新月の出会い後編
「え? どうして夜なのにこんなに明るいのですか?」
アパートから出るなり鶴はんはびっくりしています。あれ? 今気づいたのですけど彼女の顔の位置はうちとほぼ同じ位置にあります。
腰の位置も高く、まるでフィギュア人形のようです。もしくは着せ替え人形。リアル着せ替え人形なんて絶対あいつは喜びますね。どうせ明日には紹介しないといけませんから。
「取りあえずここは寒いですからうちが住んでいるマンションに移動します。うちの後に付いてきて下さい」
早く暖かい物が飲みたいです。でも鶴はんから返ってきた言葉は、
「嫌ですわ。わたくしのご主人様は一太郎様ですわ。今から戻りますわ。そして契約の儀式を続けますわ」
彼女は静かに回れ右をし、そのまま来た道を戻ろうとしました。うちは慌てて鶴はんの腕を強く握りながら、
「逃がしませんよ。貴さんはうちに奪われたのですから。うちの指示に従ってもらいますよ。拒否権はありませんよ」
「離して下さいませ。貴方はわたくしのご主人様ではないでしょう」
彼女は無表情のまま何とか振りほどこうとしています。でもうちもここで引くわけにはいきません。うちは更に強く握りながら、彼女に強く訴えるように、
「あの下僕先輩の元に戻ったら鶴はんは手籠めにされますよ。今帰ったら間違いなく乱暴に契約させられ、これからも乱暴に扱われますよ」
「……それがどうかしたのですか? わたくし共式神は陰陽師の奴隷なのですよ。主の命令には絶対ですわ。例えそれがわたくしにとって嫌な命令でも、わたくしは喜んで従いますわ」
淡々と語る鶴はん。式神としての使命をこなしているだけ、でもうちには彼女がつらそうに見えます。よし、もう少し説得をしてみますか。
「貴さんは嫌なんでしょう。その証拠に今貴さんは震えています」
強く握っている彼女の腕から微かに鶴はんが震えているのが分かります。幾ら式神が主に従順とはいえあれはやり過ぎです。
「うちが貴さんを誘拐したのは彼ら陰陽学園のエリート達が式神を奴隷として扱い、非人道的に扱うからです。だから貴さんを助ける為誘拐したのです」
必死に説得するうち。しかし相変わらず鶴はんは抑揚のない、それでいて辛そうな、目には溢れんばかりの涙を浮かべながら、
「……ご主人様がわたくしを手籠めにしたいと命令されるならそれに従いますわ。わたくしの躰を自由に使わせますわ。それに……」
鶴はんは白い髪を指さし、やけになりながら、
「わたくしの髪を見てくださいませ。この呪われた髪を。わたくしといると貴方も呪われてしまいますよ。分かったらその手を離して下さい」
「ぷっ」
うちは思わず吹き出してしまいました。
「どうして笑うのですか?」
「鶴はんのその髪の色はアルビノが原因です。髪を黒くするにはメラニン色素が必要ですけど、そのメラニン色素を生合成する為の遺伝子情報の欠損しているだけです」
「?」
鶴はんは理解していないようです。仕方ありません、彼女が生きていた時代にはまだ遺伝子なんて誰も知らない事ですから。
「それに髪の色なんてどうでもいいのです。そこをごたごた言うのは小物の証拠です。人間大切なのは中身です」
「ふふっ、葛葉様は変なお方なのですね」
ふと見せた鶴はんの柔らかい笑顔。
「そう言えば先程ご主人様が貴方の事を忌み族と言っていましたけど、それはどういう事なんですか?」
う、やっぱりそれを聞いてきますか。仕方がありません。
「この国にはある予言があるのです。平和なこの世を破壊する人間がいる。その人間は黒い髪が特徴の忌み族だ。忌み族は仇なす存在だ! 奴がいたら世界の品位が下がる! 排除せよ! と言うものです。うちは昔からこの髪でいじめられました。日本人は黒髪が普通なのに」
うちは簡単に説明しました。ええい、今思い出しても腹が立ちます。靴に画鋲を入れたこともありますし、給食費を盗まれた事も多々あります。先生も助けてくれませんでした。いらいらします。
鶴はんは悲しそうな顔をしながら、
「わたくしも良く陰口を言われましたわ。そしてご主人様からも『白色は聖なる神の色、奴隷のお前がその色でいるのはけしからん』と言われましたわ。どうやらわたくしたちは似たもの同士ですね」
「最低ですね彼は」
うちは思わず苦笑しました。まぁ彼が悪いわけではありません。この国が悪いのです。あっ、そう言えばもう一つ確認しておかないといけない事があります。
「それより鶴はん。貴さんは文政七年の人ですか?」
