帝国海軍警備艇
警備艇とは、大日本帝国海軍が戦前期に少数建造した小型艇である。大戦末期に大量投入された魚雷艇や特攻艇に比べて明らかに地味な存在で、認知度も低い。
この船が建造された経緯は、帝国海軍の少壮将校と内務省などの思惑が一致したのが主因と言えるものであった。
現在では良く知られているが、大日本帝国海軍では他の列強海軍と違い、高速小型艇の建造に実質的に失敗した。大戦末期になり急速建造された魚雷艇や特攻艇の多くが、エンジンの信頼性や、それと船体設計に起因する速度性能に大きな問題を抱え、ほとんど戦果をあげえなかったことが、それを如実に表している。
一方で、こうした高速艇の有用性を認めている人間もいるにはいた。しかしながら帝国海軍内部においてその規模は小さく、軍事予算が著しく限られている戦前期において、その建造を実現できる筈がなかった。
ところが、そんな彼らに思いもよらない援軍が現れた。それが内務省であった。太平洋戦争終戦後に廃止される内務省は、この時代幅広い組織をその管理下に置いており、その中には警察組織も含まれていた。
昭和初期、内務省にとって懸念となっていたのが共産主義思想の流入と、共産主義者の増加であった。内務省の配下にある特別高等警察は、主に思想犯を取り締まる組織であり、その主な対象が共産主義者であった。
そんな彼らが気にしたのが、非合法に国内に出入国する共産主義者の動向であった。この時代日本と共産主義の総本山であるソ連との間には正式な国交があったものの、樺太では直接国境を接しており、また海上からの密入国も可能であった。
特に海上の場合、小型艇などで秘密裏にソ連で教育を受けた人員や活動資金、場合によっては武器などを運び込まれる可能性があった。
そのため、内務省としてはがら空きとも言うべき海岸線における共産主義者の密出入国の取り締まり対策を考慮し始めていた。しかしながら、それを行う組織は日本には皆無と言って良かった。
戦後創設される海上保安庁のような沿岸警備組織は戦前においては影も形もなく、水上警察はあるが海上での活動は限定的にならざるをえない。海洋の守りは帝国海軍が一手に引き受けていると言える時代であった。
そのため、内務省では沿岸部での取り締まり強化と、そのための機材研究を海軍に申し入れることにした。しかしながら、海軍ではこれに対して消極的であった。花形であり、海軍の真の存在意義と考えられた艦隊決戦とは、まったく異質のことであったからだ。
とは言え、帝国を内政面から牛耳っている内務省に恩を売るいい機会とも言えた。さらに、この提案を千載一遇の機会と捉えた者たちもいた。高速小型艇の優位を考える少数派の将校たちだ。
「せっかく内務省が申し出てくれているのですから、研究目的で高速艇の1隻くらい作るのも悪くないでしょう」
実際内務省は、船を作るノウハウや海上で船を操れる人間を有している筈もなく、その機材研究に関しては海軍に頼らざるを得なかった。
海軍としても、金を一部出してくれるのと内務省が頭を下げてくれるのなら、研究を行うのもやぶさかではなかった。
こうして、昭和7年に高速艇の研究がスタートした。とは言え、帝国海軍もこの手の船を建造したノウハウはない。そこで、まずは既に魚雷艇を建造しているイギリスとイタリアから、それぞれ非武装の艇と研究と予備用にエンジンだけを輸入した。
前述したように日本海軍では高速艇の研究はほとんど行われていなかったが、ヨーロッパでは第一次大戦時からこうした高速艇を盛んに使用しており、特にイタリアは狭いアドリア海という条件付きとはいえ、オーストリアの戦艦を撃沈さえしていた。
こうして購入された高速艇から得られた経験は大きく、2年後の昭和9年には海軍と内務省共同で、新型の高速警備艇の建造が開始された。
警備艇と言う呼称となったのは、あくまで主目的は沿岸部の警備であったからだ。海軍側としては、魚雷艇としての完成を目指したが、そこまでは協力者である内務省側の協力が得られず、今回は艇体の研究目的ということで妥協した。
この日本独自の高速艇は全長28m、最高速力40ノットで、武装は当初海軍から提供された7,7mm機銃1挺のみであったが、実際には25mm機銃を1挺、さらに小口径銃2挺と爆雷3~4個の搭載が可能なように、設計段階で織り込み済みであった。
発動機は当初、国内において信頼できる発動機の完成の目途が立たなかったため、予備として輸入されていた英国製発動機とイタリア製発動機を使用。その後は一部に日本製の航空機用液冷発動機等も警備艇用に調整のうえで搭載された。また日本海での荒い海面での運用を想定して、復元性や防水性などにも注意が払われた。
計8隻が建造されたこれら警備艇は、いずれも日本海側に配置されて警備任務に就いた。所属は半分が内務省麾下の水上警察、残り半分は海軍で運用された。
