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Take 4 Self-Sacrifice

「なぁ嬢ちゃん、お前どこにも出かけないんだな」

そうアーシェラに声をかけてきたのはフェルデナントだった。今その場にはアーシェラとフェルデナントの二人だけ、シルアとヴィグルは朝からカルネラの居場所を探る為、出かけている。

「…その嬢ちゃんというのはやめて」

確かに外見だけを見て取ればその言い方に、間違いはないのだろうが、アーシェラとしてはその物言いは許しがたいものだった。けれどそんな忠告を無視するようにフェルデナントは肩を竦めるばかり。

「お前いくつだよ…」

その問いに答えなかったのはアーシェラ。聞き流すように顔をフェルデナントから背けた。

「勘違いしないで…私は貴方と協力関係にあるだけ…それ以上でも以下でもないわ」

顔は外に向けたまま、冷たい声でそう口にする。当然のようにフェルデナントも薄い笑みをこぼした。二人の間に「信頼関係」などというものは初めからありはしない。互いを利用するだけ…それは当然理解していた。

「嬢ちゃんはどうしてカルネラをそうまでして狙う」

「……」

嬢ちゃんという呼び方を変えるつもりはないらしいフェルデナントに、アーシェラは静かに視線を送る。もちろんそんな事を再度指摘するためではない。

「貴方に話す必要はないわ」

ただ一言、それで会話は打ち切られるかのように思えた。けれどフェルデナントは椅子に腰掛けたまま、口を開く。

「教会……神の代行者として仇なすものを狩る使徒の集まり」

「――!」

厳しい視線を送るアーシェラにフェルデナントはニッと笑みを返した。

「ビンゴ…初めて会った時に使徒かと聞かれたからな…まさかとは思ってたんだが…、こんなお嬢ちゃんだとは思わなかった」

「貴方…」

先程と打って変わったように表情と空気が厳しくなるアーシェラ。当然それを分かっているフェルデナントの方は先程と全く変わった様子もなく、椅子に腰掛けたままだった。

「別にやりあうつもりはない…今の俺だと嬢ちゃん一人にやられちまう」

ふざけているのか否か、フェルデナントは両手を広げてけらけら笑う。

「…今の?」

「聞き流して貰えなかったか」

互いに声を荒げる様な事は一切しない。けれどその間に流れる空気は冷たいものだった。ボロをだせば次の瞬間に首を刎ねられていそうな雰囲気。

「…俺もあんた達と同じようなものだ…ただ訳あって今は力の半分も使うことが出来ないんだよ」

さらりとそう口にしたフェルデナントに詰め寄るようなことはしなかった。例え詰め寄ったところで口を割ることはしないだろう。

「まぁいいわ…覚えておきなさい……貴方を殺すことなど簡単な事よ」

「上等」

会話はそれで終わりを告げる。アーシェラとしては分が悪い方向で…相手の身元もしれぬまま、こちらの身元が割れてしまった。アーシェラは決してそれを表に出さないが、奥歯をぐっとかみ締める。

一層フェルデナントに対する警戒心を強めたまま……




目が覚めた頃にはもう日は昇りきっていた。少しだけ小腹が空いている。それもそのはずだった、時計をみると時刻はもう昼過ぎ…どうやらあの後ずっと眠ってしまったらしいことを俺はやっと思い出した。

自宅に帰らず「Deity」にて朝を迎えることになったのだが、ずっとこうしているわけにもいかない。俺の本職は学生であり、このまま無断欠席が続いたならば確実に両親の元へと連絡がいくだろう。

「あら、おそよう」

部屋を出て店のカウンターまでくると、フィルネスさんが笑顔で出迎えてくれる。けれどその傍のどこにも菜月さんの姿はなかった。

「菜月さんは…?」

「あぁ…朝から出かけたわよ、坊やのお陰で私達がここにいることがばれちゃったからね」

皮肉をこめた言い方をされるが、そのとおりなので返す返事もない。それを分かっているのかフィルネスさんはそれ以上言葉を続けることはない。

「…怒って…ますか?」

ただ黙っている沈黙がつらくて、ついそう口に出してしまった。一瞬だけ驚いたような顔を向けたフィルネスさんだったが、すぐに笑顔に戻り首を振る。

「まさか…私達はずっとこんな生活を続けてきたのよ、今更…そんなつまらない事で怒ったりしないわよ」

「……ずっと」

その言葉にどうしてもカルネラを思い出してしまい、俺は視線を落としてしまう。

「…そう、ずっとよ…坊やが生まれるずっと前から…それでもよかったわ…私には夏樹がいたもの」

そう言ってフィルネスさんが浮かべた笑みは、優しいものだった。ずっとそうして生きてきた…けれどその傍にはいつでも菜月さんがいて…だから平気だと、声がそう言っていた。

