第八十八話 どうした、ジャーマニア最強?
和斗がテーブルに向かう途中。
ワインを抱えてトテトテと歩くヒヨの前に、獣人が割り込んできた。
虎の獣人だ。
魔法陣を刻んだ鎧を装備しているので、メイルファイターだろう。
「おらチビ! そのワインを置いて、どっかに失せろ!」
しかし、その口調は荒々しく、息は酒臭い。
まだ昼間だというのに、かなり酔っ払っているようだ。
そんな虎の獣人に、ヒヨはワインを抱きかかえる。
「ふぇ!? ダ、ダメですぅ! コレはご主人様のモノですぅ!」
「ああん!? それはオレ様のお気に入りで、しかも最後の1本なんだ! グチャグチャ言ってねぇで、さっさと渡せ!」
虎の獣人が、ヒヨに凄んだ。
そして鋭い牙をむき出し、長い爪をガチガチと鳴らす。
大人でも腰をぬかすほど恐ろしい恫喝だった。
が、それどもヒヨはワインを放さない。
いや、今まで以上に必死にワインを抱え込みながら、健気に抵抗する。
「ダメですぅ! ご主人様がこれを運んでくれって言ったんですぅ! だから絶対にダメですぅ!」
涙と鼻水で顔をグチャグチャにしているヒヨに、虎の獣人が吼える。
「おいチビ! 死にたくなかったら、その酒をさっさと渡せ!」
その直後。
「おい。俺の大事な仲間に何してくれてんだ?」
怒りの声と共に。
ずん。
虎の獣人の肩に、和斗は手を置いた。
「ああん? ナンだキサマ!?」
虎の獣人が、和斗に凄んだ。
もしも泥酔していなければ。
肩に置かれた手に、とんでもない力が秘められている事に気付いただろう。
しかし虎の獣人は、それが理解出来ないほど酔っていた。
危険を察知する能力は、冒険者に不可欠だというのに。
とにかく。
虎の獣人は人生最大の失敗を犯したのだった。
が、今の和斗には、先にやる事が。
「おい、テメエ……」
「オレを誰だと思ってやがるんだ……」
「いい度胸だ、ぶっ殺してやるから……」
「こっちを向きやがれ、いいか……」
背後で騒ぐ虎の獣人を無視して、和斗はヒヨに笑顔を向けた。
「ヒヨ」
そして和斗は、優しくヒヨを立たせる。
「怖かったな、もう大丈夫だぞ」
そんな和斗に、ヒヨはワインを抱きかかえて嬉しそうな笑顔を向けた。
「ご主人様のワインですぅ!」
その顔は、まだ涙と鼻水でグチャグチャのままだ。
そんなヒヨの顔に、和斗の胸はズキンと痛む。
自分の何気ない言葉を、ヒヨは必死に守ったのだ。
獰猛な虎の獣人を相手に。
死ぬほど怖かっただろう。
いや、本当に死を覚悟したかもしれない。
虎の獣人に立ち向かった時のヒヨの想いを考えると、堪らなくなる。
心が震えてしまう。
だから和斗はヒヨを優しく抱き締めてから。
「ありがとな、ヒヨ」
ヒヨの涙と鼻水を、ハンカチで丁寧にふき取った。
そして和斗は。
「リム、キャス、ヒヨを頼む。そして、これからの事はヒヨに見せないでくれ」
「う、うん、分かった」
「了解ですマスター」
ヒヨをリムリアとキャスに預けると、大気が歪むほどの怒りと共に。
「キサマは只では済まさん」
虎の獣人に振り向いたのだった。
和斗は酒場内を見回し、そしてメイルファイトのリングに目を止める。
トリカゴのように、周囲を鉄柵で囲まれたリングだ。
直径15メートル、高さは10メートル。
サンクチュアリのリングとは大きさが違う。
どうやらリングのサイズは、決まっていないようだ。
「そういやメイルファイトの本場はジャーマニアっていってたな。この虎の獣人もメイルファイターのようだし、メイルファイトでケリを付けてやる」
