『ブー──』
一夢希。清澄高校に通う16歳の高校1年生。誕生日は4月6日。ブージャムを捕らえるために東京から越してきた。好きな食べ物はシュークリームで、嫌いな食べ物はわさび入りシュークリーム。趣味はオセロ。将棋やチェスもやるみたい。好物は最初に食べる派。4人家族だけど今は親戚の家に居候している。
探偵を志すきっかけとなったのは小学3年生の夏休み明けの事件だ。夏休みの宿題で作ってロッカー上に飾っていた希ちゃんの貯金箱が落下して壊れていた。探偵の才能のあった希ちゃんは持ち前の推理力で見事に犯人を指摘できた。意図的に壊されたわけでもなかったから、希ちゃんは謝ってもらってそれで終わりにしようと思っていた。しかし犯人の対応が悪かったのもあり、周りはそう簡単に許さなかった。そして学年が変わるまで、犯人はクラスから爪弾きにされてしまったらしい。それが今でも心残りなんだってさ。だから希ちゃんは決めたんだ。みんなが幸せになるよう事件をするって。もちろん法で裁かれないといけない人間もいるけどね。
「背後で突然語り出すのはやめたまえ。反応に困る」
そう反発するなよ。希ちゃんの魅力、お前も知りたいはずだぜ。
おれは肩に乗った雉太郎にコロッケパンの端っこを差し出した。雉太郎は手のひらに置かれたパンくずを何度もつついた。痛え! パンは容赦なく食べるのに撫でさせてはくれない。いいとこ取りしやがって。
「全く興味がないとはいわないが、私が興味を持つのは、彼女自身のプロフィールや境遇ではなくこれまでの功績だ」
天使は昼食のサンドイッチを少しちぎって細かくした。水堀へ放ると、途端に水面がバシャバシャと波打ち水しぶきがあがった。鯉たちの仁義なき食料争奪戦だ。ん? なんか小さいのが混じってた気がしたが、たぶん気のせいだろう。
「そして捜査協力はしないと云ったはずだ。別でブージャムを探らせてもらう。説得を試みても無駄だ」
違う違う。説得なんてしないよ。ただおれの話を聞いてくれればいい。
天使は眉を潜めた。
「何がしたい」
……うん。お前は周囲に言い触らしたりすることはなさそうだし、話してもいいか。端的にいうと恋愛相談ってとこかな。おれ希ちゃんに一目惚れしたの。そのせいで夜も眠れない。キャッ、云っちゃった!
おれは恥ずかしくなって頬をポッと赤らめた。
「……厄介な」
天使が仰いだ空にはシュークリームみたいな真っ白な雲が浮かんでいた。
昼休み、いつものように机をくっつけてダラダラと昼食を食べようとしたら天使が教室にいなかった。探してほしいんだなと察したおれは、食後の飴玉を求めて散策に繰り出した。
その途中、おれのコロッケパンをハトが狙ってきた。折角なので雉太郎と名付けてお供にしてみた。頭でちょこんと跳ねている、冠羽みたいな羽がトレードマークだ。まあ鬼退治に行くわけではないのだが。犬も猿も足りないし。
人が少なく静かな場所に見当を付けて探してみれば、ご覧の通り定年後のおじいちゃんみたいに鯉に餌をやってる天使を見つけたってわけ。それがこれまでの経緯ね。じゃあ話を戻そう。
希ちゃん可愛くない? 惚れない方がおかしいまである。顔にかかった髪をかきあげる仕草を動画サイトに投稿したら100万再生は堅い。そしてあのマカロンみたいに愛らしい口。無限にシュークリームあげたくなるよね。もぐもぐしてる姿なんて地球を天秤にかけても足りないほどの価値がある。
それでいてかっこいいときた。強きを挫き弱きを助けるって感じでさ。なんていうか凛々しいんだよね。もちろん体格も相まって、背伸びしてる子供みたいな愛らしさが混じっちゃうんだけど、それを考慮しても有り余る頼もしさを希ちゃんは持ってる。現代版ジャンヌダルクと表現してもいい。確実に正しい方向へ導いてくれるという信頼が持てるよ。芯となる考え方があるんだろうね。誰でもああはなれない。
「私は何故惚気話を聞かされているのだろうか……」
希ちゃんが可愛いせいだよ。たまに見せる愛想笑いですら雑誌の表紙飾れるね。いつどんな角度で写真を撮っても映えるんだ。希ちゃんの探偵活動を記録するって名目で写真撮りまくろうと考えてるんだよね。
僕っ娘なのも評価高いよ。ボーイッシュだし合ってる。でも一人称が僕なのは探偵活動の影響もあると推測してるんだ。きっと子供だからって下らない大人たちに相手にされないこともあったと思う。馬鹿な大人に年齢で差別されることなんて日常茶飯事だ。悔しかっただろう。それに対抗するため、希ちゃんは一人称を僕にしたんだ。私と僕、どちらが力を込めて云いやすいかといいやすいかというと、濁点を含む僕。幼い頃の希ちゃんはきっと、自分を強くするために一人称を僕にした。拳を握りしめて自分の推理を主張する希ちゃんの姿は圧巻だろうよ。
「恋愛相談なのだろう。いい加減本題に入ってくれたまえ……」
ごめんごめん。それもこれも希ちゃんの罪深さに起因するんだよね。希ちゃんはそれでいて性格もいいの。おれみたいな初対面でも和やかに
