迷い子達 3
ふと寝具の感触に違和感を覚えて目を開けると、見慣れない天井が飛び込んできた
思わず飛び起き、シェイドは自分が叔父の家ではなく、紫の家に招かれていたのだと思いだした
・・・・・・他所に泊まったなんて、久しぶりだ
壁に掛けられていた時計をみると、まだ朝食まで1時間ほど時間があった
寝なおそうかとも思ったが、起きられない気がしたため寝巻代わりのシャツを脱いだ
手早く着替えを済ませ、部屋を見回すと隅の方に置かれていた籠にメモが挟まっている
”洗濯物はこちら”
言葉の通り、籐の籠に洗濯物を放り込むと、シェイドはそっと部屋の扉を開けた
廊下に人の気配は無い
『ここはアンバーと、最低限の使用人しかいない。空いた時間は勝手にしろ』
と昨晩紅に言われたが、なにせ夜会や形式的な付き合い以外で他所の屋敷に泊まるのは初めてなので、勝手に出歩いていいものか、迷う
だが廊下の先に見慣れた人影を見つけると、シェイドは少しだけためらいつつも、部屋を出た
「六花」
足早に近づき、声をかけると六花は驚いたように目を見開いた
なんだ、俺の顔に何かついてるのか?
「ねぼっけーのアンタが早起きなんて・・・今日は晴れかと思ってたけど、雨降るかもね」
そっちか!
いやそれよりねぼっけーとはなんだ。寝起きはよくはないが、プロレス技かけるお前よりはマシだと思うぞ
思ったことをそのまま言うと、六花はばつの悪そうな顔をして・・・俺の発言を無視した
「それより暇なら散歩行かない?朝は涼しいから、気持ちいいよ」
無視されたのには少しむっとしたが、提案自体は悪くなかった
第二でも自分が主に暮らしているのは王都や叔父の所領で、それ以外にはあまり出かけたことがない
・・・・・・それにこれから“特訓”が始まるらしいからな
昨晩、紅さんがわざわざ俺の部屋にまで来て宣言したくらいだ
本気で殺す気でやるに違いない
俺は恐ろしい想像を頭から打ち消し、頷いた
「じゃ、決定ね」
そう言うと六花は、迷いなく廊下を進み、一度も間違えることなく玄関まで辿りついた
「お前、よく覚えてたな」
「え?」
「昨日半分寝かけてたわりに、玄関まで迷わず着いただろ?」
この手の建物には慣れている俺でも、初めての―――それもこの規模の屋敷なら、少し迷う
第四の家屋は第二の庶民規模のものが多いと聞いてたから、慣れてないなら迷うかと思ってたが
「あー・・・・・・」
・・・・・・なんなんだ、その微妙な顔は。まさか適当に進んだだけとか言うなよ
「・・・あんたの考えてることなんとなくわかったけど、今日はしばかないであげる
せっかく気持ちいい朝が台無しになるし
ここには昔から何度も来てるから、覚えてるだけよ」
「あぁ、そういえば久我会長の方とも親戚だったな」
確かカーディナルがそんなことを言っていたような気がする
「うん、まぁ、ね」
曖昧な返事だったが、その理由を聞く前に六花はさっさと扉を開けて出ていった
追うように俺も続くと、扉を開けた瞬間、ふわりと花の香りがした
令嬢たちがつけている香水の様なきついものではなく、自然の花の香りだ
辺りを見回すと、昨晩は気付かなかったが、玄関から門までの通り沿いの生け垣に花が咲いていた
名前は知らないが、薄い色の花は香りと同じく控え目で、この屋敷の雰囲気に合っている
よくある貴族の家とは違う、少し古めかしいがどこか落ち着いた・・・時間がゆったりとしてるようなこの場所は、遠い記憶を蘇らせる
「門の外まで出てもいいんだけど・・・昨日の今日だし、今朝は庭だけにしよっか」
「あぁ。庭だけでも十分広そうだしな」
玄関から近いところだけでも、2、30分以上は余裕で散策できそうな程度に広い
それに昨日の記憶が確かなら、門の方まで行くには馬車でも10分かそこらはかかったはずだ
「庭は区画ごとに結構雰囲気違うんだけど・・・うーん、とりあえず私のおすすめからでいい?」
「あぁ。俺はそんなに庭園には詳しくないからな、適当でいいぞ」
言うと六花はそうだと思った、と笑った
今日は笑った顔ばかりだな
前は怒ったり黒い顔の方が見ることが多かったが・・・
ゆっくりと歩きながら、時々振り返って木や花の説明をする六花の背を見つめ、ふとそんなことを思った
出会った時は、まさか数ヵ月後にはこんな風にのんびり散歩するようになるとは思わなかった
いやそれどころか、自分がこんな風にのんびりと“散歩”するようになるとは
・・・・・・最近はこいつらのペースに巻き込まれて、鍛錬以外の時間も増えている気がする
いつかの休日には桃山や六花にひっぱられて“ばーげん”とやらの梯子をさせられた
あれは酷かったな
どうして女は安売りという言葉であれほど豹変できるのか
真剣で試合をしても何とも思わなかったが、あの熱気と殺気には思わず腰が引けたぞ・・・
思わず身震いして、恐ろしい光景を頭から追い出す
せっかくの気持ちの良い朝が、アレを思い出したら台無しになる
「―――で、あの花が・・・シェイド、聞いてる?」
はっと我に返ると、六花が眉を立ててこちらを見ていた
「いや、聞いてなかっ・・・」
まずい
