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Take 3 Contract

気がつけばじっと外の景色を眺めていた。ずっと暮らしてきた街とは明らかに違うその景色に、アーシェラはため息をつく。故郷を惜しむ気持ちなどありはしない。けれど自分にとってこの町は居心地がいいものではなかった。

 「…姫?」

 部屋に入ってきて、アーシェラに声をかけたのはシルアだった。その声には振り向いたものの相変わらず何も言おうとはしない。

「どうか…しました?」

シルアはもう一度問いかける。そうしてやっとアーシェラは首を静かに振った。

「なんでもない…少し、外を歩いてくる」

「え!?あ…姫!?」

言うが早いかアーシェラはそのままシルアの横をすり抜けるように部屋を後にしようとする。当然のようにそれを止めるシルアの手をアーシェラは静かに遮った。

「平気…近くを散歩するだけだから、すぐ帰るわ」

まっすぐとした目を向けられ、シルアは仕方なく頷く。もちろんアーシェラの心配をしない訳ではないが、それ以上に信頼しているだけの事。彼女がそう口にしたのならば、シルアはそれを信じるだけだった。




目の前で繰り広げられている光景に目を奪われていた。それは本当にこの世のものなのか…疑わずにはいられない。カルネラが男に宣言した後、戦闘は開始された。

男の武器はその拳だった。弾丸のように振り下ろされるソレは、触れるもの全てをまるで柔らかい泥の塊でも崩すように砕いていく。カルネラがさけた事でコンクリートに叩き付けられた拳は、それを粉砕していた。

「…っ」

声も出ない。出せるわけがない。俺にはどうすることも出来ない世界だった。コンクリートを砕いてしまう拳など、受け止めれば確実にその骨が砕かれるだろう。けれどそれをカルネラは片手で受け止めるのだ。それが彼女が人間ではない事を否が応でも表していた。幾度も振り下ろされる拳、カルネラはそれを確実に受け止めていく。

カルネラは言った。『三手で終わらせます』と…まだ彼女は一手目すら繰り出してはいない。図っているのだ…確実に、絶対の一手目を与えるタイミングを…

「――っ」

振り下ろされた拳をカルネラが左手で受け止める。それは一瞬一秒。右手に出来る限りの力を込め、カルネラが男のわき腹を抉る。

「一手!」

「―っあ」

反射的に身を引いた男は、そのままカルネラとの距離をとった。確実に男を捕らえたと思ったカルネラの一手目は、男の左腕によって寸前のところで防がれていた。しかしそれを見たカルネラに動揺の様子はない…まるで計算内だとでも言うように、カルネラは男を見据えていた。まだ一手目なのだ…そう、カルネラには後二手が残されている。

「……」

無言のままカルネラが地面を蹴り男との間合いを詰める。数メートルはあったその間合いを詰めるのに必要としたのは、たった一歩だった。

「くっ!」

カルネラの両手が男をつかむ。が、それは当然の様に男の手によってしっかりと捕らえられた。その瞬間、カルネラは地面を蹴り上げ男の方に重心をおいて、自らの体を宙へと浮き上がらせる。

「――!」

男が気づいたときには遅く、勢いよく宙へ浮いたカルネラの体は、その反動を保ったまま男の胸へと足を振り下ろした。

「二手!」

「っぐ…」

普通の少女の攻撃ならば、男はビクともしなかっただろう。しかし男に一撃を与えたのは紛れもない悪魔なのだ。それを証明でもするかのように男は吹き飛ばされ、地面へとたたきつけられる。

「……これで最後です」

カルネラは言った。『三手で終わらせます』と……

そうだった。彼らにとってこの戦いは殺すか殺されるか…つまるところカルネラの言う『終わり』とは『殺す』という事だった。今更…わかっていたはずなのに、三手目を振り下ろそうとするカルネラの手を、俺は止めたくなった。もちろんそんな事はできるはずがない…それでも……

