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Take 6 Memories 

夜が明けた。結局あれからアーシェラが持ち直すことはなく、仕方なくフェルデナントは気の抜けたアーシェラを引っ張るように学校を後にした。フェルデナント達に何かあった事など関係なく、日常は崩れることなく繰り返されるのだから、ずっとその場にいるわけにも行かない。

けれど行く当てなど勿論なく、仕方なくブラブラと歩き回って探し当てた廃墟へと身を置くことにした。

「何してるんだか…」

呟いた言葉は誰に当てたものでもない。あえて言うのならば自分自身にだろう。利用できると思ったからアーシェラと行動をしていた。それはアーシェラも同じことだろう。では何故…今も一緒にいるのだろうかと思ってしまった。

「……」

泣き疲れてしまったかのようにアーシェラは静かな寝息を立てて眠ってしまっている。

「…俺は」

カルネラを殺すためにこの街に来たはずだった。一度アーシェラに話したことがあるように、今のフェルデナントは完全に力を使えないでいる。少し無理をすれば七割の力を使えないではないが、そうすると暫くろくに動けなくなってしまう。だからアーシェラと出会った時「丁度いい」と思った。

アーシェラがどこでどうやってカルネラの事を知ったかは知らないが、自分のことは知らない。それならば…利用するしかないと思った。教会の事も使途の事も知らぬ振りを通した。知らぬはずはないのに…

「俺はカルネラとは違う…」

カルネラには記憶の混同が見られる。自分の事をよく覚えていないようだ。けれどフェルデナントは違う。すべて覚えている。自分が何者で、何をしなければならないかを…

「時間が、ないんだよ」

その顔は余裕の無いものになっていた。一分一秒無駄にはできない。けれど目の前の少女を置いていけないのは…きっと予想していなかったからだ。聖乙女と呼ばれる総帥がこんな少女だったと…

「…っく」

ぎりっと奥歯をかみ締める。何時からか…フェルデナントにとって復讐がすべてになっていた。

なっていたはずなのだ…



「おはよう、ございます」

小さく控えめな声はカルネラのものだった。こうして朝を迎えるのは…彼女の記憶のあるところでは初めてなのかもしれない。少しだけ照れくさそうに笑っている。

「おはよう」

俺が始めに、その後に続くように菜月さんとフィルネスさんもカルネラに返事を返した。ただそれだけで幸せそうに笑っている。そんな顔に俺まで笑みが零れてしまう。時間にすればたった少しだ。走るように時間が駆けていったのは…それなのにこの感覚がひどく懐かしい。

「カルネラ、何か食べれないものとかあるか?」

朝食の準備をする為だろう、菜月さんがカルネラに声をかける。一瞬何を聞かれたのか分からず頭を傾げるが、すぐに首を横に振る。

「だ、大丈夫です!」

「分かった」

慌てて返事をしたカルネラに、笑顔を返す。何だかカルネラを見ていると微笑ましくなってしまう。

「夏樹!あたしは目玉焼きー」

お皿を用意しながら、フィルネスさんが忘れるなよ、と釘を刺している。

「そういえば、フィルネスさんは料理しないんですか?」

「集団食中毒になる」

不意に気になったので、そう問いかけると、横から菜月さんが間髪いれずに返事を返してきた。少し不服そうな顔をするものの、抗議をしないフィルネスさんを見るところ、どうやら言葉に間違いは無いらしい。

