切断するには硬すぎる
亀井刑事はペラペラと捜査情報を漏らしてゆく。
ちなみにカツ丼の注文はダメだった。
「被害者の名前は小田正樹。彼はこの清澄高校の社会教師でした。最後に生きている姿が見られたのは昨日午後6時ですね。職員室で、帰ったところを数人の教師が目撃しています。しかし家族に確認したところ、昨晩は帰宅してこなかったそうです」
ここでやっと殺された男の名前が判明したぞ。わあい。つまり小田先生が殺されたのは、昨日のうちってことか。
「それは浅慮だ。血の渇き方からして、とてもではないが殺害から一晩も経っているとは思えない。経っていて長くとも1時間といったところだろう」
天使は眉を潜めた。
「一応聞いておくが、死体が小田正樹本人だというのは間違い無いのかね」
「はい。切断されているとはいえ顔が判別できないほどではありませんでしたし、学校関係者で小田正樹の他に行方の分からない人物はいません」
身元確認を確認するために死体を観察した警察の苦労がしのばれる。ご苦労なこった。おれの目元から一筋の涙がほろりとこぼれた。
「しかし豪快に切断されていましたねえ。なんせ部屋のそこら中に脳漿が飛び散っているんですから。
そういえば死体は頭部の切断を除けばいたって綺麗でしたね。抵抗の痕さえありませんでした」
やっぱあの飛び散ってたピンクたちは脳漿だったのか。いやいや想起するな。記憶の底に封印しておかなくては。おれは記憶を心のパンドラの箱の中へ仕舞った。
……ん?つまり小田先生はされるがままに頭部を切断されたってことになるのか? いくらなんでもおかしいだろう。
「つまり小田正樹は抵抗できない状態にされたうえで殺害されたということさ」
それはそれで、抵抗できない状態にした痕跡が残っていなきゃいけないぜ。頭を殴られた痕とか、手足を縛られた痕とか。警察の捜査結果と食い違うぞ。
「何かトリックが仕掛けられていれば面白いんですが……まあ現実的に、被害者は睡眠薬の類いで眠らされて殺害された、というところではないでしょうか。検死結果待ちですがね」
亀井刑事は苦笑した。
「で、一番の問題が凶器なんですよ。脳漿が飛び散るほどの豪快さからして、当初は斧のようなものかと推測されたのですが、切断面が水平に近く、ノコギリ等を使用したような印象も受けましたね。
結局、凶器は未だ特定に至ってはおりません」
一応意見を述べさせてもらうと、具合からして小田先生の頭が爆発でもしたら同じようになると思うんだがどうだろう。
「頭部は切断されていただけで、原型は保っていただろう。少しは想像力を働かせたまえ」
へいへい。
「ああ、そうそう。頭部の断面付近なのですが、どういうわけか鬱血していたんですよ」
なるほど。うっけつしていたんだな。
うっ、ケツ……どうして頭にケツが?
おれの脳裏には頭と尻を押さえてうめくおっさんの姿が浮かんでいた。
「鬱血というのは静脈のどこかに異常なほど血が溜まってしまったことを云う。
簡単に言うと、血流の流れが悪くなった状態のことを指すのだ。覚えておきたまえ」
くそっ、ちょっと知識が豊富だからって偉そうにしやがって。天使はおれの嫉妬の念に気づいている様子はない。
「ところでその鬱血した箇所というのはどのように広がっていたのかね?」
「ぐるっとですよ。眼窩と眼球の間から、地球儀の緯線みたいに、頭部を横にぐるっと一周。まるで切断するときの目印みたいでした」
「つまりロープか何かで頭部を縛ってから切断したというわけか。切断の際骨を突き破るのも一苦労だろうから出来る限り同じ箇所を狙えるようにした、ということだろう。目印代わりというわけだ。犯人も考えたものだな」
「それなら鬱血でできたアザの辻褄が合います。どうやら中々の知能犯のようですね」
二人してうんうん頷いているが、知能犯だなんてそんなわけはない。犯人はただのアホだ。
てかさ、殺したいなら首切ればいいでしょ。わざわざ頭の真ん中をちょん切る苦労をする必要性はゼロ。犯人バカでしょ。
むむっ、飴を舐め終わってしまったぞ。おれは天使に飴玉を要求した。
「首を!?」
「切る!?」
おれそんなに驚かれること言ったか? 頭蓋骨を横にスライスするよりかは多分手間かからないだろ。どうでもいいからさっさと飴玉よこせ。
「犯人には、首ではなく頭部を切断する理由があった……?」
「そういうことになります。動機のためか、はたまたなんらかのトリックのためか。そのどちらかでなければ、首切り殺人なんて美味しいシチュエーションを自ら潰すなんてあり得ないでしょう!」
「いやはや全くその通りだ。派手な殺されかたに気を取られてしまっていた。私としたことが不覚だった」
天使は飴玉を3個くれた。今度は全部いちご味だ。わかってるじゃん。おれは飴玉をまとめて口に放り込んだ。美味である。
「その柔軟な思考を買って、君を死体撮影係から探偵助手に格上げしてやろう。光栄に思うがいい」
助手?