「待ちなさい」

その声は唐突に、沈黙を破るように現れた。金の髪をなびかせながら、カルネラとは対照的な白い衣装をまとった少女。

「あんたは…」

その姿には見覚えがある。忘れるわけがない…その外見の幼さを感じさせない違和感…「Deity」に姿を見せた三人組の一人…その少女だった。

「まさか散歩をしていて、こんな状況に出くわすとは思わなかった…」

倒れた使徒と俺達を見比べながら少女は小さくため息をつく。いまだに緊張を解かないカルネラを気にも留めず、少女は背を向け男へと歩み寄っていく。

「…助けるつもりなら……」

その少女の足を止めるようにカルネラが発した言葉。それによって確かに少女は足を止めた。

「助けるつもりなら…なんだというの?」

振り返ったその少女の顔には、恐怖すら覚える冷たさがあった。まるで、何事も受け付けないようなその空気にカルネラは言葉を失う。

「契約者を見つけたからといって…どうにかなると思っているなら浅はかだわ……、私をあまり怒らせないで…」

静かな声。けれどそれには確かな殺意がこめられていた。しばらく反応がないことを確かめた後、少女は男のそばまで行き、その体を小さな肩に担ぐ。

「……」

固まったように動かない体を俺はどうにかその場に止めていた。少しでも気を抜いたならば、その場に倒れこんでしまいそうだった。

「今度あった時は……必ずあなたたちを排除する…覚えておいて…」

それだけ言葉を残し少女は男を担いだまま、闇の中へと消えていった。


その姿が完全に見えなくなって、ようやく俺は息をついた。カルネラもどうやら同じらしく、倒れこむようにその場に座り込んだ俺の前にひざをつく。

「大丈夫?」

そう問いかける声は先ほどと打って変わって自信のない、頼りなげなものだった。そのギャップに驚きながらも俺はどうにか笑みを返す。

「…そんなに心配する事ない、戦ったのは俺じゃなくてお前なんだし…」

「違うの…私は…」

言いかけてカルネラは言葉を切る。もちろん俺にはカルネラの言いたいことなど分からない。だからその言葉を待つしかなかった。

「完全に契約を交わしてしまった。だから私にとっての契約者とは何なのか…それによってあなたが負う苦しみを教えます」

まっすぐとした目。それに一転の曇りもなく、偽りなど微塵も感じられなかった。そう、これからカルネラが言うことは、紛れもない事実なのだ。それがたとえ死の宣告でも……





自分の一回りは大きいであろうその体を、アーシェラは肩から事も無げに下ろす。

誰もいない学校の屋上。カルネラたちから背を向けたどり着いたのはそこだった。ただの夜の散歩のつもりだったのだが、不意に感じたカルネラの気配に、向かわずにはいられなくなりあの場所へと足を向けていた。

「……」

じっといまだ目を覚まさない男、フェルデナントを見下ろしながらアーシェラは考えてみる。アーシェラは二人の供を連れ、カルネラを追ってきた。カルネラを狙っていたということを考えると、フェルデナントも教会の使徒のはず、けれどアーシェラ自身使徒全員を覚えているわけではなく、フェルデナントを見るのもこれが初めてだった。

「話を…聞かないと」

見知らぬ使徒がいることに何の疑問もない。アーシェラが疑問に思ったのは『カルネラを追っていた』という点だった。自分自身でカルネラを始末すると決めたときから、他の使徒へカルネラを追う様にという任は与えていない。だからこそ、その正体を確かめねばならなかった。

「…ぅ」

「目が覚めた?」

目覚めたフェルデナントの目に映ったのは、月の光とこの町には不釣合いなアーシェラの姿。あまりの違和感に自分がいまだ夢の中…あるいは死んだのかと思ってしまう。

「呆けてないで答えなさい」

そんな考えを打ち消すようにかけられた厳しい声。その声でやっと自分自身がいまだこの世界にとどまっていることを確かめることができた。

「あ、あぁ…目は覚めた」

「そう…それならば問うわ、貴方は何者でなぜカルネラを追っているの?」

質問は簡潔だった。無駄な時間など割きたくないとでも言うように、はっきりとそれだけを口にする。

「何者って…それはこっちの台詞だ。あんたこそ何者だ?」

まっすぐと目を向けるアーシェラに、にらみ返すような目を向けるフェルデナント。

「何者…?貴方は…使徒ではないの?」

自分の耳を疑うような声でアーシェラは問い返す。

「使徒だって?何だよそれ……悪いが俺はそんなんじゃねぇよ」

はっきりと答えられた言葉。それを聞いたアーシェラは考え込むように黙り込んでしまった。

目の前の男は『使徒』ではないと言うのだ。それがどういうことを指すのか、アーシェラに分からないはずはない。教会の人間ではない者が悪魔を追っている。それは何かの因縁か、それとも恨みか……それだけなら十分にありえる事なのだ、今更驚きはしない。けれど…フェルデナントはカルネラの攻撃を受けて、なお生きている。