「いえ、違いますわ。文政五年ですわ。文政五年師走の十四日が記憶にありますわ。朝起きたら小雪が降っていたので驚きましたわ」
あれ? おかしいです。
何やら考え込んでいる鶴はん。そして彼女は何か決心したかのように真剣な顔で、頭を垂れながら、
「葛葉様、わたくしを貴方の式神にして下さい。自分の意に反して奴隷のように扱われるのは嫌ですわ」
「分かりました」
こうしてうちは鶴はんを式神にしました。
「うわぁ、この飲み物、とても暖かくて甘いですわ」
鶴はんをマンションに招いたうちは、彼女にココアを差し出しました。そのココアを一口飲んだ彼女は穏やかな表情で感想を述べてくれました。
「それにこの着物を貸していただき、ありがとうございます」
丈の短い着物が不満だった鶴はんの為にうちは桜の小紋が描かれていた着物を貸してあげました。びっくりしたのはサイズがぴったりだったということです。
「いえいえ、どうせ母の物ですし。箪笥の肥やしになるなら貴さんに使ってもらえたら嬉しいです」
それよりも色々聞かないといけません。しかし最初に質問をぶつけてきたのは彼女の方だった。
「葛葉様。オタク神国とは何ですか?」
「ああ、それを質問しますか。それは明日になれば嫌でも分かります。今言えるのはここがオタク神国の神都である秋葉原。そして今日がオタク歴百九十一年の四月、卯月の十六日です」
「全く理解できませんわ」
「理解しなくてもいいです」
それより今度はうちが聞いてみる番です。
「鶴はんが生きていたのは江戸時代ですよね?」
「え、ど? 確かにわたくしは江戸に住んでいましたけど。ここと同じで裏長屋に住んでいましたわ」
「いやここは長屋ではありませんけど」
鶴はんから見たらここは長屋に見えるのですね。
「それで鶴はん。江戸の街で町人が獣に襲われる事件が起きていませんでしたか?」
すると彼女は困った顔をし、しきりに首をかしげながら、
「そんな話は聞いた事ありませんわ。井戸端会議でも誰も噂してませんでしたわ」
やはりおかしいです。うちの調べでは彼女は文政七年に獣に襲われ、死亡した瓦版に載っていたはずです。何かが違います。
そ、それとこれも一応聞いておかないといけません。
「それで鶴はんは仕事は何をしていたのですか?」
仕事内容が内容なら少し期待できますけど。どきどき。
「わたくしですか。確か三味線の指導をしていましたわ」
「え?」
「三味線の指導ですわ。相手の家に赴いて三味線の指導をしていましたわ」
「え、あの確か貴さんは女郎屋で働いていたのでは?」
すると鶴はんは意味が分からないという顔をし、
「いえ、そんな所では働いていませんでしたわ」
彼女は少し考えて、
「ああ、確か大家さんと長屋の殿方が揃って女郎屋に行った話ですか。確か帰ってきた時に家に入れてもらえずに大家さんと所帯持ちの殿方が全員土下座していた話をしているのですか?」
満面の笑顔で思い出話をしている鶴はん。でもうちの心にほっとしたような残念なような変な気持ちになっています。
「あ、あの葛葉様。お顔が悲しそうな嬉しそうな残念そうな欲望に満ちた変な顔ですよ」
びっくりしている顔の鶴はんの口が微かに笑ったように見えたのは気のせいでしょうか?
「と、とにかく今日はここまでにしましょう。疲れました。鶴はん、先にお風呂に入っていいですよ」
「え? でもそろそろ夜四つですよね」
言われれ慌てて部屋の時計を見ました。確か夜四つは今でいうと大体夜十時の頃なんですけど、部屋の時計は十時を少し過ぎていました。鶴むはんは気にすることもなく、
「湯は夜五つには閉まりますわ」
因みに彼女が言った夜五つは大体夜八時の事です。
「湯。ああ、銭湯の事ですか。うちにお風呂がありますから」
「まぁ、葛葉様の家にはお風呂があるのですか? お金持ちなのですね」
「そう言えば江戸は内風呂がある家は殆どなく、庶民はほとんど銭湯に通っていたのですね。でもこの時代は殆どの家にお風呂がありますよ」
鶴はんが入浴している間、うちは自室の机に座っていました。そして引き出しから古ぼけた一枚の紙を取り出しました。
「この瓦版によると文政七年の弥生、つまり三月に起きた猟奇事件があったと書かれています」
内容はこうです。女郎のお鶴がいました。この女性が行方不明になり、翌日変わり果てた姿で発見されました。死体は四肢がばらばらにされ、体のあちらこちらが噛み切られていました。はらわたは無残にえぐり出され、左目はなかった。死に顔は苦痛に満ちていた。最近巷を賑わせている獣の仕業か?