「…そう、ですか」

何だか異様に悪いことを聞いてしまった気がしてならない。

「さて、さっさと食べるぞ」

テーブルに人数分並べられた朝食がなんとも、懐かしい。そういえば親と離れて暮らすようになってから、こうした食事は自分も初めてだったということに今気がついた。

朝食の間、俺達の間にはとりとめの無い日常の会話ばかりだった。だから一瞬忘れそうになる。今自分達が置かれている状況を…


「さて、一息ついて早速で悪いが…カルネラ」

朝食の片づけを終えて、四人テーブルに着席したところで、菜月さんが切り出した。

「まだ何も思い出せないか?どう考えても今回のことに深く関わっているのはお前だと思う。過去が分かれば相手の目的もハッキリしてくると思うんだが…」

その言葉に反論は無かった。アーシェラにしても、百々撫達にしてもカルネラに何かしら関わりがあるように見える。

「…その、やっぱりよくは覚えていないんです…ただ…私はずっと昔、教会にいた気がするんです」

控えめな声。その言葉にハッとしたのは俺だけだった。俺が何度も見た夢…あれはきっとカルネラの過去だ。

「……」

けれどそれを言う事が躊躇われた。きっとカルネラにとってそれは幸せではない過去のはずで…何の覚悟もなしに聞けるような話でもないはずだと…そう思う。

「…あの」

でもこのままでは一歩も進まない。そう思うが早いか声が出ていた。

「カルネラ…お前にとっていい話じゃないと思う…けど、俺はお前の過去を知ってるかもしれない」

じっとカルネラの顔を見てそう告げる。驚いたような顔は一瞬で、すぐに薄く笑みを返してくる。

「大丈夫です…それがどんなものでも、もう大丈夫。今は皆がいますから…」

今までと違う、それは少しだけ自信のある笑みだった。だから俺も心を決める。まっすぐと視線を戻して、口を開く。俺が夢に見たカルネラの過去を話す為に。



そっと目を開くと眩しい光が目の中に入ってきた。それで今はもう夜が明けていることを知る。アーシェラは昨日の事を思い返すが、すぐに首を振った。あまり思い出したくは無い。その代わりにあたりを見渡す。

「…ここは」

知らぬ場所である。というよりは、昨日の事はあまり覚えていない。フェルデナントに手を引かれるまま付いて行ったことだけは辛うじて覚えている。だから知らぬうちにその姿を探していた。

「…ぁ」

少しだけ声が漏れた。部屋の端のソファで眠っているその姿を見つける。自分が眠っていた間は起きていたのだろうと思い、少しだけ悪い気がした。それと同時に、どうしてフェルデナントは自分を庇ったのだろうかと考える。互いに利用しようと思っていたはずだ。それだけのはずだったのに…命を救われてしまった。

「ありがとう」

聞こえぬであろう礼を告げる。アーシェラも聞いていないと分かっているから言ったのだ。すべてを信用していない。だから不利になるような事を言ったりはしない。

「…」

不意にフェルデナントの肩に目を移す。自分を庇ってできた傷、それはなんとも雑に手当されただけだった。アーシェラはだまって手を翳す。

「…っ」

けれどそれはすぐに戻されてしまう。今の自分に神を賛美する言葉など出ない。神のその存在を疑ったわけではない、そうではないのだ。そうではなく…その心に疑問を感じてしまった自分自身が許せなかった。ずっと昔から…聖乙女と呼ばれるようになってからずっと、揺るがないはずだった。この聖剣にかけて、神の変わりに戦うのだと…

「たった数年…それだけよ」

アーシェラ自身気が付いていた。教会の中に悪があることは…全てを正しくすることなど不可能なのだ。たった数年、アーシェラにとってそれは本当に少しの期間。その間に大きく事は変わってしまった。人が悪を生み出すようになってしまった。許せなかった、許せるはずが無かった…けれどそれは…その怒りの矛先は、人には向かわない。

「…私は、私にはっ…人は殺せないのよ」

アーシェラの知らぬうちに涙が頬を伝っていた。ずっとずっと昔、アーシェラは人ではなくなってしまった。悪を討つ力を得た代わりに、自分を犠牲にした。それと同時に人を傷つけることも出来なくなった。だから使徒がいる。

使徒が聖乙女の代わりに人を殺すのだ。

「…もう、私には」

居場所が無かった。

教会が悪と呼ぶ存在は確実に減ってきている。もう聖乙女が必要とされるような戦争は起こらないのだ。だから使徒の数も徐々に減り、昔のように聖乙女を崇めるものはいなくなっていた。人が敵に回ればアーシェラには何も出来なくなってしまう。昔のようにハッキリと、ただ悪を見据えていられなくなってしまった。絶対悪などあるわけがなかったのだ。

カルネラを見ていれば分かったはずだ。けれど考えなかった。存在が悪だと決め付けていた。そうしなければ自分を保っていられなかった。

けれど今、その全てが間違いだと気が付いてしまった。



すべて話し終えて、小さく息をついた。その後も暫くは誰も口を開かない。フィルネスさんと菜月さんは何かを思案しているようで、考え込んでいる。カルネラは…黙って下を向いていた。

