第百七十九話 島根ノ国の事情・その3
島根ノ国にて。
「くくくくくく。目障りな風上は追い出した。これでワシが実質上、島根ノ国の支配者よ!」
家老職である福田は、ほくそ笑んでいた。
雷心は人望も高く、戦闘力も島根ノ国最強。
いや、日ノ本最強と言っても、誰も文句は言わないだろう。
そんな雷心は、島根ノ国を食い物にしている福田にとって邪魔な存在だった。
なにしろ正義感の強い者は、島根ノ国にも沢山いる。
そして雷心も正義感が強い。
もしも彼らが手を組めば、福田に勝ち目はない。
しかし福田にとって幸運だったのは、雷心が政治に疎かった事。
そして他国との問題を解決する為、島根ノ国中を飛び回っていた事だ。
だから福田は、雷心が自分の悪事に気付く前に。
島根ノ国の国主にある事ない事、いや出鱈目を吹き込む。
「ここ数年というもの、他の国が島根ノ国に敵対する事など1度もありません。ならば風上殿は不要。それに風上殿に支払っている俸禄を開発に回せば、島根ノ国の国力は一層高まり、この地方での支配力は確実な物となりましょう。殿、ここは風上殿には侍大将の職を辞してもらうのが得策かと」
「其方がそう言うのなら……」
こうして福田は、雷心を追い出す事に成功。
雷心に支払う筈だった金を着服し、そして島根ノ国を支配しようと画策した。
……のだが。
「大変です! 山口ノ国が島根ノ国に宣戦布告!」
「鳥取ノ国から戦の書状が届きました! 開戦は明日との事です!」
「広島ノ国からも届いております!」
「岡山ノ国が攻めてきました! 現在、ここ松江へと進行中!」
島根ノ国を取り囲む全ての国が、一斉に襲い掛かって来た。
「な、なぜだ! なぜ急に!? ここ数年、何の動きもなかったというのに!」
慌てふためく福田に、侍大将の1人が呆れた声で吐き捨てる。
「福田殿は、今まで何を聞いていたのですかな? 風上殿の人格に惚れ込み、かつ風上殿の戦闘力を恐れたから、鳥取ノ国も岡山ノ国も広島ノ国も山口ノ国も友好的だったのです。その風上殿を追い出したのです。風上殿の人格に惚れ込んでいた国は怒りと共に、戦闘力を恐れていた国は絶好の機会、と島根ノ国に攻め込んでくる事など分かり切った事でしょう」
「な、なにを申す! 島根ノ国の兵は強者ばかり! 島根ノ国の軍は無敗! 風上1人いなくとも、負けたりせぬわ!」
口から泡を飛ばす福田に、侍大将は溜め息をつく。
「たしかに島根ノ国の兵は強者ばかり。しかし4つの国を同時に相手できるほどの人数がいるわけではないのですぞ。しかも」
「しかも?」
ゴクリと喉を鳴らす福田に、侍大将は苦々しい顔で言い放つ。
「風上殿の戦闘力は、島根ノ国の全軍より遥かに上だったのです。どんな戦も、まず風上殿が先頭を切って斬り込み、敵を総崩れにしたところに島根ノ国の兵が攻め入る。今まで島根ノ国は、この戦法により兵を1人も失う事なく戦に勝利してきたのです。その風上殿がいない以上、軍の被害は莫大なものになるでしょう。場合によっては、壊滅もありえます」
「そ、そんな……で、では、どうするのだ!」
逆ギレする福田に、侍大将は鋼鉄の表情で言い切る。
「城を枕に全員が討ち死に。武士道とは死ぬ事と見つけたり、という言葉通りの最後を迎えるしかありませんな」
「う、うう、そんなぁ……」
ついに泣き出す福田に、侍大将はゴミを見る目を向けると。
「風上殿を追い出すという愚行を止められなかったツケを払う時が来たか。いや風上殿を追い出すような愚か者が政を支配するのを防げなかった時点で、島根ノ国が滅びるのは避けようが無かったのだ」
そう呟いた。
が、弱気な発言は、ここまで。
侍大将は戦人の顔を取り戻すと。
「島根ノ国の侍の意地、見せつけてから死ぬぞ!」
