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昨日、カーラジオからNew Kids On The Blockの曲が流れて運転席の最近知り合った男が急に昔の話を始めた。
昔の曲には昔の記憶を呼び覚まさすチカラみたいな物があるのだろう。その時はそんなことも考えれないまま心身共に疲れ果てており、頷いたり、時折「そうなんですか」と言葉を発することが精一杯であった。
とにもかくにも、ひどく疲れていた。というのも次々に降り注ぐ色んなやっかいな事を考えすぎて、考えたあげくに「ああ、考えても一緒だ」と思った頃を見計らったように、またやっかいなメールや電話が来る。その度に、なんとも言えない気分へと押し戻され振り出しに戻る。
あちらを立てれば、こちらが凹む。どっちにもいい顔が出来ないのならいっそのことなにもかもを投げ出してしまいたい。それが出来れば楽になるのだろうけど、それが出来ないから今があるのか。
そういう事を繰り返すたびにうまく処理できるようにはなったが、それが何かと問われれば日中は煙草を吸っている時間であり、夜は酒を飲んでる時間である。
その時間だけは煙草という人体にとってやっかい事を処理することが優先であり、アルコール分解といういずれにせよ、生命の危機をぶつけて相殺させているだけだ。
その場凌ぎもいいところ。
結局は解決のために前には進んではいない。まぁ、どちらが前なのかはわかってない。
車は一方通行の狭い道を通り、流れる景色をぼんやりと眺めているとマイナスXマイナスがプラスになるというかけ算が、どうにもわからないときに父親に聞いてみたことを思い出した。
父親はそういうルールだといった瞬間にしばらく考え込んでから、後ろ向きに後ろに進んだらどっちだ?と聞いてきた。
後ろ向きに後ろに走ったら走りにくいので、かけ算にはならないと答えた。そして、
一週間前をさ、後ろ向きに3つかけたら、3週間前の21日前で、3週間後の未来にはならないと思うんだとつづけて問う。
父親が何かを言いかけたところでけたたましいブレーキ音と共に目に映る映像が切り替わる。
車を左に寄せ男は窓開け叫ぶ。
ようやく状況を把握する。どれぐらいだか、少しの間寝ていたのか…
隣の男が言う。
「見つけた。あいつだ。すいません、少し待ってて下さい」
と、優しい目をして会釈した後に目つきが変わり運転席を乱暴に開け閉めして飛び出していった。その先をサイドミラー越しに追ってはみたが、角度なのか巧く写らないし、車は左べったりで出れないしで、まあどうでもいいやと大きく伸びをしシートの背に体重を掛けうつらうつらと携帯電話を取りだした。
ユーロが少しだけあがってることをぼんやりとした頭で確認をし、なかなかしぶといなぁと誰にきかせるわけでもない独り言がもれた。
車は止まっているが時間がだけが流れている。自分を乗せたこの車は強制スクロールの左端の画面でダメージを受けながらも進んでいるのか気にはなったが、だからといって前に進むために今やらなきゃいけないことのほとんどが、今すぐでなくてもいい。煙草を吸うことだけしかできない。
数年前まで煙草を吸う人間あんなにもバカにしていたのに。
2,30分後に男は帰ってきた。
誰でした?という話になり、その話は結構長く長く続いた。
「誰だったんですか?」
「うん。元ウチのでね。最低のオッサンですよ。仕事はそこそこできてね、月70万とか80万とか持って帰らせてやったのにそれを全部使うような男で、あげくのはて逃げた。生きてたんだなぁアイツ」
「へぇ、70万とか80万とか使うってそれはそれでパワーありますね」
「酒と女とギャンブルですよ。この三つで一瞬ですよ。これを三ついっぺんにやると金なんかいくらあっても足りませんよ」
絵に描いたようなダメなオッサンの話は止まらない。そのオッサンの話は面白かったのだが省略する。
さらにそのオッサンと同じ引き出しに入っているであろう歴代最低のオッサンの話が次々と、そうだな。今まで狭いところにギチギチにつまっていたオッサンどもが外の空気吸いたさに我こそはと、競い合うが如く。
運転をする男のクチから次から次ヘとダメな人間の話は続いた。
2人目の話の最中に太陽が照っているのにもかかわらず雨がぽつりぽつりとフロントガラスに張り付いていった。
「予報よりもずいぶんはやいですね」と、ダメな人間の話を聞いている途中ではあるが目の前の現象に対して反射的に言葉が出た。
「うん。春の天気は、なんだかよくわかりませんね」と、運転席の男はさわやかに答えた。
2人を載せたクルマは湾岸線の最終出口へとさしかかり、丁寧に減速させながら螺旋のカーブを降りて行った。
運転する男の携帯電話が鳴る。電話の向こう側が誰なのかは、わからないがさきほどの男を偶然見かけて、予定より遅れていることと、そのことについての詳しくは帰ってから話すと手短に電話を切った。
運転席の男はふぅうとため息をついてから煙草を取りだしてからいよいよ僕の興味を引いた3人目のいいかげんなダメ男のこんな話を始めた。
それはこんなセリフから始まった。
「俺にね、妹がいたんですよ」
いたんですよという言葉に緊張が走った。
「病気でなくしたんですけどね」
ダメなおじさんの話の途中ということはあったがいきなりの衝撃であった。いろいろな質問、何時なのか?どんな病気? なぜ?と、いくつも浮かぶ数秒間にも感じる一瞬であった。
それを少し感じたのか感じてないのかわからないぐらいほんの一瞬の間の後に話は続いた。
「妹が死ぬか生きるかって時、病院に行ったのでソイツに自分の仕事の変わりをたのんだんですよ。
そしたら、そいつスットバシやがってね。こんなときぐらい役に立てよとブチギレて、電話したらお腹痛いとかぬかしやがるから、いいから事務所に来いと、そいつの家ってさ、事務所の近くにオレが借りてやった歩いてすぐの場所でね。ホラいま倉庫としてつかってる」
「ああ、あそこですか!」いまいちピンとは来ないけど流れを切るのも野暮だ。
「そこにいるといってたから、事務所来いといったらすぐくるだろうとか思って、待ってもこないので家まで行ったらもういなくなってんの」