カツ丼はフィクションです
「で、お前らが容疑者筆頭か」
なんとも失礼なことをいいながら、大柄な警察官が話しかけてきた。
身長は180cm近くあるだろう。ずっしりとガタイのいい体格からは威圧感が放たれ、格闘技経験があるであろうことが推察される。
ここは談話室。おれと天使は、 通報を受けてやってきた警察にあれよあれよという間にここへ放り込まれてしまったのだ。解せぬ。
夢と希望に満ち溢れていた朝は警察のご厄介になるなんてこれっぽっちも考えていなかったから緊張で汗がダラダラだ。
「俺は警部の鶴川だ。さっさと自供すればまだ罪は軽くなるぞ。捜査の手間も省けるし、早く殺害方法と動機を言うんだ」
なんだかむかつく態度だな。ハナから決めつけるのはどうかと思うぞ。
それにおれのような清らかで純粋な人間が殺人なんて大罪を犯すはずがないだろう。自分をものに例えるなら精製水だ。
おれは瞳を潤ませて身の潔白を訴えた。腕を胸の前に動かしあごの下でグーにする。いわゆるぶりっこのポーズだ。若干顎を引いて上目遣いにするのも忘れない。
だがおれは見目麗しい女子高校生ではなかったので鶴川警部に大して効果はなかった。
その代わり、みかねた若い刑事がティッシュをくれた。ちーん。
鶴川警部に天使が反発する。
「我々は犯人ではないのだよ鶴川警部。第一発見者をまず疑うのはセオリーだが、今回は不適当なのだよ」
「堂々と死体をいじくっておきながらどの口が云うんだ! 偽装工作と疑われても仕方のない行動だろう!」
「偽装工作? 誤解があるようだ。あれは初動捜査だよ。私は探偵としての役割を果たしているだけだ。警察の頭が堅いのはフィクションの中だけにして欲しいのだがね」
「警部警部」
何が初動捜査だ、と噴火寸前の火山のごとく憤る警部に、若い刑事が興奮した様子で話しかけた。
「もしや、この子が噂の中学生探偵なんじゃないでしょうか。未解決だったあの放火事件や強盗殺人事件を解決した中学生。その子がちょうどこの春で高校生になったらしいんですよ」
鶴川警部はハッとして、問いかけた。
「……おい自称探偵のボウズ。名前はなんていうんだ」
天使はフッとキザに微笑んだ。そしてスマホを操作して音楽を流した。お洒落なバーに流れていそうなジャズ調のメロディが談話室を支配する。天使はゆっくりと立ち上がり、ホームズ帽子のツバに手を置いた。
「川にゆけば水死体。山へゆけば首吊り死体。島へゆけば嵐を呼び寄せ、洋館へゆけば雪が降る。事件に魅了され、事件に愛された男。いかなる難事件もさらりと解決。
私の名は天使真実。探偵だ。以後お見知りおきを」
【ドドドドドドドッ ジャン!!】
そして華麗な一礼。図ったかのように楽器の音が重なり合って荘厳さを醸し出し、スマホが音楽再生を終える。
おれと警部を除いた刑事たちが誰ともなしに拍手する。チラリと天使がおれに視線を送ってくるが、おれは拍手しないぞ。無性にイライラしたからな。
鶴川警部は相手を品定めするような表情を崩さない。
「で、どうなんだ亀井。あいつはその中学…いや高校生探偵なのか?」
「噂の探偵は一夢希って名前だったはずです……」
全然違った。かすってすらいねえ。つまり、天使は探偵に憧れて形から入ってしまった頭の湧いた男子高校生ってことなのかい。探偵の厨二病は珍しいかもしれないな。というかおれはそんなやつに顎で使われていたわけだ。このやるせない気持ちはどこへぶつければいいのやら……
しかしおれの気持ちなんて知ったこっちゃない天使は澄ました態度で、亀井と呼ばれていた刑事にカツ丼を要求している。凄惨な現場を見た後なのによく食欲が湧くな。
「そっちの君もカツ丼でいいかな?」
しかも提供してくれるのかよ。貰えるものは貰う主義だ。おれはおそるおそる頷いた。だが、やはりカツ丼付きの取り調べはフィクションの中だけものだったらしく、亀井刑事は鶴川警部に説教されている。
「しかし天使はともかく、おれまで容疑者扱いされるのには納得できません。おれは偶然現場に居合わせてしまっただけなんです。信じてください!」
「通報では少年二人組だと言っていたが」
「おれはこいつを止めようとしたんですよ。仲間扱いしないでください。完全なる誤解です。信じてください警部さん!」
およよ。警察というのはこうやって存在しない事実を作り上げていくものなんですね。見損ないました……
「一人は嬉々とした表情で死体を弄くり回し、もう一人はニヤニヤしながら写真を撮っていたそうだが」
「吐き気を堪えながら写真撮ってたのに、ニヤニヤしてるわけないでしょうが!」
おれは耐えきれず反論した。
「よし。写真を撮っていたのは事実のようだな」
鶴川警部は満足そうに頷いた。
まさか誘導尋問っ……! どうやらいっぱい食わされたらしい。意外に策士であった鶴川警部に敬意を表し、おれは反論せず大人しくなった。
「ああ、その節はありがとう。ご協力感謝するよ死体撮影係くん」
こうなったのもお前のせいじゃねえかよ。おれは恨みを込めて天使を睨みつけた。
すると何を思ったのか天使が鞄から飴玉を取り出し渡してきた。わあい。
おれは早速包みを開けて、飴玉を口の中でコロコロと転がした。ぶどう味だ。どうせならいちご味が良かったが贅沢は言うまい。
「礼はいらない。それは報酬だ」
報酬安すぎない? まあうまいんだけどさ……
鶴川警部はコホンと咳払いをしておれへ向き直った。
「撮ったという写真は一応警察の方でも把握しておきたい。画像を取り込ませてもらおう」
鶴川警部はおれのスマホを要求した。なんかやだなあ。検索履歴とか調べませんよね?
