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   第百七十七話 島根ノ国の事情・その1





 数年前のこと。

 島根ノ国は、鳥取ノ国との国境で争っていた。


 というより。

 鳥取ノ国の西に広がる樹海で、互いに陣を構えていた。

 一触即発。

 ちょっとしたキッカケで全軍がぶつかり合う、という状況の中。


「まさか敵の大将が、単身、鳥取ノ国の本陣に乗り込んでくるとはな」


 鳥取ノ国の戦大将=平井は、目の前に座った雷心に冷や汗を流していた。


 1分前のこと。

 平井の目の前に突然、雷心が現れた。

 これが噂に聞く万斬猛進流の技の1つ。

 一瞬で敵との距離を無にして斬り倒す縮地斬、という技だろう。


 もしも雷心が戦う気だったなら。

 平井はとっくに斬殺死体と化していた筈だ。

 と戦慄しながらも、何とか平静を装って平井は言葉を絞り出す。


「ところで風上殿。島根ノ国の戦大将である貴方が、なぜ鳥取ノ国の本陣にやってきたのか、お聞かせ頂けまいか?」


 今、この鳥取ノ国の本陣には、30人を超える侍が控えている。

 いずれも鳥取ノ国で名を轟かせた猛者ばかり。

 雷心が普通の男なら、一瞬で命を刈り取る事が出来ただろう。


 しかし。

 もしも万斬猛進流が噂通りの鬼神の剣なら、皆殺しになる可能性が高い。

 いや、雷心は縮地斬という、とんでもない技を使ってみせた。

 この男を敵に回して、生きて帰れる者などいないだろう。


 これは平井だけの感想ではない。

 この場に居る誰もが感じていた。

 目の前の男には絶対に勝てない、と。


 が、そこで分からない事が1つ。

 何故、この男は、全員を皆殺しに出来るのに、何もしないのだろう。

 島根ノ国と鳥取ノ国は今、戦の最中だというのに。

 という疑問の中。


「いやぁ、ここは美しい土地でござるな」


 島根ノ国の侍大将=風上雷心は、呑気な声でそう口にした。


「深い森、澄んだ川、沢山の動物の気配。妖怪さえ、この豊かな自然の中で平和に暮らしているようでござる。こんな素晴らしい土地を合戦で荒廃させるのは、あまりに惜しいと思わないでござるか?」


 雷心の言葉に、平井は堅い声で答える。


「この土地に攻め入ってきたのは、其方ら島根ノ国であろう。我らは侵略者を迎え討っているだけ。この地で戦いたくなくとも、島根ノ国がこの地に攻め入って来た以上、この地で戦うしか選択肢はない」

「その事でござるが拙者、島根ノ国を護る戦いしかしない、との条件で島根ノ国に士官したでござる。つまり拙者がこの地に参ったのは、撤退する島根ノ国の軍を護る為でござる。そこで相談なのでござるが、島根ノ国の軍に追い打ちをかけるのなら、この地以外の場所で行って欲しいのでござる」

「我々が敵の都合に合わせるとでも?」


 平井の眼が鋭くなる。


 それはそうだ。

 撤退する敵に追い討ちをかける。

 これほど味方に損害を出さず、敵に大打撃を与えられる戦いは無い。

 雷心の提案は、その好機を逃せと言っているようなもの。

 こんな条件、受け入れる戦大将がいるわけがない。

 のだが。


「いや、場所を変えるだけで、同じ条件か、島根ノ国が不利な状況から撤退戦をやり直そうと思うのでござるが、いかがでござろう?」


 雷心が、信じられない事を口にした。


「この地より数里離れたところに、其方達が鳥取砂丘と呼ぶ、砂しかない土地があったでござろう? 島根ノ国は、そこに本陣を張り直すでござる。そして鳥取ノ国が戦の態勢を整えたところで、島根ノ国は撤退を始めるでござる。これなら其方らに不利益はない筈でござる」

