豆について叫べ、と言われても
「……何それ?」
首を傾げていると、いつの間にか羊羹男の足元に猫の姿がある。
淡いクリーム色の毛の猫の登場に、あずきの目が輝いた。
「やばい。超美人さんが来たわ。おいで、おいで」
素早くその場にしゃがむと、視線を合わせないようにしながら手を差し伸べる。
本当なら抱っこして心の赴くままにモフモフを楽しみたいが、初対面の猫に取っていい行動ではない。
こういう時には、どれだけ撫でてもされるがままだった愛猫を思い出してしまう。
「……ササゲなら、モフモフし放題なのに」
ぽつりとこぼした呟きに、円香のため息が聞こえた。
「また言ってる。……大体、その変な名前は何だったの?」
「私があずきだから、同じ豆類でササゲ」
「だから、どうしてそこでササゲを選ぶの? もう少し可愛い名前があるでしょう?」
そう言われても、ササゲは両親がつけた名前なのであずきにはどうしようもない。
足元に来てくれた猫を撫でていると、瞳の色がミントグリーンであることに気付いた。
「この子、ササゲと同じ瞳の色だわ。綺麗な色」
「えー? 普通の緑の瞳じゃない?」
円香も猫の顔を覗き込むが、早々に視線を外してしまう。
確かに猫の瞳で緑色はそれほど珍しくないが、この明るい緑色はあまり見ない気がする。
「それにしても、何なのよここは」
「確かに、三途の川も見当たらないしね」
「……あずきさん、死んだつもりなの?」
「違うの?」
眉を顰めた円香と見つめ合っていると、羊羹男が動く気配がした。
「おまえ、何か豆について叫べ」
「……は?」
突然の謎の言葉に、あずきと円香の声が重なった。
だが、羊羹男はまったく気にする様子もない。
「豆への思いのたけを、叫ぶんだ」
「……ないわよ」
豆に対して特に何の感情もないので、当然叫ぶようなことも思い当たらない。
すると驚いた様子の羊羹男は、暫し何かを考えている。
「では、豆に関する言葉なら、何でもいい」
「豆? ……開け豆とか?」
「円香、それ開けゴマじゃないの? オープンセサミでしょう?」
あずきが指摘すると、円香の顔がさっと赤くなっていく。
「う、うるさいわね。知っているわよ。同じようなものじゃない」
だいぶ違う気はするが、妹がポンコツ可愛いのでうなずくに留めておく。
「ふむ。では、それでいい。豆でいこう」
「はい?」
何故か乗り気の羊羹男は、その場でくるりと一回転した。
「開け豆、だ。さあ、叫べ」
……どうしよう。
いよいよ訳が分からなくなってきた。
回転した拍子に羊羹男の背中が見えたが、やはりファスナーのようなものはない。
着ぐるみとして中に誰かが入っているわけではなさそうだ。
ロボット的なもので遠隔操作という可能性もあるが、それにしては動きが滑らかだし、何より羊羹が水羊羹に変化した理由を説明できない。
それに、あの羊羹は飾りではなくて、本当に食べることができたのだ。
……これはやはり、不思議ぬいぐるみ生物か。
結局あずきは生きているのか死んでいるのかよくわからないが、ここがまっとうな世界ではなさそうだということだけはわかった。
混乱しながらも羊羹男に視線を向けていると、ふとその口元が綻んだように見えた。
何故だろう……少し懐かしい気がする。
これは幼少期にこのキャラクターを見過ぎたせいかもしれない。
「……少し、痩せたか?」
「え?」
思いがけない言葉に驚いて、猫を撫でる手が止まる。
「何? セクハラ羊羹なの?」
円香が心底嫌そうに目を細めているが、それを言われた羊羹男もまた、少し不満そうに眉を顰めた。
「失礼な。それよりも『開け豆』だ。さあ、叫べ」
「だから、何でよ」
「いつまでも、こうしているわけにはいかない。私も暇ではないからな」
円香と羊羹男のやりとりを聞いてふと疑問に思ったのだが、暇ではないとは何の用だろう。
再放送でもあるのだろうか。
……いや、この羊羹男は不思議ぬいぐるみ生物なので、テレビ番組とは無関係か。
「ここはいわば、世界の狭間。神とその祝福を受けた者しか、自分を保つことはできない。このままここにいれば……消えるぞ」
「あ、やっぱり事故か何かで死んだってことね?」
「何で嬉しそうなのよ、あずきさんは!」
円香に怒られるが、別に死んだことが嬉しいわけではない。
「いや、予想が当たったから何となく」
「当たっていないぞ。そもそも、誰も死んでいない」
羊羹男に静かに告げられ、あずきと円香は顔を見合わせた。
「え? 本当に?」
「だが、このままでは消える。それが嫌ならば、叫べ」
色々と疑問はあるものの、この場所のことは羊羹男が一番詳しそうだ。
内容はともかく、叫ぶだけでいいのなら安いものだろう。
円香も同様の考えに至ったらしく、あずきを見てうなずくと、大きく息を吸った。
「開け、豆!」
「――違う。おまえじゃない」
かなりの大声を出したのに、すぐに否定された円香が顔を真っ赤にしている。
「何なの? 叫べって言うから叫んだのに! この丸出し羊羹!」
恐らく罵倒の言葉なのだろうが、丸出し羊羹という言葉はおかしい気がする。
そして何故か、羊羹男がちょっと嬉しそうに胸を張っているのだが。
羊羹界隈では、丸出しは褒め言葉なのだろうか。
あずきも褒めておいた方がいいのだろうか。
「おまえが、言え。心は日本語、言葉は英語でだ」
要求の意味不明さが一段階上がったが、もうこうなったら大人しく従うしかない。
「わかったわ、むき出し羊羹」
若干褒め言葉を間違った気もするが、羊羹男の頭部の羊羹がリズムを刻んで揺れているので、これもまた悪くない言葉なのだろう。
羊羹のツボが、まったくわからない。
「……〈開け豆〉」
自分の口から出た言葉なのに、何故か妙な違和感を感じる。
すると、どこからともなく金色の豆粒が二つ飛び出して、あずきの手の平に乗った。