ドレスアップも豆でした
「そろそろ、花が咲いてもいいのにな」
いつものように朝から豆の手入れをしながら呟く。
神の庭の猫とはすっかり仲良しで、あずきが来るとわざわざ挨拶に来てくれる猫も増えた。
モフモフは癒しにして活力源。
豆の手入れもはかどるというものである。
神の豆はすっかり木と一体化し、葉をたくさん茂らせているが、未だに蕾すらついていない。
植物なのだから、花が咲いて実がつくと思うのだが、神の豆は違うのだろうか。
あるいは、単純にまだそこまで成長していないだけか。
「他の豆は順調なんだけど。……まあ、普通の豆じゃないだろうから、仕方ないわね」
「さあ、今日はここまでです。忙しくなりますよ」
ポリーは手際よくジョウロを片付けると、アズキのそばに戻ってきた。
「何? 何かあるの?」
「豆の聖女が現れた祝いの舞踏会です」
そう言えば、そんな舞踏会があるとは聞いていたが、今日だったのか。
「準備がありますので、まずは部屋にお戻りください」
「え? 舞踏会って昼から始まるの?」
「いいえ。夜でございます。ですが、女性の準備は時間がかかるもの。まして、今日の主役であるアズキ様の装いですから、腕が鳴ります。――さあ、参りますよ」
ポリーの瞳が、かつてない輝きに満ち溢れている。
逆らえない圧力に押されたあずきは、部屋に連れ戻されると、すぐにお風呂の用意をされた。
普通に入浴するのかと思いきや、ポリーに背中を洗われ、髪を洗われ、しまいには香油でエステよろしくマッサージまでされてしまった。
いくら女性同士とはいえ恥ずかしいと訴えると、ポリーはこれみよがしに大きなため息をついた。
「アズキ様がそう仰ると思いまして、直接お世話をするのは私一人でございます。本来ならば、もっとたくさんの侍女で行なうものです。そうすればかなり時間を短縮できますが、いかがなさいますか?」
ポリーと長時間コースと、大勢の侍女で短時間コース。
どちらも断りたいが、そうもいかない。
既にポリーには色々見られているので諦め、長時間コースを選ぶ。
まさに、苦渋の選択だ。
そうしてツヤツヤピカピカに体を磨き上げられると、コルセットで締め上げられ、ドレスに袖を通す。
コルセットの息苦しさに耐えている間に髪を結い上げ、化粧までされる。
いつの間にか数人の侍女が手伝いに来ていたが、あずきは既に疲労のせいで半分眠っている状態だった。
「――さあ、出来上がりました。これで殿下もイチコロです」
キラキラと輝く瞳でポリーが宣言すると、周囲の侍女達も満足げにうなずいている。
「……何でクライヴを一撃で倒そうとしているのよ。この国の王子でしょう?」
「それにしても、このドレス。素敵ですね!」
弱々しい突っ込みは、興奮状態の侍女達にはまったく届かない。
「いや、まあ、そうなんだけど」
確かに、ドレスは素敵だ。
オフショルダーにプリンセスラインのドレスは、これぞお姫様という形で、既に華やかだ。
全体的にくすんだサーモンピンクの生地が使われていて、胸元には銀糸で花と蔓のような刺繍が施されている。
蔓の合間には赤褐色と緑青のビーズが散りばめられ、キラキラと光を反射していた。
あずきにはよく見えないが、背部は編み上げで艶やかなリボンが使われていたし、スカート部分はシフォン生地を幾重にも重ねてふんわりと可愛らしい。
首にはドレスと同じ赤褐色の石が連なったネックレス、結い上げた髪には銀糸のレースがあしらわれたリボンが飾られた。
人生で初めてドレスを着たので平均がわからないが、それでもこのドレスが手間暇とお金がかかっているというのはすぐにわかる。
わかるのだが……疑問も湧いてくる。
「それで……何で、豆なの?」
花と蔓の刺繍の合間に煌めくビーズは、どう見ても豆の形だ。
華やかなドレスに豆を散りばめられたせいで、素直に喜べない。
更に、一度豆を認識してしまうと、すべてが豆関連に見えてくる。
くすんだサーモンピンクの生地も、今や薄い小豆色だとしか思えない。
ドレスは素敵だし、小豆色が悪いというわけではない。
だが、ここまで豆々しいと、そちらに気を取られてしまうのも仕方がないだろう。
「神聖な豆の聖女に相応しい、清く美しく気高い装飾です」
汚れなき豆への信仰心を持つ彼女達にとって、豆の装飾は誇らしいものである。
つまり、誰もあずきのしっくりこない気持ちを理解できないのだ。
「……うん。豆王国民に聞いた私が馬鹿だったわ」
ため息をついたところに、扉をノックする音が聞こえる。
扉を開けて入ってきたのは、華やかな衣装に身を包んだクライヴだった。
臙脂色の上着には金糸と銀糸で細やかな装飾が施されている。
ジュストコールとかいう貴族の男性の上着を何かの本で見たことがあるが、それに酷似した上着だ。
華やかな上着はクライヴによく似合っていて、まさに絵に描いた王子様という麗しさだった。
刺繍の所々に豆と思しき意匠さえなければ、完璧な麗しの王子様である。
……まあ、頭に豆型の帽子をかぶったりしていないだけ、マシなのかもしれない。
クライヴの場合には豆の着ぐるみを着ても格好良いはずなので、考えるだけ無駄な気もするが。
思わず凝視していると、クライヴもまたあずきをじっと見ていることに気付く。
「クライヴ?」
もしかして、クライヴから見てもこの豆ドレスは微妙なのだろうか。
今から豆のビーズだけでも、外してもらえるかもしれない。
淡い期待を込めてクライヴの言葉を待っていると、ミントグリーンの瞳が柔らかく細められた。




