春の果実
春の日差しを受けて、花嫁は花婿の手を取った。
本来ならば花嫁の養母とはいえ母がこの世を去ったばかりの時期に、結婚式が執り行われることがないのを、周囲を説得して異例中の異例というのを押し通したのは、他でもないこの国の国王であるのは式に参列している者たちだけが知っている。
「汝、リノレイル・エアラッハは、ルーナ=シュネー・プルイーナを妻とし、全ての精霊と精霊の女王に誠実な夫たることを誓いますか?」
「誓います」
「汝、ルーナ=シュネー・プルイーナは、リノレイル・エアラッハを夫とし、全ての精霊と精霊の女王に貞淑な妻であることを誓いますか?」
「誓います」
厳かに儀式が進み、花嫁と花婿は守り石をはめ込んだ指輪を交換する。
それはあの日、花婿であるリノレイルの命を救った守り石を加工し直したもの。
花嫁が身を包んでいる純白の衣装は、養母が彼女のためにと縫い上げたもの。1針1針純白の糸で、加護の文様や吉祥の文様を縫い込み、至る所に小粒ながら良質な真珠が縫い込まれているそれは、花嫁なら誰もがあこがれるだろうこの上もなく美しい花嫁衣装だった。
参列するのは国王に王太子、第2王女、宮廷筆頭魔導師に、春の愛し子の長を務めるロザムンド=アウラ・アントス=スルールとその夫ラリクス。少人数のひっそりとした式ながら、参列者全員が国の高位権力者という、事情を知らぬものが見たら我が目を疑いたくなるような光景がそこにあった。
式場から外に出た花嫁と花婿に、色とりどりの花が参列者の手によって降り注ぐ。
その上に、空から静かに雪が舞い降りる。
純白の羽のようなそれは、舞い散る花の上に、服に、髪に舞い降りて小さな粒になり、陽の光に全てを煌めかせた。
「ああ、いらしたようだな」
ソスランの呟きに誰からともなく見上げれば、名残の雪を散らしながら冬の女王が空を駆ける馬車に乗り、最北の地にある領地へと去って行くのが見える。
その馬車が滑るように地上に降下すると、褐色の肌の騎士に手を取られ、女王が降り立つ。
結い上げられた髪は、青を溶かし込んだ漆黒。瞳は冬の海に似た灰青色。陶器のような白い肌に、バラ色の頬と唇。しかしその冷たい美貌は、柔らかな微笑を浮かべ婚姻の誓いを交わしたばかりの2人を、優しく祝福していた。
「冬の女王に、春の果実を献上致します」
「ありがとう。愛し子よ」
祭壇に上げられていたようやく実ったばかりの春の果実を捧げれば、冬の女王は白磁のような指先で赤く熟した果実を摘み、そっと口に入れた。
「私の好物を、覚えていてくれてありがとう。こうして我が騎士も傍らに戻り、貴女の晴れ姿も見ることが出来た。これ以上の幸福があるでしょうか」
静かに、今の時を噛みしめるかのように言葉を紡ぐ冬の女王に、その場にいた皆が跪く。
「この国に、幸あらんことを祈ります」
頭を垂れた人々の上に、光が降り注ぐ。
それは冬の日の陽だまりの温かさで、その場に集う全ての人を包み込んだ。
その光景を見渡して、冬の女王は目を細める。
顔を上げたロザムンドと目が合うと、女王は少女のように頬を染め、微笑みを浮かべた。
その笑顔に、ロザムンドの目に涙があふれる。
ロザムンドは、誰にも気づかれないようにそっと目を伏せた。
冬の女王は、歩み寄った騎士の手を取り、再び馬車に乗って空を駆ける。
「虹だわ」
大きなアーチを描いて空を行く女王を見送って、その場にいた誰もがしばらくの間、言葉もなく佇んでいた。