今まで付き合い上、同年代の女子とは何度も離したことがある
彼女達はこちらが話を聞いていないとわかると、控え目に嫌味をいうならまだいい方で、たいていは媚びた態度で文句を並べ立てる。その後は意識が逸れないようにと思ってか、こちらが聞きとれないほど早口で息つく暇なく色んな話題をふってくるのだ
なにか適当に取り繕うべきだった、と舌打ちしそうになる。だが
「だと思った。まぁでもそうやって正直に言っちゃうのは、あんたのいいとこよね」
予想外の返事だ
だが六花は目を見開く俺にかまわず、白のワンピースを翻して
「気にしないで。ちょっとぼーっとしてたから聞いてみただけだだし
さっきまではちゃんと聞いてくれてたの、わかってるから」
笑った
気を使っているわけでも、口先だけでもない。それは声と表情でわかる
普段は鈍いだなんだと言われるし、最近は少しそうかもしれないと思うようになったが、これでも一応貴族として最低限の観察眼くらいは持っている
言葉の裏を読み、ちょっとした仕草から相手の希望や性格を把握する
それができなければ、あの世界ではやっていけない
だから六花が嘘をついていないのはわかる
それから――――そういえばコイツは色々と規格外だったなと思いだして、思わず笑った
「え、ちょ、なに?笑うとこなの、ここ」
「い、いや、そうじゃない」
否定するが、どうにも笑みは収まらなかった
六花は馬鹿にされていると思ったのか、眉を寄せて睨むようにこちらを見上げる
裏を読む必要もない。気持ちが良いくらいにわかりやすい反応
そうだ。こいつは初対面からずっとそうだった
初めて会った時も、剣士科や普通科の連中と違って、隠すことなく真っ直ぐに俺に怒りをぶつけてきた
感情を隠さないわけではないが、それでも日常の会話の中ではいつも素直に感情を見せる
頭を使わなくていい会話は楽で、つい気が緩んでこちらも本音が出てしまう
「そうじゃない、って言うわりに笑いが止まってないようですけど?」
わざとらしい丁寧語。まずい、少し笑い過ぎたか
「いや、悪い。お前には余計な気を遣わなくていいなと思ってな」
「・・・あんたは余計どころか余剰に気を遣って、やっと人並みだと思うだけど?」
半目でこちらを睨むまできて、やっと笑いの波は引き始めた
俺はまだ笑みが残る口元を隠して、頭を振って
「そういう意味じゃない。気楽に話が出来るから、一緒に居ると落ち着くってことだ」
褒め言葉だぞ。一応、多分・・・うん、そうだよな?
だんだん自信が無くなってきて、六花の様子を窺う
まだ半目だが、眉間の皺は緩くなっているから多分、間違っては無いだろう、うん
奇妙に間が空き、なんとなく口を開きにくくてお互い黙りこんでしまった
まだ何か言うべきか、と内心で首をかしげるのと、六花が盛大なため息を漏らしたのはほとんど同時だった
「あんたって・・・・・・・・・や、いいわ。言ってもわかんないだろうし」
「いつも通り失礼だな、お前」
「私は真実を言ってるだけよ。でもまぁ・・・うん、これはありがとう、なのかな?」
何のことだと思い、直ぐにさっきの俺の発言のことを言っているのだと気がついた
この反応を見るに、きちんと褒め言葉として伝わっているようだ
「お前の礼は貴重だからな。せっかくだからもらっておく」
「・・・なんかその言い方だと、私が滅多にお礼しない奴みたいじゃない
単にあんたがお礼言うようなことしないからでしょ!」
「そうだったか?」
「そうよ。アンタといる時はたいてい怒るかツッコミいれるか呆れるかだもの」
「・・・・・・俺もお前といる時は、大抵怒るか呆れるかお前の規格外さに驚くかだからな」
「あらあんたの世間知らずっぷりに比べたら、私なんていたって普通よ。フツー」
「はっ、人外じみた怪力持ってる奴がなにを言うか」
おだやかな雰囲気は消えて、いつもの言い合いが始まる
だがそれも嫌ではないと思うのは、これがすっかり日常に組み込まれてしまっているからか・・・
このやり取りを、自分は案外と楽しんでいるのか
それともここが――――懐かしい“あの家”に似ているからだろうか
焼き立てのパンをつまみつつ、六花はなんとなく落ち着かない様子で右隣のシェイドにちらりと視線をやった
流石お坊ちゃんだけあって、仲間内だというのに完璧なテーブルマナーで朝食を食べ進めている
・・・・・・むかつくぐらい普通ね。やっぱりさっきのは、いつもの天然発言か
今朝はこれから始まる恐ろしい未来から逃避するために、少し早めに起きて散歩をしに外へ出た
その途中でシェイドと会い、せっかくなので散歩に誘ったのだが・・・
『気楽に話が出来るから、一緒に居ると落ち着くってことだ』
急に笑いだして、ついにどこか壊れたのかと思えばこの発言
いや、確かに友達とか相方に言っても全然おかしくないんだけど・・・
ただでさえ無駄に顔がいいくせに、無駄に笑顔で言うもんだから、ちょっとびっくりしたじゃないの
もちろんすぐにそういう意味はないってわかったけどね
でも性格わかってなかったら、あの顔で言われたらちょっと勘違いしそうだわぁ・・・
というかこいつがこんなに朴念仁なのにもててるのは、それが原因?
