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   第百七十八話  島根ノ国の事情・その2





 数年前、島根ノ国と広島ノ国との国境にて。


「く! まさか毒か!?」


 広島ノ国の侍大将、岡崎は苦しむ兵士の姿に唇を噛んだ。


 ここは広島ノ国の軍が駐屯する砦。

 島根ノ国が築いた砦と、数年に渡って睨み合っている。

 互いに攻め手に欠け、しかし引くに引けない状況の中。

 島根ノ国の戦大将は禁じ手に手を出した。

 つまり広島ノ国の砦内の井戸に毒を投げ入れたのだ。

 これは卑怯と罵られる行為だが。


「皆殺しにしてしまえば、誰にも知られぬ」


 島根ノ国の戦大将は、そう言って実行に移したという。


「島根ノ国め、汚い手を……」


 岡崎はギリリと歯を噛み鳴らすが、もう既に体は思うように動かない。

 このままでは数時間内に、岡崎は命を落とすだろう。

 砦内の全兵士と共に。


「このような事で死ぬ事になるとは無念……せめて島根ノ国の卑怯者に1太刀浴びせたかったが……敵わぬか……許せよ、皆の者。儂の油断じゃ」


 岡崎は広島ノ国の全軍を率いる総大将でもある。

 戦場で傷を負った事は1度もない猛将としても有名だ。

 この広島ノ国最強の武将が今。

 その腕を振るう事なく毒に殺されようとしている。

 岡崎にとって、これほど悔しい事はない。


「島根ノ国め……」


 岡崎は憎悪の眼を島根ノ国の砦に向けるが、そこに。


「むん!」


 突然現れた見知らぬ男が刀を振るい、それと同時に。


「な!?」


 岡崎は体が一気に軽くなった事に驚く。


「これは一体?」


 岡崎は戸惑いつつも、見知らぬ男を見つめる。

 この男のお蔭で助かったのは間違いないだろう。

 しかし岡崎は、この男を見た覚えは無かった。

 広島ノ国の砦に駐屯する全ての兵の顔を覚えているというのに。

 だから岡崎は、素直に男に聞いてみる事にした。


「其方は? 何をしたのじゃ?」


 この質問に、見知らぬ男は。


「体内の異物のみを斬る技、破毒の太刀でござる。おっと、まだ名乗ってなかったでござるな。拙者は風上雷心と申す」


 そう答えて、ニコリと笑ったのだった。


「あ、全ての兵士の毒も斬ったでござるから心配無用でござるよ」


 という雷心の言葉に、岡崎は胸をなで下ろす。


「そ、そうか。ありがたい。儂の兵どもは助かるのじゃな。はぁ、よかった」


 岡崎が、そう呟く先では。


「急に楽になったぞ?」

「毒を盛られたと思ったのだが?」

「助かったのか?」


 砦内の兵士達はフラフラしながらも自分の足で立ち上がっていた。

 その光景に岡崎はホッと息を吐くが、直ぐにカッと目を見開く。


「風上雷心じゃと!? 島根ノ国の戦大将の1人ではないか!」


 刀に手を掛ける岡崎に、雷心は真摯な顔を向ける。


「確かに戦大将に任じられたでござるが、島根ノ国の民を護る戦しかしない条件で士官したでござるので、今ここで貴殿等と戦う気はないでござる」

「しかし、それでも島根ノ国に仕えているのであろう? 島根ノ国の侍大将がなぜ広島ノ国の兵を助ける?」


 訳が分からない、といった様子の岡崎に雷心が微笑む。


「広島ノ国の兵を見たでござるが、よく訓練された良き侍ばかりでござる。その鍛え上げた剣を振るう事なく毒に命を奪われるなど、同じ侍として、そして人として見るに堪えなかったでござる」


 そして雷心は、岡崎の前に正座すると深々と頭を下げた。


「此度の島根ノ国の卑劣な所業、誠に申し訳ないでござる。この薄汚い真似をした者は斬首に処したでござる。これが島根ノ国の誠意でござる」


 そう言って雷心が床に置いた首に、岡崎は狼狽えながらも質問する。


「確かにこれは島根ノ国の砦を護る大将の首。部下も全員助かった事じゃし、これをもって謝罪を受け入れよう。しかし我らを毒から救ったとなると、風上殿こそ島根ノ国から咎められるのではないのか? せっかく広島ノ国の砦を無傷で落とせたというのに」

「武士の誇りを捨てて得た勝利など、何の価値もござらん。正々堂々と戦った結果としての勝利、これこそが、そしてこれだけが武士の誉れでござる。そうではござらぬか?」


 迷いなく答える雷心に、岡崎は更に尋ねる。


「ならばもう1つ尋ねるが、島根ノ国の砦の大将を斬首した事は、島根ノ国から咎められないのか?」

「それは修行僧に秘術を使ってもらい、御館様から許可を取り付けたので大丈夫でござる」

「そうか」


 岡崎はそう口にすると、雷心に笑顔を向けた。


「風上殿には幾ら感謝しても足らんが、ささやかな礼として一席設けたい。互いに立場があるが、今だけは友として酒を酌み交わしたいと思うが、儂の盃、受けてもらえるじゃろうか?」

