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Take 9 Prayer

カルネラの声は一足遅かった。否、声が間に合っていた所でそれは変らなかっただろう。

「キョウスケさん!!」

叫び声を上げてカルネラが倒れた京右に駆け寄った。倒れたままの京右の顔は血で赤く染まっている。それが死を連想させて、カルネラは泣きながら首を振った。

「いやっ、いやっ、嫌、嫌!!」

その否定は気がつけば叫びにかわっていた。そんなカルネラの様子を顔色一つ変えずに見ている黒服の男。京右の首を引き裂いたのも当然その男だった。

男の動きに気がついた瞬間、声を上げたカルネラは、当然京右を庇おうと駆け出そうとした。けれど男の動きは一瞬。カルネラは一歩たりともそこから動けなかったのだ。

「まだ生きてるみたいだな少年は…止めを刺しておくか?」

無情にも男の声がカルネラの背中にかけられる。ゾクリと背筋が凍った。先程も全く動く事が出来なかったのだ…抗っても勝てる訳などない。

「…っ、あ」

助けて欲しかった。誰か、誰でもいいから…京右の事を…

まだ完全に暖かさを失っていない京右の身体。それがカルネラにとっては唯一の救い。まだ契約が切れていないのだと身体で感じる事が出来た。けれど…このままでは遅かれ早かれ死んでしまう。

「止め、て…この人を…殺さないで」

カルネラにとって、それは命に代えても守りたいものなのだ。どれだけ祈りを捧げても、どれほど大きく叫んでも誰も救ってくれなかった。それを始めて救ってくれたのが京右…だから失いたくはない。