それは普通の人間では考えられないことだった。

「……そう、では自己紹介をしておくわ。私の名はアーシェラ…訳あってカルネラを追っています」

アーシェラは自身が教会の人間であることも、その地位すらも口にはしなかった。

「へぇ…俺はフェルデナント…まぁこちらも訳ありでな…」

フェルデナントも自分のことについて深くは触れようとしなかった。本当に名前だけを交わす自己紹介。

「貴方もカルネラを追っている……だから一つ提案するわ…」

「…?」

フェルデナントの正体が分からない今、アーシェラにとってそれを見過ごすわけにはいかなかった。

「私と協力しない?カルネラを排除するまでの間……」

だからそう口にした。予想もしなかった言葉にフェルデナントは耳を疑うが、まっすぐと向けられたその目に頷く。

互いの名しか知らぬ二人の間でその日、同盟は結ばれた。





カルネラが話を終える頃には、もう辺りは白み始めていた。

カルネラの話は至って簡単なもの、このまま契約を続けていれば俺は確実に死ぬということ。カルネラにとっての契約者は盾のようなもので、カルネラが負うはずのダメージを受け取ることになる。それは即ち、カルネラが死ねば、俺も死ぬということをさしていた。

「……」

言葉は出ない。例えカルネラが死に至るような傷を負わずとも、俺の体が耐え切れるであろうダメージを上回れば死ぬことになる。

カルネラとの契約を破棄する以外に、生きる道はないという話。

「……私は、今まで一人で戦ってきました。契約を破棄するのであれば構いません…」

はっきりとそう告げるカルネラは、どこからどう見ても普通の少女で、そんな少女が今まで一人で戦ってきたなんて信じられなかった。けれど、それを俺は信じざるえない状況を目にしてしまっている。

「貴方を…巻き込むわけにはいきません」

男の拳を受け止めたカルネラの手は、確かに小さく細い少女の手。自分の身より、俺の身を心配するような少女。

「…俺は」

そんな少女を見捨てることなんて出来なかった。今はただ死ぬという事が実感できていないだけかもしれない。そうだとしても、今俺が出せる答えはそれしかなかった。

「俺は契約を破棄したりしない」

「…でも、それでは……」

物言いたげに顔を上げたカルネラに、俺は笑みを返す。出来る限りカルネラが気兼ねしないように、重荷にならないように。

「もう、決めたんだ……カルネラの手を取ったときから」

そう、立ち上がって手を差し出した。一瞬だけ目を見開いて躊躇するが、やがて恐る恐る俺の手に触れる。

「契約者が盾だって言うなら、それでも構わない……カルネラが俺の剣になってくれ」

俺には戦う力はない。だったら盾になるぐらい…耐えてみせる。目の前の少女が…戦うというのだから…

「…はい、ごめんなさい……ごめん、なさい」

泣きそうな声で、顔を伏せるカルネラ。それは多分これから俺が負うであろう痛みを思ってのことだろう。それは同時に、それほどまでに辛いであろうという事を感じさせた。

「あぁ…」

大丈夫だと、そう言いかけて言葉は出てはこなかった。




部屋に戻ってきたアーシェラの隣には、フェルデナントの姿がある。もちろんヴィグルもシルアも真っ先にその事をアーシェラへと問いかけた。けれどアーシェラは別段変わった様子もなく、平然と「協力することになった」とだけ伝える。