「…カルネラ、京右の見た夢っていうのは…」

沈黙を破ったのは菜月さん。思案していた顔をあげ、カルネラに視線を送る。

「恐らく間違いないと思います。思い出したわけではないですが…それがただの夢じゃないことだけは…」

「そうか」

会話はそれだけ、それでも何かを納得したのか今度は夏樹さんの視線がこちらに向けられる。

「京右、多分お前が見た夢は思っている通り…カルネラの過去だと思う。契約しているからかもしれないし、そうじゃないかもしれない…それは分からないが、夢が現実だということは確かなようだ」

「はい」

「きっと今回の事の根本に関係しているはずだ…だから些細な事でもカルネラには伝えた方がいいだろう」

俺にはよく分からない断片的なものだったとしても、カルネラにならわかるかもしれない。そういう事だろう。本音を言うならば、少しだけ躊躇われた。それはきっとカルネラにとっていいものではないだろうから…。

でもそれを選ぶのはカルネラで、俺にはどうしようもない。

「キョウスケさん」

「?」

不意に呼ばれた声に視線を返すと、薄く微笑むカルネラの顔が目に映った。

「ありがとう、ございます」

そんな言葉が返ってくるなんて思っていなかったから、思わず目を丸くしてしまう。そんな俺の様子を見て、カルネラが言葉を続けた。

「いい話じゃないですけど…少しだけ自分のことが分かりました。まだ完全に思い出せてはいないけど…それでも前進です」

最後に照れたように笑うカルネラは、初めて会ったときと同じで、ただの少女そのものだった。だから俺も同じようにして笑う。

「そうだよな、進まないより…いいんだよな」

「はい」

小さな返事。だけどそれは確かに胸の奥に響いた。




切れかけた街灯がチラチラと目に付く。時刻はもう深夜。多少冷え込むが、そんな事を気にして入られない。

「遅い…」

耐え切れず口にしたのは少女、折原百々撫だった。百々撫がここで待ち始めたのはもう何時間前のことだろうか。人一人通る気配のない市街地の外れ、そんな場所に不釣合いな少女が一人…おかしな光景である。

「修斗も勝手に行動して…だから嫌いなのよ、あいつ」

待ち人来たらずのこの状況もそうだが、それに付け加えるようにして、もうひとつ百々撫をイラつかせているのは、修斗の存在であった。本来ならばこの場所で百々撫と共に、ある人物を待っているはずなのである。

「決めた…後一分で来なかったら帰ってやる」

「惜しいなぁ」

帰ると口にした瞬間、その背後から声がかけられた。驚いたように振り返るとそこには、約束の人物の姿がある。

「…ずいぶん遅い登場ね」

少女の皮肉めいた台詞を気にも留めず、男はひらひらと手を振って、笑う。長身だが、大男というほどの高さではなく、どちらかといえばその体も細身だった。黒い前髪は長く表情が読み取りづらい。

「で、アーシェラは?いつまで遊んでるつもりだ?」

「―っ、遊んでなんて…」

先ほどまで笑みを浮かべていたかと思えば、その目は打って変わってきついものに変わっていた。気がついたように百々撫が言葉を詰まらす。

「聞いてないのよ…あんな奴がいるなんて…」

「あんな奴?」

思い出しただけで腹が立つ。アーシェラのそばにいるのは二人の使徒。それだけのはずだった。けれど追い詰めたアーシェラを庇い連れて逃げたのは違う男。しかも百々撫はその姿を知っていた。

「…フェルデナント…とか言ったっけ」

突然転校してきたかと思えば、すぐにその姿を消した転校生…百々撫が知るフェルデナントはそれだけの男だった。けれど実際は違う。ビルから飛び降りてもどうじない、それどころかそのまま逃げされるような男だった。

「そいつが?」

「…アーシェラを連れて逃げたわ、どう考えても人間じゃなかった…人間になんか逃げられるもんですか」

ギリッと歯をかみ締めて表情を歪ませる百々撫に、男は小さくため息をついた。

百々撫と修斗はれっきとした人間。それがアーシェラを追う点で強みでもあり弱みでもある。聖乙女であるアーシェラは人を殺せない。だから使徒さえどうにかしてしまえば、人間である方がやりやすいのだ。

