第43話 名付け
「いねぇ……って言ったら、そのまま帰ってくれるかね?」
「急だったんで、なんだか消化不良で。少し話をしたいだけなんですけど」
店主は厳しい面持ちで、深々と息を吐いた。
「おめぇ、縁は食っちまったって言っただろ」
「食べましたって。家にも行ってませんよ」
店主の独白のような声に、のほほんとした声が応える。
奥から現れたオマエは、以前と変わらず薄い微笑みをたたえていた。
「店との縁も食べたはずですけど。おかしいですねぇ」
首を傾げる様子に、関わりをやめるときは「縁」を食べてしまうと言っていたことを思い出す。今までのバイトが特に『お伽堂』のことを口外しないのも、そういう絡繰りが機能していたからだろう。
目の前のオマエを見ていれば、どうしてか印象に薄かった花火や祭りなんかのイベントも段々と思い出してきた。
「まあ、でも転勤をやめるわけではないでしょう? 挨拶くらい問題ないですよね」
今さっきまでの頭の一部に霞がかかったような心地がなくなって、小指の付け根に噛みつかれる前にぼんやりと考えていたことが浮かんでくる。まだうまく言葉にするには足りないのだが……
「間さんよ。あんたには世話になったからはっきり言うが、コレとは縁を切っとけ。どれだけ大人しくしていても、おれが死んだら縛るものもない。どうなるかわからねぇんだ」
あえて何も言わず、オマエはにこりと笑うだけ。
「じゃあ……じゃあ、あなたが生きている間だけ、俺と都会を観光するのを許しちゃもらえませんか? こう言っちゃあなんですけど、あちらの方がオマエの腹は満たせる気がするんです」
「それは間違いねぇよ。でもな。あっちは良くないものも多いから。エネルギーとして食ったときにそういう影響も出られると困る。あんたと上手くやれていたのは、神さんのエネルギーを摂っていたからかもしれない」
危ない轍は踏ませられない。
そういう店主の言い分もわかる。
「俺が……もう少し一緒にいろんなものを見たいんです。良いも悪いも、違う視点で見られるから。オマエといて、俺の運は上向いた気がするし」
「……だがなぁ」
「それはあなたの勘違いですよ。こちらは何もしていません。変わったとすれば、あなたが自分で変えたんです」
「でもきっと、オマエが押しかけてこなければ変わらなかった」
「結果論ですよ」
冷静に言われると、執着しているのは自分だけかと少し哀しくなる。
「……おめぇさん、本当のところはどうなんだ。都会に興味はあんのか?」
「そりゃあ、面白そうですから。ハザマさんには色々見せてもらいましたし」
指で四角く空をなぞって、タブレットを示している。
ぐぅ、と唸って、それでも店主は首を横に振った。
「こっちよりは金もかかるだろうし、何より何かあってもおれの力が及ばねぇ。地元で綱を放しているのとはわけが違うからな……おれがもう少し若いか、もう少し力が残っていれば……」
少々残念そうにそう言って、店主はレジから千円札を取り出した。
話は終わり、と言いたげだ。
「金は、オマエにバイトさせればいいと思ってて」
「こいつに? 面倒くさがって、レジも通さず物をくれてやるなんてことを、コンビニでやられちゃぁ、たまらんだろ」
店主は鼻で笑ったが、俺は首を振る。
「モデルなら、写真を撮られるだけだ。少々言動が怪しくても、カメラ越しではわからない。うちの会社、調べればそういう伝手もたぶんあるから。顔を出すのが嫌なら、服だけとか、靴だけとか」
「モデルぅ?」
「べつに、顔を出してもかまいませんけど」
面白そうに口を出したオマエを店主は睨む。
「それにしたって、名無しの権兵衛では通らないだろう」
「芸名をつければいいんですよ。あの界隈はそれで通せる。「御前」と書いて「ミサキ」と読みます。「御前太郎」とでも名乗れば、俺が「オマエ」と呼んでいたって誰も気にしない」
ふっと頬を緩ませたオマエは、次の瞬間真顔になって、自分の胸の真ん中あたりを掴んだ。
「それで金を賄っても、結局他が間に合わ……」
「店主」
珍しく緊張感あるオマエの声に、店主が言葉途中で顔を向ける。
胸に置かれたこぶしを見て、店主も眉を顰めた。
「今の、有効になりました」
「なに?」
「一生の不覚かもしれません」
二人の目がこちらを向いて、何のことだと不安になる。
「ハザマさんは、鬼だったものを福に変え、無くなるはずの異世界をひとつ救いました。勇者の後継者だったりしませんか?」
「は? なんて? あれは嘘だろ?」
真顔でぶつけられる質問に、間抜けに答える。
そのやりとりを聞いて、店主は吹き出した。
しばし笑ってから、オマエの背中をポンと叩く。
「なるほど。そうか。自覚はねぇのか。わかった。状況が変わった。しばらくコイツを間さんに預けよう。そうだな。手始めに1年くらい。それから後のことはまた考えよう」
「え? え?」
どうして態度が軟化したのか、さっぱりわからない。オマエの様子も少し変だ。
「そうなると、クマ公も行きたいよな」
ぽん、とテディの頭に店主が手を置けば、みるみるうちに瞳に光が灯って胸元に飛び込んできた。
うわ。待て。しがみつくな。
「向こうでは、あまり動けないと思うけど……それでもいいか?」
胸元で、テディがこくこくこくと何度も頷いている。
「今ある神気が使い果たされたら、普通のぬいぐるみと変わらんよ。ぞんざいに扱わなけりゃな」
「はい……えっと、それで」
オマエを見れば、彼は少し不機嫌そうにぷいと奥へ引っ込んでしまった。
それを温かい目で見送ってから、店主は俺に向き直った。
「間さんは〝名付け〟をしたんだ。クマ公にしたのと近い感じだな。違うのは、アレにはちゃんと名前があるということ。本当の名前があるから、他人にどう呼ばれようと本来影響は受けないはずだ。けど、間さんのつけた名前をアレは受け入れた。縁が深まると同時に、付けた者の影響を受ける。本名ほどではないが、あんたが強くダメだと言えば勝手なことは出来なくなるだろう」
「名前……って、御前太郎?」
店主はくくっと笑った。
「狙ったんじゃねぇんだろう? そういうんだからアレも油断したんだろう。でも、覚えときな。あまりアレの意に染まないことはどうやったって変えられない。鬼が福になった? それを受け入れようと思わなければ、成るものじゃねぇよ」
「つまり……?」
「これまでと同じでも大丈夫だろう。まずいことは叱ってやれ」
笑って頷く店主に、俺はホッと肩の力を抜いた。




