第一章 雪山の先
「いやっふうう!スキーたのしー!」
「永之助、なんでそんなうまいんだよ。教えてくれよ。」
「さっき教えただろ?」
オレは岡野永之助。ただの中学生である。冬休みの宿題を早期に終わらせ、今こうしてウィンタースポーツを楽しんでいるわけだ。
やっぱりスキーするなら新潟に限る。
人気なうえに行きやすい。やっぱりここに来て
よかった。
「兼矢、輝政、オレ、上級コースに行ってくるぜ。」
「わかった。皆にも伝えておく。」
「頼んだ。」
今日、オレたちは五人組で来ている。オレ、
後藤輝政、東風平兼矢、
雪古光玲、北上栄人
の男三、女二である。
全員同じ学校の同級生だ。なんなら部活まで同じ。
世の中には不思議な縁もあるもんだ。
「やっと着いたぜ、上級コース。さて、スリリングな滑りでもするかあ!」
オレは、目の前に広がるスキー場を見て、心が躍っていた。少し外れれば森。さらにコースも狭く、正確な操作が求められそうだ。いやー、怖い怖い。
とは言いつつ、内心あまり恐れてはいない。どちらかというとワクワクのほうが強い。
「よっしゃあ、行ってやるぜ!ふうううう!」
あれ、思ったより急な坂だな…。今になってようやく恐怖が来たのかもしれない。だが、案外うまく滑れている気がしなくもない。
「グアッ痛ええ!」
突如として足に激痛が走った。ひねったのか…?いや、足をつったんだ!足を動かすと痛い。というか
揺れのせいで常に痛い。
当然方向転換なんてできない。しかしこのまま何も操作しなかったら、目の前の森に突っ込むぞ!?でも、オレの足は言うことを聞かない。スキー板の上で立ち往生。まさに絶体絶命だ。
「うわ、痛っ木の枝ってすげえ痛グアアアア!痛えよ!」
とうとう森に入ってしまった。まずい。操縦が利かない。だんだん恐怖が強くなってくる。そして、オレは
視界が悪くて分からなかった。目の前に崖があることに。
「うわああああ!!落ちるううう!」
ドオオオンッという音が少し聞こえたが、すぐに耳鳴りがし始めた。あんまりよく分からなかったが、とにかく頭が痛い。意識を失う前に見えたのは、曇った空と針葉樹林だった。
…風の音がする。それ以外は、無音。何も感じない。
…オレ、死んだか…?
でも、少しずつ感覚が戻って来た。死んではいない。
って、なんで"死にかけたことを前提に"話してるんだオレは。土臭い匂いがする。地面だ。それも、雪が積もっていない、それこそ太平洋側の地域の山のような…。
視覚や触覚も戻り、ようやく体を起こすことができた。
「…なんだよ…、ここ…。」
目を開けると、眼前に広がっていたのは見たことのない風景だった。雪はない。一本の細い道と、横に捨てられた馬車のような何かの残骸、そして下の方へ続く崖。木々に隠れてよく分からないが、遠くに鉄道の車庫のようなものもある。
「面倒くせえ場所だなぁ…。標識とかないのか…?
…あれ、そういえばオレ、さっきまで何してたんだっけ…。名前…、大丈夫だ、覚えてる。オレの名前は岡野永之助、十四歳だ。」
それくらいしか情報がでてこなかった。何故かは知らないが、オレは記憶喪失になったらしい。
どういうことだ!?オレはなんかしたのか!?