高速かつ小型ながら日本海のような荒れた海上でもある程度使えるこの艇は、取り締まり件数こそ大したことはなかったが、ソ連側への無言の牽制になったことは間違いなく、加えて日本側に高速小型艇の貴重なノウハウを提供することとなった。
そして日中戦争がはじまると、内務省の4隻は海軍に召し上げられ、8隻全てが海軍籍となった。そして内4隻は中国(支那)大陸沿岸部の沿岸警備活動に投入された。
この中国方面に投入された4隻は、少ないながらも沿岸部におけるパトロール活動、特に武器などの密輸発見に威力を発揮し、高速艇の有用性をここでも示した。
またこの当時、敵方の中華民国海軍も魚雷艇を保有しており、その牽制にも役立った。
珍事としては、この中国海軍魚雷艇が捕獲され、警備艇籍に加えられるということがあった。この元中国海軍警備艇は、英国製であったため、国産警備艇よりも喜ばれたという話もあった。
これだけの活躍をしたのだから、その後警備艇はバンバン量産・・・とはならなかった。結局国内で建造されたもの8隻に、後の太平洋戦争(大東亜戦争)も含めて捕獲艇から編入した5隻を含む13隻だけが帝国海軍に籍を置いた警備艇の全てであった。
どうしてこうなってしまったかと言えば、簡単に言えば「みんな戦争が悪いんや!」であった。と言うのも帝国海軍では高速艇の実績を作ったとなれば、その後造るべきは魚雷艇であり、高速掃海艇であった。特にアメリカとの関係が悪化し、その開戦が現実味を帯びると、より必要性が増すのは必然であった。
武器が機関銃だけの警備艇よりも、それを兼用できる魚雷艇や高速掃海艇を作った方が、効率的であるのは自明の理だ。
内務省にしても、戦争に勝つことの方が大事であるから、貴重な資材と資金を投入して「警備艇増やしてくれ」なんていえるはずもない。
こうして、以後建造された高速艇は魚雷艇と高速掃海艇だけであった。しかしながら、この両艇の運命はあまり幸福なものとはならなかった。
魚雷艇は拠点防衛用に大量生産が進められたものの、エンジンの大量生産に失敗してしまった。警備艇のように少数の外国製や、念入りに整備した国産品ならなんとかなったが、何十隻、何百隻単位での魚雷艇用エンジンの生産や航空機用発動機からの転用は日本の国力では荷が重く、多くの艇がトラブルを抱えてカタログスペック以下の性能しか発揮できなかった。
また量産が行われ、戦闘に大々的に投入されたのは日本が大きく戦線を後退した時期のフィリピンや沖縄と言った戦場であり、既に制空権を喪っていた上に、米艦艇の警備が厳しく、魚雷攻撃はほとんど成功しなかった。
同時期に建造された体当たり目的の特攻艇の方はさらに悲惨で、大量建造のために高速艇のノウハウを生かすことなく、小型かつ中速であったために、魚雷艇以上に戦果を上げることができなかった。
一部ソロモン諸島に投入された艇は米魚雷艇との戦闘などで活躍したが、いずれも試験的な配備に留まり、真価を発揮できなかった。
また高速掃海艇の方は、太平洋戦争序盤ではほとんど不要なものであり、必要とされるようになったのは末期の本土防衛における、米B29による日本近海への機雷投下による掃海のためであった。
これによって除去された機雷もそこそこあったが、結局シーレーン防衛には程遠い結果しか残せなかった。そして皮肉にも、同艇が活躍するのは戦後占領軍命令による本格的な掃海任務であった。
では警備艇はどうなったかというと、一時期は南方方面への進出も行われたが、昭和17年4月の本土初空襲の後は捕獲艇も含めてすべて本土へ引き揚げられ、その後終戦に至るまで本土近海の警備任務に就いた。
これは本土への敵艦接近を危ぶんだ上層部の意図によるものであった。ただし、警備艇が主として対峙したのは結局潜水艦や、大戦末期に来襲した航空機相手であった。そして皮肉にも、警備艇は高速で身軽な艇体と、機銃と爆雷のみの武装によりこうした敵に対して最適の存在であった。
終戦までに確実に撃沈した艦艇は、航空機や他艦種との共同撃沈した潜水艦2隻のみであったが、一方で喪失も2隻のみ。しかも1隻は予備部品枯渇による廃棄であり、実質的な戦闘での喪失は1隻のみという、稀有な戦歴で戦争を戦い抜いた。
要因は色々あるが、特に喪失する可能性の高い激戦に投じられたわけでもなく、また末期の空襲も小型ゆえに退避や偽装が容易であったからだ。
そして終戦後、警備艇も急遽必要とされた掃海任務に投じられたが、その後老朽化や部品枯渇でこれらの任務終了後次々と解体されていった。状態の良い2隻のみが、その後海上保安庁の巡視艇となったが、それも昭和30年代後半に後続艇の投入でお役御免となった。
警備艇は結局の所地味な存在に終始したが、一方で建造以来その主目的であった警備任務に関しては見事に完遂し、消え去るその時まで日本本土の守りに就いていた。華々しさはないが、幸福な一生を全うしたと言えるのではないだろうか。
御意見・御感想お待ちしています。