「鳥取砂丘に本陣を張り直すと見せかけておいて、そのまま撤退を始めるのではないか?」


 平井の質問に、雷心はニコリと笑う。


「武士の名誉にかけて、今の話に嘘偽りは無いでござる」


 雷心は今、武士の名誉にかけて、と口にした。

 これは、もしも今口にした事がウソだったならば腹を切る、という事だ。


「分かった。高名なる風上殿の言、信用いたそう」

「かたじけないでござる」


 立ち去ろうとする雷心を、平井は呼び止める。


「しかし風上殿。なぜ、そんな不利な撤退戦を提案したのです?」


 平井の疑問に、雷心は笑みを浮かべる。


「さきほど説明したと思ったのでござるが、この豊かで美しい土地を壊すのは、余りにも勿体ないからでござる。それにこれ程の土地ならば、鳥取ノ国にとって貴重な財産でござろう?」

「敵国の心配をなされるのですか?」


 雷心の答えに、平井は目を見開く。


「この地が荒廃すれば、鳥取ノ国にとって痛手です。この地を蹂躙した方が、島根ノ国に益となるのではないのですか?」


 この質問に、雷心は首を横に振る。


「この地が荒廃して1番被害を受けるのは、この地に暮らす善良な民でござる。戦とは侍同士が行うもの。戦を望む民などいないでござろう? なのに戦を望んでいない者が1番に苦しむ。それは間違っていると、拙者は思うのでござる」

「敵国の民の心配をなされる、というのですか?」


 目を丸くする平井に、雷心はニコリと笑う。


「敵国の民ではござらん。その日その日を懸命に生きている、そして日々の暮らしを大事にしている善良な者達でござる。そのような者を戦に巻き込むような、みっともない事はしたくないだけでござる」

「みっともない、ですか」


 考え込む平井に、雷心はコクリと頷く。


「力のある者が、その力で弱き者に害をなす。侍として、いや人として、これ程みっともない事が他にあるでござろうか? いや、みっともないどころか醜い所業だと拙者は思うのでござるよ」


 この雷心の言葉に、平井は立ち上がると。


「鳥取ノ民に代わり、礼を申す」


 雷心に深々と頭を下げた。


「しかし風上殿。戦大将という立場上、撤退する島根ノ国の軍を、指を咥えて見ているわけにはいかないのです。島根ノ国の軍の、鳥取砂丘からの撤退戦。手を抜く事はできぬ事を、お許しください」

「いやいや、それは戦の場では当然の事。拙者も全力で迎え撃つゆえ、戦場で再び会いまみえるでござる。では今から本陣を鳥取砂丘に移し、明後日の朝に撤退を始めるでござる」


