父 2
怒る、笑う、呆れる、悪巧み、泣く。ここ数カ月の付き合いで、ある程度の表情は見て来たが・・・・・・
・・・顔面蒼白は初めてだな
シェイドは己の目の前で完全に固まった六花をしげしげと見つめた
普段なら面倒だが、理不尽には怒り、面倒事には舌打ちし・・・なんだかんだと大抵の事態には対応する六花がここまで固まるのは珍しい
物珍しさが勝ってか、不思議と面倒だとは思わなかった
むしろここまで固まるとは思ってなかったぶん、罪悪感が湧いてくる
・・・・・・そんなに、嫌だったのか
だが今更帰すわけにはいかないし、ここでこうして固まっているわけにはいかない
シェイドはどうにか柔らかい声を出すよう努めて―――なにせ人を怒らせる事はあっても、落ち着かせた経験などないものだから―――六花の肩に手を置き
「出来るだけ早く切り上げるようにするから、な?」
「無理だってば!」
「会長の特訓よりはマシだ(多分)」
「あれとこれは無理の方向性が違うでしょ!?」
テンポよい応酬は、いつまでたっても降りる様子の無い乗客たちに困惑した御者が、半ば心配、半ば苛立ち紛れの声をかけるまで続いた
六花は最後まで渋っていたが、元々潔く、主に紫の無茶ぶりのせいで諦めるのには慣れている
結局は腹をくくって、今夜だけ!と念を押しつつもちゃっかり昼食を奢る約束をとりつけた
「とりあえず、降りて会長と合流するぞ」
さっと馬車を降り振り返ると、六花が馬車から半身を出した状態で固まっていた
今度は何だ、眉を寄せると、ぼそりと高い、という呟き
・・・ああ、意外と車高が高いからな
特に普段から車を使っているなら、余計に高く感じられるだろう
それにいつだったか、母が夜会用の靴は踵が高いから歩くのが大変だとか零していた気がする
そういえば、そういう時は父がいつも・・・
「六花」
呼んで、手を差し出す
六花は一瞬目を丸くしたが、催促するように手を伸ばすとそっと右手を重ねた
もっとも“そっと”だったのは最初の一瞬で、すぐにいつもの馬鹿力で掴んできたが
・・・・・・正直、かなり痛い
だが危なっかしげに馬車を降りる様を見ると、いつものように文句をいう気もおこらない
ましてやその顔が先ほどまでではないにしろ、強張っているなら尚更
「大丈夫か?」
「・・・なんとかね。でもやっぱり普段から慣れてないと駄目ね、ほんとに転びそう」
確かにな
とは言わなかった。追い打ちをかけるだけだろう
その代りに腕を差し出し
「掴まれ。エスコートする時は皆するから不自然じゃない
転びかけたらこっちに体重かけろ。俺は慣れてるから、お前一人くらいなら問題ない」
小声で指示すると、六花は軽く頷いて素直に手をかけた
・・・・・・細い、な
その手が、自分のものと比べて予想外に細く、なんだか妙な気分だった
力は倍、いやそれ以上あるのに、なんでこんなに細いんだ?