「そうだ。君は助手として、私の手足となって今後とも事件の捜査を手伝ってもらう」
事件がこれからも起こる前提なのかよ。そして助手とか嫌なんだけど。
「……」
そんなアイスクリーム落とした子供みたいな悲しそうな顔するなって。
慌てておれは天使をフォローした。
別にお前のこと嫌ってるからってわけじゃないんだよ。飴くれたし。出会ってから数時間しか経ってないけどもそれには素直に礼をいうよ。
でもさ、おれ事件に関わりたくないの。今後の事件って云ってたけど、きっとまた人が死ぬんでしょ?
「安心したまえ。身の安全は保証する」
そういう問題ではない。おれの精神の安寧の問題だ。
「しかし、凶器が判明するのも時間の問題かもしれませんちょうど今手荷物検査が行なわれているはずです」
「検査するに越したことはないが、凶器を堂々とカバンにしまっているとは考え難いな。どこかに隠すか打ち捨てられている可能性のほうが高い」
「校内はすでに捜索しました。実は返り血を防ぐために使われたと思われる血塗れのレインコートが茂みから発見されていて、すでに鑑識に回されています。しかし凶器に相当するものは影も形もありませんでした」
もしかすると、そのレインコートに犯人の指紋や髪の毛が付いてたりするんじゃないか? 見つかれば犯人スピード逮捕で万々歳だな。
「犯人がそんなつまらん初歩的なミスをしていたのなら、私は犯人を半日は説教しなきゃならない。どうかうまく証拠を残さずにいてほしいものだ」
目が本気だった。犯人のミスに対して説教する探偵とはいかに。
「凶器は学校の備品から調達した、又は紛れさせた線もあるだろう。木の葉を隠すのなら森の中、凶器を隠すなら工具の中だ」
「特別教室に鍵がかかっていたことは確認済みです。その鍵を扱える教師たちも、始業式ですから皆さん打ち合わせなんかで忙しくしていたため、被害者の他は皆アリバイがありました」
「なるほど。そうなると朝早く学校へ来ていた生徒に犯人が紛れているのだろうね。ところで、教室の鍵は本来閉まっているものではないのかい?」
「そのはずだったのですが、小田正樹のポケットから1-4教室の鍵が発見されていますので開いていても不思議ではありません」
高校生があんなむごい殺し方できるか? 無理に決まってるさ。犯人は大人だよ大人。筋肉ムキムキで、怪力な体育教師だよきっと。
「いいや。犯人に年齢、性別は関係ない。仮に小学生が犯人だという結論が導かれたとしても私はそれを受け入れるだろう。完璧な推理であることが前提だがね。
ではここまでの情報をもとに犯人像を割り出してみようか」
天使はカバンから筆箱とノートを取り出そうとした。すると天使はカバンを凝視するおれたちに気づいたようだ。
「……どうした二人とも。私のカバンの中身がそんなに気になるかい?」
「高校生探偵のカバンにどのようなものが入っているのか僕、興味がありまして」
カバンの中に血に濡れた刃物とか突っ込まれてるかもしれないと思ってな。
「そんなものがあるわけないだろう。私を犯人扱いするのはやめたまえ」
やれやれと仕草をした後、天使はおれたちに向けてカバンを開いて見せた。
筆箱とノートの他の持ち物は、スマホ、財布、鍵、透明なクリアファイル、ビニール手袋、虫眼鏡、飴玉の袋、コーヒー豆、大量のスティックシュガー。大したものは入っていなかった。
入学式だから教科書類が入っていないのは道理であるが、余計なものが多いように思える。
「探偵として、道具は揃えておくにこしたことはない。コーヒーで脳を醒ますのさ」
コーヒーメーカーが無いのにコーヒー豆だけあっても仕方ないだろう。
……もしかすると職員室にあったりするのか?