「お願い……」

勝てるわけは無いと思う。それでも抗う事しか出来なかった。はじめからカルネラにとってそれ以外の選択など無い。

だから願った、神ではない何かに…

「Saving to the Satan!」

それは意図せず口から出る言葉。神に祈れぬ身ならばと声にするもの。

そしていつも……カルネラは悪魔としての姿を見せる。

「…これは、予想外だ。興味深い」

慌てた様子もなく男は喉を鳴らす。本当に面白がってのものだった。

「それは契約者を得たからの姿なのか、それともその前からの姿なのか…是非聞かせてもらいたいな、返答によっては用なしでもなくなるかもしれないが?」

「貴方に話す必要なんて無い」

男の言葉をピシャリと断ったのはカルネラ。その姿はもう普通の少女とは言いがたいものになっていた。

「不完全であるはずのお前が、何故そんな姿になるのか…」

その姿は…黒い翼を持ち、二つの角が頭に生え、その両腕が醜く変形し、体全体に刺青のような模様が浮かんでいる。悪魔のものだった。

「貴方に話す必要なんて無いって言った!」

怒鳴りつけたカルネラは次の瞬間男に向かって駆けていた。もちろん殺すために。

「是非、無理やりにでも聞かせてもらいたい」

カルネラが殺すはずだった男は、一瞬でその姿を消し少し後ろに移動する。その動きがカルネラにはまたも見えなかった。

ひやりと冷たい汗が背中を伝う。けれどすぐに頭を切り替えて男に切りかかった。

カルネラの両腕はナイフのような鋭さで空を切る。おそらく触れれば鉄をも切り裂くであろう。だがそれも、触れられなければ意味がないのだ。

「―っ、く」

男はいとも簡単にそれを避ける。それがカルネラの焦りを強くした。

早くしなければ…早くこの場から京右を連れていかなければ…京右が死んでしまう。

「早く、早くしないと…」

気ばかりが焦っていく。焦っていてもどうにもならない事は分かりきっているのに…もっと冷静になれと自分に言い聞かせているのに…どうしてもそれが出来なかった。

失ってしまう事が怖い。

また一人になってしまう事が怖い。

知ってしまった温もりを手放すのが怖い。

「お願い…誰か…っキョウスケさんを助けてっ!!」

浅はかだと知りながらそう声を上げて願ってしまった。

助けて欲しいのは自分ではない。だからどうか…どうか助けて欲しいと…空を見上げた。

「――!」

空を見上げたカルネラの視界に映ったのは、丸い月と、見知った白い影。

ふわりと風でも纏っているかのように地面に降り立った影は、振り返って綺麗に笑った。

「大丈夫?カルネラ」

銀の髪を揺らしながら影は優しい目を向ける。それに力が抜けて、カルネラはその場にへたり込んでしまった。知らず目から溢れ出した涙が頬を伝う。

「…っ、う…フィル、ネスさん」

そうしてやっとその影の名前を呼べた。

「キョウスケさん、キョウスケさんがっ…」

「うん、わかってるわ…」

泣きじゃくるカルネラに、静かな落ち着いた声が返される。それはどこか怒りを含んだ声だった。

「貴方のお名前…聞いておこうかしら」

踵を返して男に向き直ったフィルネスが、鋭い目付きのまま声をかける。

「名乗るほどのものでもないが…」

馬鹿にしたように肩を竦めて笑う男に、フィルネスも笑みを返す。

「あら、聞いておきたいじゃない……」

暗がりの中、フィルネスの紅い目が鈍く光を帯びる。

肌をビリビリさせる殺気を溢れさせながら、低い冷たい声が喉から発せられた。

「今からアンタを殴るんだから」

言うが早いかフィルネスは地面を蹴り、数メートルはあった男との間合いを一気に詰める。それに対して驚きもせず、男はフィルネスの拳を受け流す。

そのままの勢いでフィルネスの拳は、男の後ろにある壁へと打ち付けられる。それと同時に派手な音がして、コンクリートの壁が元より柔らかいものかのように砕け散った。

「ごめんなさい…私、ちょっと人より力が強いから……当ったら死ぬわよ」

ゆっくりと男に目を移したフィルネスの冷たい声は、笑っている。それが何よりも本気なのだと言う事を表わしていた。

そしてそれに返事を返すように、男も口元を歪めた。


「それは…お手並み拝見といこうじゃないか……夜の姫君」








アーシェラがやっと外へと足を踏み出した頃には、辺りは暗闇に包まれていた。

「…とりあえず、シルアやヴィグルのところへ戻らないと」

何よりもまずそれが先決だと思えた。事実それが一番いい選択なのだと思う。

けれど、顔を上げたアーシェラの目に映ったのは…忘れもしない少女、百々撫の姿だった。

「ごきげんよう、乙女様…」

分かり易い作り笑いのまま百々撫はアーシェラへと足をすすめる。

「何か…用?」

「あーら、随分と立ち直りの早い事…それとも元々神様なんて信じてなかった?」

アーシェラの短い返事に、百々撫は不満気に悪態を吐く。それをアーシェラが気にした様子はなかった。

「貴方には無関係だわ…用がないなら消えて頂戴」

「アンタやっぱ馬鹿ね、アタシがアンタを殺そうとしてた事忘れたの?」

大袈裟に溜め息を吐きながら歩み寄ってくる百々撫は、隠し持っていたナイフを取り出し、くるくると手元で遊び始めた。

「アンタが死んでくれないとーこっちは凄い迷惑なわけ、分かる?」

けだるそうな声がアーシェラの耳に届くが、アーシェラは微動だにしない。

「そう…貴方が私を殺すというのなら、私は全力で貴方から逃げるわ」

それまでのアーシェラであれば絶対に口にしなかったであろうその言葉に、少なからず百々撫も驚き、目を見開く。

「へぇ…アンタがそういう事を言うなんて意外…」

「えぇ、私もそう思うわ…不思議な話ね」

素直に驚きの声を上げた百々撫に、アーシェラは同意したように薄い笑みを浮べた。どうしてこんなにも心は穏やかなのだろうかと思う。

「でも残念…それを許すわけにはいかないのよ!」

言葉と同時に駆け出した百々撫は、迷う事なくアーシェラにナイフを向ける。

「そう、残念ね……私にも、譲れないものはあるわ」

百々撫のナイフを避けながらアーシェラはゆっくり後退していく。人を傷付ける事が出来ないアーシェラには逃げるしか方法がなかった。けれどそれに迷いはない。

「今回はあの男、助けてくれないんじゃない?」

「…誰も、助けて欲しいなんて言っていないわ」

空を切るナイフがアーシェラの眼前で鈍く光る。恐れる事なく、アーシェラは確実にそれを避け続けたが、ずっと後退を続けていたその足が壁につき、もう後ろには下がれない事を知らせた。

