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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

我が兄に捧ぐ

テーマは背徳感と退廃感、虚無感です。

拙いですが作品ですが表現出来てれば幸いです。

「……、……!」


何か蠢き悶えているかの様な微かな音が部屋を静かに満たし、ゆらゆらと燃える蝋燭の火と光がぼんやり部屋を照らす。

壁に等間隔で取り付けられたほのかな蝋燭の火に照らされている部屋は、薄暗いながらもはっきりと武骨で頑丈な石造りの部屋だと。

 一見すれば何処かの要塞の一室を思わせる様な内装であったが、普通の部屋と違いその部屋には一切の窓は無く、あるのは一目見るだけで蹴破る事も破壊する事も出来そうにないと思わせる極めて頑丈そうな扉、そして部屋の中央に大きく堂々と居を構え、上に天幕が付いた大人二、三人は一度に寝れる程巨大で豪華なベットが鎮座していた。


「あ、あ、ああああ……」

「んっ、……少し黙って下さいよ、ふふっ、せっかく気分がのってきたんですがら」


 その巨大なベットの上でシーツを纏った二人の人影が、蒸し暑い熱気を放ちながら悶えるように蠢いている。

その二人の人影は何も纏っていない、強いて言うならば白く汚れの無いシーツで位であったが、そのシーツも二人が絡み合った事で流れた汗や体液が染みついたのか、所々滲んでいた。

 二人の人影の内、上から押し倒すように覆いかぶさっているのは黒く艶やかな髪を持った齢十七程の美少年であった。

 恐ろしく端正な顔には快楽と愉悦に染まった、心から幸せそうな笑みが張り付いている。か細くも健康的で、真っ白くシミや傷一つ無い絶世の美少女のような肉体と肌には、びっしょりと濡れる程玉の様な汗を流し、纏ったフリルの付いた可愛らしい服に濡れたシミを作りながら、うっとりと下の人間を眺めている。傍から見ればその姿は盲目に恋する少女の様にも見えるだろうが、その青い瞳から注がれる視線はドロドロとした狂気じみた視線だ。

 そしてそんな異常で苛烈な視線を一身に注がれている相手は、醜く顔を涙と汗と恐怖で歪めていた。

 上から魂の奥底に至るまで舐る様に見つめている少年と違い、押し倒されている人間は普通の顔立ちだ。年齢は二十歳程度であろうか、少年の様に美しさは無く、それどころか少年と比較すればその造形は雲泥の差だった。髪は黒いが少年の様な艶やかさは無く、逆にボサボサとだらしない。肌も白い事は白いのだが輝くような美しさなど毛ほどもなく、唯一同等と言えそうなモノは少年と同じ青い目位であり、後は厚めの胸板や顎に生えた無精髭、蠢く度に僅かに見える太く逞しい太腿など、見るからに男らしく武骨そうな脚であった。

 この二人は男同士、そして何よりも血のつながった兄弟だった。傍から見れば、まともな常識を持った人間ならばきっとこの狂宴は、きっと吐き気を催したに違いないだろう。


「メフィス……、何、故……、こんな……ことを」


 狂宴も終わり互いに疲れているのだろうか、二人は熱気を帯びた息を切らしている。うっすら顎に無精髭を生やし、精根気力を使い果たした様な男は、メフィスという名前の、上に圧し掛かっている少女の様な見た目の少年に、掠れ声で囁いた。男は視線も声も見るからに衰弱している様で、息を切らしたその声はひたすら震えている。


「嫌だなぁゼル兄さん。何故も何も、兄さんが僕の元を離れたいなんて事言ったからですけど?

