第三章 マリマーという街
間を開けすぎたので、取り急ぎ投稿を。
後で大きな改訂が入るかもしれませんが、ご容赦ください。
ダンリックは、新たに登場した人物について、驚いている様子だった。その名を聞いた瞬間は目を見開いて、意外だと言わんばかりに。
そして今は、険しい顔つきでアルカリオスに問いただそうとしている。
「アントニー? もしや、あの簒奪者アントニーのことなのですか?」
「もう少し、マシな呼び方があってもいいな。簒奪、という言葉は相手への敬意に欠ける。……しかし、それほど意外か? 司教殿」
「意外も何も……」
言いかけて、やめる。気まずそうにダンリックはうつむいた後、一呼吸おき、気を取り直して答えた。
「まあ、今はいいでしょう。ともあれ、英雄はそうしてマリマーに入った。そうですね?」
「そうだとも、司教殿。とりあえず、幸先のいい出だしではあった。フェルト・マリマーに出会ったことも含めてな」
「……今は、ネコ族の王でしたか。悪い評判は聞きませんが、彼自身より、臣下の活躍の方が多い気がしますな」
「臣下をよく使ってこその王だろう。――まあ、傑物には違いない。本人は、まだ地方都市の市長のような気分だろうが。何にせよ、フェルトとシギーの出会いは、誰かにお膳立てされたかと疑いたくなるくらいに都合が良かったんだ。もちろん、お互いにとって」
アルカリオスが、神妙な表情で言うものだから、ダンリックも姿勢を正して聞き返した。何かしら、含む所があるのだろう。彼としては、突っ込める部分は出来うる限り指摘したい。
「何者かの意図を、感じられたと?」
「さあて、な。……実際の所、証拠は何もない。ただの結果論だ。運命だと割り切るには、いささか事がうまく運びすぎたんでね。もっとも、全部が全部じゃないが」
今、深く突っついた所で、本気で語ってはくれぬだろう。そうした雰囲気を察したダンリックは、話の続きを促した。
そしてアルカリオスは、その意図をくみ取って、淡々と続ける。フェルトは、彼にとっても友人だった。だから、語るべきことは語り尽くそうと思っていた。
重行は、そういえばさほど寝苦しくはなかったな、と月並みな感想を抱いていた。
フェルトのような要人が泊まるほどだから、宿だっていい場所を選んだのだろう。それくらい部屋は清潔で広かったし、食堂で出される朝食だってそれなりに――おそらくこの異世界の国家にしては――良質な料理がそろっているのだから。
「ポテトサラダみてーだな、これ」
バイキング方式、と日本の言葉で例えるのも妙な気分だったが、ともあれ色々な料理の中から重行が選んだのはそれだった。日本人としては米が食べたい所であったが、残念ながら見当たらなかったため、ポテトサラダらしきものを選び、それを口に運ぶ。
「――ん」
ひと口食べて、悪くない、と思う。それは、芋を潰して色とりどりの野菜を混ぜ、調味料で味付けしたものだった。塩気があり、口当たりはまろやかで、おそらく植物油や卵を混ぜているのだろう。
芋は裏ごしせず形を残す作りで、一匙ごとに心地よく腹にたまっていく。良く噛んで味わえば、栗のような甘みもあった。
食感そのものはジャガイモに似ているが、そもそも世界が違う。今まで食べた事のない食材には違いない。
「ここらでは、パンや米ではなく、芋が主食でしてな。マリマーの民は、この芋の味を幼少の頃から体に覚えさせているのです。……いうなれば、マリマーの魂ですな」
「個人的に、魂、というには大げさかなぁ。すっかり体にしみ込んでいる味だとは思うけど、別に穀物を食べない訳じゃないし」
「保存食に加工した穀物など認めません。第一、そう食べる機会も少ないでしょうに。……いやはやまったく、坊ちゃんは本当に坊ちゃんなんですから」
フェルトとビュコックの会話は聞くだけにして、食事に集中する。昨日は一日、まともに食事を腹に入れていない。移動中にビスケットを頂いたが、その手の携帯食料は満腹感に貢献しないものだ。
