短編集 3巻 その一
都合により三巻を先に出します
-------------------国外旅行お供の旅---------------------
その日、早朝のコルド港は靄がかっていた。雲のような白に視界が包まれる。だが、時が過ぎ行くにつれそれも薄まっていく。小半刻もしないうちに元から何もなかったかのように消え去るだろう。
女はその中にたたずんでいた。
女は湾岸のふち、もやい綱が括られる杭を足蹴にしつつ、未だ不明瞭な水平線を見つめている。本来ならその天と海の境目には、はるか彼方に小さな点が見えるはずなのだ。それは、一見沖合いに浮かべられたブイか漂流物に見える。しかし、港に少なからず縁を持った者は、それが、先に挙げたものの類ではないことを知っている。
「アーア、どうしたもんかねえ」
つと、女の口からボヤキが漏れた。その視線は変わらず一点に向けられている。
「どうにかしねぇとなぁ。もう前の依頼で出た報酬も賭けで全額スッちまったしなぁ。っくしょ」
独りごちるその表情には僅かな後悔と、もううんざりという感情が同居している。誰に聞かせるでもない独白は続く。
「ったく、向こうの大陸にいい稼ぎ口があっるつうのによぉ。ついてねえなぁ、おい」
言葉尻にため息をひとつつく。
そう、彼女が見えもしない靄の向こうへ見出していたのは、”大陸”なのだ。世界五大陸のうち、こちら側の陸地、パ・ユーロ大陸の対岸へ位置するそれは、セ・ユール大陸。彼女の見つめている物はそのかすかな島影なのだ。
「…ギルドによって、便乗できそうな依頼でもさがすかねぇ。」
まったく覇気のない声を出す。言外にめんどくさいという思いがにじみ出ている。どうやら不平を我慢するタイプではないようだ。
もうしばらくしてから行こう、そう思いながら彼女は引き続き海を眺め続けた。
そのときだった。ふと、背後の港広場の入り口へ複数の気配が表れた。
「ん?」
彼女は首だけ回し、振り向いた。それまでも人の気配がなかった訳ではなかった。漁師や起きだした船乗り、散歩に訪れた港町の住人などの気配を漠然と感じていたが、それらとははっきりと違う、よそ者の匂いというべきものを嗅ぎ取ったのだ。
彼女の視線の先には二つの人影があった。ひっそりとした港に人影の会話が響く。
「やあぁっと着きやしたね、コルド港!潮風が気持ちいいッスねー」
片一方がもう一方へ男にしては高い声で陽気に話しかける。細身のシルエットが敏捷そうに周りを見渡す。
「ええ、このまま観光にでも洒落こみたいくらいね。本当に…」
対する方は、いかにも意気消沈している声で返す。こちらは相方よりも一回り大きく、声のトーンから察するに、女性のようだ。海からの潮風に外套のすそが翻っている。
「……もう、あきらめたらどうッスか?ここまで来ちまったんスから」
「諦められないわよ。初の海越えの運輸任務ってだけで不安なのに、面倒ごともあらかじめ含んでいるのよ…。下血しそう」
男の慰めの声にも、女の欝な気持ちは晴らすことはできないようだ。にわかに暗い雰囲気が漂う。
それらの会話を端から聞いている女。正直に言って、自身への敵意がないという時点でその二人組みはどうでもいい存在であったのだが、会話の締めくくりにもらされた情報は女にとって聞き捨てならない重要性を孕んでいた。
「…なんてこったい、こりゃまさに天は我に味方せり!運が向いてきたよ!」
女はその表情に歓喜を浮かべた。先ほどの気だるい雰囲気は微塵もない。
女は、きびすを返し、大股で二人組みへと近づいていった。