くだらない密室と遅すぎた推理
3章推理パートです。ネタバレを含むため3章始めから読むことを推奨します。
『仕方ない。そこまで云うなら清澄市に戻るとするか。ジョーよ、学校で会おう』
待て待て待て、通話切るのは密室の謎解いてからにしろ。放送室の密室、まだ解けてないんだわ。行方不明者出てるしさっさと解いてもらわないと困る。
ちらりと希ちゃんにテレパシーを送るとコクリと頷いた。
『なんと行方不明者が出たか。思いのほか切迫しているようだな。いいだろう。一夢希に代わって謎解きをしようではないか』
おれは通話をスピーカーに切り替えた。
『さて、まず放送で流れた不気味な音声だが、あれは録音音声だろう。ブージャムによって消え失せた人物がその場にいる、と見せかける演出だ。その場にある制服も同様だな。行方不明になった人物が実在するというのは初耳だが、密室トリックに影響は無い』
葛木が鷹揚に頷いた。そういや推理ショーを盛り上げろ的なこと云われてたな。
『さあ密室トリックの解説に入ろう。扉は外開きだから、蝶番の出っ張りが廊下に出ているな。うまく蝶番を取り外せば、扉ごと外すことができるだろう。これにより密室は瓦解する』
「な、なんだってー!?」
「云いにくいんだが、その案僕のと同じだね……」
葛木の野次が、空虚に部室に響いた。葛木を除いた人物がさっと目を伏せた。いたたまれない雰囲気になる。
……もしや灰禅村へ行っていたというのはブラフで、本当はおれたちのデートを影からこっそり見守ってたんじゃないだろうな。
それ、実際にやると何分かかると思う?
『1、2分だろうよ。それくらいの作業スピードでないと私とジョーが到着するのに間に合わない』
「僕が実験した結果、どれだけ早くても5分はかかる。そのトリックは机上の空論なんだ」
天使が沈黙した。しかしそんなこともあるさと立ち直ったようだ。メンタル強いな。さあどんどん行こう。
『先ほどのトリックは数あるトリック案の一つに過ぎない。ならば外から鍵を伝わせればよいのだ。制服のポケットに長い糸を通して、窓から地面へ垂らす。鍵をかけたら、その鍵を垂らしていた糸でロープウェイのように制服のポケットに収める。完璧なトリックさ』
「な、なんだってー!?」
「非常に云いにくいんだが、その案また僕のと同じだね……」
葛木の野次が空虚に以下略。
……もう一度確認するが、お前本当に灰禅村へ行っていたのか? 絶対希ちゃんの推理パクってるだろ。
『パクってなどいない。私の推理だ』
だとしても没案なんだけどな。窓、閉まってたよな。鍵を通した後に閉めることがブージャムにはできない。
『閉める方法などいくらでもあるさ。例えば長い棒を使うとか。直接登って閉めに行ってもいい』
「鍵を入れるだけならまだしも、そんなことをしたらとてつもなく目立つ。忘れてるかもしれないが、犯行時は部活中なのさ。校庭は自覚なき監視者で溢れている。糸と鍵くらいならバレないだろうけど、このトリックを実行すれば、流石に周囲に気づかれるだろうね」
天使がぐぬぬ……と唸り声をあげる。おやおや、希ちゃん相手に啖呵切っておきながら、考案した密室トリックは両方とも希ちゃんの没案だったんですか? 探偵が聞いて呆れますねえ。そんなんでよく、部活名に“名探偵”だなんて書けましたねえ。おれは天使を煽った。
『……まだだ。もう一つだけトリック案がある』
それお前と葛木が犯人のパターンじゃね?