「あらそう…じゃあどうするの!?」

百々撫が振り上げたナイフがアーシェラに振り下ろされる。

瞬間、百々撫はアーシェラを殺せると思った。

けれど…何故か腕はいつまで経っても振り下ろされない。

「…な、に?」

呟くようなその声は何故か掠れ、顔は歪んでいた。

百々撫は確かに腕を振り下ろそうとした…そう頭で意識した…けれど、それは届かない。どうしてか、それは百々撫の右腕が肩からバッサリ無くなっていたから…

「――っ、痛ぁあっ!!な、なんで―っ!?」

自分の肩に目を移して、やっと百々撫は声を上げた。地面には無造作に切り落とされた右腕が転がっている。百々撫には、自分から離れてしまっただけで、それが酷く気持ち悪く見えた。

「痛い、痛いっ!!やだぁ…」

子供のように涙を流しながら、百々撫は否定するように首を振る。

「…貴方は」

そんな百々撫を暫く呆然とみていたアーシェラだったが、ふと我に返ったように顔を上げた。

そこにいたのは、黒い影。

「聖乙女、あんたに聞きたい事が二三あるんだが…」

「…そう、私もちょうど話が合ったわ」

慌てる事もなくアーシェラは黒い影、菜月に向き直る。少しだけ順番が狂ってしまったけれど、それを構わないとアーシェラは自分の心の中で容認した。


必要なのだ…教会でないものの力が…









冷たい風が頬を掠めた。体を凍えさせるはずのそれが今は気にならない。

カルネラは京右の体を抱きしめながら、目の前で起こるそれをずっと見ていた。

「驚いた…アンタ、そんな体してたんだ……」

フィルネスがまるで悪態を吐くように、眉をひそめる。フィルネスが男を殺そうと振り下ろした拳は、あろうことか片手で受け止められた。そしてそれとは逆の手は醜く姿を変え、フィルネスの腹を貫いている。