「・・・え、ちょっと、なに、何か間違ってた?」
無意識に眉が寄っていたらしい
焦る六花にゆるく頭を振って、否定する
「や、悪い。考え事をしてただけだ
そのまま、ゆっくりでいいから行くぞ。合わせるからお前のペースで歩け」
またも六花が素直に頷く
それが妙にしおらしく見えて、普段との落差に妙に落ち着かない
だがそれは違和感とか、居心地が悪いとかいうわけではなく、むしろ―――
・・・・・・いや、余計なことは考えないようにしよう
とにかく、今は六花を落ち着かせるのが先決だ
こいつのことだ。とにかく情報がそろって現状を把握できれば落ち着くだろう
おそらく、自分の知識が及ばない場所だから不安なのだ
その気持ちはわかる。自分も初めての時はそうだった
自分の時は、兄がずっと側にいてくれたが
「こういう場ではとにかく身分が物を言う。誰かに何か聞かれたら、会長の親戚だといっておけ
嘘ではないし、そうすれば下手なことは言われない
話しかけられるまでは特に話さなくて大丈夫だ。あとは出来れば嘘でも笑ってろ
挨拶の仕方は周りの連中の見よう見まねでいい。主催者はおおらかな人だし、今回は堅い席じゃないからな」
「わかった」
頷く六花の表情は、笑顔からは程遠いがもう強張っていない
どちらかというと、実技訓練中の顔に似ている
状況を見極め、対処しようと考えている時の顔だ
切り替えが早く、潔い
そういうところは頼もしいし、見習うべき点だと思う
出会ったころは気付かなかったが・・・
「シェイド」
不意に、強く呼ばれる
視線を向けると、六花も顔を上げてこちらを見ていて
「迷惑かけちゃうし、多分恥もかかせちゃうと思うから、先に謝っておくわ。ごめんね
でも、やれるだけはやるから」
歩くのにも必死で、浮かべる笑顔も少し硬い
見るからに精一杯のくせに、俺のことなんか気にしなくていいのに
喧嘩になると容赦なく、脊髄反射と呼ぶべき速度で毒ある言葉を浴びせてくるのに
「いや、別に―――」
「シェイド?」
六花が首を傾げると、頭に挿した生花の飾りが揺れる
ふと甘い香りが漂い、いつもより近い距離に今更気付いて
「ちょっとあんた顔色変よ、大丈夫?」
訝しげに眉を寄せ、当たり前に心配される
・・・・・・駄目だ。よくわからないが、この状況は駄目な気がする
「お前が珍しくしおらしいこというから、驚いただけだ
だいたい爆発するわ、殴るわ、今までも十分迷惑してる。今更だろう」
「言っとくけどその原因の半分はアンタだからね
そもそもアンタの朴念仁っぷりのせいで、4月から私に多大な迷惑がかかってるんだけど?」
いつものように言えば、いつものように言葉が返ってくる
いつも?
いつも――――第二にいる時は、これから行こうとする世界では、俺はこんな風だったか?
だが結論が出るより前に、思考は止まった
前方に会長と紅さんが待っているのを見つけたからだ
「・・・・・・なに考えてるの、紫ちゃん」
合流して邂逅一番文句を言うと、帰って来たのは予想外の反応
「私も、今回のこれは不本意なのよ」
表情こそ笑顔だけど、完全に目が笑ってない。これは本気だわ
隣のくぅ兄も渋い顔で頷いてるし
「どういうこと?」
「シェイド君を夜会に参加させたのは、彼の保護者との約束だから。それは本当
でも六花ちゃんを連れて来たのは―――」
紫ちゃんがふいに口を噤む
全然笑ってない目の先にはごたごたした馬車と人の群れ。その奥に嫌というほど見覚えのある顔がちらほら・・・って
「バカ坊ちゃんとその兄と我儘お嬢・・・・・・っ!」
うわっなにあの最悪ラインナップ!
しかも個別ならともかく集団になってるし!!!
