君と夏の終わりに
薄暗い道を、二人で歩いていた。僕らの住む町は本当に田舎で、周りには田圃しかないんだ。トンボが連なって飛んでいくのを見つめていたら、先を歩いていた彼女が振り向いた。
夏休み終わっちゃうね、と笑う。そうだね、と僕は返した。
僕には、なぜ彼女が笑っているのかわからなかったし、きっと彼女にはなぜ僕が浮かない顔をしているかわからなかっただろう。そんな二人だった。いつまでも。そして僕らは、それはいつものことだと妥協してまた歩き始めるのだ。
夏休みの最終日だった。家も近い僕らは呼び出せばすぐに会いにくるような関係でもあった。
橋を渡ると、川面がキラキラと輝く。僕らは一瞬だけ目を合わせて、すぐにそらした。あの時、手を繋ぐことができなかったのはなぜだろう、と僕は夏になると思う。悔やんでいるわけじゃない。ただ、わからないのだ。
橋を抜けると森がある。少し歩くと拓けた場所があって、僕らはそこでよく寝転がった。その日も、星がとても綺麗だった。
僕らは友達だった。恋人同士になるには、少しばかり切欠が足りなかったのだ。そしてその頃の僕と言ったら、彼女のことを好きなのかというのもあやふやだった。あまりに近くにいすぎて、そばにいるのが当たり前で、ただ離れるのは寂しくて、居心地のいい場所にしがみついているような感覚だった。そんな中で告白する勇気は、僕にはない。
それでも、何かしなければとは僕でも思っていたんだ。夏休みの終わりにはその気持ちがいつもより大きくなって、でも毎年毎年夏休みは終わっていく。夏休み明けの彼女は、いつもより遠く感じて。
星が煌めく森の中、僕は彼女を盗み見た。息を呑む。彼女が、泣いていた。いつも笑顔で、何があっても辛い顔はしなくて。その時僕は悟った。ああ、僕は何も、彼女のことを知らなかったのかもしれない。
僕からの視線に気づいたのだろう。彼女は独り言のように呟いた。
こんな夏は、もう二度と来ないね。
彼女のその言葉は、大人になればもっといろんな意味でとれただろう。でもその時の僕には、確かな拒絶の意思に感じられた。もうこんなことはやめよう、と。終わりにしよう、と。
僕は静かな衝撃を受けて、そうだねと言った。それからごめんねとも言ったけど、それは夏の夜闇に消えていってしまったらしい。彼女は何も言わなかった。
じっとりとした夏の空気の中、でも夜の冷気は確かにあって。ぬるい風が彼女の髪をさらった。
鼻の奥がツンとする。あ、と思ったときには涙がこぼれていた。どうして泣くんだろうと思う。心地のいい居場所が惜しいのだろうか。
星の光が滲む。僕はこれから、この滲んだ夏の夜の星を忘れないだろうと思った。
夏休みが終わると、僕から彼女に距離をとった。彼女はそれをわかっていたように、何も言わなかった。ごく自然に僕らは、友達という括りからも遠く離れたのだ。
卒業式の日まで、僕はその愚かな勘違いに気づかなかった。そう、僕にとって彼女は居心地のいい場所だった、という勘違いだ。
中学の卒業式。高校は別だったから、僕らはこれで同級生という括りからも外れようとしていた。否、もうすでに僕らを括るものなんてなかったのかもしれない。
卒業生たちは例外なく感傷に酔った。そんな中で僕は彼女を見た。
眼の縁を赤くした彼女は、精一杯の笑顔で彼女の友人と語り合っていた。
ああ、僕は彼女が好きだな。
想いは自然に溢れた。もう決して近くはない彼女の、その笑顔に見とれた。そして笑顔にあの日の泣き顔を重ねたとき、僕は踏み出していた。何も言わずに彼女の手を掴んで連れ出す。彼女は抵抗しなかった。
君が好きだった、と告げる。校舎の裏。まだ咲いていない桜の木。彼女は静かに微笑んで、いつもそうね、と言った。
いつもそうね。あなた、その場の雰囲気に酔ってしか私を好きになれないの。それって恋とは違うでしょう? 私じゃなくても、いいんでしょう?
何も言えない僕に、彼女はぽつりと言った。
私は、いつもどんなときも、あなたが好きなのにね。
彼女は僕に背中を向け、去っていった。
終わったのだと、僕は悟った。
それから僕は高校を卒業し、故郷を離れた。噂によると、彼女も故郷を離れて進学したらしい。僕と彼女では頭の造りが違うから当たり前だろう。
仕事は単調だがやりがいがないわけではなく、それなりに順調だった。
それでもなぜかいつだって心は虚ろで、何かを求めて探していた。何を求めているのかわからない。どんな趣味を見つけても、友と語り合っても、可愛い女の子と一緒にいても、酒を呑んで記憶を飛ばしても、心は満たされなかった。
否、本当はわかっていたのだ。何を求めているのかなんて。僕は、彼女に会いたかった。
それが恋だと気づいたとき、僕は新幹線に乗り込んでいた。
あまりに遅かった。もう間に合わないと知っていた。それでも、中途半端な告白ではなく、今の本当の想いを伝えたかった。返事なんていらない。きっと僕は、少しだけ成長した自分の姿を、彼女に見せたかっただけなのだろう。
夏の終わり。あの日と同じ日。あの日と同じ場所に、僕は向かっていた。僕の故郷も少しは建物が増えていて、代わりに田圃が減っていた。それが少しだけ寂しくもあって、僕は自分で思っていたよりここが好きだったんだなと思った。
あの日一緒に渡った橋の上、彼女がいた。白いワンピースを着て髪を束ねた彼女は当たり前だけど大人になっていて、夕陽に照らされた横顔にちょっと見とれた。
星を見ないか、と呼びかける。あの日のように、なんのてらいもなく。
彼女は振り向いて目を丸くする。それからくすぐったそうに、笑った。その笑顔が変わらず彼女のものだと確認してから、僕は言った。
あれからずっと、僕はいつもどんなときも、君が好きだったよ。それでもちょっと足りないかな?
彼女が口を開く。どんな答えを出すのか、僕は知らない。でもどんな答えでも、僕はあの日のように、二人で星を見るつもりだ。
夏休み終了への確固たる殺意を持って書きました。