バードケイジ
リアリティ皆無です。2話+エピローグで全3話予定です。
今日も、海は澄んでいた。
起きだしてすぐに昨日と変わらない現状にゲンナリとする。その海の水とは反対に、空は今日も分厚い雲で濁っていた。
この山頂の展望台で生活し始めて、今日でもう二ヶ月近くが経っているはずで、私が数え間違いをしていなければ季節はそろそろ本格的な夏に向かっていることになる。
私はまず倉庫に行くと食べるものを物色した。どれも似たような防災用の非常食だったが、一応パッケージを吟味して「メープルシロップ味」の乾パンを選択してみる。
うん、予想通り美味しくはない。とはいえ贅沢はいえない身だ。むしろ味を毎日変えられるほどに在庫が充実していることに感謝すべきなのだろう。
その考えに乗っ取り、見かけによらず先見の明があったらしい父と展望台職員の高い防災意識に感謝しながら、私は倉庫を後にした。行き先は屋上。
屋外に設置された幅の広い階段は屋上へ登って行く私の背後、一階の天井少し下あたりで水の中に沈んでいる。どうやら今は満潮のようだ。かなり上まで水が来ているから、もしかしたら今日は大潮なのかもしれない。
乾パンに口中の水分を奪われた私は水筒から一口水を飲み、屋上に置かれている木目のベンチにだらりと腰掛けて乾パンをもそもそとかじる。こうやって来客を待つのが最近の私の日課だった。
五分ほど経っただろうか。風を掻き分けるような羽音に振り向くと、展望台の縁にニーナがとまっていた。
「おはようニーナ。今日も美人だね。」
笑顔でそう声をかけて、食べ残しておいた乾パンを二人のちょうど真ん中くらいに置いてやる。しばらく周りの風景を眺めるようにした後で、チョコチョコと気取った足取りで乾パンのところにやってくるニーナの仕種もいつもどおりだった。
彼女は今日も白と淡墨のコントラストが美しい羽毛に包まれて、足と嘴は薄黄色で嘴の先端には口紅の様な赤色が差している。私にカモメの雌雄の区別はつかないけれど、顔が優しいし、物腰も柔らかいから勝手に女性の名前で呼んでいる。
「ねえ、ここにいないときはいつも何をやっているの。」
そんな風に訊ねると、ニーナは顔をこちらに向けた。貴方に答える義務はありません。そういいたげな表情に、私は思わず苦笑してしまう。
野生の海鳥だけあってニーナは私に全然媚びない。目の前で餌を食べるのだってしばらくかかったのだ。それでもそんな様子が私は嫌いじゃなかった。
それ以上ニーナの食事を邪魔したくなかったので、私はベンチの上で足を伸ばして彼女の様子を見守っていた。他に競争相手がいないことが分かっているのか、ニーナはゆっくりと餌を食べ、それが終わると展望台のベンチからベンチへとチョコチョコと飛び回り歩き回った。
やがて、やってきたときに留まった柵のあたりに再び飛び乗ると、ちらりと私を一瞥した後、乾いた音を残して飛び立っていった。
それを私は小さく手を振って見送る。そのままニーナが厚い雲にまぎれるように見えなくなるまでいつものように眺めていた。
どうせ、やることもないのでしばらくそのベンチに座ったままでいる。いい加減、この風景にも飽きてきたな。などと思ってみる。
なんせ、右も左も前も後ろもくまなく水平線だ。空には分厚い雲がかかっているし、島影一つ見当たらない。せめて足元に魚でも泳ぎまわっていれば多少は趣があるかもしれないが、水は馬鹿みたいに透き通っているくせに、魚なんかは影も形もない。
つまり私はこの山頂の展望台に一人きり取り残されていることになる。全体に丸みを帯びた展望台は、まるで私を閉じ込める鳥籠のように見えた。
どうしてこうなったのか、あの日何が起こったのか、それは残念ながら私には分からない。他の人がいたとしても多分分からないだろう。分かっていたら私だけじゃなく、生きている人がもっといるはずだと思う。
でも、ひょっとしたら父さんは何かを知っていたのかもしれない。もう、聞くことはできないけど。
