第百二十三話 ワレをトツカの呼ぶがよい
「行きます!」
硬い声と共にラファエルが扉をあけ放つと同時に。
『く』
全員が思わず息を呑むほど濁った気配が溢れだした。
その濁った邪悪な気を放っているのは、部屋と中心に浮かんでいる手首だ。
しかし想像していたよりも遥かに大きい。
拳の幅など、3メートルほどもある。
チート転生者の手首というから、普通サイズの手首を想像していた。
が、この手首の持ち主は、どう考えても人間ではないだろう。
少なくとも和斗がイメージする人類のサイズではない。
チート転生者は人間ではない、という事なのだろうか。
それともこれは、チート転生者の手首ではないのか。
と思ったが。
「やはりそうでしたか。チート転生者の手首です」
ラファエルの呟きからして、やはりチート転生者のモノのようだ。
「間違いないのか?」
和斗が一応確認してみると。
「はい。第3圏のモノと同じですから間違いないでしょう」
との答えが返ってきた。
どうやらチート転生者の手首で確定みたいだ。
と、そこでリムリアが声を上げる。
「で、どうすんの? チート転生者の手首は第3圏にもあったよね。でも第3圏の手首は放置してるんだよね?」
「あ」
和斗はリムリアの指摘に声を上げた。
どうして今まで気付かなかったのか、自分でも不思議だ。
なぜ第3圏の手首は放置されているのだろう。
そのせいでケルベロスはチート転生者の眷属になってしまうというのに。
「放置してるってコトは、放置しなけりゃいけない理由があるのか、放置せざるをえないか、どちらかだよね? どっちなの?」
つまり放置するメリットがあるのか?
それとも放置するしかない、つまり手出しが出来ないのか?
どちらなのだろう?
嫌な予感しかないな。
という和斗の考え通り。
「第3圏においてチート転生者の手首を放置しているのは、どうやっても排除できなかったからです」
ラファエルの答えは最悪に近いものだった。
「林業作業士全員による攻撃でもチート転生者の手首を滅ぼす事はできませんでした。いえ、わずか1度の反撃で林業作業士は全滅するところでした。攻撃に加わった天使の軍団と共に。だから第3圏ではチート転生者の手首を放置するしかなかったのです」
「そっか。って、じゃあコレどーすんの!?」
ラファエルの説明に、リムリアが顔色を変えた。
「林業作業士と天使の合同軍でも勝てなかったんでしょ!? そんなヤツのトコに乗り込んでナニが出来るんだよ!」
「まあまあ落ち着いて」
微笑むラファエルに、リムリアが目を吊り上げる。
「この状況で、どうやって落ち着くんだい!」
「だって林業作業士全員よりもカズトさんの方が強いじゃありませんか」
「え……そ……そういやそうかな?」
「リムリアさんもそうですよ」
「はぇ?」
つい変な声を上げてしまったリムリアに、ラファエルが真面目な顔で続ける。
「よく考えてください。リムリアさんはマローダー改の10パーセントものステータスを得ている上、神霊力まで使いこなせるようになっているんですよ。まあ苗植えまでですが、それでもリムリアさんは10万人の林業作業士よりも確実に強いですよ。そうでしょう?」
よく考えてみたら、確かにその通り。
現在のリムリアのステータスは。
最高時速 52万 キロ
重量(質量) 2000万 トン
防御力(鋼鉄相当) 650万 キロメートル
となっている。
数値が大き過ぎてピンとこないので、メテオという破壊魔法と比べてみよう。
メテオとは言葉通り、隕石を召喚する広域破壊型殲滅魔法だ。
そのメテオだが。
召喚する隕石のサイズは直径15メートル前後。
このサイズだと、質量は1万トンほどになる。
そして隕石の落下速度は秒速19キロメートル前後。
破壊力は広島型原爆30倍となる。
これを個人で発動できる者は、リムリアも自分以外に知らないという。
ちなみにゾンビ騒動の時、なぜメテオを使わなかったのか。
それはリムリアの魔力をもってしても、発動まで10分以上かかるからだ。
敵本部を殲滅させるのならともかく、局地戦で役に立つ魔法ではない。
話を戻そう。