アーシェラがカルネラ一人を始末する為に使徒を二人連れているのもそこに理由があった。アーシェラ自身気がついていたのだろう。自らの敵がいつからか「悪」だけではなくなっていた事を…

「まぁ過ぎた事は仕方がない。それよりもカルネラとフィルネスはどうなってる?」

「…それもたいした変化はないわ、契約者を始末したつもりだったんだけど…運よく生き残っているようだし」

失敗続きか、と内心笑うが声には出さなかった。潰せるところから潰すべきだろうとは思いながらも、百々撫は自分と行動を共にはせぬだろうと事を男は知っている。

「お前は修斗と一緒にアーシェラを追え…カルネラの方は俺が探ろう」

言うが早いか立ち上がった男は、口元に笑みを浮かべた。楽しみだと…そう感じていた。




「買い物?」

翌朝、俺とカルネラはそう声を合わせて、菜月さんとフィルネスさんに顔を向けた。返されたのは穏やかな笑み。

「だって、二人とものんびり出来てないでしょ?出来るときに息抜きはしておくものよー」

だからと言って、こんな時期に…とは思うが喉の奥から言葉が出てこない。正直な話のんびりとしたい…というのもあるのだが、何をどう言っても言い包められてしまいそうな予感がしていたから、というのが実のところ。

「暫くは使徒の奴等も動けないだろうしな、京右の言っていた例の奴らなら、カルネラがいれば平気だろ」

追い討ちのように菜月さんに言葉を続けられて、俺とカルネラは顔を見合わせる。

次の瞬間、返事は決まっていた。


半ば無理矢理外出させられた、俺とカルネラは当てすらなく町を歩く。そのままではカルネラが目立つだろうと、出かけにフィルネスさんがカルネラの髪をまとめ、帽子をかぶせてくれた。そのお陰というかなんというか、行きかう人の視線が突き刺さるようなことはない。

「……」

「………」

会話がない。別に何がどうしたということもないのだが、こうして出かけてする会話が思い浮かばないのだ。おそらくそれはカルネラも一緒だろう。

「よし、カルネラ!」

「は、はい!」

急に声を上げた俺にカルネラが体を震わせる。そんな様子に思わず笑みがこぼれる。そうだ…何も気後れする必要などなかった…カルネラはいつも通りなんだから…

「行きたいところ、ないか?」

今日は、今日だけは楽しんでもいいのかもしれない。折角の安息なんだから…

 悩んだままのカルネラの手を引く。楽しむと決めたのだから、一分一秒でも無駄になどしたくなかった。




翌朝になってからフェルデナントとアーシェラはやっとまともに顔を合わせることになった。けれどもその間に会話はない。アーシェラも幾分かマシになったとはいえ、その目には未だ光が宿っていない。

知らずフェルデナントはため息を零していた。いつまでこんな事を続けているのだろうかと自問自答を繰り返す。そうだ、自分には時間がないのだ…いつまでも腑抜けたアーシェラに構っている余裕などありはしない。

黙って視線を向けると、俯いたまま地面を睨むその顔が目に入った。いっそのこと、殴りかかりでもすれば元に戻るのではないかと思ってしまう。だが、そんな事は無意味でしかない。

「……」

いくら使徒の回復が通常の人間に比べて早いとはいえ、まだ二、三日は動けないままだろう。その間にカルネラやフィルネス達が動き出しては厄介だ。それだけではない…アーシェラを屋上で襲った人物は、確実にカルネラ達の仲間ではない。フェルデナントに思い当たる節は一つしかなかった。

「おい、嬢ちゃん…TRINITYって組織を知ってるか?」

返事は期待などしていなかった、それでもアーシェラが顔を微かに上げる。

「教会って組織は昔は一つだった。だけど今はそうじゃねぇ…内部で二つに割れてる。片方は知っての通り聖乙女と呼ばれる総帥を崇める、今までの教会側だ。それと敵対するもう一つの内部組織、それがTRINITYだ」