「夏樹は私のために全てを捨ててくれた…人としての生も、友人も…家族でさえも…、だから私は夏樹がいればいい…ほかはどうだっていいのよ」

俯いたままの俺に、その声ははっきりと届く。カルネラにそんな人はいたのだろうか…ただ一度でも…全てを捨てて味方になってくれた人は…

「契約…まだ切れてないみたいね」

「え?」

その言葉に顔を上げると、笑みの消えた真剣な表情と目が合った。

「坊やは決めたんでしょう、関わらないと…だったら早く契約が切れないと…困るわね」

契約が切れない限り教会は俺を敵として判断するだろう。いや、もしかしたらもう敵として判断されているのかもしれない。ただ一度でさえ…彼らにとってその行いは罪なのだから…

「でも駄目ね…もう完全に契約しちゃったみたいだし……その契約が切れるとき…それはあの子が死んだ時よ」

息が止まるかと思った。予想していなかったわけではない。初めからフィルネスさんはそう口にしていた。カルネラが死ねば契約は切れると…けれど今、初めてそれを実感した気がした。

「でも恐らく…すぐよ…すぐに切れるわ」

フィルネスさんはどこまで分かっているのだろうか、カルネラを探しに行った夜…出会った一人の少女。明らかに何かが違うあの少女に追い詰められるようなことになれば…カルネラは確実に……

「……」

言葉が出ない。俺は正義の味方でもなんでも無い普通の高校生で…命を懸けてまで、全てを捨ててまで…カルネラを救うなんてそんな踏ん切りがつかない。きっと怖いんだ…命を懸けることよりも…今ある全てを失うことが。

それが分かっているから、きっとカルネラは俺に言ったんだ…その手を離したんだ。

「暫くよ…後暫くすれば…すぐに全部忘れられるわ」

小さくそう口にしたフィルネスさんの言葉に、俺は何も言葉を続けられなかった。



つけられている…そう感じたのはつい先程だった。恐らくは教会の人間だろう。菜月は小さくため息をつく。予想はしていた事だったが、まさかこんな白昼堂々つけられるとは思いもしなかった。

カルネラを追ってきた教会の人間だが、フィルネスがいる事を知った上でそれを野放しにするとは思えなかったが、その通り。あわよくば菜月とフィルネスも始末するつもりなのだろう。

「……」

見ずとも分かる。相手は二人。たいしたことは無い、たかが使徒だ。聖乙女が相手だというならばまだしも、普通の使徒相手に遅れをとるようなことは無い。そんな事よりも問題は場所なのだ。公道、それも人通りが多いショッピング街。こんな場所で騒ぎを起こすのは御免被りたかった。相手もそんな馬鹿をするとは思えなかったが、早々にこの場を立ち去るのが上策だろう。

思うが早いか、菜月は人目を避けるように人通りの少ない方向へと足を速めた。無論二つの足音も急ぎ足でついてくる。相手とて隠れているわけではないらしい。


暫く歩いて離れた場所。昼だというのにもう殆ど人の姿は見受けられなかった。そこで足を止め振り返る。

「…何の用だ?」

声を掛けると姿を現したのは、シルアとヴィグルだった。

「フィルネスと行動を共にしているヴァンパイア…間違いありませんね?」

シルアの問いかけに、菜月は肩をすくめた。分かっていて問いかけるその神経が疑わしいとでも言わんばかりに。

「だとしたら?俺を殺せるか?」

「純血でも無いくせに…二対一でよくそんな台詞を吐けますね」

冷めた口調でそう言葉にするシルアには微塵の優しさも感じられない。それはヴィグルも同じだった。使徒として生きてきた彼らにとって悪に与える情など初めからない。

「純潔じゃない…か、まさかお前等、俺がフィルネスに従うだけのヴァンパイアだとでも思っているのか?」

「…どういう意味ですか」

菜月が薄く笑みを浮かべる。馬鹿にしたようなその笑いにシルアはいい気分はしない。ただそれよりもその言葉の真意がきになっていた。「従うだけのヴァンパイア」と自分の意思で行動する「従うものではないヴァンパイア」では大きな違いがある。