だからここでマリマーの食文化に触れられた事は、あらゆる意味で重行の欲求を満たしていた。
――芋が主食って文化圏は、地球にもあるから不思議はない。穀物が多く流通してないってのも、まあ理由があるんだろう。土壌とか気候が合わないとか、もっと深刻に考えるなら利益にならないから、とか。
芋が豊富に収穫できる環境が整っており、法によって芋の栽培が優遇されているとしたら、あえて他の主食を生産する旨みがない、ということになる。推測にすぎないが、生産にしろ流通にしろ、そうした外的要因は無視できない。
「この芋、美味いな」
「好まれましたか? 少々意外です。人間族は米やパンをありがたがるものだと思っていましたが」
「俺はこだわらない方だな。米は好きだし、常食してたが、これはこれで異国情緒があっていい」
もっとも、そうした論理は別として、芋の美味さだけは本物だった。重行は思い切り腹を満たすつもりで、ポテトサラダを食らう。合間にスープも頂くが、何かしらの出汁が良く効いていて、旨みがあった。
出汁を取ると言う調理が確立していることに驚きだが、重行は深く考えない。この程度の事をいちいち追及しては、その土地の食文化にケチをつけるようで、好ましくないと思ったからだ。
「はは、さようで。いや他国の人に評価されると、嬉しいものです。自分の物が、認められたような気分になりますでな。まったく、人によっては『マリマー人の芋食い』と評して、馬鹿にされる事もないではないので――」
「なんだそりゃ。食い物に貴賎があるってのかよ」
「まあ、マリマーは栄えているとはいえ、人間族の首都と比べれば、まだまだ田舎同然。こちらを見下すにはちょうど良い材料……と、そこまで計算している訳ではないでしょうが、文化や風俗の違いに優劣をつけたがる人種と言うものは、それなりに多い訳です」
ビュコックは、声の調子を落としながら言った。それだけ己の種族の文化に誇りを持っており、マリマーという街を愛しているのだとわかるから、重行は慰めるように応えた。
「そりゃそいつらが馬鹿なんだよ。お互いの違いを認められないってことは、理解し合う気がないってことだ。で、お互いの理解がなければ、建設的な関係は築けないし、どうしても威圧的になって交渉にも骨が折れる。そんな連中とは、付き合うだけ損って割り切っちまえばいいんだよ」
気楽な言葉である。もちろん、重行には何の責任も立場もないから、そう言えるのだった。
わかっていて、彼は言った。ビュコックの反応を見るためである。食堂の喧騒は耳にやさしくないが、間近の相手の反応くらいは、よく確認できる。
「そう言って関係を断てば、ますます偏見は広がるばかり。種族間のいさかいは増え、関係はこじれ、この都市の治安にも影響する。――となれば、やはり損でも関わりを持つのが得策ではあります。地位にある者は、責任を果たさねばならない。感情は別として。……違いますかな?」
「いや違わねぇ。あんた、立派だよ」
さらりと人種差別(こちらでは種族間差別、というべきか)の問題について、ビュコックは口にした。
重行の答えに対する反応としては、いささか多弁に過ぎる気はするが、これはビュコックなりの『好意』なのだろうと、彼は建設的にとらえることにした。
もちろん、気分は悪くない。こうした形で情報が与えられるということは、『貴方もこの問題解決に貢献してほしい』という意思表示に他ならず、重行は恩人に頼ってほしかったのだから。
「――ねえ、シゲユキ」
「なんだ、フェルト」
「思うんだけど、もしかして君って、相当高度な教育を受けてるんじゃないのかな?」
フェルトが、ここで割り込んでくる。相手がネコ面であることを忘れてしまいそうなほど、真剣な表情で。
「なんだ、いきなり」
「僕を試してるよね、シゲユキ」
重行は顔をひきつらせ、一瞬だけ呼吸が止まった。図星だったからである。
フェルトは、昨日までの丁寧な口調ではない。おそらく、これが地か。それを隠さず出したのだから、相手は腹を割って話していると見るべき。