「でも名前は同じですけど職業は違いますし……人違いですか?」
瓦版には娯楽性を追求したものもありますし、これもそうでしょう。
「あれ、これは何ですか?」
うちはふと部屋の隅に落ちていた本を見つけました。手に取って見るとタイトルは『超簡単! 人型召喚の方法』と書かれていました。あっ、これ図書室の本です。
「そうです。この本の過去を見てみましょう」
うちは意識を集中し、そっと手を翳しました。すると手からうちの脳に直接映像が送られてきました。
「ついに手に入れたぞ」
夕暮れ色に染まる部屋で、一太郎は下卑た笑いを浮かべていた。彼の手にはぼろぼろのカンザシが握られています。
「校庭の隅で見つけたこのカンザシ。これには魂が宿っているに違いない」
一太郎は何かを思い出すかのように、
「最近学校の校庭で幽霊が出るって噂が立っていたんだ。それはそんなのは信じてはなかったけど、昨日下校の時にたまたま見たんだ。白い着物を女の幽霊を。その幽霊には左目が無く、顔が歪んでいた。そして口を大きく開けたままだった。俺は思わず漏らしてしまった。それで今日明るいうちに探したらこれが見つかったんだ」
(丁度いいタイミングです。学園七不思議のひとつですね)
一太郎は本を取り出しまし、確認するかのように、
「魂が籠った物、良し。依代となる人形、良し」
彼はベッドに置いている等身大の人形をにたぁと見ています。
「げへへへへ。綺麗な奴だったら召喚が終わったら直ぐに奉仕させるんだ! ぐへへへへへへ、童貞卒業だ」
彼は変な笑いを浮かべていました。そして口から涎を垂らしながらカンザシを人形の上に置きました。
(うわぁキモイです。まるで獣です)
一太郎はニタニタしながらそのカンザシを人形の胸元に置き、そして再び本を取り出しました。
(あっ、あの変な本です)
彼の手には人型召喚の方法が書かれた本が握られていました。そして彼は不気味に踊りながら、
「ほいさーら、めんさーら、だかむめーら。このカンザシに宿りし魂よ。現世に現れたまえ」
(成る程、召喚はこのようにするのですね、やりたくはありませんけど)
すると部屋が暗闇に包まれ、一瞬眩い閃光に包まれた。
「成功だ。げへへへへへ」
その闇が取れると、ベッドの上に白い着物を着た女性、鶴が座ってました。
「貴方がわたくしのご主人様ですか? わたくしはお鶴ですわ。不束な娘ですか宜しく願いします」
鶴は恭しく三つ指をつきました。しかし彼女を見た一太郎の顔はまるで苦虫を噛んだ顔になっています。そして吐き捨てるように、
「白色は聖なる神の色、奴隷のお前がその色でいるのはけしからん」
(あーあ、あの目は完全に侮蔑しています。流石は変態下僕はん。キモイです)
「まぁいい。おい鶴。主人としてお前に命令を下す」
「はい、何でしょうか。ご主人様のご命令なら何でも従いますわ」
すると一太郎はにやにやしながら、
「俺に奉仕しろ」
「はい?」
唐突の事に鶴は反応できず、ぽかんとしている。
「あ……あのご主人様、奉仕とは?」
「ふん、お前の事は調べてあるぞ。お前は生前女郎屋で働いていただろう。その時に客に対してやっていた事を俺にすればいいのだ」
一太郎はニタニタしながら要求しました。しかし鶴は首を横に振りました。すると一太郎の顔は不機嫌になり、
「おい、主人の命令に逆らうな。お前達式神は俺達の奴隷だ」
彼は乱暴に鶴を押し倒しました。
「きゃ」
小さな悲鳴を上げた彼女の帯に手をかけ、そして解こうとしました。
「そーれそれそれ、よいではないか、よいではないか」
一太郎は悪代官の顔と台詞で鶴の帯を解いています。
「あ~~~れ~~~」
その時、窓ガラスが割れる音と共に一太郎は壁に叩きつれられました。
(時代劇でも正義の味方はヒロインのピンチに颯爽と登場するのです)
「……様」
ふいに呼ばれ、うちの意識はここに戻されました。