「恋愛相談は!」
そ、そんなに怒らなくてもいいじゃんか……
なあ? 同意を求めておれは雉太郎と顔を見合わせた。痛え! おれの頬は新種のパンじゃないんだよ、と雉太郎を優しく諭した。
そういえば天使がわかりやすく怒る姿を見せたのはこれが初めてかもしれない。いつもは澄ました態度してるもん。
まあいいや。本題の恋愛相談なんだが、明日からゴールデンウィークじゃん。実は、ゴールデンウィーク中、デートの約束を取り付けたんだよね。市内の案内ついでにおいしいお菓子屋さんを紹介するという名目でさ。まだ市内のことがよく分かってないらしい。
紹介するお菓子屋さんは決まってるんだが、他がさっぱりでな。どうかデートコースについて意見をもらいたい。
「こんな田舎町に、デートにふさわしいスポットがあるとはとても思えないが。私がデートプランを立案するなら、少なくとも隣町へ出かけるだろうな。市内から出られないのなら、素直に町の主要施設を紹介したらどうだろうか」
そんな悲しいデートがあるかよ。でも、確かに市内にイオンないもんな。代わりにあるのは寂れた商店街とグランイシヅチだ。ゲームセンターはあるにはあるが、町の外れの方で利便性に欠けるからなあ。
「そう深く考えることもない。ジョーは見慣れてしまっただろうが、希くんにとって、自然豊かな田舎が物珍しいはずだ。都会の下位互換の施設を訪れるよりも、川沿いを散歩するだけでも十分充実した時間を過ごせるだろうよ。なんなら鯉に餌をやるだけでも1時間は楽しめる。
それと図書館は訪れるべきだ。探偵が調査を行うときには必須の施設だ。清澄市の図書館は、田舎の割には充実しているから彼女も満足できるだろう。どうせなら、ついでに貸し出しカードも作ってきたまえ」
天使が期待を大きく上回ってまともな提案をしてきたことにおれは驚愕した。おれは天使の額に手のひらを当てた。熱はなさそうだ。とすると変なものでも食べたのだろうか。
「そもそも相談を持ちかけたのはジョーではないか。私はきちんと相談に答えただけなのだが。まるで普段私がまともではないようではないか」
その通りだよ。おれは首肯した。おれは先月のこと忘れちゃいないからな。殺人事件で喜ぶ己の感覚がマイノリティであることを自覚しろ。
「時にジョーよ。ゴールデンウィーク、別日の予定は空いているだろうか」
後の休みは、中学時代の友達と遊んだり家族で旅行するんだよな。空きはない。
「そうか。君には灰禅村へ同行してもらおうと思っていたのだが、既に予定があったか。早くスケジュールを押さえるべきだったな」
どこだそこ。なんで折角のゴールデンウィークに村なんかに行くのさ。
「先日脅迫状、もとい招待状が送られてきてな。折角の長期休暇なので訪れてみることにした。十中八九事件が起こるとふんでいる。だからジョーも誘おうと思ったのだが、仕方ないな。私一人で楽しんでくるよ」
脅迫状を招待状と解釈するのはお前だけだ。予定空いてても絶対行かなかったぞそんな危ない場所。事前に予定を埋めていてよかった……
とりあえずお前が勧めてくれた図書館は行くことにするよ。相談乗ってくれてありがとな。
おれは天使から飴を受け取った。ミント飴だ。口腔がスースーするぜ。心なしか口臭が爽やかになった気がする。
ゴールデンウィークという素晴らしき連休。誰もが学校から解放され羽を伸ばせる期間だ。ましてや5連休。遊ぶ予定をぎっしりと詰め、心待ちにしている者も多いだろう。だが事件は探偵を放ってはおかないらしい。事件は連休が控えていることなどお構いなしだ。
放課後、おれたちは文芸部にいた。今日は葛木がいなかった。美術部が忙しいのかもしれない。
おれが文芸部で希ちゃんの肖像画を描いていると、プツッ、と音がした。放送のスピーカーのスイッチが入る音だ。
部活の終了を促す放送にはまだ早い。先生を呼び出すための放送だろうか。
『ブー────』
放送の途中でプツッと電源が切られた。放送はそれっきりだ。スピーカーから漏れる雑音も消えて、学校を静寂が支配した。
その一音は、これまで耳にしたどんな文句よりも不吉で不穏で恐怖を煽り、誰もが動きを止めてしまうような圧倒的邪悪の存在を示唆させた。理性はなんてことないと本能を説き伏せようとするのだが、本能は闘牛のごとく暴れ回り、はやく逃げろと警報を鳴らしている。
おれ含め、文芸部員は理性と本能で板挟みになり微動だにできなかった。いや、この放送を聞けば誰でもそうなる。
この瞬間、清澄高校において行動可能な人物は誰もいなかった。
「やっと行動を起こしたか。ブージャムめ」
探偵天使真実を除いては。
一夢希の容姿ははがないの三日月夜空、性格はハルヒの佐々木のイメージ。
希ちゃんのことを語るジョーにびびってる。あんなに長文になるとは。
ジョーが天使を語ったら3行以下で終わるのに。