冬の女王
「それにしても、貴女の座標指定の正確さは舌を巻くわね」
「今回の場合は、貴女の息子が殿下に、座標指定用にと転移石を渡したからね。あとはルーナが渡した守り石のお陰。守り石は、相手が危機に陥った場合は引き合う性質を持っているから、借りてきて正解ということでしょう」
「……あの時貴女が行けたなら、エオル様は助かっていたのかしら」
思わずスルリと零れ落ちた言葉に、ロザムンドは自分の口元を押さえた。
「ごめんなさい」
表情を強ばらせて謝罪を口にするロザムンドに、ミランダはゆるゆると頭を振る。
「いいえ。あの方の場合は元々力が弱まっていたから、私がどれ程守り石に力を込めようと、雪に埋もれてまで生き延びさせるだけの守りは与えられなかった。しかもあの方は咄嗟に、守り石に込められた力を、自身の周りから雪を払いのけることではなくて、陛下の御身を雪の中からはじき出すことに使った。本当にあの方はどこまでも、騎士の鏡ね。……だけれど、婚約者としては最低の男だった」
とうとう私の元に、帰っては来なかったのだから。と、ミランダは見渡す限りの雪景色を眺めながら呟いた。
「雪の中に立っていても、貴女が凍えてしまうわ。貴女の息子とリノレイル様を救い出して、帰さなければ」
微笑んだミランダの、冬の海に似た灰青色の外套を見やって、雪狼の毛皮をしっかりと着込んだ自分自身を見下ろし、ロザムンドは苦笑する。
確かにこのまま立っていれば、先に消耗してしまうのは寒さに弱いロザムンドの方だろう。
「冬の精よ、冬の息吹よ、そのうちに隠しし命ある者の息吹を我に指し示せ」
ミランダが取り出した杖をふるうと、降り積もった雪が舞い上がり、地面に穴が開く。
「ロザムンド、今よ!」
「草木よ芽吹きて命ある者らを我が下に導け」
蔓草の種を穴に投げ込み、ロザムンドが力を注ぎ込む。
スルスルと伸びた人の体程の蔓草の塊が2つ、ゴロンと地面に転がって瞬時にほどける。
「リノレイル様」
「ルディ!」
それぞれの元に、ミランダとロザムンドが駆け寄り、その無事を確認する。
「母上、ご心配をお掛け致しまして、申し訳ございません」
ぐったりと意識を失ったままのリノレイルに対して、エアナルディの方はさすがと言うべきか、結界を張り続けたことによる消耗で多少ふらついてはいるが受け答えもしっかりしており、問題はなさそうだ。
「礼ならばミランダに言いなさい。わたくしはただ、ここまで連れて来てもらって、貴方たちを引き上げただけですから。それに、心配を掛けたのはカーラの方よ。妊婦に万が一があったらどう責任を取るつもりだったの、この馬鹿息子!」
涙を浮かべて自分よりも2回り以上も体格の良い息子を抱きしめるロザムンドの姿に、ミランダは目を細める。
やはり来て良かった。間違っていなかったと、そう思えることが嬉しい。
「さあ、ロザムンド。貴女はここまでよ。リノレイル様は意識がないのだし、エアナルディは消耗が激しいのだから、貴女が送り届けなければね」
「でも、ミランダ」
「でも、ではないわ。私はどうやら呼ばれているようだから、この先へ行かなければならない。でも貴女は呼ばれていないのでしょう?」
やんわりと、聞き分けのない子供に言い聞かせるように話すミランダに、ロザムンドは返す言葉を失って口を閉ざした。
「この転移石に力を込めれば、王城まで転移出来るわ。そう、3人までは」
「最初から、そのつもりだったわね?」
「……だって、ようやく会えるのよ」
声を低めて、いつにない調子で問い詰めに掛かるロザムンドに、ミランダは微笑む。
「私、あの方を見つけ出す方法をずっと考えていたのよ。冬の女王になれば、1人だけ従者を選定出来る。この雪の中から、谷底の根雪の中からでさえ、生者死者問わず、任意の者を選定出来る。そうしてやっと……見つけ出せるわ」
ロザムンドは知っていた。
かつてミランダの婚約者だったエオルの墓には、ミランダが持っていた彼の短剣が納められていることを。
エオルはミランダに、髪の一房すら残さずに逝ってしまったことを、ロザムンドは知っていた。
「私は非道い人間よ。手立てなどないと思っていたのに、冬の女王の力が弱まり、代替わりの可能性があると知った途端に諦めきれなくなった。ただそれだけの身勝手な理由で冬の女王になるのだから、貴女が私のことで心を痛める必要などないのよ」
そう言って微笑んだミランダの笑顔が、涙で見えなくなる。
「母上、行きましょう」
ふらつきながらも立ち上がったエアナルディが、ロザムンドの肩に手を掛け、そっと立ち上がるよう促す。
「ミランダ様。私は、我が一族は、貴女のことを語り継ぎ決して忘れないと誓います。貴女が何と言おうと、貴女とエオル殿はこの国を救ったのだから」
エアナルディがリノレイルを抱えて、ロザムンドを促す。
「さようなら、ロジィ」
「ありがとう、さようなら、ミニィ」
転移陣の目映い光が一瞬辺りを照らし、ミランダは1人見渡す限りの白銀の世界に佇む。
そっと目を閉じ、目を開けたミランダもまた転移陣を展開する。
「四季の塔へ」
その日1人の女性が世界から姿を消し、冬の女王は代替わりを行った。
そして冬が終わり、リュフェスタには春が訪れる。
季節は巡り、花が咲き乱れる。
空は晴れ渡り、小鳥が歌う。
小川が流れ、畑を潤し、人々は歓喜の声を上げた。
誰も知らない、これは真実の物語。
そしてその後、やがて世界から精霊の力が失われ、女王の逸話が忘れ去られて四季の塔が崩れ去るまで、冬の女王だけは1度も代替わりすることがなかった。
その冬の女王の傍らにはいつも褐色の肌の騎士が控え、女王は冬の海に似た灰青色の目を細めて幸せそうにその騎士を見つめていたという。