「もちろん喜んで」


 という事で。

 戦の最前線である砦の中とは思えないほどの酒宴が開催された。

 そして岡崎は、この酒宴で雷心と意気投合。

 雷心がいる限り、島根ノ国を攻めぬ事を胸の内で誓ったのだった。


 そして現在。


「なに! 風上殿が島根ノ国を追い出されたじゃと!? おのれ島根ノ国め、風上殿をそのような目に遭わせるとは! よし、殿に報告! 許可が下り次第、島根ノ国を攻めるぞ!」


 忍びから報告を受けた岡崎は、そう吼えたのだった。









 数年前。

 山口ノ国は、島根ノ国へと攻め入ってきた。


 が、山口ノ国と島根ノ国とを結ぶ街道の関所で。

 島根ノ国の武将=長野は、120名の兵を率いて関所を死守していた。


 元々、山口ノ国が攻めて来た時の為に築かれた関所だ。

 地の利を生かし、少人数でも戦える造りになっている。

 10倍程度の戦力なら、充分に返り討ちに出来る筈だったのだが。

 関所を攻めるにあたって山口ノ国は3000名の兵を繰り出してきた。

 山口ノ国は、この戦力差で一気に関所を落すつもりだったのだろう。


 だが、山口ノ国が攻め入ってきてから、1週間。

 長野率いる島根ノ国の兵は、まだ抵抗していた。


 しかしそれも、そろそろ限界。

 兵の疲労は極限に達し、矢も兵糧も残っていない。

 このままでは、本日中に関所を突破されてしまうだろう。

 そんな時だった。


「長野殿。助太刀に参ったでござる」


 雷心が関所に現れたのは。


「30倍近い兵力差にも関わらず、1週間もの長きに渡り、この関所を死守なされた事、誠に感服致したでござる。3月分の兵糧を運んで来たので、後は拙者に任せて休むといいでござる」


 雷心が島根ノ国最強の戦力である事くらい、長野も知っている。

 しかし長野達の奮闘で数を減らしたが、それでも敵の数は2000ほど。

 雷心1人で、どうにかなる戦力ではない。


 まあ破軍の太刀を使えば一瞬で皆殺しにできるのだが。

 長野は破軍の太刀を目にした事がなかった。

 だから長野は、素直に雷心に疑問をぶつける。


「休めと言って下さるのは有難いのですが、風上殿。たった1人で2000もの敵を相手にするのは無理なのでは?」

「いや、2000人程度なら斬るのは簡単でござる。が、全員を斬る必要はなさそうでござる」

「それはどういう事でしょう?」


 首を傾げる長野に、雷心は山口ノ国の軍を指差す。


「そもそも山口ノ国が動かせる兵の数は1000人で精一杯。だからこの関所には120名の兵しか常駐してないでござる」


 雷心の指摘は、長野も思っていた事。


 山口ノ国の城は下関にある。

 その下関から島根ノ国まで兵を進軍させる事は、大変な事だ。

 移動する間、兵士の食料と水はもちろん。

 寝泊りする場所やトイレも用意しなければならない。

 腹ペコや睡眠不足では、まともに戦える筈がないのだから。


 それを考えると。

 下関から島根ノ国へと送り込める兵の数は1000人が限界だった筈。

 なのに現れた山口ノ国の兵は3000人。

 その軍に必要な食料や水や宿泊施設を、どうやって賄っているのだろう?

 と長野が疑問を抱いている事が分かったのか、雷心が続ける。


「3000もの兵を養える食料など用意できない山口ノ国は、国境にある村から無理やり食料を奪っているのでござる」

「な!? そんな事をすれば信用を失い、国が荒れてしまいますぞ? そもそも兵とは自国の民を護る為のもの。そのような暴挙を良しとする兵など、少ないのではないのですか?」

「その通りでござる。よって、殆どの兵は、このようなやり方に不満を持っているようでござる。しかし大将が無能なようで、このような無謀な戦を続けようとしているのが山口ノ国の軍の現状でござる。だから」

