短編集 三巻 その二
「…はあ、いつまでもこうしているわけにも行かないわよね。気は進まないけど、いきましょうか、ザック」
「そうッスね、よし、ドニー号発進!」
二人組みは言葉を交わした後、船着場の方向へ移動を始めた。
ドニーと呼ばれた大柄な体格の影、オドネルは、肩に担いだ雑嚢を担ぎ直し、船着き場へ歩を進め始めた。次いで、ザックと呼ばれた細い体躯の男、アイザックも、背負った背負子を揺すりあげ後に続く。
順当に行けば、二つの影はそのまま薄まりつつある朝靄の中へ徐々に消えていくはずだった。
しかし、その歩みも一人の意の介入により、直ぐ様止まることとなった。
「ちょいと待ちな、あんた達」
白のベールの向こうから、よく通る声が聞こえてきた。二人は足を緩め、海の方を見やる。
すると、二人に向かいひとつの影が揺らめいた。
「……?」
オドネルが疑問の表情を示す。その間にも影はずんずんと近づき、やがてその全容を明らかにした。
その体躯は一重に屈強のひとつに収束されるものだった。成人男性よりすこしばかり高い背丈を有するオドネルより頭半分ほど高く、それでいて肩幅はそこらの男性では、及びも付かない程広い。
身に纏った簡素なシャツとオーバーオールは、全身くまなく張り巡らされた筋肉に押し上げられている。それでいて、胸元を覆う黒鉄の胸当てと、羽織った麻のベストを盛り上げているのは、間違いなく女人の証であった。
女が再度口を開く前に、アイザックが声をかけた。
「アッシらのことで?」
「そーう、そう。あんた達のことだ、他に居ねえだろ」
女は、蓮っ葉な口調で答えた。
ようやく歩みを止めた二人の前へ立ち、その緑の瞳で二人を眺めやる。にわかに吹いてきた海風が女の赤毛をなでる。
「ちっとそこで話を聞いていたんだけどな、あんたら、向こうの大陸に行くらしいね」
女は風になびく長髪を気にもせず話を進める。
「まあ、そうッスね」
「盗み聞きなんて、趣味悪いわよ」
二人はそれぞれに答えを返す。
「まあまあ、聞きなって」
オドネルからの批判を流しつつ、女が続ける。
「あたしぁオリガ。ここいらじゃちょいと名の売れた賞金稼ぎでね、訳あって向こうの大陸に行きたいのよ。ただ、先立つものが無くってねえ」
と、右親指と人差し指で丸を作りながら話す。
「そこでだ、旅は道連れ世は情け。あんたらあたしを護衛として雇わないかい? 」
さして勿体ぶることもなく、オリガは本題を切り出してきた。この交渉に自信があるのか、余裕たっぷりな言い様である。
それに対し、オドネルは。
「いえ、結構よ。生憎余裕のない貧乏道中なの、他当たって頂戴」
そう、にべもなく断った。同時に。
「まあ、そういうことで。すいやせん」
と、アイザックからも同意の返事が返された。
しかし、オリガも予想していたのか、慌てること無く返す。
「いやいや、そう言いなさんな。職業柄道中の荒事を収めんのは馴れているし、向こうの大陸にゃ知り合いも幾らかいるから、現地情報にも精通している。こりゃ旅をするには重宝するぜ」
「おあいにく様、間に合ってるわよ」
言いつのるオリガの言葉をも一蹴するオドネル。そのままアイザックへ声をかけ止めた足をまた動かし始める。
「さ、早いとこ船にいくわよ、ザック」
「あいよ!ほれじゃ、アッシらはこれで、失礼!」
アイザックも同調し、オドネルへ続いた。
画して交渉は決裂し、後にはオリガが残されるばかりとなるやに思えた。だがしかし。
「……ふーん。そういう態度とっちゃうんだ。へーぇ」
オリガの瞳が怪しい光を宿し、頭髪がざわめきだす。まだ交渉の幕切れには早いようだ。