「俺はフィルネスに血を吸われ吸血鬼になった……確かにそのままじゃあフィルネスに従う者だ。純潔じゃない俺達が「本物」になる方法を知っているか?」

菜月がかけていた眼鏡を外す。裸眼になったその目は赤く染まっていた。否、元よりそれは赤かったのだ。おそらくは菜月の身に着けていた眼鏡によってそれが抑えられていただけのこと。

「まさか貴方は…」

嫌な予感なんてものじゃなかった。それはもうすでに確信。間違いなくシルア達が目の前で対峙しているのは本物のヴァンパイア。

「主である者の血を飲む事…それで俺達は従う者ではなくなる」

「――っ」

元々人間だった人物にそんな事が出来るわけは無いと思っていた。そんな事は主であるフィルネスがさせる訳はないと…そう、それは彼等のプライドにとって大きな意味を示す。

―思い違いをしていた。

――この男とフィルネスは元より「主」と「従者」ではなかった。

「俺はフィルネスほど甘くは無いぞ…」

間違いなく、その目から見て取れたのは殺意だった。




朝方から出かけたというのに、その姿はまだ帰ってくる気配すらなかった。アーシェラがそれを気にし始めたのは一時間ほど前。いつもならばもう帰ってきている時間だろう。何かあった…そう考えるのが当然だった。

「帰ってこねぇな…あの二人」

「―っ!?」

急に背後から声を掛けられアーシェラは驚いて振り向く。そこには当然のようにフェルデナントが椅子に腰掛けていた。

「急に声を掛けないで……」

肩をすくめただけのフェルデナントにアーシェラはきつい眼差しを向ける。けれどそれもすぐ別の方向へと向けられた。考えられる状況は二つ。カルネラと接触しその始末に手間取っている。そしてもう一つ…フィルネスか従う者と接触し、帰還が困難な状況にある。どちらにしても放っておける様な状況ではなかった。

「…二人を探しにいくわ」

さっとその場を後にしようとするアーシェラに、慌ててついていくフェルデナント。

「何?」

「カルネラと接触した場合、俺にも用があるんでな…」

キッときつい眼差しを向けられるが、当然のようにフェルデナントは答えた。納得したのかしていないのか、それ以上アーシェラが止める事はしない。そうして二人は揃って部屋を後にした。


当てもなく探し回るのははっきり言って頭がいいとはいえないが、それ以外に方法が無いのも確かだった。

「嬢ちゃん、何か電波とかねぇのかよ」

「あるわけ無いでしょう、そんな便利なもの!」

あれば使うのかと、内心思ってしまったフェルデナントだったが言葉には出さない。十中八九アーシェラならば使うというだろう事が見て取れたからだ。他人からどう見られるかなど蚊ほどもきにしていない。

「だからって当てもなく探すのか?」

「…何かいい案でもあると言うの?」

疑問に疑問で返されて、フェルデナントは言葉を失う。虱潰しに当たるほかないのは互いに理解していた。アーシェラとフェルデナント、全く違う性格に意義、けれど互いに思うところは同じ事が多い。

「オーケー、虱潰しにいこう」

返事もそこそこにアーシェラは再び早足に歩き出した。仕方がないとフェルデナントも黙ってその後を歩く。

こう言うのもなんなのだが、二人の容姿はかなり目立つ。どう見てもそれは外国人のもの…それだけなら構わないのだ。問題は二人が酷く不釣合いなこと。一方は高校生かそれ以上に見える青年。もう一方はどう見ても年場もいかぬ少女。そしてその二人は似たところも無く間違っても兄妹には見えなかった。

「居心地悪くねぇか」

「何が…?」

当然のように視線を感じるフェルデナントが問いかけるが、アーシェラの方には全く気にした様子が見られない。その通り気にしていないのだから仕方が無いのだが。

「鉄の乙女だな…」

ポツリと呟いた言葉はアーシェラの耳には入らなかったらしい。幾度そう思っただろうか、アーシェラは感情を表に出さないというよりは自分を出さない。フェルデナントにはそう見て取れた。それは絶対に崩れることの無い防壁にも見えて、ガラス細工の様に脆くも見える。その危うさこそがアーシェラの人を引き付ける魅力なのだろうと思う。