「俺はビュコックのじいさんと話してたんだけどなぁ……」
「隣に侍らせている人物を見て、相手の器量を図る。そういう見方もあるんだって、父上から聞いた事があるんだ。シゲユキは、それをやっているんだよね?」
ビュコックの言葉は、すなわちフェルトの言葉でもあると、重行は考えていた。二人の関係は、主従と言うよりは師弟。公的な地位としてはフェルトが上かもしれないが、ビュコックに対する敬意をもった態度からして、師匠と弟子と言う関係が近いのだろうと、何となく察していた。
そして師弟であれば、思想も共有するのが普通。ゆえに、ビュコックを通してフェルトという重要人物を知ろうとしていたのだが、彼はそれを読み切っていたらしい。
なかなかどうして、難物だと、重行はこのネコの少年への評価を改めた。
「否定はしねぇよ。確かに、意識してなかったとはいえないんだからな。――まあ、それで全てでもねぇが」
「よく人の話を聞いてるし、よく考えてる。ここはシゲユキにとって、本当に遠い異国なんだね。注意深く観察して、出来る範囲で情報を集めてる。興味があるのは、文化? それとも人? まだわからないけど、とにかく僕らを通してマリマーを知ろうとしてる事だけは、わかったよ」
否定どころか、肯定しなければならない。これは、傑物である。人を見る目だけは、充分すぎるほどにある。
あるいは、己がわかりやすかっただけなのか。重行は自分がわかりやすい人物だなどと認めたくはないが、だとすればフェルトの感性が鋭すぎると言う事になり、彼の能力が並外れている事を認めねばならない。
どちらにせよ、この場は重行の敗北だった。
「そこまで見抜かれてる、か。洞察の結果としては順当で、面白みもない結論だが、間違ってないだけに笑えなぇな。――ああ、そうだよフェルト。だいたい、お前さんの言うとおりだ」
で? と重行は挑戦的な視線をフェルトに向ける。それを指摘してどうしようと言うのだ、と。無意味な言葉でこちらを嘲弄する相手ではない、とわかるだけに――その意図が気になった。
「その目で、マリマーがどう見えるのか、正直に教えてほしい。今日と明日、僕と付き添って、色々と見て回ろう」
「俺は別に、特別なんかじゃねぇよ。教えろと言われれば応えるし、見て回れと言われればその通りにもしようが、有益な情報が得られるとは限らないだろ」
「君は、独自の倫理と論理をもって動いているように、僕には思える。自分の中の法に忠実で、それを何より大事にする人なのだろうと思う。――何故かは知らないけど、君は僕らの役に立ちたいと思っている。違うかな?」
重行は答えず、ポテトサラダを口に入れた。わざわざ当人に向かって話す事ではない、と思ったからだ。ましてや、相手が察しているならば、なおさらだった。
「そうだね。きっとシゲユキ、君はそういう人なんだろう」
美味そうにマリマーの名産品を口にする重行の姿を見て、フェルトは察した。
そして彼は、ぶっきらぼうに答えるのだ。
「勝手に納得するなよ。俺は何も言ってない」
「否定しないあたりが君らしい――と、言うべきなんだろうね」
「……お前は器用すぎるな。その上どうも、賢すぎるらしい。そういう態度は嫌われるぞ?」
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。見せる相手は選んでるから」
「おい。……くそ、冗談じゃねぇ。どうしてそんなに信頼できるんだ?」
「多少なりとも、シゲユキの人となりを理解したからかな。個人的に、興味深いよ。これからも関わっていたと思うくらいに」
重行は、初めてネコの笑顔と言うものを見た。こちらとあちらではそもそもモノが違いすぎるが、見ていて心が温かくなりそうな笑顔だった。
――どういう目で、人を見てんだろうな、こいつは。
重行はフェルトという少年ネコについて、思いを巡らせずにはいられない。初めて出会う類の少年である。外見ではなく、心根と言うか、性格、性質と言ったものか。