「検索履歴に何か見られたくないものでも?」
べっ、別にそんなことないし? おれは至って純朴で健全な青少年だし? でも大したことは調べていないから時間の無駄なので検索履歴まで調べる必要はないですよ。うん。
ここは大人しく協力することで恭順の姿勢を示そう。おれは鶴川警部に、召使いのごとくうやうやしくロックを解除したスマホを手渡した。
鶴川警部は妙に優しい表情をしながらスマホを受け取り、USBケーブルでパソコンに接続してデータを取り込んでいく。やがて写真は取り込めたようでスマホは返却された。
鶴川警部はパソコンの画面で写真を確認しているようだ。
「死体の写真に使うのもおかしな話だが、写真を撮るのうまいな」
「そうだろう。私の見込み通りだ。あっ、この私と死体のツーショットは欲しい。一枚焼いてくれたまえ」
風景写真を褒められたんなら素直に喜べたんだがね。だが残念全部死体の写真だ。畏れおののけ。
そして天使よ。当たり前のことだが警察は写真業を営んではいない。どうかトラブルを増やさないでくれ。
天使は鶴川警部との押し問答がひと段落ついたところで話題を転換した。
「それで我々が容疑者筆頭らしいが、我々は殺していない。なんなら被害者がどういう人物なのかも知らない。殺人の証拠はあるのかな。証拠は」
なあ。と、同意を求めるように天使はおれの顔を見た。ええい。だからおれを巻き込むんじゃねえ。
「現在目下捜査中だ」
鶴川警部はバツが悪そうに目を逸らした。
「では私たちが拘束される謂れは無いわけだ。行こうか撮影係くん」
「まてまて。どこへ行こうとしているんだ」
「聞き込みでもしに行こうかと思い立ってね」
「面倒ごとを増やそうとするな! わかったわかった。犯人扱いしたのは謝ろう。だが頼むから、これ以上捜査の邪魔をしないでくれ。無意味に逮捕案件を増やしても面倒ごとが増えるだけなんだ」
悩まし気に頭をがしがしと掻く鶴川警部の言葉に、天使はやれやれと肩をすくめた。
「どうする?」
……おれに聞いてるの? おれはたまたま事件に立ち会ってしまった一般人Aであるからして、変に波風を立てるようなことはしたくない。
おれは警部さんのいう通りにするからお前は勝手にしろよ。
「だそうだ。我々は大人しく待機していよう。捜査に進展があったらぜひ教えてくれたまえよ」
なぜか天使の行動におれの意思が反映された。まあこいつに連れ回されるよりはマシか。
「ああ。そうしてくれ。お前たちからは改めて事情聴取をする予定だから。おとなしく待っているんだぞ」
そう云い残し、他の刑事に呼ばれた鶴川警部は談話室を出て行った。
そして談話室に残されたのはおれと天使と亀井刑事のみだった。
「そこの刑事。亀井、といったかね。我々に話しておかなければならないことがあるのではないか?」
「話しておかなければならないこと、ですか」
話しておかなければならないこと? なんだそりゃ。
亀井刑事はうっすらと微笑んでポケットから手帳を取り出して開いた。
「ええ。何から話しましょうか。被害者の身元? 周辺状況? 容疑者? 僕の知っていることなら何でもお教えします。実は僕、探偵小説が大好きで。こういうシチュエーションに憧れていたんですよ!」
興奮した亀井刑事は握り拳を作って天井へ掲げた。
「さあ天使くん。探偵として警部をぎゃふんと言わせてやりましょう! 」
「いわれずとも元よりそのつもりだ。さっさと事件を解決して、天使真実の名を日本中に轟かせてやろうじゃないか」
収集がつかねえ。鶴川警部よ早く戻ってきておくれ。おれはミステリマニアじゃないから二人の会話についていけずに手持ち無沙汰になるであろうことが容易に想像できる。スマホでゲーム始めちゃうぞ。
本来ならば、今頃はクラスで自己紹介なんかして輝かしい高校生生活の第一歩を踏み出していたはずなのに。どうしてこうなった。
ふと、天使がどこか落ち着かない様子で入口の方をチラチラ見ているのに気がついた。亀井刑事も怪訝そうだ。
「何か気になることでもありますか? なんでも答えますよ」
「……では最初の質問なのだが、カツ丼が来るまであとどのくらいかかるのだね?」
まだ諦めてなかったんかい。