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探偵は事件を引き寄せる  作者: 霜雪雨多
3.スナークはブージャムだった
10/22

信念と対立

 おれが清澄高校に入学して早一ヶ月。桜は散り、青々とした葉が心地よい日陰を作り出している。長袖を着るにも少々暑くなってくる時期だ。

 おれと天使(あまつか)の他に、文芸部に新入部員はいなかった。入部を考えてたやつはおれのポスターを見て関わらない方がいいと判断したのかもしれない。胡散臭い探偵事務所があるんだもんな。普通の感性を持ってたら様子見するよな。

 幸い学校に特にこれといった大きな事件は起きていない。その代わり事務所に来客があった。来客は、恋愛相談所と勘違いして惚気話をしに来た野郎が一名、鑑定所と勘違いしてブリキのおもちゃを持ってきた女子生徒が一名。平和そのものだった。天使によるとブリキのおもちゃの鑑定額は一万五千円。女子生徒が鑑定所だと思ったのはあながち間違いでもなかったようだ。


 ある昼休み。弁当を食べ終えたおれはいつものように天使と駄弁っていた。


「転校生が来たとの情報が入った」


 天使は机に肘をついて顔の前で手を組んだ。おれは天使からもらったマスカット飴を口腔でコロコロと転がした。

 五月に転校してくるのか。その転校生も大変だな。でも他のクラスの話だろう。おれには関係のない話だ。


「女子生徒だ」


詳しく聞こう。

おれは机の上に肘をついて顔の前で手を組んだ。

転校生、それも女子の情報を見逃すだなんて、おれの腕もなまったものだ。人間は様々な要素で構成されている。名前、誕生日、趣味、特技、スリーサイズ、容姿、恋人の有無などなど。

天使、お前はどこまで掴んでる? 


「私もまだ本人を見たわけではない。人間の壁が厚すぎる。現在教室を覗きに行っても見れるのはハエのように群がる野次馬の群れだけだ。

 ただ、その女子生徒の名前だけは分かった。その名は一夢(いちゆめ)(のぞみ)。亀井刑事が云っていた高校生探偵と同じ名だ」



 特別な用事がない限り、放課後は文芸部へ足を向けることにしている。西條先輩に会えるし。

 とはいえ毎日やるべきことがあるわけでもない。大体は宿題をやるだけ。白瀬もおれと似た過ごし方をしている。部活中ずっと本を読んでいるのは西條先輩と天使だ。美術部のはずの葛木もよく遊びに来る。

 宿題が終わって暇になれば、本を読む天使にちょっかいを出したり、西條先輩の読書姿をスケッチしたりする。天使にせがまれたせいで、描いた枚数は西條先輩より天使の方が多いが……

 そんな気分にもなれない日には、おれは窓から校庭を眺めている。文芸部には校庭に面した窓があり、部活動に勤しむ生徒たちがよく見えるのだ。白瀬が窓の外をぼーっと見つめているのに気づいて、何をしているのか尋ねたら『青春を眺めている』と答えた。

 彼が恋敵なのは間違いないが、その感受性には好感が持てた。それからだ。おれが校庭を眺めるようになったのは。



 葛木を除いた部員四人は、今日もそれぞれが自分の時間を過ごしていた。

すると部室のドアがコンコン、とノックされた。誰だろう。葛木はノックなどせず勝手知ったる文芸部といった感じで入ってくる。つまりノックの主は完全なる部外者だ。あの子、鑑定品また探してくるとか云ってたし、彼女だろうか。


西條先輩がどうぞ、と呼びかけた。


「失礼します。文芸部はここでよろしかったでしょうか。探偵の天使真実(まみ)くんに用があるんですけど」


鈴の音のように凛、とした声が響いた。

ドアの前に佇んでいたのは小柄な少女だった。清澄高校の制服を身に纏い、ボブカットが揺れている。彼女の目は熱した飴のように透明で、情熱が感じられた。不安げに口元をキュッと引き締めて文芸部内を睨め付けるようにぐるりと見渡した。