「正直に話すだけだ。それ以上の事は、期待するなよ」
「うん、期待してる」
「まったく、こいつは」
こいつを驚かせてやろう。そう思う程度には、重行は彼に好意をもった。わかっててやっているなら、とんでもない狡猾な人種であろうが、フェルトの態度には作った所がない。ごく自然体に見える。
とすれば、生まれながらの人たらしとでも言おうか。どうにもこのネコの少年、相手が好む態度や言葉がわかるらしい。それに、知り合ったばかりなのに人となりまで察するとは、人間に対する理解力も尋常ではない。
ただの勘、とも思い難い。一体いかなる才能を持って、どのような経験を積めばこうなるのだろうか。重行はいぶかしく思いつつも、興味をそそられた。
マリマーの門では、当然ながら衛兵が入る人々を確認し、通行料と身分の証明を求める。
重行はフェルトの供であるから、彼の威光によって問題なく通る事が出来た。しかし、もし彼との出会いがなければ、門前払いされたことは明らかである。
――本当、都合がいいことで。
これを己の天運と、うぬぼれるほど楽天的ではない。されど過度に意識する意味もなかった。
今しばらくは、フェルトの助けに甘えると決めていた。そして、頼った分の恩を返すまでは、決して死ねないと思い定めている。
正体不明の神とやらに、意趣返しを目論むのはまだ先の事になりそうだった。
「ビュコックさん。家への伝言を頼めますか?」
「ああ、帰りは夕方あたりとお伝えすればよろしいので? それから、人間の友を一人、迎え入れると」
「……以心伝心(言わずとも伝わる)って、ある意味、怖いね」
「結果として、坊ちゃんの帰還の宴に、一つ興を添えるというだけのことです。……ま、これは年季の違いという奴ですな。幼いころから、丹念に育ててあげたのです。理解が深いのも当然というものでしょう。――では失礼」
ビュコックとは、大通りに出てすぐ別れた。フェルトの実家に戻るようだが、話の内容から察するに、夕食は期待していいらしい。宴と言う事は、酒も出るだろう。
重行は、19歳の不良少年である。悪い遊びを知る年頃であり、酒の味もわずかだが覚えていた。異界の酒には、いくらかの興味もある。
――芋焼酎は、風味に癖があるんだよな。大学イモが結構合うんだが、こちらにあるのかねぇ。
本当に芋焼酎があるとは限らないが、後の楽しみとしては悪くない。とはいえ、まずはフェルトの要望に応えることだ。そうしてようやく、宴を楽しむ余裕が出来る。
「で、どこから見回ればいいんだ?」
重行は、ただ酒を飲むつもりはない。報酬は、真っ当に仕事をこなしてから頂くべきだった。
「まずは壁を見てほしい。入口の関所を抜けたときは、あまり注視できなかっただろうけど、この街の壁はぐるっと全域を囲っているんだ」
「そりゃ、囲まないと攻められるからな。馬賊の略奪とか人攫いとか、これがないと防ぎようがない」
「恥ずかしながら、僕は指摘されるまで、なぜ壁が市内を囲っているのか知らなかった。考えようともしなかったんだ。……中で生まれ育った僕には、当たり前すぎて、疑問に思わなかったから」
日本では発達しなかった城塞型都市であるが、中世の西欧においてはこれが普通に存在する。こちらでも、こういった市壁を築いている都市は多いのだろうと、なんとなく重行は察していた。
「とはいえ、外で生活している人がいない訳じゃない。昨日泊まった旅館のように、外で生活している人や、どうしても外泊しなければならない人のための施設もある」
「壁には、合間に塔も見えるな。物見の兵もいれば……つり鐘もあるのか? 察するに、何かしらの変事があれば、塔の兵が鐘を鳴らして、警告するためにあるんだろう」
ただの防壁としてではなく、戦に対する防備もしてある、ということだ。物見の兵が入れるならば、狙撃兵も配置できる。そして、こうした市壁が何kmも続いて、街を覆い隠しているという事実に、ちょっとした感動も覚えていた。
