そして死神はやってきた
『 清澄高校入学式』
そう書かれた看板が正門口に設置されている。
花の高校生活がいよいよ始まるのだ。これに心踊らない人間なんていないだろう。はやる心を抑えきれなくて、30分も早く到着してしまった。どうしよう。
この清澄高校の最大の特徴はなんといっても、学校をぐるりと囲うように張り巡らされた水堀だ。体験入学で入手したパンフレットによると、ここにはその昔、清澄陣屋という建物があったらしいのだ。水堀はその名残で現在まで残されている。水掘の水は地下水を引いているため、綺麗といって差し支えない。なんと鯉が泳いでいたりする。
橋を渡り正門をくぐる。 辺りには、おれと同じ制服を纏った生徒がちらほらいた。
どうやら雰囲気からして彼らは同級生ではなく、上級生のようだ。同級生は、時間が早いのかまだいなさそうだ。
階段を登ると1年生の教室のある廊下に出る。
1年生は全6クラスある。おれのクラスは1-4。廊下の真ん中ぐらいに教室はある。
この廊下に人の気配はない。本当に1番乗りかもしれない。
ふと職員室へ行く必要があるのではと思ったが、1-4の扉の鍵は開いている。あらかじめ開けておいてくれているらしい。
引き戸を開けると、教室はいたって普通だった。教室の窓はグラウンドに面しており、窓からは暖かい春の光が差し込んでいる。
黒板が前後にあり、机が約40個。 教室は体験入学のときと全く変わっていない。
ただ、教室の中央に頭部の上半分を失った男がいることを除けばだが。
死んでいるのは一目瞭然だった。
男は椅子に座った状態のまま死んでいた。 死体の目から上には何もなかった。男の周囲には鮮血と脳漿がこれでもかと飛び散っていて、頭部の下半分だけが胴体にそのままくっついているのが、むしろ異様に感じた。
……さすがにドッキリだよな。入学式に教室で人が死んでる? そんなことあるわけないだろ。常識で考えろ。いくら自分に言い聞かせても俺の足は恐怖でガクガク震えていた。
心では認めていなくても、自分の体は本能的に恐怖を体現していた。込み上げてくる吐き気が、目の前の現実を全力で拒絶している。
人の死体なんてひいばあちゃんの葬式でしか見たことがない。その死体もいたって綺麗なもので、凄惨な死体に遭遇するなんて一生に一度あるかどうかだ。むしろない方が大半だろう。おれは手のひらに指で「米」を書き、べろべろと舐めた。
「君、そこで何をしているんだい?」
背後から声がした。その声に聞き覚えは一切なかった。
バッと振り向くと、そこにはおれとおそらく同じ、新入生の男がいた。
背丈はおれと変わらない。ひょろっとしていていかにも秀才という感じだ。切れ長の目がおれを見据えていた。
振り向いたはいいものの、おれの体はそこで動きを止めてしまう。
「おーい、なんとか云ってくれたまえよ。初対面とはいえ、返答もないのはどうかと思うのだがね」
野郎はおれの眼前でわさわさと手を動かした。別に無視したいわけじゃない。おまじないの効果が出るまで待ってくれや。
野郎は痺れを切らしたようで、おれの脇から、教室の中を覗き込んだ。
待て、と声をかけようとしたが、それは掠れてほんの少し空気を震わせただけで終わった。
覗き込むなり、彼は大きく息を吸って、情けない悲鳴をあげた。
「なんて私はついてるんだ!」
訂正。悲鳴はあげなかった。
その代わりに嬉しそうに叫んだ……ような気がする。そんなわけないのにな。入学初日に死体を、それもこんな凄惨な現場を目撃してついてるだと? そんな奴がいたら狂ってるぜ。死体があるという異常な状況のせいで聞き間違えたらしい。
「入学初日から殺人事件だなんて、これは私の日頃の行いがいいからに違いない。おっと、私にしてはいささか論理的でないかもしれないな」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。正真正銘の狂人。狂ってやがった。
やべーやつだ。やべーやつ。関わりたくねえ。
「殺人事件。しかも頭部が半分だけ吹き飛んでいるなんて特殊状況はなかなかない! 嵐の孤島でも雪の山荘でもないのにとんでもない大盤振る舞いだ。
しかし、この事件は私が解決してもいいのだろうか。
……ああそうか。これは私の為に用意された事件に違いない!
探偵は事件を引き寄せるもの。事件に遭遇するのは私でなくては!」
野郎はひとしきり興奮すると、萎む風船の如く急速に落ち着きを取り戻し、くるりとこちらに向き直った。
「ところでそこの君。君が脳漿を振りまいて死んでいる彼を殺したのかな?」
「違う。おれは殺してなんかいない!」
途端におまじないが効きだして緊張が解ける。その反動か思わず大きな声が出てしまった。
教室で人が死んでいる。教室内に人はいないし、朝早くのこの時間の教室住変に人の気配はない。そして、そこにただ一人いるおれへ真っ先に疑いの目が向くのは当然であり、必然だった。
男はおれの言葉に対して口を開こうとするが、疑いの目を向けられたおれの言葉は止まらない。
「だ、第一、自殺とか事故の可能性だってあるだろ!
