第45話 里帰り
ハザマという人間と都会に暮らして半年。いわゆる芸能界というところは大変美味しいところだ。妬み嫉み、競争心、華やかなものもあれば、どろどろと重たいものも。
ファンから向けられるものも千差万別。遠慮しなくてもおやつに困ることはない。
「だからといって食べ過ぎは良くない」とか注意されるかと思っていれば、ハザマは「あんまり売れすぎると反動が怖いから、熱狂的なファンの気持ちは食べて減らしてしまえ」と、資本主義の手本のような職にいるのにそんなことを言う。
もっとぎゅうぎゅうに予定を詰めても余裕でこなしてみせるのに、彼は常に休息と余暇を気にしていた。
「三日休みってことにした。一度店主さんの所に帰って来いよ」
どん、とテーブルに一升瓶を置いてハザマは笑う。
蔵元だけで直売されている希少な酒だ。酒は美味しそうだが、理由がよくわからない。
「帰る? そういう関係ではないですけど」
「そうなの? いや。オマエはそうでも、店主さんは心配してるから」
その心配は、あなたが考えているものとは違うと思いますけど。
「まあまあ。上手くやってるって、一緒に酒飲んで来いって。ついでに莉音ちゃんに最新の『みさたろグッズ』届けてあげなよ。電車は――」
乗り換え路線を説明しているが、途中で制止した。
「ハザマさんは行かないんですか?」
「行きたかったんだけど、打ち合わせ入っちゃって」
「ますます行く意味が解らないんですけど……」
「そう言わずに」
もう一度乗り換えの説明を始めたので、呆れて頬をつまんでやる。
「『お伽堂』に行くのはどこからでも時間はかかりません」
人間のハザマがいないのなら、行き来など一瞬だと、どうして忘れられるのだろう。休みが必要なのも、ハザマの方だ。彼のために休むというならわかるのだが、休みにしたというその口で、誰かに連絡を取っている。でなければ、パソコンに向かって何やら数字を打ち込んだりしているのだ。
一度指摘したら、「夜はちゃんと休んでるし寝てる」と、きょとんとされた。以前の生活はどれだけブラックだったのか。いろんなものに目をつけられていたのも頷ける。
「三日も要りませんよ。届け物をしたら帰ってきます」
「そう? まあ、でも一晩くらい酒は飲んで来るだろ? じゃあ、戻ったら近場の温泉でも行こうか」
話しながら纏めていた荷物を渡されて、「いってらっしゃい」と手を振られた。
*
『お伽堂』は相変わらず混沌としていた。
カウンターに座ったまま、柄の長い網をひと振りして店主が妖精を掴まえている。鼻眼鏡の奥からぎょろりと見上げられて、久しぶりだなと肩をすくめた。
「お久しぶりです」
「……本当に来るとはな。命令でもされたかい」
「彼がそんなことすると思いますか?」
「思わねぇな」
「酒を飲んで来いって」
手にした瓶を掲げ上げれば、店主はにやりと笑った。
「なるほど。扱いが上手いな」
それから店主は店を閉め、奥へと手招きする。
乾物と、冷蔵庫から石榴のような異世界の珍味を取り出して、布団の無くなったこたつテーブルの上に適当に乗せた。
「珍しいですね。ご馳走してくれるなんて」
「たまにはな。口も軽くなるだろう」
「何を聞きたいんですか? 別に、何も企んでませんよ?」
ふん、と鼻で笑って、店主はコップに酒を注ぐ。差し出されたものを乾杯もなく飲み始めた。
「行く前はずいぶん不安そうな顔をしてたじゃねぇか。どうなのかと思ってな。ポスターだのコマーシャルだのからじゃあよくわからねぇ」
「そんな顔してません」
「してたんだよ。面白いもんを見た」
この爺さんは本当に……
コップの酒を飲み干して、一息つく。
「全然、なんの変わりもありませんよ。拍子抜けするくらいです」
「だろうな」
くくっと笑って、またコップは満たされる。
ハザマは異世界を滅ぼすほどの力を手に入れたというのに、それを使えとも使うなとも言わない。自分でつけた名を呼ぶこともほとんどない。
「今住んでるところ、事故物件でめっちゃ安いからって決めたんですよ。もういいだけ稼いでるんだからもっといいところに引っ越せばいいのに、霊の通り道なら食いっぱぐれることもないし、貯金が捗るとか言って……クマがいるからまだいいけど、三日も不在にしたらどうなるか、自分の体質いまだに自覚してないの、どうかと思いません?」
「確かに効率は良さそうだな。で、ちゃんと掃除してやるわけだ」
「毎晩狩りに出なくていいのは楽ですからね。でも、強制というほどでもなくて……食い飽きたら引っ越そうかとか言うし、飽きるほど来るわけでもないし……」
「バイトの方はどうなんだ。迷惑かけてねぇのか?」
「楽しいですよ。着替えてポーズとるくらいですから面倒もありませんし、行く先でおやつにありつけたりしますし」
「あちこち行くから、食いつくしたりにはならねぇのか」
「スタジオ撮影も多いですけど、いろいろ溜まりやすいみたいですね。しばらくするとまた復活してますよ」
「そうか……」
ほっと、少し肩の力を抜いて、店主はコップに口をつけた。
「名の縛りを使うようなことにはなってねぇんだな」
「彼、そもそもずっと「オマエ」って呼んでますよ。律儀というか……人が良すぎて心配になります。もっとあくどく稼ぐこともできるでしょうに」
「なんでぇ。新しい名で呼んで欲しいのか?」
「そんなことは言ってません」
「いっそ本名を名乗って、そう呼んでもらえばいいじゃねぇか」
「いやです」
「どうせ名付けされてるんだ。彼なら本名を知っても変わらないだろうよ」
それは、きっとそうだと判るのだけれど。
ぐいとコップを煽る。
「先にフルネームを教えてくれたら考えます」
店主は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「知らねーのか?」
「知ってます」
書類にサインするのも、受付なんかで書くのも見て知っている。
でも、名乗られたことはない。
「聞けば教えてくれるだろう」
それもそう。きっと、何のためらいもなく。
黙って酒瓶から空のコップに酒を注げば、店主は苦笑して、少しの間目を伏せた。
「おれがお前さんの名に辿り着いたのは偶然だったからなぁ」
「その後あなたの名を知った時に、これでドローだと思ったんですけどね」
この世界の人間は、あまり名に縛られない。
その理の差がお互いへの影響の差になった。
「おれはお前さんに首輪をはめたけど、べつに飼いたかったわけじゃねぇ。この世界の安全のためだった」
「外そうと思えば外せる程度でしたよ。必要が無かっただけです」
「この先も危ねえと思えば、おれは出来ることをする。おれが死にそうになれば、迷惑だろうと彼にその綱を託そうと思ってたんだが……」
くくっと店主は喉の奥で笑った。
「彼は綱なんて持たないで、お前さんの手を掴んで歩くんだなぁ。知ってるか? そういうのは、〝友達〟っていうんだ」
「知ってる」というのは癪なので、「覚えておきます」と答えれば、店主はまた喉の奥で笑った。
異界古書店『お伽堂』の異常な日常・閉