「そうだね。――でも、実際にマリマーが攻められたことはないんだ。だから、実際どこまで有効かはわからない」
「へぇ。じゃあ、壁を作るのは、こっちだと常識だったりするのか」
「まさか。――少なくとも、この国ではマリマーだけだ。人間族の国で、どうかはしらないけれど、ネコやカエルにとって、こうした本格的な都市は他に前例がない。首都だって、いくらか大きめの集落みたいな感じだしね」
この国、という言い方をされては、どういう名前の国家かわからない。
改めて聞くべきか少し悩んだが、答えを出す前にフェルトが続けた。
「ああ、この辺の地理には詳しくないんだったかな。ある程度、知ってる事前提で話してしまったね」
「気にすんな。――で、そもそもこの国はどういう国なんだ? 他種族国家、ってのはわかるが」
道行く人を見れば、ネコやカエルが大部分とはいえ、リザードマン(トカゲの頭を持ったヒト、うろこはない。蛇の頭を持ったヒトもいる)や猿人……とでも呼べばいいのか。体毛の濃い、大型の猿に似たヒトもいる。ゴリラやオランウータンなどと比べ、より人間に近い外見ではあるが、やはり己の同類ではない、と重行にもはっきりわかる容姿であった。
彼らもやはり、服も着ていれば装飾具で身を飾る風習もある。文明、文化の共有がなされているのは明らかだった。
「そうだね。マリマーに限らず、この『フーリンガン』という国には、人間以外の種族が多く集まって暮らしている。……首都ヴェルヌーブは、もともと土着していたカエル族の比率が最も大きいけれど、おおよそ知能を持った種族はだいたい揃っていると思う。混血も認めていいならば、だけど」
「ハーフってやつか。数は少ないんだろうな。近隣諸国から逃げ込む奴もいたりするのかね……と、いや、無神経な事をいったか」
「構わないよ。――その手の発言を許容できる程度には、公平と平等がいきわたっているって自信があるからね」
別段強く強調する訳でもなく、穏やかな口調でフェルトは言った。事実かどうかはこれから確認するとして、本人は心からそれを信じているらしい。
「まあ、統一帝の威光が今も残っているってだけなんだけど。……ああ、統一帝っていうのは、昔々のえらい皇帝なんだ。『皇帝のもとに全ては平等である』って題目を掲げて、本当に全種族の支持を取り付けて君臨した、ものすごい人。もう千年くらい昔の人なんだけど、一部の種族は寿命が長いから、当時から生き続けている方もいる。その方々の教えが、現代でも生きている訳だね」
「へぇ。その統一帝はどの種族なんだ?」
「意外かもしれないけど、人間族なんだ。――本当に現代からは考えられないことだけど、統一帝ノートンは生まれさえ定かでない、ただの人間でありながら、あらゆる種族、あらゆる国家から認められて一時代を築いた。人間族は入れ替わりが激しいから、もう忘れられているし、その意志も存在も消えてしまった。けれど、このフーリンガンという土地には、今も彼の思想が生き残っている。僕らは、それを誇りにしているんだ」
熱っぽく語っている辺り、統一帝の存在は、人間以外の種族にとって、とても大きなものであることが分かる。フェルトくらいの、高等教育を受けた者にとって、ノートンと言う存在は、それこそ幼少のころから話し聞かされてきたのだろう。
つまり、統一帝の存在こそが、他種族をまとめる根拠となり、同胞意識を植え付ける土台となっている訳だ。こうなると人間族のフーリンガンに対する意識や、他国の種族間格差なども気になってくるのだが、今は置くべきか。ともかく、マリマーについて知ることが重要であろう。
「話もいいが、どこまで行くんだ? 街並みを見るだけだったら、何も建設的な意見は出てこないぜ」
「建設的じゃない意見は出るんだ?」
「まだ少ししか見回ってないが、大体木造の建物が多いな。察するに、この辺りは中流層の住人が住んでいる。遠くには、石造りの大きな建物があるが――あれは富裕層の住宅か? それとも教会か兵舎か? ……と、こんなもんか」