そう吼えたのだった。
確かに島根ノ国の侍は鍛え上げられた者ばかりだった。
しかしそれは、他の国も同じ。
平和に在っても、いざという時に備えて腕を磨く。
それが侍なのだから。
だから4つの国に攻められた島根ノ国は連戦連敗。
遂に国主の城を4つの国の軍に取り囲まれてしまったのだった。
その島根ノ国、最後の砦である松江城の天守では。
「鳥取ノ国、岡山ノ国、広島ノ国、山口ノ国。どの軍も手強い相手ですが我が国の兵は決死の攻撃を仕掛け、どの国にも大打撃を与えました。が、引き換えに島根ノ国の軍は壊滅的な被害を受けました。次の総攻撃で、松江城は落とされてしまいでしょう」
島根ノ国の国主は、侍大将から悲壮な報告を受けていた。
「以前の4つの国ならば、島根ノ国の覇権を争って、互いに潰し合っていたでしょう。しかし風上殿という驚異により、彼らは協定を結んでいたのです。もしも島根ノ国と戦いになった時は、共に戦い、そして島根ノ国を、どう分割するかを」
「なに! では元凶は風上だったのではないか!」
大声を上げる福田に、侍大将は蔑みの眼を向ける。
「それでも4つの国は島根ノ国を攻める、という選択をしませんでした。風上殿に勝つのは至難の技である事を理解していたし、なにより風上殿の人柄に惚れ込んでいる者も多い為、島根ノ国と戦いたくなかったからです。しかし」
そこで侍大将の眼に殺気が浮かぶ。
「その島根ノ国の安全の要である風上殿を、福田殿は僅かな金の為に追放してしまった。よって他国は何の躊躇もなく島根ノ国を攻める事ができるようになってしまったのです」
「ワ、ワシの所為だと言いたいのか!?」
金切り声を上げる福田に、侍大将がピシャリと言い切る。
「言いたいのではなく、事実として貴様の所為なのだ!」
福田は国主の次の立場である家老。
そして侍大将の地位は、家老の下。
本来なら許される言葉使いではなかったが、侍大将は敢えて続ける。
「貴様のような無能どころか害にしかならぬゴミは、島根ノ国の為、わが身と引き換えにしても斬り捨てるべきだった! それが島根ノ国への忠義だった! 行動を起こす機を見逃したが、我が一生の不覚だったのだ!」
侍大将は、常に戦の最前線で戦ってきた本物の武士。
その実戦で鍛え抜かれた侍大将の咆哮に、福田は。
「ひぃ……」
腰を抜かして、メソメソと泣き出した。
そんな福田に、これ以上ない侮蔑の視線を向けてから侍大将は。
「殿」
島根ノ国の国主に向き直った。
「島根ノ国はここまで。殿、覚悟を決めてください」
「か、覚悟とは?」
ゴクリと喉を鳴らす国主に、侍大将は静かに言葉を紡ぐ。
「この天守の下まで敵兵が攻め入るまで戦い抜き、我らが時間を稼いでいる間に腹を切る。その後、我らは天守に火を放ち、松江城を枕に壮絶な討ち死にを果たすのが1つ。そしてもう1つは」
「もう1つは?」
おそるおそる聞き返す国主に、侍大将は穏やかな顔で告げる。
「我らが籠城して時間を稼ぎます故、その間に隠し通路から城を抜け出し、いつの日か島根ノ国を取り返す、苦難の道です」
「風上に頭を下げ、もう1度手を貸して貰う訳にはいかぬのか?」
この国主の最後の希望に侍大将は首を横に振る。
「頼み込めば風上殿は承知してくれるでしょう。しかし風上殿が滞在していると思われる万斬猛進流の里に入るには、20日間かけて封印を解かねばなりません。それでは到底間に合わないでしょう」
「うぐぐぐ……」
唸る国主に、侍大将が最後の言葉を口にする。
「さ、殿、ご決断を。殿がどのような道を選ばれようと、この命を以って成し遂げて見せましょう」
「……では、儂は……」
国主が決断を下そうとした、その時。
ドォン!