シェイドもそう思ったらしく、隣からしっかり舌打ちが聞こえた
ヒールのせいかいつもより距離が近いから、ちょっとした呟きまでばっちりだ
・・・・・・って、ヤバイ
そう、今、私は、シェイドといわゆる“腕を組んでる”状態なわけで・・・
こんなのあの我儘お嬢に見られたら、手錠の惨劇再びなんじゃ―――うわなにそれ面倒くさい
そう思ったのは、もちろん私だけじゃなくて
「見つからないうちに、さっさと中に入りましょう
2人共私達の後に付いてきて。シェイド君、六花ちゃんのエスコートしっかりね」
「・・・・・・六花、あまり近づき過ぎるのは「紅、文句は後で」
くぅ兄を引っ張り、紫ちゃんはさっさと屋敷の方へ向かっていく
あれだけ早歩きなのに、なんで無駄に上品で無駄に優雅に見えるんだろう
・・・あそこまでいくと、もう一種の魔法よね。魔法
「俺達も急ぐぞ」
「あ、うん」
転ばないように、背が曲がらないように、出来るだけ急いで足を動かす
途中何度か躓いたけど、シェイドのフォローのおかげでなんとか転ばずに紫ちゃん達に追いつけそうだ
・・・・・・にしても
『六花』
さっきの馬車といい、なんか手慣れてるのよね・・・シェイド
完全に忘れてたけど、シェイドも貴族だし、やっぱりこういうの前にも参加した事あるんだろうなぁ
ちらりと横を盗み見る。学園のものとは違う、正装姿は意外と様になってる
顔がいいとかじゃなくて(まぁ多分それもあるけど)、なんていうか、服に着られてる感がなくて・・・
なんだろう。なんか、落ち着かない
「ねぇ」
「なんだ?」
変な方に行こうとする思考をどうにかしようと、声をかける
でも思いつきだったから、なにを話すかなんて考えてなくて、咄嗟に出たのは
「前にも、こんな風に誰かとパーティ来たことあるの?」
聞いたら、なんでか、シェイドが一瞬止まって
「ある」
一瞬こっちを見て、頷いた
どうして、なんだろう
「そうなんだ」
予想できたことだし、特に深い意味なんてない。ただの気晴らしの雑談、だったのに
肯定の言葉は、やけに私の耳に残った
「どうりで。朴念仁のアンタがやけに手を貸したり、気が利くと思った
一瞬別人が乗り移ったのかと思ったわよ」
「転ばすぞお前」
「その時はアンタも道連れよ」
軽口を叩いて、やっと紫ちゃん達に追いつく
転ばすなんていってたけど、シェイドはちゃんと私を支えてくれて、なんとか無事に屋敷の入り口に辿りつけた
・・・・・・茶化したりして、悪かったかな
今度お礼と迷惑料まとめてお菓子でも焼こう。うん
内心で頷いたのと同時、前を歩いていた紫ちゃんが少し振り返って
「入口のところで、主催の方に挨拶していくからね
私たちが先に挨拶して、次がシェイド君。六花ちゃんはその後に私が紹介するから、前の子達みたいにお辞儀して笑ってれば大丈夫よ
出来れば一言でいいから、何か褒めてみて」
「・・・余裕があったらやってみる」
褒め言葉が思いつけばね
と思ってたけど、その心配はなかった
御屋敷の中は紫ちゃんちに負けず劣らず、落ち着いた雰囲気の洒落たお宅
床のタイルや天井は季節の花や、神話をモチーフにした絵が描かれていて、個人の家というより美術館みたいな印象だ
とにかくすごい、しか言いようが無い
それに色んな場所に学園にも咲いていた白いザフィニアの花や、氷の彫像なんかが飾られていて、褒める場所は探すまでもなかった
「うわぁ・・・・・・すごい。貴族の家ってみんなこんな感じなの?」
挨拶待ちの間、こっそりシェイドに聞いてみる。でも返事が返ってこない
ん?