適当に重行は雑感を述べた。頷きながら、フェルトは聞いていたが、それに対する答えはない。
そうして態度に表せば、重行が適切に解釈するであろうと、見越しているかのようであった。
――ま、通り一遍の世辞なんざ聞きたくもない。真剣に観察するなら、会話は邪魔にもなるし、気を使ってるんだろう。
建設的と問われて、建築系の話題を出したのに突っ込みもない。言語的に、この手の洒落は通じないようになっているのかもしれない。流石に素で無視された、とは思いたくないが。
などと、しょうもない事を考えるうちに、目的の場所までついたらしい。フェルトが足を止めて、こちらを見る。
「中央広場に出たね。ここは、マリマーでも一番大きな広場なんだ。今は午前中だから、まだ市場が開かれてる。簡単な屋台か露店ばかりだけど、新鮮な食材や手ごろな細工物を買いたいときは、便利な場所だよ」
周囲を見れば、なるほど、それらしい店がいくつもある。本格的な店舗を立てていないのは、中央広場が時にはイベントの舞台にもなるからであろう。ぱっと見、数百m四方のスペースがあるのだ。これだけ広ければ、祭りや行事の際は、いくらでも活用できるに違いない。
「こういう広場は、いくつかあるのか?」
「他にも広場は五つあるね。でも、ここが一番大きいし、他とは比べられないくらい利用価値も高い。市庁舎も商館もすぐそばにあるから、人通りも多くて品ぞろえも豊富。まず、ここがマリマーの経済の中心と言ってもいいくらいだよ」
中央広場の市場は、日本人の重行の目から見ても、大規模で活気に満ちているように見えた。
これほど多くの人(ヒト、とあえて表現する)が商売しているのだから、全体として、その売り上げは大きなものになるだろう。
また、大規模な市場は、それを可能とする物流と、管理運営する組織の存在が不可欠である。重行は、ただの興味本位ではあるものの、マリマーという都市に引き込まれていった。
もとより、本来ならばいるはずのない異世界である。知識欲がうずいても仕方があるまいと、本人は割り切って関わろうとする。
「ちょっと、のぞいてもかまわないか?」
「欲しいものがあれば、いくらかなら融通するよ?」
「冷やかすだけさ。――他人にたかるような人間になるなって、躾けられたもんでね」
店を冷やかしに行くな、とは躾けられなかったのだろうか――と、賢明にもフェルトはその疑問を口にしなかった。重行は、そんな他愛も無い質問にさえ、真面目に答えたであろうから。
「――なるほど、興味深い」
冷やかすとは言っても、広場の店は、大部分が露店である。そばに寄ってみなくても、見渡すだけで大抵の商品は目に入った。
近くの農民が、取れた作物を並べているのだろう。瑞々しい葉菜や、根菜類がよく見られた。
芋も当然ある。種類も量も豊富であり、それらが市場に並ぶということは、食糧事情はかなり良いということだ。あとは値段であるが――。
「さっぱりわかんねぇ」
銀貨やら銅貨やらを使っているところは見て取れるが、市民の月給の平均、作物の相場など、比較するべき対象がないと高いのか安いのか判断がつかない。
なので、とりあえずフェルトに聞いてみることにした。
「フェルト、このマリマーでの一般市民の平均年収はどれくらいだ?」
「おおよそ、三千ノートン。ノートン金貨にして三枚、銀貨三百枚くらいになるね。あ、銅貨なら三千枚になるよ。……あくまでも、市民に限るけれど」
「移民は違うってことか。農民は?」
「市民の農民も多いけれど……まあ、生活水準自体はそれほど変わらないよ。把握できてない部分もあるけれど、収入が三千ノートンをいくらか下回ることはあっても、大きく超えることはないかな」
彼は即答した。つまり、常に一般市民の生活を意識しているということだ。フェルトが相当、いいところのお坊ちゃんであることは承知しているつもりだが、ここまでの知識があるのは、統治を意識しているとしか思えない。