「あっ、鶴はん。お風呂はどうでしたか?」
目の前に湯上がりの鶴はんがいました。しっとりと濡れた白髪が中々色っぽいです。
「それは気持ちよかったですけど。それより何をしていたのですか? 目を瞑ったまま百面相をしていましたけど」
「うちはその時そんな顔をしていたのですね。まぁいいですけど。うちは過去見をしていたのですよ」
「かこみ?」
「ええ、うちは物に触れるとその物が見てきた過去を見られるという術が使えるのですよ。勿論何でも見られる訳ではありませんけど。何か過去に大きな事件があった時は見られるのです」
「そうですか。それより何で葛葉様は女物の着物を着ているのですか?」
鶴はんはうちが着ている着物を眺めながら質問をしてきました。
「それは霊衣と呼ばれる服です。我々陰陽学園の生徒はこの霊衣を着る事で自身が持っている霊力を上げる事が出来るのです」
まぁ別にこの着物はうちの趣味ではありませんけど。うちで遊んでいるのは彼女です。文句はいうませんけど。
「ふぁぁぁ」
不意に鶴はんは欠伸をしました。
「そういえば江戸の人って早寝でしたよね。もう寝ますか?」
鶴はんは如何にも眠そうな顔で頷くだけでした。
「隣の部屋が和室ですから、そこで寝て下さい。布団は押し入れに入っていますから」
「うう、ひどい目に遭いました」
お風呂から出たうちは半ば涙目でした。
「そう言えば江戸時代の銭湯は確か水温が四十七度あるって何かの本で読んだ事があります。熱かったです。まだ肌がひりひりします」
鶴はんが入った後はとても熱かったです。明日からはうちが最初に入ります。そうした方がいいでしょう。
「さて、寝ますか」
自室に戻ったうちはお姫様ベッドで休もうとしました。今日は色々あったから体が重たいです。
「あれ?」
布団が膨らんでいます。おかしいですね。
「って、鶴はんですか。何でうちのベッドで寝ているのですかー?」
「すーすーすーすー」
うちのベッドで鶴はんが安らかな寝息をたてながら眠っていました。何故ですか?
「そういえば下僕先輩は彼女との契約条件は何だったのでしょうか?」
心当たりは一つしかありません。下僕先輩なのでどうせ下らない契約内容に決まっています。きっと毎日ベッドで俺に奉仕しろでしょう。
奉仕? ほうし?
「な……何て羨ましい……じゃなくて、何てけしからん内容でしょう」
うちは思わず本音を口にしてしまいました。恥ずかしいです。
「うう、うちも奉仕してもらいです」
だって彼女は(彼女は否定してますけど)女郎ですし、色々と優しく教えてもらえるかも。
「って駄目駄目駄目駄目ー!」
危うく流されてしまう所でした。うちは鶴はんの肩を優しく揺すりながら、
「鶴はん、寝るなら部屋に戻って下さい」
「うーん、掛け蕎麦を下さいませ」
しかし鶴はんは変な寝言を言っているだけで反応はありません。何ですか掛け蕎麦って、どんな夢を見ているのですか?
「起きませんね、仕方ないです」
一瞬、うちが和室で寝ようと考えました。でも鶴はんは一応うちの式神。最低限の主従関係は守らないといけません。
「どうしましょうか?」
うちは自分のベッドを見ました。これはクイーンサイズなので二人寝ても大丈夫です。
「うちはベッドが替わると中々寝付けませんし、ここで寝るしかありませんね」
うちは鶴はんの横で寝る事にしました。心臓が早鐘のように高鳴っています。
「うう、寝られるかな?」
鶴はんを起こさないように静かに布団に潜りました。そして邪念が渦巻いている脳を必死に押さえました。そして穏やかな鶴はんの寝顔を眺めながら、
「彼女との契約条件はどうしましょうか?」
下僕先輩を始めあの学園のほとんどの生徒がやっている式神を奴隷として扱う契約内容はパスですね。陰陽師と式神、両方にメリットがある内容でなくてはいけません。
そうこう考えていると睡魔が……zzzz。