『何なのだその予想は。私が犯人でないことは私自身が一番よく知っている。全く違う種の推理だ。あまりにくだらない密室なので優先度が低かったのだ』
くだらない、ねえ。一応そのくだらない推理を云ってみろよ。
「ブージャムが密室を作るために行ったことは至極簡単。放送で声を流した後、放送室に鍵をかけて出て行くだけ。これで密室の完成なのだ」
「な、なんだってえぇぇえ?」
そこまでは誰でも分かるわ! 制服のポケットに放送室の鍵が入ってたからこそ、おれたちは頭を悩ませてるんだぜ。鍵はどうやって室内の制服のポケットに入れるんだよ。
『なにを悩むことがある。鍵は犯行前から制服ポケットに入れておけばよいだろう。犯行時、鍵は二本あったのだ。放送室内の鍵は偽物だった。制服のポケットには偽物の鍵を仕舞っておくのだ。本物の鍵で放送室にを閉ざすのみ。非常にシンプルだ。
……まさか再度希くんの推理と被っていないだろうな』
天使は珍しく不安げだった。安心しろ。被ってないぞ。だがお前の見つけた鍵には『放送室』って書かれたタグがついていただろう。それはどう説明するんだ?
『そのタグこそが、鍵が偽物だという事実を示している。思い返してみたまえ。鍵についているタグは新品だった。対して希くんの持ってきたマスターキーのタグは古かった。我々はタグのせいで、偽物を本物だと思い込まされていたのだ』
ああ、そうか。おれは職員室に並べられた鍵を思い返した。他の教室の鍵のタグは古いのに、放送室のタグだけ新しいんだ。
だが偽物だとすると、鍵を閉められないよな。あのときはどうしたんだっけか。
『私が先に放送室の鍵を返しに行ったから、鍵をかけたのはあくまでマスターキーだな。……今日校内放送はあったか?』
もちろん。昼に流れるよな。待てよ、放送室の鍵使ってるじゃん。
『今すぐに職員室で確認してきたまえ。私の考えが正しければ、古いタグの付いた本物の放送室の鍵にすり替わっているはずなのだ』
行くよ希ちゃん!
おれと希ちゃんはダッシュで職員室へ向かい鍵を確認すると、タグが古いものに替わっていた。
そして清澄高校という水堀で囲まれた巨大な密室について、探偵天使真実は云った。
『密室? どこが密室なのだ。橋の前の監視カメラに映っていないのなら、水堀を泳いで脱出したに決まっているだろう。塀果は家出をしただけだ。理由は知るべくもないがな。つまりブージャムは我々の慌てる様をみて楽しむ愉快犯だったのだ。今頃潜伏先でのんびりしている頃だろうよ』
彼の推理に対して、一夢希は云った。
「放送室の密室に関しては僕の完全敗北だ。認めるよ。だけどね、彼は自分の考えを過信しすぎている節がある。テストでいう見直しが甘いのさ。
水堀を泳いで脱出する。なるほど。盲点をついた素晴らしい推理だ。しかし探偵は常に最悪の想定をしなければならない。塀果くんがまだ生きているだなんて、楽観視が過ぎる」
おれたちは水堀の前にいた。
「そもそも動機が家出というのがおかしい。家出をするならこんな騒ぎを起こす必要がない。それに、制服ならまだしも下着まで放送室に残す理由にはならないね。何よりも、録音音声なのが不可解だ。塀果くん自身が事件に巻き込まれたことを周囲に印象づけ、家出と思われないようにするならば、彼の肉声音声にすべきだった。日下くんは放送の声に言及はしていなかったし、少なくとも本人の声ではないだろう。
さて、彼が死んでいるとすれば、死体はどう処理するべきか。彼が行方不明になってから数日。死体はかなり腐敗しているはずだが、学校内で、異臭がするなんて情報はない。かといって、死体と一緒に堀を渡るのはあまりに目立つ。運動部だから体重は70kg前後と考えよう。重量からしてそう長い距離の運搬はできない。道中で通報されること間違いなしさ。
昨日の待ち合わせのとき妙だな、とは思ったんだ。君がパン屑をやっても鯉たちがあまり集まってこなかったから。鯉たちのほとんどは既に腹が膨れていたんじゃないかな?