ネコ族の長の息子であるなら、将来のネコ族の統率者。そしておそらくはマリマーの権力者の一族であるのだろう。とすれば、もっていて不自然な知識ではないが――。
「この街は、裕福なんだな」
「フーリンガンでも有数、というか、随一だね。だから、種族を問わず、大勢が集まる」
「厄介じゃないか? いくら大きくとも、街が許容できる人数にも限界がある。街の外に貧民街が出来るのは、面白くないだろ」
「心配してもらわなくても、打てる手はある。入植にも開墾にも、まだまだ人手は必要なんだ」
「街の拡張? ――いや、新しい入植地の開拓か? そりゃつまり、第二のマリマーを作る計画がある、と」
頷いて、フェルトは重行の考えを肯定する。彼がそう言うのであれば、絵空事ではない、現実性のある計画なのだろう。
「なるほど。フーリンガンは、まだまだ発展の余地がある国家な訳だ。他の国と比べて、どうなんだろうな? 生産力、技術力、人口、資源――それらの要素を他国と比較した、わかりやすい数字があればいいんだが」
「重行。君は本当に、どこかの工作員とか、諜報員とか、そういう人ではないんだね」
そのあからさまな発言からして、本当に何も知らないというのは事実らしいと、フェルトは言いたいのだろう。
どうやら、まだかろうじて、重行を疑う気持ちがあったようだ。フェルトはそれを気兼ねして、申し訳なく思っているようだが、別に重行は悪感情など持ってはいない。
疑われて当然だと、彼自身も思っていた。このように、有力者の庇護下にあることの方が、望外の幸運なのだ。その程度、あれこれ文句をつける筋でもあるまい。
「何を今更。わかりきってるだろ? こんなに無学で無力で怪しい奴、誰が好き好んで使うものかよ」
「ごめん。――益体もないことを聞いた」
「気にすんな。むしろ、ちょっとくらい疑った方がいい。敵ではないにしろ、素性がしれない奴だってのは、確かなんだからな」
フェルトは、苦笑して返した。そういう発言を繰り返すから、疑いづらいのだと言いたげに。
重行とて、それを察せぬでもないが、こうしたことは強調することに意味があるのだ。こんな己を重用するのであれば、それはそちらの責任なのだと自覚してもらわねばならない。
そして、用いる覚悟を決めてくれたなら、今度はこちらが信頼に応える番なのだ。是非、尽くすに値する人物であってくれ、と思う。
「まあ、一通り見学した。市場については、もういいだろ。次は何処を回る?」
「次は市庁舎に行って、住民登録をしようか。それから商工会議所に挨拶回りを――」
「おい、話が大きくなりすぎだ。そこまで恩を受けたら、返しきれなくなるだろうが。……そもそも、そこまでの信頼と労力を費やすほどの価値を、俺はまだ見せていないんだぜ?」
「いいじゃないか、別に。そもそも住民登録しないと、まっとうな職を探してやれないじゃないか。このままだと流民扱いだよ? 大丈夫。最悪の場合でも、困るのは僕で、君じゃない」
「恩人が困ると、俺も困るんだって、どうしてわかんないかねぇ。……ああ、くそ、どうかしてやがる。なんだこの展開は? 都合良すぎだろうが、まったくよ」
今さらのように、ぶつくさと重行が文句を言うのを、フェルトは微笑みを浮かべながら眺めていた。
何がそんなに面白いのかと、彼は問いたかったが、その前に。
「と、待てよ」
「――ゲッ」
そばを通り過ぎようとしていた、小さな影を引っ捕まえる。
子供であろうか。薄汚いフード付きマントを羽織った小柄な体は、重行の力でも十分に引き止められた。
間近で顔を見やれば、なんと。
「人間の、子供か」
「人間で悪いか。お前も人間……だろ」
「おうよ、こちとら人間様だ。――で、同族の子供が俺に何の用だ?」
とはいえ、この子供が何をしようとしていたかは、わかる。いわゆるスリだ。すれ違いざまに、ポケットを狙っていた。