もう1度言うが、秒速19キロメートルで落下させた『1万』トンの隕石。
この破壊力は原爆30個に相当する。
対してリムリアの質量は『2000万』トン相当。
つまりメテオの2000倍。
最高時速は、メテオより少し遅い。
が、単純に計算すると原爆6万個分ほどの破壊力を発揮する。
林業作業士が、どう頑張っても発揮できる力ではない。
リムリアの拳ですら、その威力なのだ。
マローダー改を纏った和斗の攻撃力は想像を絶するだろう。
それが分かっているから、ラファエルは和斗に淡々と続ける。
「カズトさんなら倒せる。そう確信したからチート転生者の手首があるかもしれない状況でも乗り込む事にしたのです」
「まあ、期待に添えるかどうか分からないけど」
和斗はラファエルの言葉を軽く受け流すと。
「取り敢えず、攻撃してみるか」
チート転生者の手首に視線を向けた。
が、そこに。
「それはワレを倒してからにしろ」
1人のウェポンタイガーが立ち塞がった。
そのウェポンタイガーの獣人を目にしてコテツが叫ぶ。
「ヨミ様!? やはりヨミ様も、そのチート転生者の手首とやらに操られておるのでござるか」
どうやら、このウェポンタイガーが組長らしい。
組長の剣はヨミのケンと名を変えたから、ヨミと呼んでいるのだろう。
右手からは濁った輝きを放つ刀=ヨミのケンが伸びている。
見るからに呪われた刀、という感じだ。
が、それだけに凄みがある。
コテツの刀より、攻撃力は遥かに上だろう。
しかし気になる事は、それではない。
部屋には誰もいなかった筈だ。
いや、絶対に誰もいなかった。
なのにこのウェポンタイガーは、突然和斗の前に現れた。
どうやったのだろう?
「転移の魔法か?」
和斗の呟きにヨミがニヤリと笑う。
「その通り。剣術と転移を組み合わせた戦法。打ち破れるものなら打ち破ってみせよ!」
ヨミが吼え、そして和斗の目の前から消えた。
と同時に。
ザシュ。
和斗の背中をヨミのケンが斬り裂いた。
「カズト!」
リムリアが悲鳴を上げるが。
「心配ない。カズト様の体に傷を付けれる攻撃じゃない」
キャスの声に、リムリアが和斗の背中に目をやると。
斬り裂かれたのは、和斗の服のみ。
背中には傷一つ付いてない。
「そうだよね、カズトを斬れる筈ないもんね」
リムリアは大きく息を吐いてから、和斗に声援を送る。
「カズト! 攻撃されても平気なんだから、さっさと倒しちゃえ!」
確かにヨミの攻撃は和斗を傷つけられるレベルではない。
しかし簡単に倒せるかというと、そうでもない。
攻撃しようとした瞬間、ヨミは転送で逃げてしまう。
もちろん速度ならカズトの方が遥かに上。
しかし攻撃する兆しを読んでいるのだろう。
和斗が攻撃態勢に入ると同時に転移によって姿を消す。
そして必ず死角から攻撃してくる。
これが背後だけならタイミングを合わせて迎撃できただろう。
しかし死角とは1つではない。
斜め右、斜め左、あるいは視線を向けた反対側など、様々だ。
「ヨミの攻撃は効かない。が、コッチの攻撃も当たらない、いや攻撃する前に消えてしまう。厄介な敵だな」
和斗は呟きながら考える。
転移も無限に出来るワケではないだろう。
なら転移に必要な魔力は尽きるまで待つか?
いや、魔力が尽きるとは限らない。
それ以前に、魔力で転移しているのだろうか。
チート転生者から供給されるナニかによるものかもしれない。
というコトで。
和斗は攻撃の予備動作を消す事にする。
具体的にいうと、ボクシングのジャブの打ち方だ。
ジャブとは、最強の技の1つとも言われる攻撃だ。
その理由は、完全に回避する事が不可能だから。
完全に静止した状態から予備動作無しで拳を撃ち出す。
この動作を完璧に実行した場合。
その速度は人間の反射速度を上回る。
つまりどれほど注意してても、いつか必ず食らってしまう。
それがジャブだ。
もちろんウェポンタイガーの反射神経は人間を遥かに上回る。
普通の人間が完璧なジャブを放ったとしても楽々と躱しただろう。
しかし、このジャブは和斗のとんでもないステータスから放たれたもの。
ウェポンタイガーごときが反応できる速度ではない。
結果。
ビシ!