「だから?」


 聞き返す長野に、雷心はニヤリと笑う。


「山口ノ国の軍の大将さえ斬れば、副大将は即座に撤退を決めるでござろう」

「なんと、そこまで……しかし風上殿は、そこまでの情報を、どうやって入手されたのですか?」

「万斬猛進流の使い手には裏密教の修行僧が同行するでござる。その修行僧が実に優秀でござってな。こうして必要な情報を手に入れて、拙者に教えてくれるのでござるよ」

「おお、裏密教の! ならば敵の情報を手に入れるくらい朝めし前ですな」


 納得する長野に、雷心が告げる。


「というわけでござるので、長野殿。山口ノ国の軍の大将を、ちょっと斬ってくるでござる」

「え?」


 おもわず長野が聞き返した、その時には。


「山口ノ国の軍の大将とお見受けしたでござる」


 雷心は縮地を使って山口ノ国の大将の前に立っていた。


「う!? 貴様、何者だ!?」


 面白いほど同様している敵の大将を前に、雷心は名乗りを上げる。


「拙者、島根ノ国の戦大将、風上雷心という者でござる! 山口ノ国の軍を率いる大将よ、いざ、尋常に勝負!」


 この国の習いとして、名乗りを上げて戦いを挑まれた場合。

 普通は1対1の戦いとなる。

 これが武士の心意気というものなのだが。


「お、愚か者め、1軍の大将が1人で敵と戦うものか! 皆の者、敵はたった1人だ! 囲み殺せ!」


 山口ノ国軍の大将は、金切り声でそう叫んだ。 

 が、そこで。


「いや、たった1人で敵陣に乗り込んでくる程の侍に対し、そのような無様な真似をしては山口ノ国の名折れ。この勝負、受けて立つべきですな」


 大将の横に控えていた壮年の武将が、そう声を上げた。

 50歳くらいだが、その体は鍛え上げられているのが分かる。

 おそらくこの武将が、山口ノ国の軍の副大将なのだろう。


「松本、貴様ぁ!」


 山口ノ国の大将が壮年の武将=松本を睨むが、松本は動じない。


「ワタシを睨む暇があったら、刀を構えたらどうです? 風上殿が待ちくたびれていますよ」


 松本の方が、人望があるのだろう。

 周囲の兵たちも。


「この一騎打ち、受けるべきです!」

「山口ノ国の魂、見せてやってください!」


 などと大将を煽り立てる。

 そしてその声は。


『一騎打ち! 一騎打ち! 一騎打ち! 一騎打ち!』


 山口ノ国の軍、全体に広がった。

 こうして引くに引けない状況の中。


「よし、その勝負、受けて立ってやろう!」


 山口ノ国の大将は刀を抜き放つと、大声で叫ぶ。


「我が鎧は南蛮鉄で造られた、鉄砲さえ跳ね返す逸品。我が体に傷を付ける事など出来ぬまま、貴様は死ぬのだ!」

「ふむ、それほど大した鎧でもなさそうでござるが……用意が出来たのならば、勝負でござる」


 この雷心の言葉に。


「おう!」


 山口ノ国の大将が答えた、その直後。


「あれ?」


 山口ノ国の大将が、間の抜けた声を上げ。


 ばくん。


 山口ノ国の大将の体は、頭から股間までを1直線に断ち割られた。

 今の斬撃は、人間の眼では捉える事が不可能な、神速の1撃だった。


 当然ながら、山口ノ国の兵で今の斬撃を眼で捕らえられた者はない。

 つまり雷心と戦って生き残れる者は、この場にいない事を瞬時に覚り。

 山口ノ国の兵は全員、戦意を失ったのだった。

 そんな中。


「見事です」


 松本は賞賛の声を上げると、雷心へと深々と頭を下げる。


「此度はわが国の恥知らずが迷惑をかけた。しかし今回の暴挙は、その馬鹿者が独断でやった事。そして兵達は命令に逆らう事が出来なかったゆえ、この兵達に責任はない。だから副大将である私の首で納得してもらえないだろうか?」


 そして松本は腹を斬ろうとするが。


「それには及ばないでござる。撤退してくれるなら、それで良いでござるゆえ。それに責任というなら、兵達を全員、無事に下関の城に撤退させる事こそ、其方の責任でござろう。副大将としての責任を果たすでござる」

「かたじけない」


 更に深く頭を下げる松本に、雷心が続ける。


「おっと、そうでござった。其方ら近くの村で略奪行為をしたでござろう?」

「面目次第もございません」


 恥じ入る松本に、雷心が微笑む。


「大将の命令に逆らえなかったのは分かっているでござるが、その村、このままでは冬を越せないでござろう? だからこれを村人に配ると良いでござる」


 そう言って雷心が指差した先には。

 関所を守る兵120名の三か月分の兵糧があった。


「兵を引いてもらえるなら、戦のための兵糧など必要ござらん。この兵糧で村人達を安心させてあげるでござる」

「このご恩、終生忘れません」


 感激の涙を流す松本に、雷心は背中を見せる。


「では拙者はこれで。できれば、友好的な関係でいたいものでござるな」

「はい」


 縮地を使ったのだろう。

 松本が返事をした時には既に、雷心の姿は消えていた。

 その、まだ瞼に残っている雷心の後ろ姿に松本は誓う。


「風上殿がいる限り、山口ノ国は友好的であるよう死力を尽くします」


 そして数年後。


「なに!? 風上殿が島根ノ国を追い出されただと!? なんと無能なヤツ等なのだ! ……が、これで島根ノ国を攻めぬ理由はなくなった。ならば山口ノ国の全兵力を持って島根ノ国を獲る!」


 こうして山口ノ国は島根ノ国を攻める事を決めたのだった。









2022 オオネ サクヤⒸ

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