否定も肯定も返ってこぬまま、フェルデナントは言葉を続けた。

「奴等は教会を根本から変えようとしてる。悪魔達を排除する事を目的になんてしていない…もう人と悪が戦うなんて事態は殆どなくなったからな…、今の世で争ってるのは人と人だ」

「……」

「悪魔の力ってのは人の何十倍も強い、人と悪魔の戦争ならば確実に悪魔が勝てる…だけどそのままの悪魔じゃあ、人の言葉に耳を傾けることもしない。そこで、どうするか分かるか?」

返事はない。ただ少しだけ、アーシェラのその目に光がもどっている気がした。

「悪魔の力だけを、悪魔から取り出せばいい」

「…悪魔の力」

「生物には核があるだろ?当然悪魔にもそれがある…それだけを別のものに埋め込むんだよ」

淡々と言葉を続ける。アーシェラも黙ってその言葉を待った。おそらくその実態をアーシェラは知らない。TRINITYという存在は知っていても、それが何を行ってきたかなど知らないだろう。

「核を埋め込むとなれば対象は動物だ…だけど獣じゃ知能レベルが低すぎる」

「…まさか」

「そのまさかだ…悪魔の核を人に埋め込んだ」

息を呑む。まさかそんな事を行っているなどと予想すらしなかった。否、そんな事は不可能だと思っていた。

「勿論、簡単な話じゃない…拒絶反応を起こさない人間のほうが珍しい」

「……けれど、成功したのね」

小さな声に頷くと、アーシェラが忌々しげに眉を潜める。自分は何をしていたのかと…そう思っているのだろう。

「適合者が現れる確立は千分の一程度だがな、とは言ってもそれも十年ぐらい昔の話だ。今…どうなっているかは検討もつかない…」

「どうして…、あなたはそんな事を知っているの?」

当たり前の疑問。恐らく問いかけられるだろうと言うことも分かっていた。分かっていて話したのだ。

「…簡単な話だ、俺はTRINITYに悪魔の核を埋め込まれた。だから…全部知ってる」

息が止まった。アーシェラは聖乙女として今まで生きてきて、これまで悪魔の気配を逃したことなどなかった。だからこそ…悪魔の力を持った者を見逃すはずなどなかったのだ。

「そんな、私は何も…」

「当たり前だ」

言葉を察したような間髪入れぬ返事。アーシェラが視線を向けた先には、背を向けたフェルデナントがいた。

「…俺が核を埋め込まれた際に使われた悪魔の核は半分だけ…もう半分は別の人間に埋め込まれた。そいつは悪魔の力を十分に手に入れたが、俺はその力を十分に手に入れられなかった」

「どういう…意味?」

意図がはっきり分からず、問いかけるアーシェラに、フェルデナントは小さく息をつく。

「つまり、俺は失敗で…そいつは成功したって事だ。そいつは悪魔に近いから嬢ちゃんも感じられるだろうが、俺は人間に近いせいで感じられないんだろう」

「…そう、じゃあ貴方も…悪魔なのね」

短い言葉。アーシェラが聖乙女である限り、その意思を今まで通り突き通す限り、フェルデナントも悪として切り伏せねばならない存在に違いなかった。

「あぁ…人を傷つけられない嬢ちゃんに、俺が殺せるかは知らないけどな」

「―!」

「聖乙女は人を殺せないんだろ?でも使徒はそんな制約を受けない。だからTRINITYは最初に障害になるであろう使徒対策に俺達を使おうとした。まぁ…それが終われば金儲けに精を出すつもりだったんだろうが…」