腹に響く轟音が地を揺らしたのだった。
ここは松江城攻略の為の拠点の1つ、鳥取ノ国の本陣。
その陣の最前線で、馬大将の岩橋は。
「何事だ!」
ドォンと響く轟音を耳にして叫んだ。
そこに。
「本陣後方、約半里の距離から火の玉を撃ち込まれました。陰陽術でも呪術でもありません。おそらく魔法だと思われます」
本陣に駆けこんで来た兵の1人が報告した。
「魔法だと!? 遠眼鏡!」
即座に差し出された遠眼鏡を、岩橋は覗き込むと。
そこに映ったのは、ローブを纏った集団だった。
ローブなので、顔も性別も年齢も不明。
だがその姿は、異国の魔法使いの標準装備。
数は……50名といったところだろう。
しかし何故、異国の魔法使いが攻撃してくるのか?
謎ではあるが、実際に攻撃を受けている今。
不意打ちを仕掛けるような卑怯者を殲滅する事が最優先だ。
「魔法か……確かに厄介な敵ではあるが、それだけでは鳥取ノ国の侍を倒す事は出来ぬぞ」
岩橋は、そう呟くと。
「敵はたったの50人だ。後ろから奇襲してきた卑怯者など、鳥取ノ国の侍の意地に賭けて殲滅するぞ。全軍突撃!」
先頭を切って駆けだした。
『おお!!』
続いて鳥取ノ国の全騎馬兵3000名が、一斉に進撃を開始する。
いくら遠距離から攻撃魔法を放てるといっても、魔法使いの数は、たった50。
対して鳥取ノ国の騎馬兵の数は3000。
鳥取ノ国の侍の誰もが、圧勝すると思っただろう。
しかし。
「爆炎!」
魔法使いの1人が攻撃魔法を口にしただけで。
ズッガァン!
『ぐわぁあああ!』
10名以上の兵が、馬ごと吹き飛ばされてしまった。
「ば、馬鹿な、無詠唱だと!」
岩橋は、思わず叫んでしまう。
攻撃魔法は強力であればあるほど、長い呪文の詠唱が必要となる。
そして侍ならば、長い詠唱を唱えている間に、接近して敵を斬る事が可能だ。
ちなみに短い呪文詠唱から放たれる程度の魔法なら、刀で斬れる。
万斬猛進流の使い手ではなくとも、その技術の1部を習得した者はいるのだ。
だから侍は今まで、魔法使いに後れを取る事は一度もなかった。
しかし今、敵の魔法使いは。
呪文の詠唱なしで、10名の侍を倒すほど強力な攻撃魔法を放った。
これは不味い。
小さく唸る岩橋の耳に、更なる魔法使いの声が入ってくる。
「爆炎」
「爆雷」
「爆炎」
「爆風」
爆発系の攻撃魔法。
これは高位の実力者のみが使用する、極めて難度の高い魔法だ。
その高難度攻撃魔法が立て続けに唱えられ。
『ぐわぁああああ!』
その度に騎馬兵が10人単位で倒されていった。
火球を発射する炎撃の魔法。
雷球を発射する雷撃の魔法。
これらであれば、侍はその優れた身体能力で躱せただろう。
しかし広範囲炸裂型の魔法は避けようがない。
それでも岩端は声を張り上げる。
「怯むな! 接近戦に持ち込めば我らの勝ちぞ! 進めぇ!」
『おう!!』
鳥取ノ国の侍達は高らかに答えると。
『おおりゃぁあああああ!』
魔法使い部隊に向かって、更に加速して突進していった。
どんなに不利な戦いでも、怖気づく者など侍にはいないのだ。
しかし。
「爆炎」
魔法使いの声とともに、更に12名が倒されてしまった。
最初の200メートル。