「ぐは!」
ヨミは転移するタイミングを掴む事が出来ず、まともにパンチを浴びた。
ちなみにボクシングのジャブには、1撃で敵を沈める破壊力はない。
しかし和斗が放ったのは空手の左の正拳。
1撃で敵を仕留める破壊力を発揮する。
だが和斗は左正拳突きをヨミに当ててはいない。
左正拳突きの風圧で吹き飛ばしただけだ。
まあ、それだけでヨミは気絶したようだが。
「ヨミ様は、まだ生きているのでござるか?」
掠れた声を上げるコテツに、和斗はニヤリと笑う。
「転移するヨミに命中させれるほど神霊力の矢の扱いには慣れてないんで、気絶させて動きを止めたんだ」
そう口にしてから和斗は、神霊力の矢をヨミに撃ち込む。
どうやら苗植えのコツを掴んだらしい。
神霊力の矢を調整してから撃ち込むまで1秒ほどしかかからない。
しかし、それでも十分な効果を発揮する筈だ。
「さてと。これでコイツはパンデミック・ウィードの支配から解放される筈なんだけど……」
和斗が言い終わる前に。
「かたじけない」
ヨミはムクリと起き上がると、和斗に土下座の姿勢を取った。
「体の自由を取り戻して頂いき感謝いたす」
「おお、ヨミ様!」
男泣きするコテツに、ヨミが首を横に振る。
「ヨミのケンは、ワレが邪悪な気に支配されていた時の銘。今のワレの銘はトツカのツルギ。よって今後はワレをトツカの呼ぶがよい」
そう口にした直後。
トツカは女性の姿に変わった。
ウェポンタイガーの獣人姿は、立って歩く虎という感じ。
しかし今のトツカの姿は、トラ耳と尻尾を付けただけの女性に見える。
「トツカ様、そ、その御姿は?」
目を丸くするコテツにトツカ笑みを向けた。
「何となくそんな気がする、という程度で確信がある話ではござらぬが、銘が3回変わると獣人の姿が一段と人に近づくようでござる」
トツカは立ち上がると、自分の姿を鏡で確かめている。
筋肉質だが、美しさの際立ったスタイルだ。
形の良い胸はシマシマ模様の毛皮で隠されている。
が、隠しているのは胸回りと腰回りだけ。
なのでキレイに割れた腹筋が、美しく目立っている。
引き締まったお尻を覆ている短パン状の毛皮から長い脚が伸びている。
まさに鍛え上げられたアスリートの体型だ。
と、そこでトツカは我に返り、和斗の前で片膝を突く。
「失礼つかまつった。パンデミック・ウィードに支配されし我が体を解放して頂いき感謝いたす。……助けて頂いたばかりで、このような事をお聞きするのは礼儀に反するとは思うでござるが、舎弟達は今、どうなっているのでござろうか?」
悲痛な顔で尋ねるトツカに、和斗より早くリムリアが答える。
「全員、パンデミック・ウィードを消滅させて助けたよ」
得意げに胸を張るリムリアを押しのけ、キャスが口を開く。
「リムリアが助けたのは24人だけ。残りの全員はワタシが助けた」
「キャスのクセに口数が多い!?」
失礼な驚き方をするリムリアに、キャスがそっけなく答える。
「カズト様に、もっと褒められたい」
「なんかムカつき」
「カズト様以外にどう思われようと気にしない」
「ムキー!」
言い争いになる手前でラファエルが割って入る。
「今はそんな事をしてる場合じゃありませんよ。なにしろチート転生者の手首が目の前に浮かんでいるのですから」
その一言で、リムリアは緊張感を取り戻す。
「そういやそうだったね。で、ラファエル、どうすんの?」
リムリアの質問に、ラファエルは和斗に視線を送ると。
「カズトさん、どうしたらイイと思いますか?」
こんな質問をしてきたのだった。
2021 オオネ サクヤⒸ




