第百六十三話 万斬猛進流
侍大将とは、軍隊の最高司令官のようなモノだった筈。
このノホホンとした顔した雷心が、その侍大将だった?
腹が減って行き倒れてたような、この雷心が?
などと混乱気味の和斗に。
「せや。無敗を誇る、侍大将様や」
雫がニンマリと笑う。
「雷心は島根ノ国を護る、最強の侍やったんや。せやけど……」
「雫殿。拙者の話は別の機会に……」
「はぁ、ホンマ雷心は変わらへんな」
雫は、話を遮った雷心に小さくため息をついてから、フンと鼻を鳴らす。
「ま、島根ノ国で1番の侍やったやさかい、俸禄も1番でな。せやけど雷心に持たせとくと、すぐに散財してまうんで、ウチが文字通り財布の紐を握っとるんや」
そして雫は銅貨を数枚、呪術袋から取り出すと。
シュピィン!
雷心に向かって投擲した。
投げ渡したのではない。
投擲だ。
普通の人間だったら何の反応も出来ず、頭蓋骨を撃ち抜かれていただろう。
それ程の速度で投擲された銅貨だったが。
「忝いでござる」
雷心は視線を向ける事すらせず、その全てを摘まみ止めた。
まるで頬を掻く程度の気楽さで。
島根ノ国最強のサムライ、というのが、どの程度のものかはよく分からない。
が、とんでもない達人である事は間違いなさそうだ。
……何度見ても、そうは見えないが
そんな和斗の視線に気にする素振りも見せず、雷心は。
「これで今夜は宿に泊まって暖かいメシにありつけるでござるな」
ホクホク顔で銅貨の懐に仕舞いこむ。
が、そこでいきなり。
「暖かいメシにありつけるでござるな、やないわい!」
「ぶ!」
雫が雷心の後ろ頭をバチーンとブッ叩いた。
「困っとるモンなんぞ、この国にゃあ腐るほどおるんやで! それを見かけるたんびに有り金全部渡しくさって! で、毎回行き倒れおって、何考えてんねん!」
「いや~~、つい……」
ノホホンとした笑みを浮かべた雷心の顔を。
げし。
「ぶへ」
雫が蹴り倒した。
「いや~~、つい、やあらへんわ! ええか雷心! 今度こそ、その金でメシ食うんやで!」
今の蹴り、手加減したようには見えなかったが。
「分かっているでござる」
雷心はヘラヘラと笑いながら頭を掻いている。
雫に殴られるのは、いつもの事のようだ。
そんな雷心に、雫はもう1度溜め息をついてから。
「ま、雷心を真面に相手にしとったら話が進まへんのは、いつもの事やな。ほんじゃまぁ、お2人さん。とりあえず万斬猛進流の里に向かうとしよか」
雫は和斗とリムリアに視線を向けてから、スタスタと歩き出した。
その雫を、リムリアが質問攻めにする。
「ねえ、修験者って魔法使いみたいなモンってライシンは説明したけど、実際のトコ、どんなモンなの?」
「仏の力を借りて、様々な事象を顕現させるんや」
「よく分かんない」
「雷撃を放つ場合を例にとるとやな。体内の魔力や大気を漂う魔力を使って雷撃を放つのが魔法や。せやけどウチ等修験者が使う呪術は、雷を操る帝釈天の力を借りて、雷撃を放つんや」
「魔法使いと修験者、どっちが強いの?」
「攻撃魔法は魔法使いの魔力の強さや技術で威力が左右されるんや。んでもって修験者の放つ呪術の威力は、どんだけ仏の力を借り受けられるかで決まるんや。魔法と呪術、どっちが強いやない。より極めた方が強いんや」
「ところで、その万斬猛進流の里だけど。どのくらいで到着するの?」
「歩いて20日ほどや。安全とは言えへん旅やけど……」
そこで雫は1度、話を止めるが。
「アンタ等やったら大丈夫そうやな」
そう口にすると、ニィッと笑った。
「ナンのコト?」
首を傾げるリムリアに、雫は笑顔のまま目だけを鋭くする。