いや、発想が飛躍しているのは認めるよ。しかし当日、水堀に死体を遺棄するにはなかなかの好条件だったんだ。
翌日からは雨だ。水堀に広がる血も、殺害現場に残る痕跡も雨が洗い流してくれただろう。雨の中、わざわざ鯉に餌をやりに行こうとする人はおそらくいないよ。そして誰にも気づかれることなく今日まできた」
でもその……鯉が食べるのかな? なんというか、肉を……
「鯉は雑食だよ。でも鯉は肉食魚と違って、鋭い歯があるわけじゃない。肉を噛みちぎることはできないだろう」
希が、背中に仕込んでいた十徳ナイフで彼女の手の甲を軽く切った。背中に十徳ナイフを仕込んでいたことにはあえてつっこまなかった。
空を掴むように伸ばした腕から、鮮血がポタリポタリと水堀に落ちて波紋を浮かび上がらせる。
「殺人の罪を着るのはブージャムのみだが、死体遺棄の罪に関しては彼らも同罪だろうね」
希の鮮血を誘蛾灯として何十もの魚影が近づいてくる。探偵の元へ事件が引き寄れられていくように。
魚影の一つ一つは、鯉よりも二回りほど小さい。それらは肉食魚らしいギザギザした鋭い歯を持っていた。
ピラニアだ。
ピラニアが食い散らかした残骸に群がる鯉の群れ。捕食されるというのは、生物が最も恐れる死の一つだ。気分が悪くなって、おれはその光景を想像するのをやめた。
「そしてブージャムがわざわざ密室を作り上げた理由もこれに伴って判明したよ。『スナーク狩り』の見立てをするだけなら放送室を密室にする必要はなかった。ブージャムの行動の理由はわかるかい?」
きちんとした理由があるのかも怪しいな。不可解さの演出をしたかっただけで、深く考えてないんじゃないか。
「それも理由の一つだとは思うよ。けれど1番の理由は他にある。真実くん風に云えば、密室がとても面白いものだからさ。密室ってのはね、探偵が面白がってくれる都合の良いものなんだよ。密室を血液とすれば、探偵はピラニアだ。僕らは密室にかまけてばかりで水堀でのブージャムの犯行に気づかない。制服の持ち主はどうなったのか、なんて行方不明者の報が届くまで考えもしなかったのさ」
でもさすが希ちゃん。こうしてブージャムの犯行を詳らかにしちゃうなんて。さすが警察にも認められる名探偵だよ! おれはフォローしようとした。
「名探偵?どこをどう見たら僕がそう見えるの?」
震える声を発して希が振り向いた。彼女の瞳にはダイヤモンドが溢れかけていた。
「この事件は、僕らが密室に注力してしまった時点で探偵の負けなんだよ。このトリックは露見することが前提となっている。
帰宅時間になって放送室で発見した鍵を用いて鍵を閉めていれば、密室は途端に瓦解していた。鍵がかからないんだからね。また、僕が推理しなくとも、堀にピラニアが放流されていることが判明するのは時間の問題だった。ピラニアが今後、誰の目にも一切止まらないというのは考えにくい。ピラニア駆除の最中に白骨死体が発見されるだろうね。
事件から5日以上が経過している。露見することが前提になっているんだ。もう証拠は残っていないだろう。ブージャムは捕まらない。少なくともこの事件ではね」
彼女の手の甲からの出血は止まりつつあった。しかし彼女の心の傷は塞がらない。ブージャムを逮捕したとしても、彼女の心には傷跡が残るだろう。
「さて、後は警察の仕事だ。検死や大人数のアリバイ確認は個人の手に余る。通報は僕がしておくから、ジョーくんは部活に戻るといい」
彼女の居た堪れない様子におれはおもわず声をかけようとしたが、彼女はコミュニケーションを拒絶するように警察へ連絡を取り始めた。
ブージャムによる第一の殺人は、こうして探偵サイドの惨敗で幕を閉じた。警察の懸命な捜査にも関わらず、ブージャムの特定は出来なかった。
ピラニアの駆除が行われた際、他にもカンディルという肉食魚が発見された。
ああそうそう。どうでもいい情報だが、塀果英吾の死体は食べやすいよういくつかに切断されていたそうだ。
ほんとにどうでもいいな。まったく。
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