「…いた」

独り言の様にそう言葉にしたのはアーシェラ。一瞬にして意識を切り替えたフェルデナントもアーシェラが見つめる方向へと視線を送る。互いにかける言葉など無く、どちらとも無く駆け出す。人通りが見るからに少なくなっていく細い道を駆け抜ける。それはただの少女のものではなかった。そうして思い知る、アーシェラが使徒としてずば抜けている事を…

突き当たりの角を曲がる――そうして辿り着いた。

「――」

血の臭いになど慣れた。その赤い色も見覚えがある。だから焦ったりなどはしない。だから息を飲んだりはしない。

だから恐怖を覚えたりなどしない。

「…ヴァン…パイア」

そう言葉にする。それで幾分か自分を取り戻せたような気がした。

血の赤が目の奥まで染め上げる。地面に伏す顔には見覚えがある。シルアとヴィグル…アーシェラと共にこの街へとやってきた使徒。その体は赤く染まり、ピクリとも動かない。そんな中立ち尽くす男の姿。

「…使徒か」

その手は赤く染まっている。武器などもっているはずもない、そう二人の使徒は武器も持たぬ丸腰の一人の男にやられたのだ。それは目の前の者がヴァンパイアだから…「従う者」などと…呼べようはずもない。

「神に仇なす者は…何者であろうと排除します」

言い聞かせるように呟いた言葉。それは鎖であり盾であり剣。

菜月にけしかけ様としたアーシェラを止めたのは、フェルデナントだった。

「―馬鹿言ってんじゃねぇ、分が悪いのは火を見るより明らかだろうがっ!?」

フェルデナントの言葉は理解できた。それでもそれに背を向けることはアーシェラにとって許しがたい事実。

「逃げたいのならば一人で逃げなさい」

はき捨てるように言い切ったアーシェラに、フェルデナントは頭を抱えそうになる。優劣の区別がつないほど馬鹿ではない。これはアーシェラにとっての存在意義にかかわるのだ。それは分かる。分かるが理解は出来ない。自分の為に、自分の為だけに生きてきたフェルデナントには理解できるわけも無かった。

「くっそ、わかんねぇ嬢ちゃんだなっ!!」

仕方なくフェルデナントもアーシェラと同じように菜月に向き合う。一瞬だけ、アーシェラが目を疑ったような表情を浮かべた。

「分が悪いと…そう言ったわね」

アーシェラがハッキリと、この場にいる誰もが聞き取れる声で言う。

「たかがヴァンパイア一人…私一人でも排除できるわ」

手を掲げる。静かに風が舞う。その手に握られていたのは、一振りの剣。

「――お前は」

菜月が声を漏らす。白い法衣、金の髪、青い瞳、一振りの聖剣…

「聖乙女」

「Amen」

言葉とほぼ同時にアーシェラは剣を振りかざして飛躍する。気がついた様に菜月は後退するが、振り下ろされた剣は更に空を切り、菜月に向かって襲い掛かる。少女の姿に不釣合いな大きさの剣。いや、少女が小さいせいでそう見えるだけかもしれない。

「―これは、俺が不利か」

呟くようなその声と共に、菜月はその場から高く飛躍する。はるか上空、人であるアーシェラに追うことは不可能、そう思われた。けれどその姿を追うように、アーシェラも飛躍する。

「逃げれると思わないことね」

振り下ろされる剣。紙一重でそれを避けた菜月は地面へと舞い降り、一度だけ舌打ちをしてフェルデナントの隣をすり抜けた。そしてそのまま公道の方へと走り去っていく。当然のようにその後を追うアーシェラをどうにか止めたのはフェルデナントだった。

「―放して!」

「馬鹿言うな!むこうは公道だぞっ、捕まりたいのか!?」

酷い剣幕でそう怒鳴りつけられ、アーシェラはやっと我に返る。それと同時に、手に握られていた剣はすっと姿を消していた。

「この二人…まだ息があるみたいだぜ…」

そういってフェルデナントが指差したのはシルアとヴィグル。使徒と言えど、あまりに深い傷を負い、血を流しすぎると死に至る。今は二人の手当てをするのが先決。それはアーシェラにも理解できていた。