「侍大将やった雷心が大金を持っとるなんぞ、誰にでも分かる事や。そして大金を持っとったら、それを狙うアホも出て来るもんや」
「ライシンは島根ノ国で最強のサムライなんだよね? そのライシンを襲うなんて自殺するようなモンじゃないの? そんなバカ、いるのかな?」
リムリアの疑問に、雫は何度も溜め息をつく。
「雷心の剣を見たモンやったら、そんなアホな事、考えへん。せやけど噂でしか知らんモンの中には、大勢で襲いかかったら勝てると考えるアホもおるんや。コイツ等みたいに」
雫が道の右側に広がる森を指差した。
「コイツ等?」
リムリアが小さく呟いた、次の瞬間。
「おい。有り金全部出しな。そうしたら命だけは助けてやる」
森の中から大柄な男が、ノソリと姿を現した。
2メートルを超える長身に、発達した筋肉。
身に纏っているのは、足軽用の鎧。
しかもボロボロ。
どう見ても盗賊だ。
そして。
「おう! オメェら!」
その巨漢の合図で。
『へい』
森から人相の悪い男達が姿を現した。
出て来た男の数は18。
体格は普通で、身に付けているのは汚れた着物だけ。
しかし身に纏っている空気が、暴力を生業にしている事を告げている。
やっぱり盗賊のようだ。
という事は、この巨漢が盗賊の首領なのだろう。
「でも、これが全員とは限らないよね。ってか、まだ何人か隠れてる可能性の方が高いよね。ちょっと調べてみるかな」
盗賊達に呑気な目を向けながら、リムリアがサーチを発動させると。
弓を構えた男が15人、森の中に隠れていた。
「やっぱり隠れてた。でも隠れてるのを合わせて、全部で34人か。全部普通の人間だけど、ライシン1人で相手にするには、ちょっと多いかな?」
リムリアの呟きに、雫がフッと笑う。
「見くびってもらったら困るで。島根ノ国最強、いや万斬猛進流奧伝を認可された雷心にとって、34人なんぞ1発や」
という雫の言葉に。
「敵じゃない、か。ナメてくれるじゃねぇか」
巨漢の言葉に、怒気が混ざった。
「大人しく金を出せば命だけは助けてやるつもりだったというのに、どうやら死にたいらしいな」
凄みを利かす巨漢に、雫がフンと鼻を鳴らす。
「どうせ命は助ける言うたかて、ウチやこの子の体を汚した後、売り払うつもりなんやろ?」
「当たり前だろう。2人共、今まで見た事もない程の上玉だ。たっぷり楽しんでから高く売り払ってやる」
下品な笑みを浮かべる巨漢に、今度は雷心が溜め息交じりに声をかける。
「はぁ、大人しく引き上げれば見逃してやる、と言いたいところでござるが、其方たちのような輩を放置すれば、これからどれ程の無垢の民が犠牲になるか分からないでござるな」
そう口にした瞬間。
雷心の顔が、とぼけた男から戦場で鍛え抜かれた侍へと変わった。
身に纏っていた緩い空気も、研ぎ澄まされた鋭い剣気に変化している。
その雷心の姿に。
「凄いね」
リムリアが、感心した声を上げた。
「急に戦闘力が跳ね上がったよ。うん、この戦闘力なら34人程度に負けるワケないね。でもまさか空腹で行き倒れるようなバカが、これほどの戦闘力を持ってるなんてビックリだよ」
凄く失礼な事を、本気で口にするリムリアに。
「素直なのは美点でござるが、少しは遠慮があっても良いのではないかと、拙者は思うのでござるが?」
雷心が苦笑いを浮かべた。
そんな雷心を、盗賊の首領が嘲笑う。
「腕に自信があるようだが、そりゃあ1対1の斬り合いでの事だろ? 全方向から矢を射かけられても、そうやって笑ってられるかなぁ? 刀1本で戦う侍なんざ時代遅れなんだよ!」
首領がそう口にすると同時に。
ひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅ!