「誰にも教わらなかったか?油断は禁物だと…」

小さく笑った男が突き刺した腕でフィルネスの腹を引き裂いた。紅い血液が地面を汚し、切り裂かれた腹からは臓物が見える。

「お生憎様…誰にも教わらなかったわ…」

けれどそれだけでは、人間ではないフィルネスが死ぬ事などない。そんな傷は時間をかければ治るものだった。

「さて、お前を殺す方法を教えてくれないか?」

「あら…残念ね、そんなものないわ…だって私はヴァンパイアだもの」

よろめいたフィルネスを見下ろす男は、小さく首を傾げる。それに対するフィルネスの返事は茶化すような音を含んでいた。

「古臭い伝説のヴァンパイアじゃないのよ?…銀も、木の杭も、十字架も、日の光も恐れない」

フィルネスのその言葉は真実。

長い時間をかけて人間が進化したように、それらもまた進化は続けている。

「けれど、本当に不死身な存在などありはしない」

男のその言葉も真実。

この世に不死であり、不死身な存在があるのだとすれば、世界は遠の昔にその存在のモノになっているはずだろう。

「再生出来ない程に刻めばいいか?それとも存在そのものをココから消せばいいか?」

「――っ!?」

男の腕がフィルネスの首に伸びる。紙一重でそれを逃れるが、銀の長い髪がハラハラと地面に落ちた。

「女の腹に腕を入れた挙げ句、髪までバッサリなんて…ちょっと最低すぎるんじゃない?」

「それはどうも、褒め言葉として受け取っておこう」

怒気を含んだ声に、柔らかな返事が返される。

「…あぁそう、今のは本気でイラっときたわ」

未だに体からは血が流れ続けているが、フィルネスはそれを気にした風もなくゆらりと立ち上がった。

「偽物風情がよくそんな口聞けたわね…身の程ってのを教えて上げる」

フィルネスが地を蹴り男との距離を詰める。一瞬でその間合いを無かったものにし、振り上げられた腕が宙を切った。風を切る音が耳に響く。その腕に肉の感食はない。

その斬撃を躱した男は、ひらりとその後ろを取る。が、それも一瞬、フィルネスは体を反転させながら男に向かって足を振るう。男はそれを避ける事無く、今度は受けとめた。

「いい、反応速度だとは思うが……鈍ったんじゃないか?」

「あら、貴方こそ少し悠長なんじゃない?あたしが誰だか…知らないわけじゃないんでしょ?」

フィルネスが薄い笑みを零し、その紅い瞳をぎらつかせた。冷たい風が頬を吹きぬける。フィルネスから伸びた黒い影が地を這い、男を取り囲む。

「あんたに本物…見せてあげるわ」

黒い影はまるで炎のように揺らめき、地から這いでてくる。黒い影が男の体を足元から取込んでいく。

「あんたの存在…消して上げる」

黒い影は無の象徴。それに飲み込まれたものは全て無に帰る。存在の消失だった。

「存在の消失…くっく、残念だ」

静かに喉の奥で笑った男は、黒い影を振り払おうともせずただじっと立っている。

「元より存在しない俺には意味が無い」

「な、に…?」

一瞬耳を疑う。眼前の男の言葉の意味が理解できなかった。

それでも直感的に理解する。この男に闇に称されるものの攻撃は効かぬのだと…

「残念だな、夜の姫君」

無駄だと悟り、黒い影はフィルネスの足元へと舞い戻る。それを当然のように男は静かに受け入れた。元よりその結果が分かっていたかのような素振り。

「あんた…女には嫌われるタイプね」

「それも褒め言葉だな…」

知らずフィルネスの口から舌打ちが零れる。なんて事だろう、打つ手建てが無くなってしまった。

このままでは自分やカルネラはまだしも、京右は確実に死んでしまう…そう考えて焦る。焦るが良い答えが見つからない。

「……夏樹」

祈るように呟いた声に返事はない。返事はないが、その眼前を青い光が包んだ。

「――!」

その場にいた全員が驚いて光の方向に目を向ける。

そこにいたのは、白い絹を纏う一人の少女。アーシェラの姿だった。

「お前は…」

怪訝な表情を浮べたのは男。アーシェラの姿を見てすぐに百々撫はしくじったのだなと思う。

「そんなに相手が欲しいのなら…私が相手になるわ」

「…それは残念ながら遠慮したい」

真っ直ぐと男を見据えたアーシェラに向けられたのは、薄い笑みと嘲笑いに似た声だった。

「今回は、身を引かせてもらおう…では、また後日」

まるで暗闇に溶け込むように、男の姿は消える。その場にいる者全て、それを追おうとはしなかった。それよりも何よりも、やらねばならぬ事があるからだ。

「…あ、ぁ」

目の前にふわりと舞い下りたアーシェラに、京右を強く抱きしめながら、カルネラは恐れを帯びた声を漏らす。

「大丈夫…貴方達を殺したりしないわ」

その場に跪いて、アーシェラは薄く笑った。それに目を見開いて言葉を失う。

「でも、私には傷を癒す力はないの…だから……」

京右のその様子を目に、アーシェラは少しだけ眉を潜める。まだかろうじてある息は微かなもので、いつ途絶えてもおかしくはない。

「…京右を隷属にするわけにもいかない……ともかく病院だな」

考える時間が惜しいといったふうに、菜月は呟いて、カルネラから京右の体を受け取る。

「キョウ、スケさんは…」

じっと京右を見つめたままのカルネラは、鳴咽のせいで上手く言葉が出てこない。

「カルネラ、よく聞いて」

放心状態に近いカルネラを我に返すように、フィルネスがその肩を少しだけ強く掴む。

「カルネラの負った傷が京右にも跳ね返ると…そう言っていたわね。だったら、京右の傷をカルネラが請け負う事も出来るはずよ」

「へ…?」

不完全だと思われたカルネラは、何故か完全に悪魔の形を得ている。だからこそ口にした言葉だった。完全とはいえずとも、それに近い状態なのであれば、不可能とは言えなくない。

「全て請け負わなくて良い…少しで良いから、試してみて」

「でもっ、私そんなこと―!?」

「助けたいんでしょ!」

出来ないと、言いかけた言葉はフィルネスの怒声に遮られた。

「やる前から無理だなんて言わないで!それともカルネラは坊やの命諦めるの!?」

「――!」

もうずっと諦めていた。本当は諦めきれないくせに、諦めようと言い聞かせてきた。

でもそれじゃあ、ずっと何も変らない、何も救えないとカルネラは知った。

京右に出会って、それがどんなに無価値な事か知った。


救って貰った…だから今度は自分が救うのだと決めた。



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