そこには天使(てんし)がいた。天使ではない。絶対に間違えるんじゃないぜ。

端的に云って好みにどストライクな容姿だった。


 よって、おれが天使真実(まみ)だ、と思わず嘘が口から溢れてしまっても誰もおれを責めることはできないのではないだろうか。

 このおれに何の用かなお嬢さん。


「そうか。君が噂の天使くんか。少し話をしたいのだけど時間は大丈夫かな?」


 もちろん。たとえ火の中水の中。地獄だとしてもおれはあなたについて行こう。


「……天使真実は私のことなのだが。そいつは私の助手のジョーだ。なりすましはやめたまえ」


 いいや助手はお前の方だぜ。構わずおれは嘘を続けた。このまま押し切る所存。


「……ええと、どちらが本物の天使君なのなのかな」


 希ちゃんが問いかけると、西條先輩と白瀬が無言で天使を指差した。

 おれは手のひらを返して拍手する。流石だ名探偵一夢希。この程度謎を解くのは朝飯前ってわけだ。

 希ちゃんは愛想笑いをした。


「謎というほどのでもなかったように思うけれどね。でも何故僕の名前を?」


 僕っ娘!? おれはすぐさま議員を招集して脳内で緊急会議を開かせた。当然だが全会一致でアリの結論に至った。おれは口角を吊り上げた。

 初歩的な推理だよ。おれは入学してからの一ヶ月の間に、全校女子生徒の顔と名前を一致させておいたんだ。だが君は、おれのデータベースで検索をかけても出てこない。そもそも君みたいな美人さんがいたら見逃すはずがない。だから君は噂の転校生、一夢希さんだとしか考えられなかったのさ。

 と云う前に、全校女子生徒の名前を把握してるって浮気性の男に思われそうだな、と気づいたため、初歩的な推理だよ。に留めておいた。


「天使君。君の助手はなかなかのものだね」


「あ、ああその通り。ジョーは推理にも長けた優秀……な助手なのだ?」


 探偵宣言のときの自信はどこへやった。もっとおれの実力に自信を持てよ! 希ちゃんの前なんだからおれの評価を持ち上げてもらわなきゃ困るぜ。

 希ちゃんは桃色の唇を開いた。


「では部活中に悪いが、僕の話を聞いてほしい。おおっぴらにできない話だし、一旦場所を移そうか」



 希ちゃんはおれと天使を連れて因縁の談話室へ移動した。希ちゃんが校長に談話室の使用許可を求めるとあっさりと承諾された。彼女はだいぶ信用されているらしい。

 希ちゃんとおれたちは向かい合うようにソファに座った。


「どこから話そうかな。君たちは、僕が探偵だってことも知っていたみたいだね」


「それはとある刑事から高校生探偵として一夢希の名を聞いたのだ」


 天使は先月の事件のあらましを伝えた。

 希ちゃんは合点がいったようでそっとため息をついた。


「そうか。それなら話が早い。僕がこんな時期に転校してきたのはある手紙のせいなんだ」


 希ちゃんはカバンを探ると、一枚のプリントを取り出した。


「君たちが関わった殺人事件があった当日に、警視庁へ送られてきた手紙だ。それをコピーして持ってきた」


 そうして渡された手紙をおれたちは覗き込んだ。


────────────────────────

スナーク暮らす学び舎に

一匹ブージャム紛れてる

ブージャムスナーク狙ってる

スナークだんだん消えていく

ブージャム狩ろうというのなら

指貫配慮にフォークと希望

そして勇気を胸に秘め

挑んで消滅するがいい

さあ集え さあ挑め

ブージャム水辺に放たれた

────────────────────────


 書かれていたのは手紙、というよりは詩に近かった。どう見ても、迷惑ないたずらとしか思えないが。


「君たちはスナークとブージャムについての知識はあるのかな?」


 希ちゃんの問いかけにおれは首を横に振った。対して天使は頷いて、それらの単語について解説した。


「ジョーでも『不思議の国のアリス』という作品は聞き覚えがあるだろう。

 スナークとブージャムというのは、アリスの作者であるルイス・キャロルの著作の一つ、『スナーク狩り』という物語に登場する架空の生物の名前なのだ」


 アリスの作者が作った生き物なのか。それはまたヘンテコりんな生き物なんだろう。一体どんな見た目をしてるんだ?

 天使は少し天井を見つめて考えた。


「よくわからない」


 ふーん。流石のお前でもそこまでの知識までしか無かったわけか。では解説の続きを一夢さんお願いします。

 希ちゃんは苦笑いしながら、指に髪の先端をくるくると巻き付けた。

 おれはその仕草が可愛かったので、脳内フォルダに焼き付けた。帰ったら現像して枕の下に敷こう。おれの人生において、悪夢が訪れることはもうない。


「僕もスナークがどんな生き物なのかはよくわからないんだ。でも記述によると色々な品種がいるらしい。羽毛が生えているのや、頰髯を生やして引っ掻いてくるの、そしてブージャム。

 スナークは無味乾燥な味で中身がなくって、人魂のような風味があるそうだ。ユーモアを解さないけど微笑とお世辞には弱い。そうそう。火を起こすときに役に立つというのも書いてあったかな」


 なるほど。羽毛があるってことは鳥に近いのか。いや頰髯からして霊長類? でも中身は空っぽ。火起こしに便利ってことは植物の一種にも思える。コミュニケーションが取れそうな感じもするが……だめださっぱりわからん。


「そう。捉え所のない謎の生き物、これこそがスナークなのだ。私がスナークの姿がよくわからない、と云ったのも納得だろう」


 納得したよ。しかしブージャムってのはスナークの種類の一つみたいだ。ブージャムについての詳細は『スナーク狩り』に載ってなかったのか?