こちらの世界の貨幣は持っていないが、財布はポケットに突っ込んだままになっている。ここでは使いようもあるまいが、そんなことまで理解しろというのも酷だろう。
この子供は、手を伸ばせば届きそうな物品を、とりあえず確保しようとしただけだ。スリの常習犯ならば、そして考えの浅い子供ならば、そうしてしかるべき行為。
「……おい、フェルト。この広場の治安はどうなってる」
「どこから入り込んだのやら。スラムはここから離れているはずだけど。……まあ、ただ手癖が悪いだけの子供だね。本職のスリやひったくりは、もう少し上手にやる。ここまでずさんなのは、そう滅多にあることじゃないよ」
「衛兵は?」
「広場は商会の目が行き届く場所だからね、配備はほとんどしてない。それでも、重要なところは商会が自衛しているから、重犯罪が行われても、即座に鎮圧出来るだけの力はあるよ」
「軽犯罪は? 例えば、こいつはどうする」
「他に目撃者はいないし、君次第、かな。もし本気で気分を害したと言うなら、衛兵に突き出せばいい。子供であっても、然るべき処分が行われるはずさ」
具体的には、1年以下の懲役と多額の罰金。執行猶予はあるのか、と聞くと、不思議そうな顔をされた。……どうも、実刑で喰らうらしい。こちらの法律で、それが重いのか軽いのかはわからないが、子供のいたずらには過ぎた罰のように思える。
「おい……ガキんちょ」
子供は、顔を背けて無視した。強引に顔をつかんでこちらを向かせる。よく見れば、そこそこ綺麗な顔立ちだった。小奇麗にすれば、それなりに見栄えするだろう。
男か女かわかりにくいので、少し悩んだが、とりあえずガキと呼ぶ。
「見逃してやる。次からは、相手を選ぶんだな」
背中を突き飛ばして、追い払った。一度だけ振り向いて、悔しそうな顔をしたが、重行は涼しい顔で見送る。
「流民の子供ってやつか」
「牢人と言ってもいい。土地や財産をなくして、流れてきた民の子供だよ。大部分が孤児だけれど、マリマーとしては、有効な策を打ち出せていないのが現状だ」
フェルトが、苦い表情で述べた。心から、悼んでいる。ああいう人々が存在することが、悲しくて仕方がないのだろう。
しかし、それは統治者としての感想なのか。個人的な感傷なのか。重行は、素直に問うてみた。
「マリマーは人間に優しくない。それは、こういうことかい?」
「この街の雇用にも限界がある。人間だけを特別扱いにはできない。……そして、人間は他種族と比べて、身体能力の平均値が低い。流れてくるような人々は教育もまともに受けていないから、単純労働しかないわけだけど……そういう職は、突出して優れた部分がある、別の種族が担っている」
「職にありつけない人間は、路頭に迷うしかない。そうして治安は悪化する、か」
「……同情すべき部分はあるんだ。人間族は、元々マリマー、いやフーリンガンには住んでいなかった。統一帝の御世でさえ。最近だよ、彼らが入植してきたのは」
フェルトの瞳に、暗い感情が見えた。彼には似つかわしくない顔だと、重行は思った。
「そうだね。これは、きちんと話しておいたほうがいいかもしれない。長くなるし……少し早く予定を切り上げて、今日はもう家に戻ろうか。悪いけれど、住民登録は明日にしよう」
「別に構わねぇよ。――その分、詳しく聞かせてもらうさ」
思ったより早く、この街の闇を知れるようだ。
お膳立ては整っていた、というわけか。そう思うと、やはり作為的な何かを感じずにはいられなかった。
これを神の采配というなら、何とも気分の悪い話だった。気の回し過ぎかもしれないが、覚悟を決めるべきかもしれないと、重行は思う。
そう、『神の駒』となる覚悟を。
四ヶ月もかかってしまうとは、我ながら不甲斐ない話だと思います。
でも、未完結で放置したくない、とも思っています。どうか、見捨てずに見守って下されば、幸いです。
まだ、お気に入りに入れてくれている、お一人の読者様に、このお話を捧げます。
次の話は……年末にでもお届けできれば、と考えています。