「…姫…教会の人間でもない人に手伝わせるんですか?」

フェルデナントが席をはずし、三人になった時を見計らったようにシルアが口にした。

「…確かに彼は教会の人間では無いと言っている……けれどカルネラを狙っている以上、放っては置けない」

無論その言葉にはシルアもヴィグルも同感だった。カルネラが契約者を得た今、これ以上猶予といえる時間はないのだから…

「じゃあ姫さん…とりあえずあいつは仲間として対応するんだな?」

「……そんな事は言っていないわ」

冷たい返事だった。はっきりとした口調と目線でアーシェラは言葉を続ける。

「彼は私達と偶然目的が一致しているだけ…別に彼を支援する必要も助ける義務もない…」

「もし彼が死に瀕しても捨て置く…という事ですか?」

続けて問いかけたシルアの言葉も冷たいものだった。当然のように頷いたアーシェラにシルアとヴィグルは安心したように息をつく。正直な事を言うと、身元も正確につかめない男を仲間にするのは御免被りたかった。

「わかりました…従います」

そう笑みをこぼしたシルアはいつもの柔らかな雰囲気をまとっている。いつでも二人にとってアーシェラの言葉は絶対だった。




カルネラは最後まで「Deity」に足を進めるのをためらっていた。自分自身ここに足を踏み入れてしまったら、これからは何があっても恐れている事態が回避できないと思ったからだ。

「…カルネラ?」

その名を呼ぶ京右の声が耳に触れる。甘えてもいいなら甘えてしまいたい。今もこの先もずっと一人で耐え抜いていくのはもう嫌だった。自分自身の事すらいまだ正確に思い出せはしないけれど…少なくとも今カルネラ自身が意識しているのは「普通の人」としての自分だったのだから…

「…でも私は悪魔なんです」

誰に言われたわけでも、教えられたわけでもない。それでも自分が人とは…目の前にいる京右とは明らかに違う存在だということはわかっていた。あえて言葉にするなら、それは自分の中にある本能がそう教えてくれるのだろう。

「…死ぬかも……しれないんですよ」

俯いたままカルネラは口にする。

「後戻りできないんですよ……死んだら、何もできなくなるんです」

声は小さく低い。けれど物音ひとつしない夜が明けたばかりの街では、その声ははっきりと耳に届いた。

「…カルネラ、俺は」

「死ぬのが怖くはないんですか!?」

京右の言葉を遮るようにカルネラが声を上げる。京右に向けられた顔は眉が顰められ、目には涙が溜まっていた。本当は頼りたい。本当はその傍に誰かいて欲しい。けれど…そんな事をすればその相手が死ぬのは分かっていた。相手が死ぬことが怖いのではないのかもしれない…相手を失った後、自分が背負うであろう孤独が怖いのかもしれない。

「怖くないわけじゃない……たぶん分からないんだ…」

嘘を並べることもできず、京右は正直にそう口にする。

「…分からない?」

鸚鵡返しに聞いたカルネラに、一瞬言葉を濁すが、はっきりと言葉を続けた。

「今まで平和に暮らしてきて…戦争とか殺人とか、話は聞くけどそれだけで……その実感がないんだ」

生まれたときにはもう平和で、運のいい事に今まで命に関わるような大事はなかった。特に死にたいとも思ったことがなかった京右にとって、その「死ぬ」という事自体が実感としてなかった。

「…だったら」

小さく呟くとほぼ同時だった。

カルネラに視線を戻した京右の顔…そのすぐ横をカルネラの拳が掠める。息が止まるかと思った。普通の自分より小さな少女にされたとしても、驚くであろうそれをしたのは、カルネラなのだ。もちろんその拳を真に受ければ京右は生きてはいないだろう。

「カル…ネ、ラ」

名を呼ぶのが精一杯だった。目の前の少女…先程まで泣きそうな顔を向けていた、折れてしまいそうなその少女が…今は殺気を帯びている。何の訓練もしていない、平和ボケした頭でも分かるぐらいぴりぴりとした殺気。

