空の盃
ちょうど一年前のことだった。
とても濃い魔素に地上が覆われ、どこからともなく魔物が湧きだし、人々が震えながら暮らしていたこの世界に、救世主と呼ばれるべき『彼』がやってきたのは。
その時の私はただの町娘で。なんとかして『彼』の手伝いをできないかと、必死に付いていくのがやっとな程ひ弱で。それでも、地道な修行を続けて彼の隣で戦えるまでに成長したのだ。
もちろん、その道程は生半可なものでは無く。
数多の困難を途中で加わった仲間と共に乗り越える必要があった。辛い別れもあった。
それでも――それでも、確実に歩を進めて。塔に巣食うヴァンパイアを倒した時も、火山の底に棲みついた火龍を討伐した時も。地下迷宮のミノタウロスを退けた時も。
そうやって各地を救い、その度に『彼』に集まる称賛、感謝の声。
そして――たまにどこからともなく聞こえてくる『ピロリロリン』という音。
いったいこの音はなんなのだろうと『彼』に聞くと、何やら知っているらしく。
素っ気ない態度で『これは神様が祝福してくれる音さ』と、そう言っていた。
神様が祝福してくれる音。神様。
この世界を救うために、『彼』を送ってきた存在。
神の加護と共にならば、きっと世界を救うこともできる。
叶うのならば、私もその瞬間に立ち会いたい。いや、立ち会うのだ。
そのために私は村を出て、『彼』の旅に加わったのだから。
そして長い長い旅の末、全ての元凶となる悪の親玉の元へと辿り着き――剣を魔法を全力でぶつけ合う。何度も膝を付き、何度も血を吐きながら、何時間も、何時間も、日が落ち再び上るほどの長い時間の末、ようやく『彼』は、私たちは勝利した。
全員息も絶え絶えで、玉座に残っているのは親玉の死体のみ。ようやくこの手で勝利を掴むことができたと、勝ち鬨をあげることもできず。静寂の戻った空間に、
――『ピロリロリン』。
という、なんとも間の抜けた音が響いた。神様からの、祝福の音。張りつめていた空気が一気に弛緩する。誰からでもなく笑い声が漏れ始め、こうして長い旅は幕を閉じた。
それから一年後、私は村に戻り――
『あなた方は自分自身をお互いに捧げますか』
「はい 捧げます」
長旅を共にした『彼』と、村の教会で挙式を挙げていた。何もかもを終えて、平和な日常が戻って。これからは家族と共に、『彼』とともに、この先生まれてくるであろう我が子と共に、幸せな日々を過ごす。
幸せの絶頂。人生の到達点。辛い戦いの末に得られたどんな賛美よりも、この教会から溢れ出しそうな皆の祝福の声が。私にとっては何よりも嬉しい。
『――では指輪を交換してください』
神父様のその言葉で、私たちの指輪がゆっくりと運ばれて来る。『彼』がその片方を受け取り、私の左手の薬指へそっとはめられる。
新しい魔法が使えるわけでもない。外部からの脅威に対する耐性が上がるわけでもない。それでもこれは、今まで身に付けたどんなアクセサリよりも大切なもので。きっと――いや、絶対に、永遠に外すことは無いだろう。
そして今度は私から『彼』へ。
震える指で指輪を手に取り、落とさないよう気を付けながら。しっかりと『彼』の左手へと指輪をはめる。大切な、大切な儀式の終わり。最後に誓いのキスをしようとベールを上げられたところで――
――『ピロリロリン』。
教会に、音が鳴る。
こうして神様に直接祝福されるなんて――世界広しといえども、こんなことは『彼』の結婚式ぐらいじゃないのだろうか。どんな状況でも相変わらずの音に、少しだけ笑いそうになってしまう。『彼』はどう思っているのだろうと、表情を確認すると――『やっと――』と、口元が動いたような気がした。次の瞬間だった。
「――バイバイ」
私の身体が、正面から袈裟切りにされたのは。
「え――」
目の前の『彼』の手元には、どこからともなく現れた剣が握られている。よく知っている剣だ。最後の戦いも、その剣で挑んだのを見ていたのだから。
「な、なん……で……」
痛みを感じる暇も無い。全身に力が入らない。息をするのも忘れ――まともに考えることのできない頭で状況を理解しようとする。
「次はこっちの“実績”を終わらせないといけないから」
そうしている間にも、今度は一番近くにいた神父様がばっさりと切り倒されていた。あまりに突然のことに悲鳴も上がらず。薄れていく意識の中、ただ淡々とした『彼』の声だけが耳に届いた。
「まずは500人か……先が思いやられるなぁ……」
――『ピロリロリン』。
まずは拙作『空の盃』を読んでいただきありがとうございます。
2000文字もいかない短いものですが、とあるゲームを終わらせた時に感じたことを、そのまま勢いで書いてみた短編です。中身も全然違いますので、二次創作とかではありません。
で、そのゲームっていうのが、去年に発売された有名な洋ゲーなのですが、
通常END、全員生存END、大虐殺ENDの三つのルートがあってですね。
通常→全員生存→大虐殺で進める予定で遊んで――
隅から隅まで楽しむことに定評のある自分にしては珍しく
全部やらずに二つ目の全員生存ENDで止めてしまいました。
『なんか……せっかく幸せな終わり方したんだし。
ここでぶち壊してしまうのって、嫌だなぁ……』と、
クリアーまでの道中が苦労したっていうのもあるのですが、
ふとそんなことを思ったわけです。
ただ、そこでスッパリと止められたのも理由があって。
そのゲーム、実績とかトロフィー的な要素が無いのですよ。
これでそんなものがあった日には――
『この世界を壊したくない』なんて感情も感傷も最初から湧かずに、
『さ、これから皆殺しにでも行こっか♪』みたいになるのだと。
これ以外の初めてなんてものは存在しないので、あくまで仮定の話ですが、
それでもきっと、実績の有る無しでここまで変わるのだろうなと考えると、
じわじわと恐怖が湧き出てきたわけです。
ゲームの世界なら、何をしても“実績”なんだよなぁと。
結果だけを見ている人間の前では、それまで過程は無かったことになる。
今回の短編は、そんなコンセプトの小説となりました。