだろうか。
渡された封筒を開けて中の手紙を開くと、そこにはこの国の文字が並んでいた。
「あ、これは読めそうだわ。良かった」
特別書庫の本よりは、だいぶ読みやすい。
ポリーのメモと一緒で、ひらがなの文という感じの難易度だ。
ちょっと集中して読まないといけないし疲れるが、読むこと自体は問題ない。
手紙は挨拶に始まり、豆の聖女の記録や豆魔法についての話に触れている。
何でも、神殿の書庫を探せばもう少し詳しくわかるかもしれないという。
だが、何せ時間がないのと書物が膨大なせいで、なかなか作業が進まないそうだ。
良かったらあずきも来て実際に見てはどうか、暫く滞在してもらうのも歓迎するし、近々王都に行くので挨拶に行くと書いてあった。
「神殿かあ。最近は特別書庫でも収穫がないし、いいかもしれない」
だが、豆の神殿は遠いとクライヴは言っていた。
さすがに相談しないと駄目だろう。
「とりあえずお返事……書けるのかな」
空気を読んで紙とペンを用意してくれたポリーに礼を言うと、さっそく文字を書いてみる。
この国の文字は書けないので、もちろん日本語だ。
だが、それを見せるとポリーの眉間に皺が寄った。
「ちょっと……申し訳ありません。私には、まったく読めません」
「そっか。そうよね」
会話は問題ないし、読むのも何とかなったが、さすがに文字を書くところまでは羊羹男もフォローしきれなかったらしい。
神の祝福とやらも、万能ではないようだ。
仕方がないので返事はポリーに代筆してもらうとして。
あとはサイラスが王都に来た時に、直接話を聞いてみよう。
結論が出ると、あずきは花の香りがする紅茶に口をつけた。
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