「…怖い…ですよね」

呟いた声。

「動けないぐらい…怖いですよね……死ぬのは、嫌ですよね」

最後の最後…呟いた言葉は、苦笑いを帯びた優しい声だった。何か声をかけようと京右が口を開きかけた瞬間、カルネラが一歩、二歩後ずさる。

「…ぁ」

声が、言葉が出なかった。目の前で顔を伏せ、立ち尽くしている少女に何か言わなければと思えば思うほど、言葉が出てこない。

「ごめんなさい……ありがとう」

一度だけ頭をさげ、カルネラは小さく微笑んだ。それはどうみても自分より幼い少女で、頼りない姿だった。

「…私悪魔ですから……役に立たない人は必要ないです」

はっきりと聞こえる声でカルネラが背を向ける。勿論そんな言葉が本心でないことぐらい分かっていた。分かっていても何も言葉が浮かばないのだ。

「さようなら…キョウスケさん」

言うが早いか、小さな背中は走り出す。

追うべきなのか…追わないほうがいいのか…自問自答を繰り返して分かるはずなんてなかった。例えカルネラが本心で言っていなかったとしても、「役に立たない」その言葉は酷く耳に残った。追いかけて、カルネラを説得して……けれどそれでどうなる…何もできない自分にカルネラを助ける事なんてできるわけが無い。

「…俺は…」

言葉が続かなかった。握ったはずのその手を離してしまった。




夜が明けた。朝が来ても俺は「Deity」で菜月さんやフィルネスさんと顔を合わせていた。

「…あの子が自分で決めたなら仕方ないでしょ……忘れなさい坊や」

フィルネスさんは当然のようにそう口にして奥の部屋へと入っていってしまう。多分昨夜寝ていない分、今から寝るのだろう。

「京右」

菜月さんに名を呼ばれ、俺は顔を上げた。目に入ったのはいつも通りの菜月さんの顔。俺は今どんな顔をしているのだろう…カルネラの手を離し…その後を追えなかった。

「お前が気に病むことはない…誰だって死ぬのは怖い、そんなもんだろ」

一瞬、菜月さんもそうだったのだろうかと思う。フィルネスさんと一緒にいるという事は、あの教会とか呼ばれる人間達とも対立しているということで、それはあんな光景が日常という事をあらわしている気がした。

「…でも、あいつ」

思い出す。初めて会った時の事を…弱弱しくて、控えめで、少女らしい笑顔を漏らしたカルネラ。

「助けて…って言ったんだ」

助けてと…誰でもない俺に手をさし伸ばしてきた。俺は当然のようにその手を掴んだ。冷たくて小さくて…消えるんじゃないかと思うような手だった。

「…お前は…人として善行をしただけだ。これ以上は善行だけじゃすまない…忘れたほうがいい」

フィルネスさんと同じ言葉を言う。死にそうだった人を助けた。確かに俺はそれだけのつもりだった。けれど本当はそうじゃなくて、色々な事にまきこまれて、色々な話をきいて…それでも……俺はその手をまた掴んだんだ。

「…わかりました」

けれど口をついて出た言葉はそんなものだった。俺に何ができる…俺は普通の人間で、目立った特技も無くて…何も…してやれないのだから。




スッと…暗かった視界が開けて見たことも無い場所が眼前に広がった。あたりを見渡すと懐かしいようなどこか不思議な気持ちになっていく。けれどやっぱりそこは見たことも無い場所で、そこにいる実感がないという所で、やっとそれが夢なんだと認識できた。夢の中でこれは夢なんだと理解するのは不思議な感じがしたが、何故か意識はハッキリしている。

「カルネラー!」

聞き覚えのあるその名前に、俺は慌てて声のほうへと振り返った。

そこにいたのは多分年よりも若く見えるであろう初老の女性と、幼い数人の少女と少年…。その中の一人…見覚えのある少女がいた。灰色の髪を一つに束ねた俺の知っている姿より小さなその姿。