 兄さんは僕のボディーガードでしょう。才能が何も無くて何もできないから家から見捨てられたダメダメな兄さんを、僕が折角救ってあげたのというのに、急に僕から離れたいなんて可笑しな事言いましたから。ちょっと教育が必要じゃないかなって」


 そうクスクスと穏やかに嗤い、ゼルの腰の上に跨り今まで来ていた物と同じ服を新しく纏っているメフィスを、丸でバケモノを見るかの様にゼルは睨め上げる。きっとゼルなりの必死の抵抗なのであろうが、その姿は今にも肉食獣に食い殺されそうな草食動物としか思えなかった。


「どうして・・・・・・、俺達兄弟だろう、俺達男同士だろう。こんなの、嘘だろ・・・・・・?」


 困惑するのも無理は無い。男に押し倒され襲われる事すら理解し難い事だというのに、その相手が更に実の血を分けた兄弟なのだから、その困惑は常人の理解など及ぶ筈もない。困惑と恐怖に染まったゼルのメフィスへの質問は続く。


「大体、お前はゼシフィードの跡取りだろう? こんな事をすればどうなる事か分かってるのか!」

「ええ、分かってますよ」


そんな必死な兄の追及をサラリと返したメフィスは何食わぬ顔で受け止め、平然と言葉を返す。


「ゼル兄さん? そもそも今回の事は親戚の皆様方、そしてお爺様達の知っての事ですよ。まあこうやって交わった事は伝えてませんが」


 その答えにゼルは口をあんぐりと開け、呆然とした顔でメフィスの言葉を受け止めた。

 あのセシフィードが?僅か数代で莫大な富を築き上げ、魔法界や社交界や財界で頂点に至った大貴族。ゼシフィード家の人間が、こんな狂気を認めたというのか。その事実はゼルの精神に更に恐慌をもたらす。

 彼らの家であるゼシフォード家は、数代で世界有数の大富豪と力、そして盤石な地位を得た代わりに多くの敵を作ってしまい、一族のスキャンダル云々にはかなり警戒心が強かった。

 少し前、ゼシフォードのある有力な親族の一人息子が領地の少女を攫い手籠めにしてしまった事件があったが、その時ゼシフォードの本家、つまり彼の祖父はその一人息子を一族から追放する様に命じ、結果その親戚の家は後継者が消え、密かな混乱が起こったという事件があった事はその手の界隈では語り草である。

 こういう兄弟同士での行為など、自分たちの実家が当然黙認する筈も無く、ましてや常識的にも考えて到底許される筈も無いとゼルは考えていた。


「兄さんの言いたい事は分かりますよ。

 兄弟同士でこんな事をやるなんて馬鹿げている、こんな事俺達の親が許す筈が無い。

 ・・・・・・そうでしょう?」


その言葉にコクコクとゼルは何度も必死に頷く。せめて冗句であってほしい、こんなのは唯の夢でしか無いと。だが無情にも言葉は続く。


「実を言うと、実家では大反対されたんですよねぇ。

『幾ら当主と言えど、そんな事が許されるか馬鹿者!』

『貴様が当代最高の才を持っているからと驕りおって……! ふざけるのもいい加減にしろ!』

 ……ですって。おまけに、

『貴様、まさか気でも狂ったか!? お前位の才覚ならばもっと良い相手は居た筈だ!』

『我が家の長男だというのに、弟のお前に何もかも及ばぬ力と才、強いて言うなら身体能力程度の物しか優れた所が無いあの無能にどうしてだ!?』『奴に懐柔や脅迫でもされたのか、そうなのだろう!?』

 なーんて揃いも揃って暴言の嵐ですよ? まったく、あの阿呆共は何もわかっちゃいない。

 最初は必死に我慢してたんですけど、やっぱり耐えられなくなって……、それでとうとう我慢出来ずについカッとなってその場に居た殆どの人間縊り殺ししちゃいましたけど、そんな些細な事ですよねぇ。」


アハハハハハ、と面白そうに話すメフィスの言葉を聞き、ゼルは完全に呆けていた。

 殺した?

 誰を?

 本家の人間達を?

