群青の間に落ちる
幼馴染との再会を描いた甘酸っぱくて切ない物語になっています。
序章:群青の始まり
八月の終わり、海風が街路樹の葉を揺らす午後。
紗奈は十年ぶりに帰省した地元の駅前で、ひとりの青年に声をかけられた。
「紗奈? 覚えてる?」
振り返ると、そこに立っていたのは幼馴染の悠真だった。
幼い頃は夏休みの旅に一緒に遊び、海に行き、虫を追いかけ、秘密基地を作った相手。
しかし、中学に上がってからお互いに忙しくなり、自然んと疎遠になっていた。
変わったのは背丈だけではない。
柔らかな雰囲気はそのままに、どこか影を帯びたような眼差しが、紗奈の胸をかすかにざわつかせる。
「せっかくだし、海でも歩かない?」
悠真の誘いに、紗奈は頷いていた。
町外れの浜辺は、子供の頃から変わらない。
寄せる波が夕陽を細かく砕き、濡れた砂にゆっくりと光を吸い込ませていく。
「大人になったら、こんなに静かに感じるんだね」
紗奈がつぶやくと、悠真は少し笑った。
「昔は、俺たちの声の方が波より大きかったからな」
懐かしさが胸を満たす。
けれどその奥に、説明できない別の感情がうずいていた。
少し距離を空けて歩いていたはずなのに、気付けば並ぶ肩が触れそうなほど近い。
「紗奈、さ‥‥俺、ずっと聞きたかったことがあるんだ」
立ち止まった悠真の横顔は、少年ではなく大人のそれだった。
風に揺れる髪越しの瞳が、不安と期待のあいだで揺れている。
「また‥‥昔みたいに、会える?」
「もちろん。だってもう子供じゃないし」
「ううん、そうじゃなくて」
悠真は、ほんの一瞬、ためらった。
そして静かに続けた。
「会いたい理由が‥‥前とは、違うんだ」
言葉にしなくても、伝わってしまうものがあった。
胸が高鳴るのを止めようとしても、波音のようにせり上がってくる。
紗奈は深呼吸をひとつして、夕陽の染まる海を見つめたあと、ゆっくりと彼の方へ向き直った。
「‥‥それでも、私は嬉しいよ」
ふたりの間にあった長い空白は、潮騒に飲み込まれるように静かに消えていった。
触れたのは手先だけ。
けれどその温もりは、十年間の距離よりずっと確かなものだった。
群青の空が夜に変わる頃、紗奈と悠真は言葉より柔らかな沈黙を分かち合いながら、波打ち際を歩き出した。
第二章:風の残したもの
夏の終わりに再会してから、紗奈と悠真はゆっくりと距離を縮めていった。
散歩をし、古い商店街を歩き、子供の頃の秘密基地に行き、ただ他愛のない話をして笑い合う。
その時間は、まるで失われていた季節を取り戻すようだった。
だが、秋が深まる頃から、紗奈は時々、ふと苦しそうに立ち止まることが増えた。
「大丈夫?」
「うん、少し疲れただけ」
本当は違うのだと悠真は気付いていた。
だが、彼女が笑うたびその問いを飲み込んでしまった。
冬に入る頃、紗奈は長く街を離れた。
病気の検査と治療のためだということを、最後の最後まで言おうとしなかったが、悠真にはわかった。
駅で見送ったとき、紗奈の指先は冷たく、それでもしっかりと悠真の手を握った。
「戻ってくるよ。また一緒に海を歩こう」
「約束だよ」
紗奈が戻ってきたのは、桜が咲き始めた頃だった。
以前より少し痩せて、声も弱くなっていたが、笑顔は変わらなかった。
「ねぇ悠真。私ね、海が見たい」
「行こう。ゆっくりでいい」
ふたりは浜辺まで歩いた。
春の風はやわらかく、波は遠い記憶を撫でるようだった。
「覚えてる?夏の夕暮れ」
「忘れられるわけないよ」
紗奈は小さく笑い、水平線を見つめた。
「もし、もしもだけど‥‥また会えなくなるとしたら‥‥あなたのこと、好きだって言っておきたい」
悠真は彼女の手を握りしめた。
言葉は見つからなかったが、その沈黙は紗奈を安心させるものだった。
桜が散り、若葉が芽吹く頃、紗奈は静かに息を引き取った。
最期に残したのは、短く、けれど温かな一言だったという。
「ありがとう。もう一度、会えてよかった」
初夏の海。
悠真はひとり、紗奈が好きだった浜辺を歩いていた。
風が吹くたび、彼女の笑い声が波の奥からこぼれ落ちてくるような気がした。
「約束は守れなかったけど‥‥また歩きに来たよ」
その言葉に応えるように、寄せては返す波が足元を濡らす。
夕陽が群青に溶けていく空の下、悠真は目を閉じた。
彼女と過ごした短い季節は、今も胸の奥で、確かに光り続けている。
ふたりの物語を最後まで見守ってくれてありがとう。あなたの中にも同じような体験があるかもしれません。
共感できればいいと思います。




