朔月 ~SAKUGETU~
この街には伝説がある――。
酷く底冷えのする夜の街角に、黒塗りのセダンが停車した。モルタル塗りの粗末な建物ばかりが並ぶ、川沿いの薄暗い街並みには、人の気配がまるでなかった。
「いやあ、今日も大儲けでしたね。兄貴」
「ああ。今日の『商品』は上物が多かったからな」
同じようなコートと帽子の男が二人、にやけ顔でそんな会話をしつつ車から降りる。
兄貴、と呼ばれた親分の男が着ている、焦げ茶色のロングコートのポケットは、売り上げ金の札束で膨らんでいた。
ポツリポツリ、としか街灯のない通りを、二人が談笑しつつ歩いていると、黒い服の体格が良い男達が数人、彼らの右側から追い抜いていった。
「おっ。お前ら、成果はどうだ?」
子分の男に呼び止められ、引き返してきた男達は、二人の手前で止まって一礼する。
「上物が手に入りましたぜ。兄貴」
先頭の男がそう言って振り返ると、列の真ん中にいるズタ袋を担いだ黒服が、その中身をコートの二人に見せた。
「よし、でかした。『これ』は高く売れるぞ」
それは、長い黒髪を持つ色白の少女だった。彼女は手足を縛られた上、猿ぐつわを噛まされ、薬物によって昏睡状態にされている。
「それを運んだら、お前らもう帰って良いぞ」
兄貴の方が満足げな顔でそう言うと、感謝を述べた黒服達はまた一礼する。その後、彼らは50メートルほど先に進み、そこにある細い路地に入っていた。
「しかしまあ、なんでこんな汚い街で、あんな上等な物が出来るんですかね?」
二人から見て、左手を流れるどぶ川をしかめ面で見ながら、子分は親分にそう訊ねた。その川は、街灯のわずかな光でさえ確認出来るほど、ゴミが大量に捨てられていた。
「俺が聞いた話だと、遺伝、ってやつのせいだとよ」
「何です? それ」
「おいおい、ブラザー。お前何年この仕事やってんだ」
全くピンときていない子分に、親分は呆れ顔でざっくりと説明した。
「へえ。さっすが兄貴、何でも知ってますね」
感心した様子でそう言う子分に、親分は、新聞ぐらい読めよ、と言って、苦笑を浮かべた。
「いやー、そうは思うんですけど、なにぶん学が無いもんで」
子分はおどけた調子で、首をすくめてそう言った。
「今度、ガキの使う参考書でも買ってやろうか?」
そんな会話を交わしつつ、黒服が入っていった路地に、二人も入って行こうとしたが、
「……」
カモフラージュのために置かれた、青いゴミバケツの向こうに、ハーフコートを羽織った短髪の少女がいた。その髪は真っ白で、アクアリウムのクラゲを思わせる。
彼女は壁に背を預け、反対の壁に左足を押しつけて、遮断機の様に道をふさいでいた。
「おいお嬢ちゃん。そこ退いてくんないかな?」
俺達さあ、この先に用があるんだよ、と言いながら、子分は彼女のくるぶしから、短いスカートに隠された根元にかけて、黒いニーハイタイツに包まれた脚を舐めるように眺める。
「……」
感情のこもっていない目で二人を見ている少女は、何も言わずに脚を下ろし、二人の方へと歩みを進める。
彼女が二人の右横を通過し、路地から右折して5~6歩進んだところで、
「へい、ちょっと止まりな!」
子分はそう言うと、指笛を鳴らして腰に吊っているリボルバーを抜き、少女の背中に狙いを付ける。
「……」
依然、何の声も発さない彼女は、その命令に素直に従った。
「へへっ、そうそう。良い娘だ」
舌舐めずりをしながら、獣のような目をして、そのままゆっくり振り返るよう、子分は少女へと言う。
「……」
またもや無言で従う彼女に、子分はゆっくりと近づいていく。その目は、少女の張りのある尻に釘付けになっていた。
「さて、――がッ?」
その結果、少女が腰にベルトで差していた、一振りの打刀による、振り返りざまの斬撃に、子分は全く気がつかなかった。
「チッ……!」
子分の首が落ちたのを見た親分は、とっさに路地へと駆け込んだ。
その先には、先ほどの黒服達がいるはずだったのだが、
「な……」
路地を抜けた袋小路の先には、首の無い黒服が転がっていた。
「くっそ!」
親分は自分から見て右側にある、自分達のアジトへ逃げ込もうとする。だが、扉の前にある黒服の死体が邪魔で、なかなかそれを開けられない。
「……」
そうこうしている内に、刀を手にする短髪の少女が、親分の目の前にやってきた。
「な、何なんだお前はァ!」
「朔月……」
ぼそり、と、氷の様な声でつぶやいた彼女は、素早い踏み込みで親分に近づき、彼の身体と頭に永遠の別れを与えた。
一応、親分が死んでいるのを確認した少女は、刀身に付いた血を振り払い、刀と同じように飾り気の無い鞘にしまう。
その場で目を閉じて天を仰いだ後、彼女は助走無しで、その周囲を囲む2階建ての建物の屋根に飛び乗った。
「……」
いつもより星が輝く新月の空を背に、少女は夜の闇の中へと消えていった。
――その街には伝説があった。
この街で手酷い悪事を働いた者の前に、刀を腰のベルトに差した短髪の少女が、コートの裾を翻し、その者を断罪しに現れるという。
心当たりがある者は、暗い夜道に気をつける事だ。
お前の首にはいつも、彼女の刃が突きつけられているのだから。