 もしかしたら彼なりのジョークなのかもしれない。そう思いたかった。

 だがしかし、もし本当だった場合あそこには昔からの知り合いや俺達の家族も居た筈だ。だというのに、弟は何故そんな笑いながら話せるのだ。そもそも本家の人間は高い魔力を持っているのだ。魔力を持つ人間をそうそう簡単に殺す事など出来る筈が無い。

ならば、この目の前にいる一体弟は、一体どれだけの力を持っているのか。そう考えた瞬間ゼルは背筋が凍りつく。

 ここで逆らえば、目の前の狂人は何をしてくるか分からない。今は笑顔だが、もしこのまま抵抗し続け機嫌を損なってしまえば、自分は殺されてしまうのではないか。

 この弟は間違いなく頭と精神が狂っている。目の前の存在が何をしでかすか分からないという恐怖に、ゼルの精神は容赦無く食い荒らしてゆくイメージを描いていた。

そんな恐怖を読み取ったのか、メフィスは実の兄をまるで子供をあやす様に爽やかに笑う。


「怖がらなくてもいいですって。兄さんの命を取る様な事はしませんよ?」

「・・・・・・」


 そう笑いながら言われても俄かには信じがたい気分である。もしや何か良からぬ事でも考えているのか、そう疑念を抱くものの、かといってあの弟に挑もうにも勝てる、もしくは追い払えるほどの能力や力はゼル自身には無かった。


『抵抗するだけ無駄だ。諦めてしまえ』

『メフィスに、弟に逆らうな。お前の能力の全てが弟と比べ遥かに劣るから、家の家督を継げなかったのだろう?』

『周りに流されるまま弟に何もかも押し付けて、自分は単なる弟の付き人になりさがったのだろう? だったら逆らわずなすがままでいいじゃないか』


 脳に自分の声が響き渡る。

 ……確かに俺は無能だ。能力が何もかも足りず、全部が全部弟に押し付けてしまった駄目な兄だ。何度も親族や家族からは

『家の恥晒し』

『無能』

『家の全てを弟に押し付けた最低の兄』

 等とひそひそ囁かれ、罵られる事にもひたすら彼は耐えた。何故ならそれは事実だからだ。

 彼の弟メフィスは若干十七歳という若さでゼシフォードの家を継いだ。本来は長男であり兄であるギルが継がなければならない所を、メフィスは兄とは比べ物にならぬ身体能力と魔導の才能、そして類い稀なる美貌を持っていたが故に、大々的に家の全てを背負ったのだ。そして実の兄であり本来家督を継ぐべきであった自身はゼシフォードの歴史から『追放』という形で抹消された。

 ゼシフォードの家は魔法こそが全て。魔法の才能の無いゼルが家を継ぐ事は到底出来なかったのである。

 ゼルは考える。ゼシフォード家当主という、圧倒的重圧や苦悩の伴う厳しい道を、一族の決定とはいえ全部押し付けてしまった情けない兄だが、こういう時くらいは兄として何か出来る事がある、それはせめて弟の行っているこんなふざけた事位は止めさせる事が出来る筈だ。

 そうゼルは混乱した思考を必死になって落ち着かせ、そんな思いを心に抱いた。

 そうだ、こんな時こそ兄の力を見せるべきだ、兄としての仕事を少しはやらなければならない。なけなしの力を使ってゼルは心を奮い立たせ、メフィスへと言葉を投げ掛ける。


「・・・・・・なぁ、こんな事はもう止めよう? 俺が至らない所があったなら直すよう努力するから、な?

 一緒に実家に帰ろうじゃないか。どんな悩みがあるなら出来る限り聞いて助けてやるからさ、だから、こんな事は止めるんだ・・・・・・」


 掠れ声ではあったが、ゼルは全身全霊をかけてメフィスへと伝えた。

『・・・・・・』


 無言が続く。ゼルは必死に伝えた為か微妙に息を切らしている。彼の心中は、どうか考え直してくれという感情一色であった。


「ふふっ、今更……、そんな絵空事を言うんですか……。もう何もかも手遅れだというのに……。」

 しかし、そんな必死な訴えも弟の心を揺らす事は出来なかった。兄に聞こえぬ程、うつむきながらゼルは小さくぼそりと呟いた。


「そんな事を言う余裕があるなんて、だったら僕にも考えがあります……」


 そう言って顔を上げたメフィスは含みを持たせる様に言い淀み、腕に力を集めていく。


「あまり気が進まなかったですが、もう仕方ありません」


 ぽぅと白く細い右腕に蒼い光が集い、光は鋭利なギロチンを思わせる形へと変異、その形を定着させる。

 瞬きの瞬間よりも尚速く、メフィスの右腕には蒼く幻想的に輝く両刃のギロチンが形成された、その姿を見たゼルはボーっとした眼差しの直後に急激に顔を引き攣らせる。

何故なら目の前のメフィスの右腕が、ゆっくりと振り上げられる姿を見たからだ。何をするのか一瞬訝しんだゼルであったが、不運にもその行為の意図する事を一瞬で理解してしまった為だ。