「…二人の手当てを…するわ」

小さく呟かれた言葉に、フェルデナントはやっとの思いで息をついた。




二人の傷は浅いとは言えるものではなかった。それでも命を取り留めただけでよしとするほか無い。二人を手当てし終え、アーシェラは黙って外の景色に目を向ける。自分は何をしているのかと、この街に来てからずっと思うような行動が取れていない。それは酷くいらだたしく、同時に焦りを生んだ。

「寝ないのか、嬢ちゃん?」

その声にアーシェラは静かに振り返る。そこにはもう見慣れたフェルデナントの姿があった。

「貴方こそ…寝ないの?」

「別に、俺は大して力も使ってねぇし…嬢ちゃんは疲れただろ」

それがさも当然の事のように口にするフェルデナントに、アーシェラは言葉を失う。アーシェラの聖乙女としての力。それは確かに人の体を持つ彼女にとって酷くつらいものだった。けれどそれを口にした覚えは無い。

「どうして…?」

だから問いかけてしまう。その意図を確かめてしまう。

「…別に理由なんてねぇけど、なんとなくだ。高い能力にはそれなりのリスクがつきもの…何のリスクも無くそんな力を使いたい放題ならカルネラなんて話にならないはずだからな」

何も考えていないようで、見るところ、聞くところは聞いているらしい事に、少なからず感心してしまう。フェルデナントの言うとおり、アーシェラの力は自由に使えるわけではなかった。その力の強さに伴うように、それはアーシェラの力を体から奪っていく。だからアーシェラは普段、その力を自分自身をタンクの様にして蓄積している。いわばアーシェラの力は湧き水の様なもので、次から次へと湧き出てくるものの、その量は少ないものだった。そうして貯めておかなければすぐに底をついてしまうのだ。

「早く寝るんだな…じゃなきゃ、その剣も振るえなくなっちまう」

そう笑みを浮かべて、フェルデナントは自室へと戻っていく。その背中に視線を送りながら、アーシェラは更に消せなくなっていた…フェルデナントに対する不信感が…




電話が鳴っている。それに気がついたように細い腕が受話器を取った。

「もしもし?」

「俺だ…暇してるみたいだな…いい気なもんだ」

その向こうから聞こえてきたのは笑いを含んだ男の声。それに気分を害したのか少女は声を低くする。

「何よ、何の用もなくかけてきたなら切るわよ…私はあんたの声すら聞きたくないんだから」

「そう言うなよ、お前の行動が遅いからそっちに向かえって言われてるんだ二、三日中にはそっちに着く事になってる」

その言葉に少女は受話器を落としかけた。信じられないというように頭を抱えてしまっている。

「嘘でしょ…こっちは厄介な事になってるって言うのに…」

「厄介?何か問題でも起こったのか?」

少女の言葉に興味をもったのか、男が食いついてきた。

「カルネラが契約者を得たわ…後はフィルネスと従う者もこの街に…」

「そいつはいいねぇ…面白い事になってるじゃねぇか」

「面白い?あんた正気?神経疑うわね…全部私たちにとってはマイナス要素ばかりよ…カルネラの契約者がフィルネス達と関わりあるようだし…」

はき捨てるようにそう口にした少女の反応が気に入ったのか、男は笑っている。

「面白いねぇ…実に面白い……けどまぁ、いいじゃねぇか利用してさっさと目的を果たしちまいな」

「分かってるわよ…居場所も掴めたし…何より…丁度使徒二人が動けない状況みたいだからね…」

そう少女は残酷な笑みを浮かべて電話を切った。

「…急かされるまでも無いわ……アーシェラ・シルバニア……すぐにでも殺してあげる」

言うが早いか、その姿は部屋を後にした。




空を見上げる。星も見えない…いやもう今となっては見えない場所のほうが多いだろう。一人ビルの上でアーシェラは目を閉じて考える。シルアとヴィグルが動けない今、行動を起こすことは得策ではない。けれどこのままカルネラを野放しにしていては、またその姿を見失う。それでは駄目なのだ。聖乙女と呼ばれるアーシェラだからこそそれは許せない。ずっと昔から続けてきたこの戦いを終わらせる事、それこそがアーシェラの目的であり、意義だった。

その為にほかの総てを捨ててきた…人はそれを自己犠牲というのかもしれない。けれどアーシェラにとってそれは存在意義そのものだった。神を見失えば、今のアーシェラは崩れてしまう。今までの総てを壊されてしまう。