・・・・・・恐るべし天然
「・・・・・・・・・六花」
そんなことを考えてたら、いつの間にかシェイドが不機嫌そうにこっちを見ている
あ、まずい。ちょっと見てたつもりだったのに・・・
「あ~、えっと、別に深い意味は」
「そんなに見ても、このベーコンはやら「いらないから」
ほんっと食べてる時は食べ物のことばっかねアンタ!
1人焦って、なんかもうバカらしくなってきた
コイツはそういう奴だから、言葉の意味とかいちいち考えても無駄よね。思ったまましか言わないし
あーもう馬鹿みたい
気を取り直して、目の前のオムレツにとりかかる
アンバーさんがヒヨコの頃から手塩にかけて育てたニワトリだけあって、卵も美味しい
・・・そういえばこの野菜とかも全部アンバーさんが育ててるっていってたっけ
顔は怖いのに、なんて家庭的な趣味
その後はちょっとシェイドと灰くんと黒駒さんでパンの奪い合いがあった以外は、和やかに食事が進んだ
・・・・・・そんな時
「ところで、皆」
キタ
優雅に食後のお茶を飲んでいた紫ちゃんが、唐突に切りだす
いつかいつかと恐れていたけど、ついにきた
わざわざこの家に来てまで合宿するなんて言い出すくらいだから、なにか企んでるのは分かってたけど・・・
いったい今度はどんな無茶ぶりやりだすんだろう
まさか手錠再び、はないよね?
喧嘩は・・・してるけど、別に前みたいにギスギスしてるわけじゃないし!
ああでも紫ちゃんの事だから、手錠よりインパクトあるなにかを仕込んでてもおかしくは・・・
「本当は今日から特訓開始・・・・・・と言いたいところなんだけど、私と紅はちょっと仕事が入っちゃったの
だから今日はいきなりだけど、お休みね」
え?
拍子抜けして紫ちゃんを見ると、紫ちゃんはニコリと笑って
「まぁ明日からは、合宿特別メニューで特訓してもらうけれど」
ですよね。ああでもせっかくの夏季休暇だし、お休みがあるのは素直に嬉しい
思わぬ休みに顔を明るくする私達に、紫ちゃんは笑顔を“うさんくさい”から“普通の”に変えて
「この辺りは自然が多くて空気もいいから、のんびりするにはうってつけよ
それに特訓も毎日じゃなくて休日もちゃんと考えてあるから、折を見て買い物が出来る町にも行きましょうね」
後半は私とゆずりに向けて
思わず顔を見合わせて笑う私達に、からかうような口調で
「それに、休暇中の課題や勉強の時間も必要だものね」
耳に痛いお言葉に、何人かの表情がこわばる。誰とは言わないけど
「・・・ねぇ~六花」
「レポートの元原稿なら1つにつきシエルのデザート1つ、資料集めだけならフレバーティーセットで手をうつわよ」
猫なで声のゆずりに即座に返すと、舌打ちしそうな顔をしたけど、結局パフェとクレープとケーキを奢ってもらうことになった
「あんたの辞書に、友情価格って言葉はないわけ?」
「課題があってるかの確認だけなら、友情価格でタダにするけど?」
「んなのはいーのよっ!あーっあのハゲ教師!面倒なレポートばっか出して!」
ちなみにゆずりの言うハゲ教師は、いつかの合同授業でつっかかってきた先生だ
あの先生、魔女科や獣人科、獣士科にはあたりがきついから、長期休暇では毎回面倒なレポートをいくつも出してくる
・・・・・・今年は魔女科に“魔女狩り”と“旧王家の偉業”と“ルナウスによってもたらされた悲劇”のレポート書けとか言いだしたしねぇ
喧嘩売ってるとしか思えないわ。あーいっそあの先生の著書徹底的にこき下ろしたレポート書いてやろーかしら
どうせ私は嫌われてるから、これ以上嫌われても痛くもかゆくもないし
「・・・・・・なんだかわからんが、お前今黒いこと考えてるだろう」
顔が極悪だぞ
渾身のエルボーを、シェイドのみぞおちめがけて叩きこんだ
もだえるシェイドを見てゆずりが笑い、灰くんが嗤って
合宿1日目の朝はいつも通りで
―――――でもちょっとだけ、いつもと違う朝だった
恋愛要素もこれから増えます
増えると良いな
増えるはず