たったそれだけを駆け抜ける間に、鳥取ノ国の軍は64名を失っていた。
しかも、その魔法を放ったのは、たった1人の魔法使い。
残り49人の魔法使いはピクリとも動いていないのだ。
「く……たった1人で我々3000名を相手にする気か。舐めおって」
岩橋は、悔しさのあまり歯ぎしりをする。
1人の魔法使いに、これほどの被害を出すなど屈辱の極み。
しかし攻撃してくる魔法使いが1人だけだから、全滅せずにいられる。
これもまた、事実だ。
「ならば1人しか攻撃してこないこと、後悔させてやるわ」
刀の届く間合いにさえ入れば侍の勝ちだ。
そう呟く岩橋だったが。
「上位爆炎」
新たな呪文が唱えられ、今度は50名の侍が犠牲になる。
爆炎の殺傷圏は10メートル程度だった。
しかし上位爆炎の殺傷圏は30メートルもある。
戦いは一層、不利になってしまった。
「上位爆炎」
更に50名の侍が倒されてしまう。
こうして何度も上位爆炎の攻撃を食らう中。
岩橋達は、魔法使い達まで300メートルという地点に到達した。
その数は、今や2000名にまでその数を減らされている。
だが、ここで岩橋が大声で命令を下す。
「矢を放て!」
岩橋の声が響くと同時に、侍達は背負っていた弓を構えると。
ひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅん!
魔法使い達に向かって一斉に矢を放った。
接近戦なら侍は世界最強と言われている。
そんな侍を相手に、たった50名で戦いを挑んでいるのだ。
接近させない自身があるということだろう。
ならばこそ。
接近戦に持ち込むと思わせておいて弓矢による長距離射撃を食らわす。
これが岩橋の作戦だった。
勿論この距離で正確に狙いを定めることは不可能だ。
しかし矢の雨を、敵に降らすことはできる。
2000本も矢を放てば、どれかが必ず当たるはずだ。
岩橋は勝利を確信したが。
「炎撃障壁」
魔法使いが呪文を口にした瞬間。
高さ10メートルもある、分厚い炎の壁が魔法使い達の前に出現した。
「ば、ばかな……」
岩橋は、呆然と呟く。
2000の矢は、炎の壁に触れると同時に燃えつきてしまった。
もう一度、矢を放っても結果は同じだろう。
もはや弓矢は役に立たない。
そこに魔法使いが新たな攻撃魔法を口にする。
「上位爆炎連撃」
今度は10か所で、同時に炎の爆発が起きる。
上位爆炎連撃は、一度に10から20もの上位爆炎を放つ攻撃魔法だ。
この魔法攻撃により、今度は500人もの侍が命を落としてしまった。
「鳥取ノ国の侍よ、突撃! せめて一太刀浴びせるのだ!」
そう叫んで突撃する岩橋に、残った騎馬兵1500名が続く。
こうなったら、特攻しかない。
そして辿り着く事さえできれば。
たとえ敵が100人いたとしても、全員斬り捨ててみせる。
そう心に誓って先頭を駆ける岩橋だったが、しかし。
「上位爆炎連撃」
「上位爆雷連撃」
「上位爆炎連撃」
「上位爆雷連撃」
続けざまに魔法の爆発を浴び、岩橋率いる鳥取ノ国の侍達は。
一太刀すら浴びせることなく、全滅したのだった。
魔法使いまであと100メートルの地点で。
しかも、たった1人の魔法使い相手に。
2022 オオネ サクヤⒸ