「もう、あんまり遠くに行っちゃ駄目だって言ったろ?」

優しく怒るようにカルネラの頭を小突く。一方カルネラは反省したようなしていないような笑みを漏らす。

「あのね先生、あっちで男の人見かけたよ」

「男の人?」

興味津々とばかりにカルネラが先生と呼ばれた女性のスカートの裾を引っ張る。

「うん、十字架もってたの」

その言葉に明らかに女性の表情が硬くなった。今ならなんとなく分かる。その男は…教会の人間なのだろう。

「…そう、ほら皆ご飯にするから家の中に入りなさい」

小さく微笑むと、女性は子供たちを家の中へと押しやった。けれど女性だけは家の中に戻ろうとはしない。くるりと踵を返し、カルネラが指差していた方向へと足を速めた。


そうして女性が暫く歩いた先…男はいた。黒い神父服をまとっている。男も女性に気がついたのか、冷たい目を向けた。

「…教会が、何の用?」

先に女性がそう声を上げた。大きくは無いが、その声には小さな殺気が入り混じっている。

「ご挨拶だな……お前も元使徒だろう」

「…あたしは使徒になんてなった覚えない……あたしは、師匠からハンターになる事を学んだんだ」

はっきりとした口調で女性ははき捨てるように言った。男は動じた様子も無く、肩をすくめる。

「まぁどちらにせよ、教会の人間であった事には変わりない」

「…だから何だって言うの」

女性はいつしか男を睨んでいた。その言葉に男はピクリと眉を動かし、女性に目を向ける。

「何…?本気で言っているのか…?それとももう三十年以上も前の事など時効になっているとでも?」

その言葉に女性は息を飲んだ。思い当たる節があるかのように、拳を握り締めている。

「お前は教会の人間でありながら、フィルネスと松島夏樹…二人を見逃しただろう……重罪だ…聖女がお怒りになられたよ、お前を殺せとね」

聞き覚えのある名前に戸惑いながらも、俺は男と女性の会話から目が話せないでいた。殺す…ただ教会が悪とするものを見逃しただけで殺すというのか?

「…そう、殺すなら殺しなさい…もう十分…生きたわ」

女性の顔には笑みが浮かんでいた。これから死ぬというのに、理不尽な理由で殺されるというのに…

「あたしを殺して…さっさと消えて……あの子達は教会とは何のかかわりも無いでしょう」

「孤児院か…自分が孤児だったからか?」

馬鹿にしたような笑みを浮かべる男に女性は答えない。

「まぁいいさ、じゃあ死ぬんだな…Amen」

男は懐から銃を取り出し、何のためらいも無く女性に向ける。逃げることも、叫ぶことも無く女性は目を閉じた。

「せんせぇ!!」

その声と銃声はほぼ同時だっただろうか…声のほうに目を向けると、泣き出してしまったカルネラの姿があった。女性もその姿に気がつき、泣きそうな表情を浮かべる。けれどそれだけ…胸を貫いた銃弾により、女性は崩れるように地面に倒れた。

「せんせぇ!せんせぇ!!」

カルネラがバランスを崩しながらも、女性の傍まで駆け寄る。けれどたどり着いた時には女性はもう息をしていなかった。

「…残念だな嬢ちゃん」

男が感情の無い声でそう口にした。ゆっくりと男を見上げるカルネラ、その目には怒りの感情が滲んでいる。

「さっさと帰るんだな…じゃないとお前も死ぬぞ?」

怒りを通り越し悲しみになったのか、カルネラのめからは大粒の涙がこぼれ始めていた。奥歯をかみ締め、男を睨みつける。そんな事をしてどうなる訳でもない事は分かっていた。それでも…

「うあああぁぁ!!」

カルネラは男に飛び掛る。当然子供の力…大人にそれも男にかなうはずもなく、カルネラは男によって地面へと叩きつけられた。

「…っ」

「たっく、めんどくせぇな…」

男はそうニヤリと口を歪ませた。まるで面白い玩具を見つけたかのような顔で…男はそのままカルネラを担ぎ上げて歩いていく。カルネラの意識は昏倒しているらしく、たいした抵抗もしていない…ただその目は、ずっと女性の姿を見ていた。



目が覚めると同時に涙が流れていた。

誰に聞かなくても分かる。あれはきっとカルネラの過去なのだ…カルネラ自身忘れてしまっている過去……契約はまだきれていない。だからこんな夢をみたのだろう。

体が重い…頭が痛い…吐き気がする…全身に痛みが走る。息をすることさえ苦痛……これがカルネラの言っていた契約の代価。

けれどそんな体の痛みより…その手を離してしまった…カルネラが今も感じているであろう悲しみが俺の中に伝わってくる。それが何より辛くて…苦しくて…涙が出た。


その手を…離すんじゃなかった、と……




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