「お、おいやめろ・・・・・・! そ、その手は何だ!? 何をする気だ!」


 そんな兄の問いを無視する様にメフィスの腕は一番上へと達し、そして一言。


「えいっ♪」


 そんな可愛らしい少女の如き掛け声と共に、蒼いギロチンへと変じた腕を兄の右腕目がけ振り下ろした。





 ブツン





 その瞬間、凄まじい激痛がゼルの右腕に走る。脳は白く染まり、激痛の余り眼からは止めどなく涙が溢れ、身体は激痛にのたうち回る。その痛みに、ゼルは耐える事が出来なかった。

激痛が脳と身体を焼き尽くしていく、痛みでダラダラと涎を垂れ、口からひたすら叫び声が上がる。ベッドの上でのたうち苦しむ姿は、丸でまな板の上で捌かれた死ぬ間際の魚の様だ。


「フフッ、フフフフフ・・・・・・」


 そんな兄の痛ましい様子もメフィスにとっては至福のようであった。兄の上に跨りながら、暴れる左腕やもがく両脚が、何度身体に当たり額からたらりと血が流れ出す。自らの身体に無数の傷が出来ようと、メフィスはそんな傷を気にする素振りは見せない、逆に照れる様に顔を赤くし、愛おしいモノを見る眼で、にこやかに実の兄がもがき苦しむ様子を眺めている。


「腕、腕ガァアァアァアアアアア!!」


 そんなメフィスとは対照的に、腕を斬られた苦しみの余りゼルは延々と叫び声を上げる。兄の姿を眺め愉しんでいたメフィスも段々と飽きてきたのか、溜息を付いて自分の下のもがく兄に言葉を掛けた。


「・・・・・・はぁ。兄さん、自分の腕をよく見て下さい」


 そう言われ息も絶え絶えに、ゆっくりと自分の右腕を見たゼルは我が眼を疑った。なぜなら其処には、今斬られた筈の腕がハッキリと存在していたからである。そしてゼルは困惑する。

「何故、ここに・・・・・・、俺の腕が・・・・・・?」

 ゼルは、『今確かに腕にギロチンが叩き込まれ、己が目の前で切断された筈』と困惑の極みに陥っていた。彼の今も凄まじい激痛が走っている。ならばこの痛みは何なんなのか。ゼルは恐怖のあまり自問自答に陥った。


 ナンデ、ナンデココニ、キラレタハズノオレノウデガアル?


 理解不能の事態で思考が混乱するゼルを見かね、仕方ないなという表情でメフィスが解説を入れた。


「幻覚魔法のちょっとした応用ですよ。凄いでしょう? ホントに斬られたかと思いました?」

「げ・・・・・・、幻、術・・・・・・?」


 幻術という言葉を聞いたゼルは唖然とした。確かに幻覚魔法と呼ばれるモノの中には極めれば視界だけで無く、痛みや記憶、肉体の感覚すら支配し自身の意のままに操る術があるという事は、昔学校で習った事がある。

 だがそれは発動までに長い時間が掛かるものであり、今の様に瞬時に出せる様なものでは決して無い。しかもその様な高度な幻覚魔法は最上級クラスの魔法だ。自分達の様な若造が、ましてやメフィスみたいな十七歳の子供が容易く扱える様なものでは無いのだ。

 そんな定説をいとも簡単に破り、難なく扱って見せた弟のメフィスに、ゼルは更に恐怖する。自分と弟の才覚の差は分かっているつもりだった。肉体面ならば兎も角、魔法の力が圧倒的に劣っているから、長男である筈の自分はゼシフォードの家を追い出された。

