彼は名探偵になれない
解決編のため、最初から読むことをお薦めします
※切断箇所は目と鼻の間ではなく、眼窩と眼球の間でした。修正済みです。
談話室にはおれと天使に加えて、警察の方々と、おれが連れて来た第一発見者の女の子が勢揃いしていた。
女の子は現在マスクをしている。ずずっと鼻をすすった。花粉症だろうか。
視界の端では不機嫌な鶴川警部を亀井刑事がなだめている。亀井刑事の尽力がなければ、こんな馬鹿げた推理ショーなんてできなかっただろう。
「揃ったようだな。私がご存知名探偵、天使真実である。
さて、まず最初に云っておこうか。犯人は我々を警察に突き出した君だ」
天使はビシッとおれが連れてきた少女を指さした。あまりに早すぎる展開に談話室に動揺が走る。まさか本当に?
「よく分からないまま連れてこられたと思ったらいきなり犯人扱いされるの!? ふざけないでよね。あと指をさすのやめてくれるかしら。私は永森っていうの。いい?」
「永森くんか。名前は覚えさせてもらった。
しかし、私が犯人の指摘においてふざけるなどということは決してない。
君は今でも凶器をカバンに仕舞ったままのはずだ。それが決定的な証拠になる」
天使の発言に憤慨した永森は、自分からカバンの中身を出して並べていった。
永森の持ち物は筆箱、スマホ、キャラクリアファイル、のり、ハサミ、セロハンテープ、リップクリーム、手帳、ハンカチ、カバー付き箱テッシュ、予備のマスク、ブランケット。……なんだかえらくごちゃごちゃしていた。
凶器になりそうなものは、強いていうならハサミだろうか。だが頭部を切断できるとは到底思えない。肌の表面を傷つけるのも一苦労だ。
「のりやハサミなんかは習慣で持ってるの。色々便利だから。それに高校生なんだからリップクリームぐらいいいわよね。
あと私、花粉症だからティッシュは箱ごと用意してるの。マスクも同じ理由。ブランケットは足冷え対策よ」
「我々警察が彼女の手荷物検査も当然行なっている。彼女が他に隠し持っていたりするものはない」
鶴川警部が永森の持ち物に補足を加えた。天使は所持品を軽く一瞥したが、凶器がないことに特に慌てる様子もない。
「今回の事件で一番の論点となったのは凶器の正体だ。凶器の特徴をおさらいしてみようか。
第一に、頭部を切断するほどの威力がある。
第二に、頭部に鬱血の跡をつけるほど圧力がかかる。
第三に、容易に持ち運びができる。こんなところだ」
亀井刑事が慌てて天使の発言を遮った。
「待ってください。一つ目は純然たる事実ですから疑問を挟む余地はありません。
しかし鬱血の跡は切断の目印ということだったと記憶しているのですが。それでいて容易に持ち運びができるなど、そんな凶器がが存在するのですか?」
「私も当初は亀井刑事と同じように考えていた。しかし、写真に写っていたこの痕跡を発見したことで推理の誤りに気付かされたのだ」
天使はスマホを操作して、お気に入りの記念写真を表示した。カメラ目線でポーズを決めている天使を無視して、死体の足元に注目して写真を拡大する。
よく見ると血溜まりから少し離れた箇所に、血で描かれた細い円環が確認できる。
「この痕跡が事件解決の鍵だった。この細い円環だが、犯行前に紐のような何かが落ちていたために痕がついてしまったということを示している。
わざわざ回収したことからして犯人にとって重要な物品であることは想像に難くない。では何に使われたのか。そう、この紐こそが凶器だったのである」
だが鶴川警部が異を唱えた。
「それはおかしい。紐が凶器なら、絞殺されているはずだ。だが実際には殺害方法は頭部切断なんだ。仮に紐で頭部切断を実行するなら相当な圧力をかけなきゃならん。どんな怪力でも紐で頭部切断なんか不可能だ。機械を使ったりすれば細い紐が先に切れてしまうだろうよ」
「その通りだぞ鶴川警部。もちろん犯行に使われたのはただの紐ではないのだ。時に諸君、西遊記をご存知かな?」
もちろん知ってる。常識だ。
三蔵法師が妖怪のお供と一緒に天竺を目指す話だろ。孫悟空、沙悟浄に猪八戒の3匹を引き連れるんだ。いきなり話題が逸れたが、西遊記が事件に関係あるのか?