「……総ては神の御心のままに」

言い聞かせるように呟く。事実それはアーシェラにとってまじないのようなものだった。

自分を見失わない為、縋っているのだ…神に…

「神様なんていないわよ」

その声にアーシェラは振り返る。見たこともない少女だった。一見普通の少女…それもどちらかというと優等生に見える外見。

「…貴女は」

「はじめましてアーシェラ・シルバニア…聖乙女様」

馬鹿にしたように笑顔を浮かべる少女…否、実際に馬鹿にしているのだ。その片手には短刀が握られている。それでアーシェラは全てを理解した。彼女は自分を殺しにここへ来たのだと…

「そう怖い顔しないでよ…あたしは貴女を殺しに来ただけなんだから」

にっこりと満面の笑みをこぼした少女には優しさなど微塵も感じられない。

「見たところヴァンパイアでもなんでもないようだけど…死にたいの?」

ただの人間の少女、少なくともそう見て取れた。いくら凶器を手にしているからと言って、そんな少女に遅れをとるアーシェラではない。気になるとすれば少女が自分の素性を知っていたということ。

「嫌よ、あたし痛いのは好きじゃないの…死ぬのは貴女。あ、でもその前に少しだけお話でもしましょうかー?」

あくまで無邪気にあっけらかんと言葉を続ける少女。何が目的か理解しがたいが、素性が知れない今、下手に手を出すことはためらわれた。

「神様について…」

「…断るわ、貴女のような人間に神を語られたくない」

ハッキリとはき捨てたアーシェラを、さも愉快なものでも見るかのように、少女が目を細める。

「語るも何も、神様なんていやしないじゃない」

その言葉にアーシェラはきつい視線を送った。

「神の代行者…そう貴女は言うけど、そもそも本当に神なんているのかしら?実際に見たこと、会ったことがあるとでも?それとも人の前に姿をさらすなんて真似はしないほど崇高なものなのかしら?」

「……」

アーシェラは答えない。無論少女もそんな事は分かっている。

「それに神は本当に貴女が言う悪を悪としているのかしら?」

「…なん、ですって」

「だからー、貴女が悪とするのはヴァンパイアや悪魔達の事なんでしょう?けど神は本当にそれを悪と定めてるの?殺戮を繰り返す人間と、何もしていない悪魔…それはどっちが悪なのかしら?」

無邪気な少女の笑顔に対して、アーシェラの表情が固まる。ずっと昔…アーシェラが戦うことを決めた時、悪は「悪」でしかなかった。けれど今は…?その全てが悪だと何故言い切れる?

「――っ」

考えたこともなかった。自分の信じるものがこんなにも脆いとはじめて知った。アーシェラが信じる悪など…

初めから無かったのだ。

「理解できたー?お馬鹿さん」

少女は短刀を手にアーシェラへと歩み寄っていく。けれどアーシェラの足は動かない。真っ暗になった…ただ少し信じるものが揺らいだだけ…それでも…アーシェラは盲目過ぎた。それ以外何にも目をくれなかったのだ…人間など…「悪」の対象にすらいれていなかった。

「ほんと…脆いわね、あんたの正義」

少女の顔が愉快そうにゆがむ。そして短刀は振り下ろされる。アーシェラの頭上に向かって…

「嬢ちゃん!!」

声と共に、一瞬世界が揺らぐ。アーシェラに向かってまっすぐ振り下ろされた短刀はアーシェラではない者の肩を掠めていた。目が覚めたようにアーシェラが顔を上げる。そこには酷い剣幕をした見慣れたフェルデナントの顔。

「貴方…」

「逃げるぞ」

言うが早いかフェルデナントはアーシェラを抱えて駆け出す。とは言ってもビルの上、逃げられる訳は無いと少女は高をくくっていた。けれどその思惑を裏切るようにフェルデナントはアーシェラを抱えたままビルの屋上から飛び降りる。

「――っ!?」

慌ててフェルデナントの姿を目で追うが、すでにその姿ははるか地上…しっかりと着地していた。

「何…よ、聞いてないわよ!」

想定外だった…あんな男がいる事など…今はじめて知ったのだから。

明らかに人ではない能力…そんなわけは無い…そうそんな人物は、いるはずが無いのだから。





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