 雷心はそう口にすると、一瞬で姿を消した。

 また縮地斬を使ったのだろう。

 その見事な立ち去りに。


「なんとも天晴れな御仁だな。出来る事なら、あの御仁と戦いたくないものだ」


 平井は思わず、そう呟いていた。

 だが。


「しかし立場上、戦わぬわけにもいきますまい」


 配下の1人が顔を曇らせつつも口にしたように。

 戦大将である平井に、ここで追撃しないという選択は無い。


 ただ、雷心の言葉を聞いてしまった今。

 誰もが雷心と戦いたくない、と思うようになっていた。

 だからだろう。


「もしも追撃を諦めざるを得ない理由があれば、避けられるのだが」


 別の1人が、そう口にした。

 馬大将を務める岩橋だ。


 ちなみに馬大将とは、鳥取ノ国で最強の戦闘力を持つ騎馬部隊の指揮官。

 最強の部隊を率いるだけあり、岩橋は鳥取ノ国で最強の侍だ。

 この鳥取ノ国最強の馬大将の言葉に。


「まさか岩橋殿ほどの武士が、そのような事を口にされるとは。私は初めて聞きましたぞ」


 平井は驚く。

 岩橋は最強であると同時に、気性の荒さでも有名だったからだ。


 が、直ぐに平井は納得する。

 岩橋は敵には容赦ないが、領民には情け深い男。

 鳥取ノ国の民を気使ってくれた雷心を気に入ったのだろう。

 と、思ったら。


「いや、島根ノ国の侍など敵ではないが、あの風上雷心、というより万斬猛進流を敵に回すのは、できれば避けたいと思うてな」


 岩橋は意外な事を口にした。


「あくまで噂なのだが、万斬猛進流の使い手は1000人を斬るという。侵略してきた島根ノ国の兵は1000人。それを迎え撃つ為に、我らは2000名の兵を用意した」


 戦は数で決まる。

 数の暴力の前では、個人の強さなど無力だからだ。

 だから今回、鳥取ノ国は、島根ノ国の2倍の兵を派遣したのだ。


「島根ノ国の兵1000人 対 鳥取ノ国の兵2000枚。普通なら負ける筈のない兵力差なのだが、もし本当に万斬猛進流が1000人を斬れるのならば、戦力は2000対2000で、互角という事になる。我らは島根ノ国の兵を返り討ちにする為にこの地に参った。勝つか負けるか分からぬ戦は避けたい」

「1人で1000人を斬る? そのような事が人間に可能なのか?」


 平井は岩橋の言葉に首を傾げる。


「個人の強さなど数の暴力の前には無力。それが戦の常識だった筈。10人や20人なら倒せるやもしれぬが、100人の敵を1人で斬った者の話など、聞いた事がない。ましてや1000人を斬るなど信じられぬのだが」


 平井の言葉に岩橋が鋼鉄のように厳しい顔で答える。


「そう。個の強さなど数の前では無力。その現実をひっくり返す為に、軍隊を相手にしても勝てる事を目指して創始された剣術。それが万斬猛進流という剣術と聞き及んでいます。そんなのは只の噂だと思っておりましたが……」


 その先は聞かないでも分かった。

 雷心が見せた縮地斬。

 あの人間の常識の外になる技を使いこなすのが万斬猛進流なら。

 1人で1000人を斬る事も可能かもしれない。


「ならば、追撃を諦めろと?」


 思わず聞き返した平井に、岩橋は首を横に振る。


「いや、まだ推測の域を出ない事ですので、追撃を諦める理由にはならないでしょうな」


 岩橋の意見に、平井は暫く考えた後。


「よし、島根ノ国の兵に追い討ちをかける。1人たりとも生かして返すな。2度と鳥取ノ国に攻め込もうなどと考えられないようにしてやれ。」


 数多の戦を生き抜いてきた武将の顔で、そう告げた。


「風上雷心という人物、個人的には気に入っている。しかしこれも戦の習い。全力で当たるのが礼儀であろう」


 そう付け加えた平井に、岩橋が頷く。


「左様。違う場所で出会ったのならば、終生の友となれたかもしれぬが、それを理由に戦で手を抜くのは、かえって失礼というもの。全力を持って風上殿のお相手をいたそう」


 岩橋の決意を込めた言葉に。


「は!」


 全員が戦の覚悟を決めたのだった。








 そして迎えた明後日の朝。

 鳥取ノ国の軍は、島根ノ国の本陣から200メートルの距離に整列していた。

 その鳥取ノ国の軍を率いる平井に。


「では、今より撤退を開始するでござる」


 雷心はそう告げた。

 現在、島根ノ国の兵達は、寝起きの状態。

 隊列すら組んでいない。

 組織的な撤退戦など出来る状態ではない。

 そんな島根ノ国の状態を目にした平井は、雷心に尋ねる。


「風上殿。これでは撤退戦どころか敗走になってしまいますぞ? それとも、何か策がおありか?」


 という平井の言葉に、雷心は首を横に振る。


「そちらに有利な状態で、という約束を守っただけでござる」


 鳥取ノ国の軍は、完全なる戦闘態勢。

 対して島根ノ国の兵は、具足さえ身に付けていない。

 確かに鳥取ノ国に有利な状態で戦が開始される。


「本当に、それでよろしいのですか?」


 平井の質問に雷心が頷く。


「約束ゆえ、これで結構でござる。では島根ノ国の兵、撤退を開始させて頂くでござる」


 雷心がそう言うと同時に、島根ノ国の兵は一斉に逃げ出す。

 寝起きの姿のままで、武器すら手にしていない。

 まさに敗走だ。


「う~~む。武器を捨てて敗走する者を討つのは気が引けるが、仕方ない。島根ノ国の兵を討つぞ!」


 平井の号令で、鳥取ノ国の軍は前進を始める。

 が、そこで。


「いやいや、それは拙者を倒してからにして欲しいでござる」


 雷心が、鳥取ノ国の軍2000名の前に立ち塞がった。

 そんな雷心に、岩橋が吼える。


「万斬猛進流の使い手は、たった1人で1000人の兵を斬ると聞く! しかしここにいるのは完全武装の2000名の兵! いくら万斬猛進流の使い手でも、2000名の敵を斬る事は出来まい!」


