短編一巻 その二
「あ、ちょっと!なにすんのよ!!」
「説明はあと!とにかく今はここを…!」
手綱を掻っ攫った男は、ひたすら馬に鞭を打ち続けた。馬は苦しげな声を上げならも足を早め始めた。
「ああ、やめてよ!そんな乱暴な!!」
男の蛮行にオドネルは抗議を入れる。しかし、男は耳を貸そうともせず、むしろ。
「何言ってンスか!!緊急事態何スよ!?アンタこそこの幌をひっぺすかしてスピード上げさしてくださいよ!!」
などと逆に切れられてしまう始末であった。
「あんた、いい加減にしなよ…!!」
そのあんまりにも身勝手な主張に、彼女も声を荒げて男に手を掛けようする。
---異音が聞こえてきたのは、まさにその時だった。
「ぁあん!?」
声を荒げながら、彼女は幌の横を回り込み、異音がしてきた後方へ顔を向けた。そして、頭に上っていた血が一気に下がる、そんな光景を目の当たりにした。
それは、始めはただ固められただけの地面の道につき物の、土埃であった。しかし、それは異様に高く巻き上げられており、だんだんと近づいてきている。
そして、それはついにその正体をさらし、オドネルから思考と声を奪ったのだった。
『ブモオォォオォオオォオォオオォォ!!』
辺りを覆うほどの土煙の元凶は、道幅いっぱいに広がる暴れ牛であった。付け加えると、男を恐慌状態に陥れている原因でもあるようだった。
男はその凶悪な意思を持つ足音を聞いた瞬間、半狂乱になり、いっそう激しく鞭を入れ始めた。
怒涛の勢いで迫ってくる暴れ牛の群れ。対してこちらは荷車に加え二人分の重量を牽く馬一頭。
状況は風雲急を迎えていた。我に返ったオドネルは、男に先ほどの男のように詰め寄った。
「ちょぉぉぉおっ!!なにさあれ?!」
「だから急いでっていったんじゃないスか!!アッシが追われているんスよ!」
「なんでよ!三十文字以内で説明しなさい!!」
「ちっーと縄張り横切っているときに、一頭の子牛の尻尾踏んじまったんスよ!わざとじゃないのに!?」
「よし、とっとと降りてほかの方に行って頂戴!私とばっちりもいいとこじゃない!??」
「いまさら何を!アッシがいなくなっても、憂さ晴らしにこの馬車も攻撃されますよ!?」
「ぐぬぬぬ!こんの疫病神め~~!!!」
***********************
時は現在へ戻る。
そんな土壇場における見苦しいやり取りが続く中でも、事態は止まることなく進んでいく。彼女たちは、それこそ死に物狂いで馬を急かし先を急いだ。二者の差は依然として危うい均衡を保っているが、彼女らはまだ牛たちの先にいることができていた。
しかし、人生悪いことは重なるものであり、彼女らは、今まさにそいつに出くわそうとしていた。
彼女らの必死の逃避行もだいぶ長くなってきており、街道の全工程を大抵の半分ほどのペースで突き進んでいた。日もだいぶ低いところに移動してきている。
疲労も刻一刻と蓄積している中、後方を気にしながら前方に逃げ道を探していたオドネルは、その視界にひとつのものを捕らえた。それは、街道の道幅いっぱいの縁にしかれている縁石のうち、ひときわ高いものであった。それを確認した途端、疲労の中で悪くなっていた顔色が、更に青くなった。
「……ああ。もうお終いよ。もう死ぬんだわ、私。借金も残っているのに……。遺体は借金の肩に人体実験にまわされるんだわ。なんて死者への冒涜かしら。」
「ちょっとカメさん!いきなり諦めて物騒なこといわんでくださいよ!?」
「いいえ、お終いよ。あのでかい岩は城下への道のりをあらわす物。もうそんなに遠くなく城壁が見えてくるわ。もう行き止まりな上に、中に入れたら重罪でしょっ引かれるわよ…。」
「そ、そんな…。」
オドネルの説明が終わり、二名の間に沈黙が訪れる。
暴れ牛の嘶き、馬車馬の荒い息づかい、蹄鉄の奏でる地響きがその行間を埋め立てる。荷車からも怪しげな軋みの音が聞こえてくる。
光量少なくして暗くなっていく前方を凝視する二人。
そして…。
「…ふっー。……仕方ないわね。」
オドネルが、どこか諦めたように、だが、何か覚悟を決めたような表情を浮かべながら、深く息を吐き出した。