「その西遊記に登場する孫悟空に注目してもらいたい。孫悟空といえば伸縮自在の如意棒を操る猿の妖怪として有名だが、重要なのは緊箍児だ。緊箍児というのはは孫悟空が頭につけられた金色の輪っかの正式名称だ。覚えておきたまえ。
孫悟空が悪事をはたらくと三蔵法師が文言を唱えて、緊箍児を縮め頭部を締め付け罰を与える。
もしも三蔵法師が孫悟空を許さずに文言を唱え続けたら緊箍児はいくらでも締まるわけだ。するとやがて孫悟空の頭はどうなると思う?」
真面目な顔をした亀井刑事が慎重に答えた。
「孫悟空が失神する、でしょうか?孫悟空に血液があるかは不明ですが、普通に考えれば脳に血液が行き渡らなくなります」
「失神しても締め続けるのだ。限りなく緊箍児を小さくしていくのだ。想像できるだろうか。孫悟空の頭部が瓢箪のようになっても延々と小さくしていくのだ」
まさか──
「緊箍児の圧力で頭部が切断される……?」
「そう! 今回の事件と殆ど同じ状況が出来上がるわけだ」
亀井刑事のつぶやきを天使が盛大に称賛した。
しかし永森が反発した。
「ちょっと待ってよ! 私は三蔵法師ではないし、その輪っかすら持ってないわ。
そもそも! 孫悟空の付けてた輪っかなんてあくま物語の中の話じゃない。そんな妄想レベルの考えを披露するのがあなたのいう探偵なの?」
暫定犯人の永森の言葉に天使はムッとしたようだった。
「ひどい言われようだが、緊箍児を話題に挙げたのはあくまで犯行を想像しやすくするためだ。物語上の法具が存在するなど私は微塵も考えていない。ただ諸君も用いられた凶器の性質が見えてきたのではないかと思う。
第一に、自動で縮む。
第二に、輪っか状である。
第三に、紐のように細い。
以上の性質が見えてくるはずだ。
では助手くん。この条件に当てはまるものを答えてみたまえ」
おれが答えるの!? そんなの特殊な物質知るわけないじゃんよ。さっさと答えをくれ。
「君はクイズで真っ先に解答を閲覧する腹立たしい種類の人間だな……。縮むということは、反対に伸ばすことも可能なのだぞ。日常生活で使うものだ」
伸びたり縮んだりする、つまり収縮? 収縮する輪っか。しかも細い。日常生活で使うもの……
「まさか凶器は輪ゴムなのか?」
「よく答えにたどり着いたじゃないか。褒めてやろう」
天使はおれの頭をグリグリと撫でてくる。褒められてるのに背が縮みそう。
だが普通、輪ゴムに頭を吹き飛ばすなんて威力はない。とんでもないスーパー強力輪ゴムを特注で作ったわけでもないだろうし。
天使はきょとんとしておれの目をまじまじと覗き込んだ。
「君はまさか輪ゴム一本で頭部を切断するつもりかい?常識的に考えてそんなの不可能に決まってるじゃないか」
こいつだけには絶対に常識とか云われたくなかった! 殴りてえ。おれは堅く拳を握りしめた。
「もちろん輪ゴム一本で頭部切断など不可能に決まっている。
だが二本なら?三本なら?
毛利元就の矢の話なら三本で十分なのだが、まだまだ足りない。百本なら?二百本なら?
千本なら?」
天使は永森の箱ティッシュを手に取った。永森がビクンと小さく震えた気がした。無造作に天使は箱ティッシュのカバーを剥がした。
「お粗末だな」
箱ティッシュの底には赤黒い染みが浮き出ていた。
天使が容赦なく箱ティッシュの底をひっぺがえすと、セロハンテープの剥がれる乾いた音が談話室に響いた。ティッシュ箱の底いっぱいには血塗れの輪ゴムが所狭しと詰め込まれていたのであった。
あれ全部を頭にかけて切断したのか……。想像するだけで身の毛もよだつ光景だ。
「凶器を輪ゴムだとして考えれば、首ではなく、眼窩と眼球の間という、中途半端な位置で切断されたのにも合点がいくだろう。
新品の輪ゴムは伸びにくいからな。輪ゴムを頭部に掛けるときに、鼻や耳を越えられなかった、それとも輪ゴムを首まで移動させる時間を惜しんだか。何百本という輪ゴムを掛けねばならないから、出来る限り時間は節約したいはずだ。いずれにせよ君は中途半端な位置で頭部を切断せざるを得なかった」
こうして証拠は出てきてるが、実際にそんなにうまくいくものなのか?