 別に自分自身はその事に関し栄光を悔んだり一族を恨んでいる訳ではない。

弟に責任の全て押し付けてしまったという引け目こそあるが、才能がある人間と無い人間が一族を纏めるのであれば、それは才能のある人間が継いだ方が良いと思っていた。

 だが彼にとって、弟がこれ程の才能を持っていたとは予想外であった。自分が学校に通っていた頃に習った時は、こんな最上級の技術を難なく使えた様な者は今現在この世界には五本の指に入るか入らないかと教師から習った事があったのをふと思い出す。そんな想像を超える才能を持った人間が、今目の前で俺の生命を明確に握っているのだ。


 勝てる訳が無い。逆に少しでも逆らえば一瞬で殺されてしまう。


 今この瞬間、遂にゼルの心は折れてしまった。最早瞳には抵抗の意志も、兄としてのプライドも全て見る影も無く消え去った。そしてそんな兄の姿に興奮したのか、メフィスの眼にはあからさまに加虐心が膨れ上がった。


「この日に備えて兄さんの為に考えたんですよ。これを使えば。兄さんを傷つける事なく静める事が出来ますから! さあ、次は右足の番ですよ、思い立ったら吉日という諺もありますし。

 ・・・・・・あれ? そんな震えた眼をしてどうしたんですか。

 別に怖がらなくてもー。僕に任せてくれれば、不自由なんてないし、外のあらゆる危険や不幸に脅かされる事もありません。

 実家に居た時みたいにあらゆる人間から馬鹿にされる事も、自分の力の無さ故に誹謗中傷を味わうことも苦しむ事も無いのです。此処だけが、この場所だけが、僕の腕の中だけが兄さんの平穏の場所です。さあ、今日から一緒に此処で暮らしましょう!」


 そんな弟の提案を聞き止めるだけの余裕は、今のゼルの心には存在しない、もし万が一にあったとしても聞く耳すら持たなかった。だが今のゼルの心は壊れており、顔をただ青ざめ言葉を発する事すらせず、ただ四肢を使って突き飛ばそうとする以外にゼルが対処する術は無かった。

 目の前のメフィスに右腕を伸ばそうとするゼルだったが、その行動は意味を成さなかった。何故ならさっき幻術で断たれた右腕が全く動かなかったからだ。残っている左腕を動かす事も忘れ、ただ必死になって右腕を動かそうとするが、右腕は全く動かない。

 斬られたのに斬れていない。斬られていないのに動かない。余りに非現実的な光景が其処にあった。


「動きませんか? 動きませんよね? ははっ、幻術で斬った瞬間腕の神経を支配しておいたんです。兄さんがこういう行動に出るというのは予想していましたから、幻術にちょっとアレンジを加えました。これで一切傷を与える事無く兄さんを安静にさせる事が出来ます。これでずっと一緒にいる事が出来ますよ!」


 彼の心にあるのは最早絶望だけであった。この狂った弟には、何を語りかけようと、何をしようとも無駄なのだ。

 びゅうびゅうと、何処からともなく心に途方も無い虚無感が吹き付ける。

「じゃあ、次は右足ですね。心配しなくても、ずっと僕が貴方を護ってあげるし養うんですから、手足なんて一生使えなくても問題なく生活出来ます。

 ですから安心して僕に身を委ねて下されば大丈夫ですよ。

 終わるまでのちょっとの間痛いかもしれませんが、命には別状はありませんから心配しなくてもいいですよ。万が一発狂しても魔法で簡単に治せますし、死んでもすぐに元通りに蘇生出来ますから大丈夫!」

 メフィスは震える子供を勇気づけるかの様に、本当に嬉しそうに何か呟いている。

 だが最早その言葉は、虚しく彼の耳を通り抜けるばかりだった。否、きっと聞いてしまえば確実に狂ってしまうから脳が本能的に情報をシャットダウンしたのだろう。

・ ・・・・・そういえば、こんなに楽しそうな弟を見たのは何時以来だろうかと、ゼルはふと考えた。こんな状況でこんなに嬉しそうな弟の姿が見れたのは、彼にとってある意味皮肉としか言えなかった。