このまま怒りに任せて、虎の獣人を叩き潰してやりたい。
しかしそれをやると犯罪に問われる可能性がある。
幼い子供を恫喝するようなクズを殺す事に躊躇いはない。
ヒヨの為なら、犯罪者になるくらいナンでもない。
腐ったカスの味方をするような国なら、亡ぼしても良いとすら思う。
だが、リムリアの立場を悪くするコトはしたくない。
しかしメイルファイトなら、殺しても罪に問われるコトはないだろう。
そう判断した和斗は、大声を張り上げる。
「コイツとのメイルファイトを希望する! 責任者はどこだ!」
その1言で、酒場に騒ぎが広がっていく。
「メイルファイトだとよ!」
「いいぞ!」
「やれやれぇ!」
「おい、相手はタイラントじゃないか?」
「何だと!?」
「ジャーマニア最強のメイルファイターじゃねぇかよ!」
「タイラントに挑むなんて無謀なヤツがいるとはな!」
どうやら虎の獣人の名はタイラントというらしい。
「これじゃあ賭けにならないぞ!」
「けど一攫千金のチャンスだぞ!」
「無理無理、タイラントの負けに賭けるヤツなんかいるワケないだろ!」
「いや分からねぇぞ!」
「おう、何が起こるか分からないのがメイルファイトだ!」
酒場中が歓声に包まれる中。
『オーケー! 臨時にメイルファイトを開催します!』
黒いスーツ姿の男がメイルファイトのリングに立った。
『開催は10分後! それまでに賭けてください!』
声を拡大する魔法具を使っているのだろう。
男の声が酒場中に響き渡った。
今まで目にしたメイルファイトでも、スーツ姿の男が進行役だった。
この酒場でも、スーツ姿の男がメイルファイトを取り仕切るのだろう。
が、今はそんな事、どうでもいい。
タイラントとかいう獣人に思い知らせてやる。
それだけだ。
だから和斗は、先にリングに入ると。
「さっさとリングに上がれ」
タイラントに向かってクイッと指を立てた。
そんな和斗の挑発に、タイラントが怒り狂う。
「テメェふざけやがって! メイルファイトでオレに挑もうなんて死にたいらしいな! いいだろう、望み通りメイルファイトでブッ殺してやるぜ!」
タイラントは咆哮を上げながらリングに入ってきた。
それと入れ替わりにスーツ姿の男はリングの外に避難すると。
『ではメイルファイト! 10秒前!』
カウントを始めた。
と同時にタイラントのファイターメイルに魔法陣が浮かび上がる。
対して和斗は。
「装鎧」
マローダー改を身に纏い、そしてタイラントを睨み付けた。
その間にもカウントは進んでいく。
そして。
「3,2,1、ファイト!」
スーツ姿の男がメイルファイト開始を宣言し。
「グルォオオオオオ!」
タイラントが唸り声を上げながら、拳を叩き付けてきた。
さすがジャーマニア最強と言われるだけあって、速い動きだったが。
「ふん」
和斗にとってスローモーションでしかない。
だから和斗はタイラントの拳を楽々と受け止めると。
「そらよ」
右腕を振り上げ、振り下ろした。
その動きは、腕を落下させただけ。
素人でも対応できる速度だ。
当然タイラントも余裕で反応する。
両手をクロスさせて、和斗の腕を受け止めた。
……受け止めたつもりだったが。
メギョ。
タイラントの腕は、ファイターメイルごと叩き潰されたのだった。
「ぐお!」
想像もしなかった事態に、タイラントは苦痛の声を上げた。
観客の言葉通り、タイラントはジャーマニア最強のメイルファイターだ。
しかも打撃を中心としたファイトスタイルで無敗を誇る。
つまりタイラントは、打撃に対する防御にも定評がある。