雷心に15本の矢が射かけられた。
「ヤバ!」
リムリアは魔力防護壁を展開しようとするが。
「必要ないか」
直ぐに見物人の顔になった。
そんなリムリアの目の前で。
キン。
刀を鞘に納める音が響き。
ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。
切断された15本の矢が地面に落下した。
その光景に。
「む!」
和斗は息を呑んだ。
今の雷心の技。
普通の人間なら、いつ刀を抜いたか見えなかった筈だ。
なにをされたか分からないうちに体を両断されている。
それが雷心の剣速だった。
鍛えてはいるが、それでも雷心の肉体は普通の人間のモノでしかない。
その普通の人間の体で、常人では見えない速度で刀を振る。
まさに雷心も、人のままで人を超えた達人だ。
和斗の空手の師匠のように。
と感動している和斗を、リムリアがつつく。
「ねえカズト。ナンか辺獄で受けた林業師の訓練を思い出すね」
この感想に、和斗は首を横に振る。
「似ていて非なるモン、かな。俺がやったのはステータス頼みのゴリ押し。雷心さんのは、極めに極めた技の成果だ」
「ふうん。お人好しのノホホンバカと思ってたケド、ライシンって凄い剣士だったんだね」
「貶すか褒めるか、どっちかにしてほしいでござるよ。というか、悪口がひどくなってござらぬか?」
「悪口じゃなホンキでそう思ってる」
正直すぎるリムリアに、雷心はガックリと肩を落とす。
「本音である事がヒシヒシと伝わって来る分、余計に傷つくでござるな」
などと妙にのどかな空気が漂うなか。
「ば、馬鹿な……全方向からの15本もの矢だぞ……どんな高名な武芸者も殺してきたのに……」
盗賊の首領が、呆然とした顔で呟く。
「これは夢か? いつの間にか悪夢に迷い込んでしまったのか?」
この呟きに、雫が呆れたような声を上げる。
「は! 万斬猛進流にゃあ、1度に100の矢を切り落とす『百矢払い』ちゅう修行があるんを知らんのかいな?」
『な!』
盗賊全員が声を失う中、雫が続ける。
「100の矢を一瞬で切り落とせる雷心に、たった15の弓で何か出来るとでも思ったんか? 愚かやな」
雫の言葉に盗賊たちは顔色を変え、冷や汗をダラダラと流すが。
「バカ野郎! ハッタリだ、ハッタリに決まってる! 100もの矢を切り落とせるワケねぇだろ! オメェらビビッてんじゃねェよ!」
首領の叫びに、暴力の気配を取り戻す。
「へ、へへ、そうだよな」
「ああ、100の矢を切り落とす? そんな事、出来るワケねぇ」
「それにあの女達。見逃すにゃあ惜しい器量良しだぜ」
「ああ、久しぶりの女だ、絶対に手に入れるぜ」
欲望をむき出しにする盗賊たちに、首領が大声を張り上げる。
「オレ達は34人もいるんだ! 全員で一気にかかれば負けるワケねぇ! テメェ等やるぞ!」
どうやらこの首領、それなりに盗賊たちを統率しているらしい。
この号令で。
『へい!』
盗賊達は一斉に声を揃え、隠れていた者達もワラワラと姿を現した。
そして雷心を取り囲むと。
「かかれぇ!」
首領の掛け声と共に、全員が雷心に襲いかかった。
いや、襲いかかろうとしたが。
「し!」
雷心が鋭い呼気と共に刀を抜刀すると。
どぱ!!
34人全員は、まるで爆発に巻き込まれたように吹き飛んだ。
「ふ~~ん、これって……」
リムリアが何かを言いかけるが、それよりも早く。
「万斬猛進流の初伝の技、音速剣や」
雫が説明を始めた。
「大層な技名やけど、まあ簡単に言うたら、単に音の速度を超える速さで刀を振り抜いたダケなんやけどな」
雫はアッサリと言ってのけたが、吹き飛んだ盗賊達に目をやると。
ズタズタに切り裂かれた上、骨を粉々に砕かれて絶命していた。
雷心の剣撃が発生させたカマイタチと衝撃波によるものだろう。
雫は『単に』とか『ダケ』とか言っていた。
しかし雷心が繰り出した斬撃は、そんなレベルではなかった。
「人間業じゃないな」
和斗の呟きに、雫がニッと笑う。
「そらそうや。敵が何百、何千いようと突き進み、行く手を塞ぐあらゆるモンを斬り伏せる鬼神の剣。それが万斬猛進流の剣なんやさかい」
自慢げな雫だったが。
「あれ?」
ふとそこで、和斗は思いついた事を雫に尋ねてみる。
「なあ。さっき単に刀を振り抜いただけって言ったよな?」
「言うたで」
「って事は、仲間と一緒に戦う事は出来ないよな? 剣撃が生み出すカマイタチと衝撃波に、仲間を巻き込んでしまうから」
「あ、そんな心配、いらへんで。仲間と一緒に戦う時は、カマイタチや衝撃波を発生させんようにするさかい」
「カマイタチも衝撃波も発生させない? そんなコト、出来るのか?」
思わず聞き返した和斗に。
「簡単や。『風切り』を使えばエエんや」
雫はアッサリと言い切った。
2022 オオネ サクヤⒸ