 途方もない無力感と絶望に打ちひしがれ、頭の中の意識が真っ暗になってゆく。

 そしてそのままゼルの意識は闇の中に消失した。



 ◆ ◆ ◆



 その後ゼルは残った二つの脚と左腕も断たれ、気絶しては起き、起きては気絶を繰り返した。

 激痛の余り全身から体液という体液を垂れ流し、部屋を破壊せんと思わせる絶叫を上げ続けた。しかしそれでもメフィスの魔法により彼は狂う事も死ぬ事も出来なかった。

 絶望ゆえに狂おうとも、激痛のショックで死のうとも、彼は強制的に休む間も無く実の弟の魔法で肉体も精神も蘇生された。結局彼は何度も四肢や体中を幻術のギロチンで断たれ切り刻まれた後、白目を剥きながら完全に意識を失った。

 そんな惨劇の後の静まり返った部屋の中で、一人意識を保っているメフィスはゆっくりとぽつりぽつり呟いた。


「……やっと、やっと一緒になれた。長かった、本当に長かった」


 俯きながら兄の上に跨り、ゆっくりメフィスの独自は続く。


「……きっと周りの人間から嘲笑され、僕と延々と比較されて精神が追い詰められた事があったでしょう、辛い思いを散々してきたのでしょう。でも貴方は、そんな思いをしたのに僕に何の悪意も無く接してくれた。

 だから、今度は貴方が辛い思いをしない様、僕が貴方を幸せにしてあげる番なんだ。……周りから僕と延々と比べられ、身も心も苦しみ傷つく位なら、永遠に周りから隔離してしまえばいい。もし誰かが僕達に逢いに来たとしても全員皆殺しにして近づけさせなければいい、兄さんは僕だけを見ていれば辛い思いをしないんだから。

 ……うん、うん。ああ、それが一番だ。弱い兄さんは、僕がずっとずっとずーっと僕の手で護ってあげないといけないんだ……。

 死ぬまで周りの人間に追い詰められて苦しみ続けるなら、もう苦しみを味わう事が無い様に、兄さんを永遠に僕以外の人間から引き離せばいいんだ。フフッ、フフフフフ……」


 白目を剥き泡を吹きながら気を失っているゼルの腹の上に跨り、虚ろな眼と笑みのままブツブツとメフィスは呟き続ける。その姿は先程の残酷極まる拷問劇を引き起こした諜報人とは思えぬ程、どこか憐れみを感じさせた。

 きっと彼は、救われる事もなければ救いを求める事も、狂気から抜け出そうとする事すら行う事は無いだろう。何故なら彼は狂っている方が幸せであると、心から思っているからだ。狂っているからこそ自分は心から愛している人間と永遠に一緒になれると確信したのである。

 故に狂った、狂う事をためらわなかった、自ら喜んで狂気の穴の底へと身を投げ捨てたのだ。

 虚ろだがどこか幸せそうな笑い声を上げ、喜びの余り恍惚とした貌のままに、メフィスは痛みで気を失った兄の唇へと、そっと自分の唇を重ね合わせた。

 一瞬水っぽい音が鳴り、そのまま心地よさそうに口づけを交わした数秒後、メフィスが唇を名残惜しそうにゆっくりと離す。二人の唇の間に細い唾液の橋が伸び、その後プツリと千切れ、そのまま唾液の細い橋は消えていった。

 ゆらりと揺れる蝋燭の火に照らされたその姿は、日向で安らぎながら心地良く眠る猫の様だ。メフィスは心底幸せそうに頬を赤らめ眼をつむり、兄の首に細身の腕を絡み付けた。


「これで、ずっと一緒ですね兄さん。これからずっと護ってあげますから。ずっと、ずっと・・・・・」


 メフィスの喜悦は止まらない。それどころか彼の喜悦は増す一方であった。


「これからずっと一緒に暮らしましょうね・・・・・・。ああ、僕は本当に幸せ者です・・・・・・」


 その笑顔はまるで、今しがた兄の手足を躊躇無く嗤って叩き斬った狂人と

は到底思えない、本当に幸せそうで年相応に一途な恋に焦がれに焦がれた、思春期の少年の貌のそのものだった。



読んでいただき、どうもありがとうございました。

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