「塵も積もれば山となる。積み重なった輪ゴムの威力を過小評価してはいけない。数百本あればスイカを切ることだってできる。動画サイトで見てみるといい」
天使が蘊蓄を披露している横では、決定的な証拠が発見されたことで、意気消沈している永森がへたりこんでいた。
「……そうよ。私が殺したの」
「どうして彼を殺したんだ! そもそも一年生の君と被害者は何の接点もなかっただろう!」
「そうねえ。私が万引きしてたのを見つかって脅迫されていたからかしら。金や体を要求されたわ。
そもそも私をここへ呼び出したのは小田の方からだしね。薔薇色の高校生活を送るには殺すしかないと思ったの」
永森はもうやけになったのか、絶望に染まった表情で鶴川警部に洗いざらい話している。
ふーむ。なあ、永森が云ってる動機って本当のことだと思うか?
「さあね。私は相手の心が読めるわけではない。元より私は犯行動機には興味がないのだ。犯行動機をほじくり返して道徳を説きたいわけではないからな」
……そうかよ。この分だと真相は闇の中だな。
「ねえ天使くん、凶器に辿り着くまでの理屈はともかく、どうして犯人が私だと分かったのかしら」
「正直なところ、当初は君が犯人かどうかは五分だったな。
ただ、君は警察を呼んだときには着けていなかったマスクをして入ってきた。
花粉症の君がわざわざマスクを外す理由なんてそうあるものではない。だから事件当時はマスクが返り血で汚れないように外していたのだと推測したわけさ。レインコートを処分した足で、そのまま第一発見者になろうとしたからあの時マスクをかけていなかったのだ」
納得の理由ではあるんだが…… つまり、呼びに行かせた時点では犯人分かってなかったんじゃねえか!
「彼女が犯人でなければ、それこそ警察の人海戦術で持ち物検査を実施すれば見つかったさ。輪ゴムを用いた犯行方法を使う意味は、非力な人間を容疑者から外させることにある。凶器が絶対に見つからないように隠し持っておきたいというのは当然の心理だ。凶器が輪ゴムだという情報があれば警察が見過ごすこともあるまい」
「う、うむ。その通りだ! 我々日本の警察は優秀だからな」
鶴川警部が力強く答えた。見逃さないかはちょっと怪しいような気もする……
「それじゃあ後は署で聞こうか」
鶴川警部が永森を連れて談話室を出ていこうとすると、不意に永森が振りむいて爆弾を落とした。
「そうそう、床に落ちていたらしい輪ゴムを回収したのは私ではないわ。私が輪ゴムを落としていたなんて、まるで気がつかなかったもの」
天使は目を見開いた。天使が言葉を紡ぐ前に永森はそのまま連れて行かれてしまった。
唖然と立ち尽くしている彼の姿は誇り高き名探偵ではなかった。無残にも失敗した探偵だった。
「……事件はまだ終わっていなかったようだな」
そう小さく呟いたのが聞こえた。
永森が輪ゴムを回収したのでないとしたら、犯行後でおれが教室に入る以前に、教室で死体と対面した人物がいたことになる。真の第一発見者がいたのだ。
「永森が輪ゴムを回収したのなら、痕跡を血で隠すに決まっていたのだ。見落としたのはすぐさま答えに飛びついた私の失策だ。かといって今からその人物が特定できるか?
回収した人物が永森の関係者であったなら永森と同様に痕跡を血で隠すに決まっている。だが謎の人物Xはそれをしなかった。とすると関係者ではないのか。
かといっても関係者でなければ輪ゴムを回収する意味自体が皆無だ。行動原理がわからない。何故だ?」
天使真実は謎を全て明らかにする名探偵にはなれなかった。
意気揚々と探偵宣言をしたものの、事件の完璧な解決には至らなかった。
「そうかわかった。これはXからの挑戦状なのだ。私を捕まえてみろ、というね。いいだろう、受けようじゃないか。Xがこの清澄高校に在籍していることは確実なのだ。私が必ずXの正体を暴き出してやる。どうやら楽しい高校生活になりそうだ……」
だが、不敵に微笑している天使を見ているとおれは思うのだ。天使真実こそが誰からも称賛される名探偵となる逸材なのであると。
普通なら初対面で探偵だなんて云わない。探偵なんて自分に自信がなければやっていけないに違いないのだ。
「ジョー、これからも助手としてよろしく頼むぞ!」
天使はおれの肩をバシバシ叩いた。
何とおれが高校生活で初めて付けられたあだ名は、本名に擦りもしていないジョーであった。
助手のジョーって安直すぎねえか。真っ白に燃え尽きそうな名前だ。
おれの高校生活が平穏を迎えられるのは当分先らしい。とほほ……
「凶器はどこだ」もう一話だけ続きます