 そして岩橋は、穏やかな声で雷心に語りかける。


「だから風上殿。縮地斬で逃げても決して恥ではないぞ。あの縮地斬なら、鳥取ノ国の軍から逃げる事は容易いだろう。風上殿だけには生き延びてもらいたい」


 この岩橋の説得に雷心はキッパリと言い返す。


「いや、島根ノ国の兵を護るのが拙者の務め。その拙者が逃げ出すなど、出来るわけがござらん。それに岩橋殿は1つカン違いをなされているでござる」

「カン違い?」


 怪訝な顔になる岩橋に、雷心が告げる。


「万斬猛進流は1人で1000人を斬れるのではござらん。1振りで1000人を斬るのでござるよ」


 雷心は言い終わると同時に刀を振るった。

 と同時に。


 ガシャガシャガシャガシャ。


 鳥取ノ国の兵士1000名の兜が真っ二つになって地面に落下した。


「鋼鉄すら断ち割る1000のカマイタチを飛ばす剣技、破軍の太刀でござる」

『ひぃ……』


 雷心の想像を絶する戦闘力に、鳥取ノ国の兵は震えあがった。

 もしも雷心がその気なら。

 鳥取ノ国の兵1000名が失っていたのは、兜ではなく首だった筈。

 そして次の瞬間、残りの1000名の首も斬り落とされたに違いない。


 それを覚った鳥取ノ国の兵の手から、自然と武器が落下した。

 そんな鳥取ノ国の兵に、平井は悟った笑みを浮かべると。


「我らの負けですな」


 自軍の隊列の前へと進み出ると、雷心に頭を下げる。


「この戦、鳥取ノ国の負けです。しかし兵を皆殺しにするのはお赦し頂きたい。この敗戦の責は風上殿の力を見誤った私にある。そんな無能な大将の為に鳥取ノ国を愛する兵を失いたくない。風上殿。どうかこの場は、私の首1つでお赦し頂けないだろうか?」


 この平井の覚悟に、雷心は朗らかな笑みで返す。


「見上げた覚悟でござるが、島根ノ国が撤退するのを見逃してもらえるのなら、戦などする気はござらん。平井殿が追撃する気がないなら、拙者はこのまま島根ノ国へと帰還するのみでござる」

「この首、いらぬと言われるか? 鳥取ノ国の戦大将の首ですぞ、持ち帰れば多大な報奨を得られるのではないですか?」

「島根ノ国の兵が無事に帰れるだけで十分でござる。さて、どうやら島根の軍が逃げる時間も稼げたようでござるので、拙者も敗走いたすでござる。では御免」


 そう言うと同時に、雷心の姿が掻き消えた。

 また縮地を使ったのだろう。

 そのさっきまで雷心が立っていた場所を見つめながら、平井が呟く。


「風上殿と戦わずに済んだ幸運を、神に感謝すべきだな。しかし島根ノ国に風上殿が居る限り、島根ノ国との戦は避けるべきと殿に報告せねばならぬ」


 この言葉に岩橋が同意する。


「誠に。風上殿と戦っても勝ち目が無いし、それ以前に風上殿という好人物と戦いたくないですな」


 岩橋の言葉は、まさにこの場にいる侍達の総意だった。

 そして報告を受けた鳥取ノ国の国主も同じ思いを抱く。

 以来、鳥取ノ国は島根ノ国との争いを極力避けてきた。

 が、現在。


「風上殿が島根ノ国を去っただと! ならば……島根ノ国を攻める好機ぞ!」


 鳥取ノ国は、島根ノ国との戦を決めたのだった。









2022 オオネ サクヤⒸ

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