職員室を当てにしているのだとすれば中々に図々しい奴だな。
天使はノートに犯人像をざっくりとまとめた。それは以下の通りだ。
①清澄高校生徒
②被害者と交流のある人物
③腕力のある男
清澄高校生徒であることは仕方ないにしても、小田先生と交流のある生徒ということなら新2年生、新3年生が犯人となる。同学年でなくて少しホッとした。
それに加えて腕力のある男。凶器を扱える人物が候補に上がるのは自明の理だ。どうやらおれは容疑者から無事外れられたらしい。一安心だ。
「ところで、そろそろ鶴川警部が戻ってきてもおかしくなさそうですねえ」
亀井刑事は腕時計を確認してぼやいた。
「ここからの推理は鶴川警部からの情報待ちだ。それまで休憩しようじゃないか。……そうだ。助手よ。現場の写真を私に送信して欲しいのだが」
ああそうだったな。天使に写真を送ってさっさと削除しよう。でも助手ではない。
おれたちは連絡先を交換し合い、SNSを介して記念写真、もといグロ画像たちを送りつけた。
送れたな。よし削除っと。
天使は満足そうにスマホを眺めていた。しかし次第に眉間にしわがよって難しい顔になっていった。
「床に写っているこの痕跡は何だ? 血溜まりから少し離れた場所に円状の血痕がある。犯行前に床に落ちていた何かが、犯行後に回収されたということか?」
とてとてと寄ってきた亀井刑事は天使のスマホを覗き込んだ。
「どれどれ。あっ本当だ。気づかなかったなあ。写真で天使くんの見つけた痕跡、かなり細いですね。紐でも落ちていたのでしょうか」
「頭部に巻きつけたロープが落ちていたのだろうか。それにしては小さく細すぎるな。細部は判断できないが、端と端が繋がっているように思えるが。果たしてこれは一体……」
「おうお前ら。大人しくしてたか」
談話室の扉ががらりと開いた。
はーい!
帰ってきた鶴川警部におれと天使は幼稚園児よろしく元気に返事をした。いや、してなかった。天使は考える人になったままだ。
「どうやら大人しくしてたみたいだが。そこの探偵ボウズよお。何をそんなにうんうん唸ってるんだ。トイレなら亀井に同行してもらって行ってこい」
「……鬱血した箇所だが、眼窩と眼球の間だったはずだな。かつこめかみあたりを通っていたのではないかね?」
「え?言われてみればそうだったかもしれません」
「戯言に答える必要はないぞ亀井。おい俺の話をいい加減──」
「分かったぞ!!」
鶴川警部の怒気を遮り、天使は椅子から立ち上がって叫んだ。
突然大声出すのはやめろ。ビビらせるんじゃねえ。
だが先ほどまでとは明らかに面構えが違った。
「助手、関係者を集めてきたまえ」
だから助手に認定すんな! てかなんで集めなきゃいけないんだ。
「喜べ諸君。凶器が判明したぞ。ついでに犯人もな」
そう高らかに宣言する天使の目は鋭く輝き、無根拠な自信で満たされていた。
被害者の名前は判明したが、助手の名前は判明していない