いずれにしても、もうどうしようもないことだな。そう片付けて私は立ち上がった。浄水器の近くに置いてある両手持ちの鍋を掴むと、階段を水際まで下りていく。浄水器に新しい水を入れるためだ。
浄水器と大げさな名前で呼んではいるが、実際にはレストランの厨房で見つけた大きな鍋の中央に湯飲みやグラスを置き、売店のレジ袋を鍋の中央に当たる部分がちょうどへこむように重りを載せた状態でかぶせて蓋をしただけのものだ。
蒸発した水がビニール袋で水滴になって真ん中のコップに落ちるというわけだ。
ここに来た当初に父が作ったのだが、仕組みは簡単だし、厨房にも売店にも材料はたくさんあったので、今や屋上には同じような大きな鍋が6、7個整列している。
一つ一つ蓋を開け、グラスにたまった真水を水筒に回収した後で、鍋の中の古い海水を屋上の縁から捨てる。そこに新しい海水を入れて元通りに蓋をかぶせる。一日に二回もやるおかげでこの作業にも既になれたものだ。
一応、倉庫の中にはペットボトル入りの防災用保存水もあるのだが、出来るだけ飲まないようにしている。もしものとき(仮に今以上の非常事態があると仮定しての話だが)に必要になるかもしれないし。
それにせっかくの作ったものなんだから、出来るだけ活用するのが作ってくれた父さんへの礼儀というものだろう。
結局、鍋一杯では海水が足りず、もう一度階段の一番下まで往復することになってしまった。
それも終わると、とりあえず急いでやるべきことはなくなってしまった。そもそも、私一人しかいないのだから、やらなければいけないことなんて何もないのだ。
洗濯や水浴びなんかをしてみても良いけれど、使える水が海水しかないこの状況ではどちらもあんまり気が進まない。海水は綺麗に澄んでいるものの、やはりどうしてもべたついてしまうのだ。だから、ここに着てから洗濯も水浴びも大体二、三日に一度くらいしかやっていない。
まあ、どうでもいいことだ。
それにしても、どうしてこんなに何もないのだろうか。改めて周りを見渡しながら私は何度目かの問を心のうちで唱える。
確かに今私がいる葦原山はこの近隣では一番高い山だったが、それでも山としてみれば低いほうだろう。展望台に残された表示が正しいのであれば、標高は千メートルを大幅に下回る。それよりも高い山なんてゴロゴロあるはずなのに、ここから見える水平線には一点の曇りもない。そんなことがありうるのだろうか。ひょっとしたら海があふれたのではなくて、陸地のほうが沈んだのかもしれない。
退屈が、ついさっき「もうどうしようもない」で打ち切った思考を連れてくる。今度はそれを打ち切る理由もなくて、私はぼんやりと考えていた。
多分、あの日のことは世界中のほとんどの人にとって全く予想外のことだったのではなかろうか。
だって、あの日も、その前の日も、テレビのニュース番組や新聞はいつもどおり平和で。つまりはここではないどこか遠くの国の戦争と、それよりは近いところで起きた殺人事件、後は政治家への批判と芸能人のプライベートを扱っていただけだった。学校も普通に授業をしていたし、電車だって人身事故で遅れが出ただけで普通に運行していた。
私の知る限り唯一人、普通じゃなくなっていたのは父さんだけだった。
元々、かなりの変人ではあった父さんは、大学の研究室に勤めていて何か研究をしていたらしい。
どうせ聞いても分からないから詳しく聞いたことはないけれど、本人が、
「もちろん父さんは正しいと信じている研究だけど、どう頑張ってもメインストリームに乗れはしないだろうな。」
と、口にしていたし、私よりは理解していたであろう母も父のことを、
「間違っても出世するような人じゃないから、もし出世したら気をつけなさい。きっと何か悪いことをやってるか、悪い人に嵌められてるってことだから」
なんて冗談とも本気ともつかない様子で言っていたから、注目や喝采、それに何かの賞を獲る。そういうこととは無縁だったのだろう。