呆れた様な言葉に、アーシェラは視線を落とす。

「…全て知っていたのね…最初から、私が聖乙女であることも…」

返事は返さないが、無言は肯定の証でもあった。

「いいや、気がついたのはしばらく経ってからだ…本当に最初は、こんな子供が聖乙女だなんて思わなかったさ」

「……」

それでも、アーシェラが教会の人間であることは分かっていたのだろう。そう考えて言葉がつなげなくなった。アーシェラのほうが完全に利用されていただけと言うことだ。

「どうして、そんな事を話す気になったの?例え私が貴方を殺せなかったとしても、使徒に命じれば貴方は追われることになるのよ?」

「さてな、気まぐれだ」

簡単な返事を返されて、アーシェラは言葉を失う。そんな適当な返事を信じる気になどなれなかった。

「理解できないわ…自ら敵を増やすなんて……」

そう言葉にするものの、アーシェラがフェルデナントに剣を向ける気配はない。

「そう、だな…初めて会った時だ」

「…?」

「あの日、助けてもらった借りが残ってるだろ…あの分だと思って黙って聞けよ」

一度だけ視線がかみ合う。その目があまりに真剣だったせいか、アーシェラは口を噤む。

「嬢ちゃんを狙ってきたのはTRINITYの奴らだ。相手は人間と、意図せず悪魔っていう兵器にされた元人間…。何を悪とするのかは嬢ちゃんの自由だ…けどな、他人の言葉で簡単に折れちまうような信念なら捨てちまえ」

簡単に折れてしまった心の剣。仮初の剣ならば捨ててしまえばいい。

「カルネラも、TRINITYに核を埋め込まれた人間だ。忘れるなよ…元々は人間で、それを望んだわけじゃないって事を…。それでも、その全てを悪だって言うなら今まで通り戦い続けろ」

「貴方も…悪になるのよ」

それでも…次こそは貫いていけるのなら、また剣を握ればいい。

「…今更だな、元より俺と嬢ちゃんは敵同士だろ」

一が零に戻っただけの話だった。

「次に会うのは…どっちかが死ぬ時だろうな」

言葉と共にフェルデナントが歩き出す。一歩、二歩…すぐに扉までたどりついた。その間…アーシェラは何も言わず、その背中をただ眺めていた。

「……」

何かを言いかけて、結局無言のままその背は部屋を後にしてしまう。

「……理解、できないわ」

呟いた言葉に返事はない。どうしてそんな話を…そう思うが、すぐに首を振った。きっと今はそんな事を考えているときではないのだ。

そう…悪を、見定めなければならない。



帰り道、俺とカルネラは小さな公園で足を止めた。何をする訳でもなかったが、ベンチに腰掛ける。

何も言わずに流れるような景色に目を映していた。子供の姿はもうまばらになっている。もうすぐ日が暮れるのだ。

「なんとなく、なんですが…思い出せたんです」

つぶやくような声。俺はそれに視線だけを返す。

「私は、小さい頃施設で育ちました…本当のお母さんはいなかったけど、キョウスケさんの話してくれた人のこと…覚えてます。優しくて、元気で…一緒にいると楽しかった。でもたまに…一人のときに悲しそうな顔をしてました」

きっと、ずっと昔その人は教会と関わりがあった。何があったのかは分からない。だけどそれは、その人にとって良い事ばかりではなかったのだろう。

「今なら…なんとなく分かります。先生は使徒って呼ばれる人達と同じで、何かしてしまったから殺されたんですよね…」

「多分…な」

うまく返事が返せない。どう、言葉にすればいいのか分からなかった。

「悲しく…なかったでしょうか?辛くは、なかったでしょうか?」

カルネラの手が震える。その目には涙が浮かんでいた。

「先生…笑ってました。最後の最後まで…私に笑ってたんです」

きっと、幼かったカルネラにその笑みの理由は分からなかったのだろう。今でさえ、全てを理解なんて出来るわけが無かった。当たり前だ…その人は、全て自分の中で過去を消化しようとしていたのだから。

「私は、あの日先生を助けられませんでした。どんな理由があったとしても、先生がそれを受け入れていたんだとしても、私は…やっぱり嫌です」

理不尽だ。そんな理不尽な理由で誰かが命を落とすなんて嫌だったんだ。だからカルネラは…

「俺も、嫌だ…」

やっと動かすことが出来た手でカルネラの頭を撫でる。泣きそうなカルネラをみて、そんな事しか出来ない自分が居た堪れないが、何もしてやらないよりマシな気がした。

「…キョウスケさん、全部…話してくれてありがとうございました」

目にたまった涙をぬぐってカルネラが視線を返してきた。真っ直ぐとした目。

「私、別に教会と戦いたいわけじゃありません。でも…私は、私には助けたい人がいます」

「助けたい…人?」

鸚鵡返しに向けた言葉に、カルネラは迷わず口を開く。きっとどこかで予想していた、続く言葉を…

「私は、お兄ちゃんを助けたい」





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