魔法禁止(前)
「はぁ……はぁ……」
息が上がり、足がふらつく。
目の前は見渡すばかりの草原。
私は背丈の低い草を無慈悲に踏み締めながら、草原を渡り歩く。
だがもう限界だ。
疲労がピークに達した私は遂にその足を止め。
荒く乱れる呼吸をゆっくりと整えて、額の汗を拭う。
「ふぅ……ちょっとー!二人ともー!待ってくださいよー!」
一息ついた所で私は大きく息を吸い込んで、声を張り上げた。
遥か遠くに映る小さな影に向かって。
私の声に反応するかの様に二つの影が揺らめき。
薄ぼんやりとしたその影は、次第にその色合いを深め大きくなってくる。
どうやら私の魂の叫びが届き、戻ってきてくれた様だ。
「全く、呆れたな。この程度で根を上げるとは」
疲労からその場にへたり込んでいると、戻って来た影の一つが私に侮蔑の視線を投げかける。
彼の名はペイル・セバース。
ミャウハーゼン家で執事長の職に就いていた男だ。
愛嬌のあるくりっとした丸い瞳に、少し茶色がかった短めの髪を整髪料で綺麗に纏めている。
その顔立ちは非常に美しく。
一言で言うと、美少年だった。
そう、私のパワハラ上司は年端もいかぬ少年なのだ。
……まあ見た目だけなんだけどね。
実年齢は相当いっているはず。
私の知る限り、少なく見積もってもミャウハーゼン家に50年は務めているであろう大ベテラン。所謂、ロリババアと対をなすショタジジイという奴だ。
何でも昔魔法の実験を失敗して以来、姿形が少年のまま固定されてしまったらしい。
「か弱い乙女にこんな重い荷物を運べだなんて、無理がありますよぉ」
地面に転がる大荷物をパンパンと叩いた。
少し前まで私が背負っていた物だ。
軽く50キロはある。
体力が無い分けではないが、賢者である私はどちらかと言えば頭脳担当だ。
脳筋戦士じゃあるまいし、こんな大荷物を持っての行軍など私には向いていない。
そこを何とか理解して欲しいものだ。
「か弱い?あれだけがつがつと他人の飯まで喰らってる意地汚い女が、良く言う」
「誰が意地汚いよ!このエセちびっ子!」
意地汚い呼ばわりにカチンときた私は煽り返す。
確かに他のメイドの残した御飯を良く貰ってはいたが、それは捨てるのがもったいないからであって、決して私が意地汚いわけではない。
恐らく!
「んな!?誰がちびっ子だ!!仮にも上役の俺に向かって、なんて言葉遣いだ!」
「残念でしたー。私はもうメイドじゃありませんし、ペイルだってもう執事長じゃありませんから!同僚になった今、黙って言いたい放題言えると思ったら大間違いよ!」
そう、彼とはもう上司でも部下でもない。
同僚だ。
以前はペイルの嫌味に歯軋りするしかなかったが、今は違う。
やられたらやり返す。
大賢者様舐めるな!
まあ、目の前のちびっ子も実は大賢者ではあるんだけどね……
「く、こいつ……」
私は起き上がり、拳をぷるぷる震わせ怒るちびっ子に向かって勝利の微笑みを向ける。
何せ執事長から旅の従者への配置換えだ。
これは実質降格も同然。
私に意地悪していた罰が当たったのだ、ざまぁ見ろ。
「例えそうであっても、俺は目上で先輩にあたるんだぞ」
「そんなものは関係ありません!」
私は力強く言い放つ。
先輩と言っても、従者歴はお互い一緒。
年齢も見た目がお子ちゃまだから知った事ではない。
誰がマウントを取らせるものか。
「ふふふ、仲がいいわね」
「ええ、それはもう。“同僚”として仲良くやっています」
少し遅れて戻って来たお嬢様に向かって、私はにっこりと微笑む。
「その元気なら問題無さそうね。さあ行きましょう」
「あ、いえ。あのその……」
ペイルに仕返し出来てついテンションが上がってしまったが、私のカモシカの様な足はもう疲労で限界だ。
歩き出そうとすると、それを拒否するかのように生まれたてのガゼル宜しくプルプル震えだす。
今の疲労困憊の私では、ガゼルパンチを繰り出す事さえできない。
まあ仮に元気いっぱいでも、そんな謎の行動はとらないが。
「あの……お嬢様……魔法を使って……」
「駄目よ」
私の恐る恐る口にした言葉は、即座に却下される。
今の私は魔法が使えない。
正確には、使う事を禁じられていた。
そう、お嬢様の気まぐれによって――