それでも、仕事の話をする父さんは大抵楽しそうだったし、安月給にため息をつきながらパートに出掛けるお母さんも満更ではなさそうだったのだ。そんな両親に囲まれて、あの頃の私はきっと、今より幸せだったのだろう。
そんな父の様子がおかしくなったのは、「あの日」から遡ってちょうど一週間ほど前のことだ。いや、だったと思う。はっきりとは覚えていないので断言は出来ないけれど。
その日、父さんはひどく思いつめた様子で帰ってきた。その前日は、研究で新しい展開がありそうだといいながら上機嫌で帰ってきていたから、私も母さんもその落差に驚いた。
夕食を用意しながら母さんがそれとなく聞いていたけれど、父さんは何も言わなかった。ただ眉間に深い皺を寄せて、何かをずっと考えていた。
次の日は私が起きるよりもずっと早く起きて仕事に行ってしまっていた。そして、そのまま二日後の晩まで帰ってこなかった。電話は何度かあったし、泊り込みもそう珍しいことではないのに、母さんはやけに父さんのことを心配していた。
二日ぶりに夜遅く帰ってきたとき、父さんはハッキリいつもとは違って見えた。ひどく疲れて、目の下には濃い隈が現れていた。それに何故だかひどく打ちひしがれているようだった。
それでも、私が話しかけると笑顔で応えてくれていた。そんな父さんの様子は気に掛かったけれど、私はそのまま自分の部屋で眠りに着いた。
夜中に一度トイレに起きると父さんと母さんは台所で深刻な様子で話をしていた。水を一杯飲もうと思っていたのだが、その様子を見た後で私は静かに寝室に戻った。
二人の話に加われるほど大人ではなく、割り込めるほど子供でもなかった私に出来たのはそれだけだった。
次の日は朝から出掛けることになった。二台の車に分乗していくつもの店を回り、防災用品の類を山ほど買い込む。トランクだけに収まらず、後部座席にも一杯に詰め込んだ。
「こんなに買ってどうするの。」
と母さんに聞くと。
「役に立たないならそれに越したことはないじゃない。」
そう言われた。詳しい話も聞きたいと思ったけれど、雰囲気に萎縮してしまったのか聞くことが出来なかった。今になって振り返ると、聞いてもきっと答えは返ってこなかっただろうと思う。あの時、恐らく母さんは半信半疑で父さんに従っていて、父さん自身も自分の考えを信じたくないと思いながら行動していたはずだから。
そのまま夕方まで買い物を続けた後、私たちは今いる展望台へやってきたのだった。父さんはホームセンターにゴムボートがなかったことをすごく気にしていたから、私と母さんはよく分からないなりのフォローをした。コンビニの弁当を食べながら。しかし、父さんの元気を取り戻すほどの効果はなかったようで、父さんはお弁当を半分ほど残してしまった。
その夜はそこで夜を明かすことになり、そして、
あの日が来た。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。することもないし、なにより夜にあんまり眠れないせいか、最近はよく居眠りをしてしまう。別に誰に迷惑をかけるわけでもないから気にはしていないが。
寝起きの気だるい気分が徐々に憂鬱を伴ってくる。普段は目をそらそうとしている事柄に知らず眼が向いてしまう。
ここから飛び出すための手段も、気力も持たず。
私はこの鳥かごの中で、ゆっくりと遠くない死に向かって前進を続けている。
最後まで歩ききって枯れ木のような終わりを迎えるのか、それとも父さんと母さんのように途中退場するのか。
私もニーナのようにこの曇り空の下に飛び去ってしまえたら良いのに。心の底からそう願う。たとえ何処まで行っても果てのない水平線しかなかったとしても、それでもきっと救われる。
主人公はカモメと言っていますが、ニーナはウミネコです。悪しからず。
タイトルの「Larus crassirostris」もウミネコの意です。