「どうしよう、帰ろうと思ってもここがどこかわからないし、幸いわかったとしても、どのみち自分の帰るべき場所なんてわからん…。」
はじめは驚き、困惑していたのに、徐々に襲ってきた無力感から、オレは道のそばに寄りかかった。この道は崖の隙間を削って作ったらしく、一方には下向きに、他方には上向きに崖が続いていた。
「…バイクの音だ…。この辺りのことを知っているかもしれん。…ダメ元で聞いてみるか…。」
バイクの音は少しずつ近づいてくる。数分経つと、遠くで光が見え始めた。
「おーい、おーーい!」
走ってきたバイクに対して、オレは力いっぱい手を振って呼んだ。運転手は女性である。
「どうした、お前。この辺じゃ見ない顔だな。それにひどく汚れてるが…。」
「ああ、すまない、この辺りの地名を教えてくれ。オレ、どうやら記憶喪失らしい。」
「はあ?記憶喪失?まあいいか…。ここの地名だろ?ここは立平県の夢咲峠だ。」
「た、立平県?夢咲峠?おいおいからかうのはよせよ。記憶喪失とはいえ、日本地理くらいわかる。」
「…。そういうことか…。」
彼女は何か考え事をし始めた。それに、オレとしても聞いたことのない地名に疑問しか浮かばない。立平県…。中国か…?いや、この人に日本語が通じている以上、ここは日本だ。
「…単刀直入に言うぞ。ここは日本ではない。」
「…は?」
「ここは、生きている者からは"夢"、死んだ者からは"あの世"と呼ばれる場所だ。あの世は空の空間にいくつか存在している。ここもその一つだ。」
「つまり…、死後の、世界…?」
「ああ、生きている者も睡眠中の夢とか、仮死状態で来ることがある。お前はその類いだ。実態があるからな。死んだ奴には実態がない。」
「…てことは、夢が覚めたらオレは元の世界に戻ってるんだな…?」
「ああ。ここで一週間過ごすか、"心の中の球"に触れるかすれば目が覚める。でも、お前の記憶喪失は治らんぞ。」
「え…。」
オレはどうしようもない絶望感に駆られた。
帰っても、オレは、自分の居場所がわからない…。
「だがな、この空間は来訪者、すなわちお前みたいに"夢を見ている"状態で来た生きている人間の影響を受けやすい。特に、空間が来訪者の思い出の地に書き換わる、なんてことはよくある。もしかしたらお前の記憶も戻るかもしれん。どうだ、私と旅をしないか。」
「…ああ、よろしく。オレは岡野永之助だ。」
「日島恋麗。よろしくな。」
「オレの記憶を取り戻すったって、具体的にはどうするんだよ。」
「永之助の思い出の場所らしいところに行くしかない。そんな場所があるとも限らないし、あったとしてもこの世界は広いから、なかなか見つけるのは大変だぞ。」
オレは黙り込んだ。助かると思い込んでいた自分がバカだったのかもしれない。
こんなの、運じゃないか…。オレはまたもや襲ってきた無力感から、下を向いてしまった。
「まずは、私の祖父の家に行こう。ほら、私の後ろに乗れ。そこまでよいバイクではないが、二人乗りはできるはずだ。」
「わかった。じゃあ失礼して…。」
俺が乗ると、バイクは急発進して道を下り始めた。
とんでもなくけたたましい爆音。なんかイジっただろコレ。
「この道はな、舗装されてないからあんまり走らないんだよ。でも爺ちゃんの取引先がこの峠を越えたところにいるから、小遣い目当てで取引に行く手伝いしてんだ。」
「いいのかよ、仕事ほっぽり出して。」
「別にいい。仕事よりこっちの方が楽しそうだからな。」
「…あんたの爺さんに怒られないか…?」
「のらりくらり嘘でかいくぐるさ。永之助も私の嘘に協力しろよ。」
「…いい気はしないが、やむを得ん…。」
案外、この恋麗とかいうやつは、ずさんなのかもしれない。
少しずつ標高も下がり、多少は森も開けてきた。
遠くには、田んぼが広がっており、霧か雲かでよくは見えないが、遠くには町もある。
「そういえば、なんで爺さんの家に行くんだよ。」
「爺ちゃんはだいぶ昔に死んで、ここに住んてるからな。未だに転生通達が来ないから、長いことここに住んでる。私の知り合いでは一番この世界のことを知ってる。」
…恋麗の話を右から左へ聞き流しかけていた。
どうもこの辺りの森を見たことがある気がしてならなかったのだ。しかし、もう一度目を凝らして森を見ても、既視感は感じなかった。
「おい、永之助!聞いてんのか?」
「え、ああ、ゴメン、聞き逃してた。」
「何してんだ。ほら、向こうに見えてるのが、私の爺ちゃん家だ。」
バイクは相変わらずけたたましい爆音を奏でながら、
その一軒家に向かった。