そのタイラントが、腕をクロスさせた受け。
それは受け技の中でも最強の防御力を誇る技だ。
なのにその最強の受け技は、脆くも叩き潰されてしまった。
たった1撃で。
「こんな馬鹿な!?」
タイラントは叫びながらも、さすが最強メイルファイター。
すぐさま反撃に転ずる。
「おおおおお!」
腕の痛みを無視して蹴りを放ってきた。
だが和斗も実戦空手を学んだ身。
その蹴りを、実戦空手の受け技で破壊する。
具体的には、蹴り脚の1番弱い部分に、膝蹴りを叩き込んだ。
その受け技は、一般人でも相手の筋肉を潰す事が可能。
ましてや今の和斗はマローダー改を纏っている。
だから和斗が繰り出した技は、タイラントの脚を跡形もなく消滅させた。
「ぎゃぁあああああ!」
両手を潰され片足を失い。
タイラントは生まれて初めて恐怖に負けて悲鳴を上げた。
だが、その恐怖はまだ終わらない。
「どうした、ジャーマニア最強? あんな小さな女の子に脅しをかけたんだ、もっと根性みせてみろよ」
地獄から響いてくるような声を共に、和斗は再び腕を振り上げた。
その拳は。
タイラントの目には、落下してくる巨大隕石よりも大きく映った。
その破壊力の前には、タイラントもアリも大差ない。
どんな生き物も、等しく生き残る事は出来ないだろう。
抗う事すら出来ない力を前にした時。
脆弱な人間に出来る事は、ガタガタと震える事だけ。
あるいは、神に祈る事くらいだろう。
それはタイラントも同じだった。
「ひ……」
絶望にガタガタと震えながらも、和斗の拳から目を離す事ができない。
タイラントは、生まれて初めて死を自分の事として感じた。
あの拳が自分に降りそそぐ時。
逃れる事のない死が訪れる事だろう。
まるで死の象徴だ。
恐怖で気が遠くなっていく。
……そして、その時が訪れる。
和斗の拳がタイラントを襲ったのだ。
その速度は、速いものではなかった。
なのに何故か、回避が間に合わない。
しかし、ジャーマニア最強のメイルファイターの最後の意地とでもいうべきか。
タイラントは、何とか頭への直撃を間逃れた。
奇跡と言っても過言ではない。
それほどの幸運だ。
とはいえ、拳を躱せた訳ではない。
和斗の拳が、タイラントの肩口に命中する。
と同時に。
グシャァ!
タイラントのファイターメイルは粘土のように潰され。
ドゴォン!
タイラントの体は床に叩き付けられた。
そして。
ヅッカァァァン!
タイラントの体は、床ごと消滅したのだった。
そして土煙が立ち込める中。
「おい、アレ!」
誰かが指差した先では、千切れた頭と腕がクルクルと宙を舞っていた。
そして。
ゴシャ。
ぼとん。
ぼとん。
湿った音を立てて、タイラントの頭と両腕が、地面に落下した。
『!!!!』
その想像を絶する悲惨な結果に、酒場が静まり返る。
極限の恐怖に晒された時。
人は声すら上げられなくなると、観客が知った瞬間だった。
とても現実とは思えない惨状に、酒場が凍りつく中。
「医療チーム! 回復、再生、蘇生の魔法を同時展開! ギルド本部にも応援を要請しろ! 全員でかかれ!」
黒いスーツ姿の男が、いち早く我に返り、指示を飛ばした。
「急げ! 出動可能な者を総動員しろ! 非番の者も呼び出せ! メイルファイトで死人を出すんじゃないぞ!」
が、タイラントがどうなろうと、和斗の知った事ではない。
だから和斗は。
「さ、メシにしようぜ」
ヒヨを預けたリムリアとキャスに、最高の笑顔で語りかけたのだった。
2021 オオネ サクヤⒸ