ふと、視線を上げて 言葉を失った
表情が、消えてる
無表情じゃなくて、それ以上の―――無機質な、人形みたいな顔
この顔を、私は知ってる
初めて会った頃に図書館や、怒っていいっていってくれた時に見た・・・
怖い、顔
「シェイド」
気付いた時には手を握って、名前を呼んでいた
そうしないと、どこかに行ってしまいそうだった
馬鹿みたいだ。こんな状況で、シェイドがどこかに行くはずが無い
わかってたけど、それでも、そう思った。感じた
だからもう一度
「シェイド」
名前を呼んだ
ふ、と
無機質な翡翠の目がこちらに向けられて
「・・・あ、悪い六花。聞いてなかった」
いつものシェイドが戻ってきた
それに、なぜだか私は凄く、安堵して
「もう今更気にしないわよ。それよりそろそろ挨拶の順番、回ってくるみたい」
「そうか。さっき会長に言われた通りにしてれば大丈夫だ。挨拶っていっても、ちょっと話したらすぐ終わりだしな
その後はホールで適当に話して適当に飲み食いして、頃合いになったらどこかに抜けて時間をつぶせばいい」
「じゃぁとりあえず、その適当な時間まで黙って、笑って、飲んで食べてればいいのね」
「ああ。だが食べ過ぎるなよ」
「アンタにだ・け・は・言われたくはないわ」
いつも通りの会話、でも
「六花ちゃん、シェイド君」
呼ばれて、
「行こう」
引く手は、驚くほど冷たかった
・・・・・・つっかれた――っ!!!
談笑する人々の群れから離れ、目に付きにくい部屋の隅で六花はふっと息をついた
紫ちゃんとくぅ兄はお仕事関係者、シェイドはこっちの知り合いに捕まった今はいない
近い知り合いみたいで、ついて行って根掘り葉掘り聞かれて面倒だから、ってことで私は壁の花をしつつ料理を堪能している
流石に、これ以上はきつかったもんなぁ・・・
主催者さんへの挨拶は無事に、多分、無事に終わったんだけど・・・その後が長かった
なにせただでさえ目立つ3人と一緒にいるもんだから、次から次に誰かが話しかけて来て
まぁ殿下お久しぶりです。あらこちらのお嬢さんは?
お父様はどんなお仕事を?ご出身はどちら?
ティエンランの御子息とはどういうご関係?
エトセトラ。お上品な笑顔の裏に、ゆずり並の旺盛すぎる好奇心を隠したお姉さん、昔のお姉さん方の質問攻め
正直、紫ちゃんのフォローがあっても限界だったわ
・・・直接何か言ってくるなら、対処のしようもあるんだけど
嫌味合戦ならまだいいのに。ギリギリ嫌味と雑談の間っていうか
・・・遠回し過ぎて深読みしようと思えば出来るし、そのままともとれるし、面倒なのよね
それに品定めするような視線は、嫌悪より気が抜けなくて疲れるし
もう一度、ため息
それから人ごみに視線をやると、同年代くらいの人達の群れが1つ
その中で、見慣れた顔が談笑していた
シェイド・・・・・・・・・あんた普段は余計なことしかいわないのに、こんな面倒そうな会話、よく続くわね
いつもなら、5分も経たずに余計なこと言ってくるのに
今日はそんなことはなくて、普通に笑って
そうだ。服も、仕草も、この中ではすごく自然で――――世界が、違う
なんとなく、自分の恰好を見下ろす
濃い青から白へのグラデーションがついたシンプルなドレス
恰好だけなら、おかしくないんだろうけど・・・・・・やっぱり違う
私の世界はここじゃない
・・・・・・変なの。別に、何が変わったってわけでもないのに
―――――いつもより、遠いみたいで・・・
・・・って、なに。今、私、何を
「トーヤ?」
思考が、飛んだ
振り返る。50歳くらいの男の人が、こちらを見ている
目が合うと、はっとして・・・そのまま踵を返そうとする
「待って」
待って お願い 行かないで
私は反射的にその人を追いかけていて――――無我夢中で、腕を掴んで
「待って下さい!」
男の人は驚いたように目を見開き・・・こちらをじっと、見つめて
「もしかして、君は――――リッカ?」
ああ、間違いない
「そうです」
この人は、知っているのだ
「あぁ、もう、そんな年なのか」
僅かに皺の刻まれた口元に、笑みが浮かんで
「よく似ているな。トーヤに―――――君のお父さんに」
知っているのだ。私の父、白峰藤哉を