一体誰が、そこの奴が殺されたって云ったんだ。殺されたなんて証拠ないだろ。
……そういえば、妙にタイミングよくここに来たなお前。ひょっとして、お前がおれを犯人に仕立て上げようとしてるんじゃないのか!?
そこの男が殺されたなんて知ってるのは犯人だけだからな。そうだ! そうに決まってるぜ!」
と鮮やかな推理を披露し、ビシッと彼に指を向けた。野郎はふむ、と首を傾げた。
「なるほど。君のいうことにもまあ一理あるだろう。
先入観に囚われずに自殺と事故の可能性を初めから捨てないというのがいい。素晴らしいな。
しかし、朗報ながらその可能性はないだろう」
と云いながら、おれが止める間も無く、狂人は行きつけのラーメン屋に入るような足取りで遠慮なくズカズカと教室に入っていった。
朗報の要素皆無だと思うんだが。他殺がいいのかお前は。
「これがもし自殺や事故だとしたならば、ほぼ確実に現場には、死の原因を作った凶器がある。
頭部の上半分がないということは、それなりに大掛かりな凶器が使われたはずだ。例えば手斧や肉切り包丁なんかだな。
だがそんな巨大で目立つ凶器はこの教室には見当たらない。犯人が回収したのだ。よってこれは他殺だ。
事故、または自殺ののちに、なんらかの理由で凶器を持ち去った人間がいるというのも否定はできないが、滅多にないケースだ。考えなくていいだろう」
野郎はごそごそと鞄を探った。チェーンソーでも出てくるのかと一瞬身構えたが、そういうわけではなさそうだ。
「そして現在、私が犯人ではないことを立証することは難しい。君自身が、己の潔白を立証できないのと同じようにね。
私が無実である証拠は現在のところ何もないが、これが一つ説得力になってくれると嬉しい」
そして彼は鞄から帽子を取り出してかぶった。ホームズがよく被っている類いのあれだ。あとで調べたところ鹿撃帽、という名前だった。
「私の名前は天使 真実。探偵だ。
探偵は決して犯人にはなり得ない。
探偵天使真実が、この事件を見事解決してみせようじゃないか」
そう云って軽く頭を下げた。
はあ、探偵だぁ? ただの高校生だろ。この場に必要なのはお前みたいな自称探偵じゃなくて警察なんだよ。気取ってる場合じゃねえぞ。
「ちっちっち。それは大きな間違いだよ。まあ、私の推理力を目の当たりにしないことには信じ難いかもしれないがね」
エセ探偵は血だまりを踏まないよう、気をつけながら死体を観察し始めた。
「君、現場の写真を撮ってくれたまえ。スマホでもいいから」
お、おう……おれは言われるがまま死体の写真を撮影する。
「こっちからもだ。うん、いいぞ。君には死体を撮影する才能がありそうだ。これより君を名誉ある死体撮影係に任命しよう」
全く嬉しくねえ……
今すぐにでもグロい殺人事件現場の写真は消去したいところだが、それはダメなんだろうなあ。少なくともUSBなんかにデータをコピーするまでは。
「ふむ、手は至って綺麗だ。抵抗の跡はないな。不意をつかれたのか、あるいは抵抗できない状態になっていたのか」
天使は淡々と捜査を進めている。
「君は彼のことを知っているかい? 私はこの被害者が清澄高校の教師だと思うのだがね」
知らんな。体験入学や文化祭で見かけたかもしれないが、全然覚えてねえ。
「それもそうか。ちなみに君が死体を発見したのは何時のことかね」
あ~7時半は過ぎてたが正確な時間は分からないぜ。でも見つけた後すぐにお前が来たんだ。
チラリと教室の時計を見ると、もうすぐ7時50分になろうかという時間だった。
というかどうしておれは素直にこいつの指示に従ってるんだ。なんともアホらしい。
その時、教室のドア付近からドスン、と音がした。
ドア近くに立っているのは女子生徒だった。どうやら掴んでいたバッグを、死体を見たショックで落としてしまったようだ。
「キャァァァァァーーーーー!!!!!」
彼女は大きく開けた口で叫び声をあげながら、いそいそとスマホを取り出して、国家権力を呼び出す魔法の3桁の番号を押した。
対して天使はうるさいなと顔をしかめつつも、黙々と死体頭部の切断面を調べていた。マイペースかよ。
女子生徒は、どうやら無事に国家権力と連絡を取ることができたらしい。
「もしもし!! 教室でひ、人が死んでっ、二人が死体をっ……」
……客観的に見るとこの状況やばくね?