「ブージャムというのは数あるスナークの中でも最も危険な種類のようなんだ。ブージャムに出くわした者は突然煙のように消え失せてしまうらしい。実際作中でも一人消えていたよ」


 ブージャムってそんなに危ないやつなのか。会ったら終わりって無理ゲーだよな。似たようなピエロが登場する映画があった気がする。

 基礎知識の確認が終わったので、希ちゃんは問題の手紙に話を戻した。


「それらのことを鑑みると、この手紙は犯行予告として読み取れるのが分かるかな。スナークは被害者で、ブージャムが犯人だ。学び舎というのはおそらく学校のこと。ブージャムは水辺に放たれたのだから、近隣に川や池に類するものがあるはず。さらに云えば、この手紙は清澄市内の郵便局の消印が押されていたんだ。

 僕と警察はこれらの情報を総合的に判断して、ブージャムが潜伏しているのが、清澄高校だと目星をつけたわけなんだ。清澄高校のことを知ったときは僕も驚いた。水堀が張り巡らされてる学校なんてきっと二つと無いよ」


「希くんが妙な時期に転校してきた理由がはっきりしたな。だが我々を呼び出した意義が未だ見出せない。尋ねても構わないだろうか」


 早速名前呼びするんか天使てめえ。ちょーっと馴れ馴れしいんじゃあないか?

おれは天使を威圧した。だが天使のマイペースには効果がないようだ……


 希ちゃんは真剣な目をしている。


「ブージャムの居場所が清澄高校だってのは分かった。しかし爆破予告でもない、ましてや具体的な内容が一切書かれていないのに捜査に動けるほど警察は暇じゃない。手紙が届いた当初はいたずら扱いして放置されていたんだ。

 だがその一週間後、ブージャムから再び手紙が届いた。手紙には()()()()()()()()()が同封されていた。君たちならこの意味がわかるはずだ」


「つまり、輪ゴムを回収した、本物の第一発見者と、ブージャムは同一人物だというわけなのだな」


 心得顔の天使はふふ、と含み笑いをした。


「うん。だから僕はブージャムが本気なのかもしれないと思った。それでも動こうとしない警察は放って置いて、僕は未然にブージャムの陰謀を阻止しようと転校してきたわけなのさ。

 ブージャムが具体的に何を起こそうとしているのかは不明だ。全ては僕の早とちりで、実はただのいたずらだった、なんて結末もあり得る。だがそれでもいい。人を守り助けるのが探偵だからだ。事件が起きないに越したことはない。

 天使くんがあの場で犯人を指摘していなかったら、証拠を処分されて、捜査が行き詰まっていただろう。その頭脳を僕に貸してほしいんだ。僕だけでなく、学校のみんなのためにも。どうか僕に協力してくれないかな?」


 希ちゃんはそう締めくくった。ブラボー。なんて素晴らしい信念なんだ。感動で涙が止まらない。映画化決定だよ。

 もちろん協力するよ。悪いやつを学校にのさばらせるわけにはいかないよね!


「気に食わないな」


 え? おれは天使を二度見した。二度あることは三度あるのでもう一回見ておこう。チラッ。


「人を守り助けるのが探偵だと? 違うな。探偵とは謎を解く者だ。周囲の人間などどうでもいい。探偵が人を助けるのは、あくまで謎解きの副次的な事象に過ぎないのだよ。事件が起きないだなんて退屈で死んでしまう」


「そうじゃない。困っている人のために僕ら探偵は謎を解くんだ。そしてみんなが幸せになるように謎解きをする。真相がみんなを不幸にするものなら全てを(つまび)らかにする必要なんてない。探偵が他人を不幸にしていちゃいけないんだ。探偵の才能は自己満足のために与えられたものじゃないよ」


 天使の妄言に、希ちゃんはムッとして反論した。

 だが天使は目をそらして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ブージャムを捕まえるよう尽力はしよう。だが捜査協力はしない。どんなものかと期待していたのだが、噂の高校生がこんなものだったとは。残念だ」


 そう云い残して、天使は席を立ち、談話室を後にした。


「……ジョー君はついていかなくていいのかな。君は彼の探偵助手でしょう?」


 大丈夫。明日になったら機嫌も直ってるさ。それに勝手に探偵助手にされてるだけなんだよね。

 ちなみに希ちゃんは助手いる? なんならおれが助手になってもいいよ。一緒にブージャム捕まえようぜ。


「協力はありがたく受け取るけど、助手はいいかな。君は幸せになる側の人間であってほしいから」


 希ちゃんは儚げに笑った。おれはそんな彼女を、無性にキャンバスに納めたくなる衝動に駆られた。

 何人もの人間を幸福へ導いてきた探偵の彼女は、どんな角度から観察しても、幸せではなさそうだったから。

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