第2話 月光の下の密室
翌日。
──ねむはまた寝ていた。
いや、授業を受けていたはずなのだが、気づけば夢の国へ旅立っていた。
「……ねむ、起きなさい」
放課後になって、昨日と同じように凛子が机を揺さぶる。
「んにゃ……? あ、凛ちゃん……おはよう」
寝癖のまま顔を上げるねむ。もはやデジャヴである。
「ほんとにあんたって……」
「……凛ちゃんおはよう。今日は帰りに何食べに行く? カレー? ラーメン? 牛丼?」
食べることだけは貪欲である。
しかし凛子は申し訳なさそうに首を振った。
「ごめん、今日は無理。部活でピンチヒッター頼まれちゃって」
凛子はスポーツ万能。チームが人手不足になると、どこにでも駆り出される便利屋状態だ。
「そっかぁ……」
ねむは肩を落とし、鞄を抱えてひとりで校門を出た。
(今日は真っ直ぐ帰ろうかな)
夕暮れの道を歩く。商店街の明かりがともり始め、人のざわめきが一日の終わりを告げている。
その途中で──。
「おや」
声をかけられ、顔を上げると昨日の楠木刑事が立っていた。
「……あ、昨日のポンコツ刑事さん」
ねむはつい口に出してしまった。
(口に出すつもりじゃなかったんだけど……まあ合ってるししょうがない)
「ポンコツって酷いなぁ」
楠木は苦笑する。
「仕事中ですか?」
「ちょっとな……」
何か悩みを抱えているようだが、すぐには言葉にしない。
代わりに、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「君、これから時間あるか? 一緒にカフェに行こう」
「え、やだ」
ねむは即答する。知らない大人と二人でカフェなんて、いかにも怪しい。
(刑事と一緒にカフェ? 絶対ロクなことに巻き込まれない未来が見える)
しかし楠木はすかさず条件を出した。
「ケーキをごちそうする」
「…………」
ねむは数秒迷った。
そして、しぶしぶうなずいた。
「……しょうがないなぁ」
──彼女の食欲は、警戒心よりも強かった。
カフェの奥、二人掛けのテーブルに案内される。
ねむはすぐさまメニューを広げ、真剣な表情でにらみつけた。
(チーズケーキか、チョコケーキか……いや、モンブランも捨てがたい……!)
視線が行ったり来たりして、まるで難解な方程式を解く学者のようである。
結局、ねむはチョコケーキと紅茶のセットを選んだ。
「僕はコーヒーで」
楠木は淡々と注文を済ませる。
やがて店員が去ると、楠木は鞄から封筒を取り出し、テーブルに置いた。
中から数枚の写真が滑り出る。
「……これを見てくれ」
ねむは思わず首をかしげる。
写真には、生活感のある部屋と──その窓際に倒れる人影。
「窓の近くで首を絞められていた遺体だ。事件は密室で起きた」
楠木は淡々と説明する。
「部屋のドアには鍵がかかっていた。顔の大きさ二つ分くらいの小さい窓だけが開いていて、そのすぐそばに遺体が倒れていたんだ。被害者は電子タバコを吸っていたみたいだ」
ねむはぽかんとした。
(え、この人、普通に未成年に殺人事件の写真見せてるけど……守秘義務って言葉とか、知ってるのかな)
「……どう思う?」
楠木が身を乗り出す。
「え?どう思うって……」
ねむはカップの水を手に取りながら、半眼になる。
(どう思うって……そっちの仕事じゃないの?なんで私に聞いてんの?)
ちょうどその時、店員がケーキと紅茶のセット、そして楠木のコーヒーを運んできた。
ねむは待ちきれない様子でフォークを手に取ると、まずは一口ぱくり。
「……んーっ、しあわせ」
頬がゆるみ、先ほどまでの写真のことなど吹き飛んだかのようだ。
しかし数秒後にはフォークを止め、ちらりと楠木を見た。
「でさ、それだけじゃまだ分からないから、もっと情報教えてよ」
「……ケーキ食べながら言うことか?」
楠木は眉をひそめる。だが結局、封筒から別の紙を取り出し、読み上げ始めた。
- 小牧 武夫(32歳)
被害者。大手企業の会社員。真面目で几帳面、社内では信頼厚いが、家庭では寡黙で妻との会話が減っていた。
- 小牧 史恵(26歳)
被害者の妻。第一発見者。明るく社交的。友人も多いが、夫の多忙さから孤独を感じていた。
「被害者は小牧武夫。会社員だ。第一発見者は妻の小牧史恵」
ねむは紅茶を啜りながら頷く。
(奥さんが見つけたパターン……まあ、よくあるやつだよね)
「犯行時刻は夜の9時ごろ。武夫と史恵が通話中に襲われた」
ねむはフォークを止めた。
「……通話中?」
「そうだ。史恵は自宅から40分くらい離れた場所で友達と食事をしていて、その最中に夫に電話をかけた。話をしている最中に電話越しに“うっ”という声が聞こえ、慌てて警察に電話した。警察と一緒に家に入るともう倒れていたそうだ」
(電話口で事件……ドラマみたいだな)
「窓の外にはベランダなどは何もない。街の景色が綺麗に見えるような場所だそうだ。窓は小さく顔二つ分くらいの大きさだそうだ」
楠木はコーヒーを一口飲む。
「それと、鑑識の速報。頸部の線状痕は“細いもの”による圧迫を示唆していて、反対側──うなじ側には硬い面に押し付けられたときに出やすい鈍い出血がある」
ねむはケーキをもう一口。
「ふぅん……密室で、電話中に殺される……か」
彼女の瞳に、ほんの少し眠気を追い払う光が宿った。
ねむは紅茶をひと口すすり、首をかしげた。
「その電話って、どっちからかけたの?」
楠木は少し考えてから答える。
「妻の史恵からかけたと言っていた。通話履歴を確認すると確かに妻からかけた形跡があった」
「ふぅん……」
ねむはフォークでケーキをつつく。
「じゃあさ、誰かが入って犯行をした可能性は?」
楠木は首を振った。
「監視カメラと玄関のインターフォン履歴はすでに確認してある。それに、犯行時間の前後にはエントランスで住人同士が立ち話をしていたという証言も取れている。――つまり、住人以外の出入りはなかったと見て間違いない。被害者宅は八階だ。外部からの侵入も事実上、不可能だ」
ねむは顎に手を当て、にやりと笑った。
(ちょっと面白そうじゃん……)
「その建物って、近くにあるの?」
楠木はしばらく口ごもった。
「……この近くだよ。歩いて行ける」
「じゃあ、そこに連れてって」
ねむは残りのケーキをぱくりと平らげて、紅茶を飲み干した。
「いや、さすがに未成年を現場に──」
「でも、見ないと分からないじゃん」
(ケーキで釣っておいて、ここで中止とかはナシでしょ)
あっけらかんとした一言に、楠木は言葉を失う。結局、ため息をついて立ち上がった。
──そして二人は現場へ向かった。
建物は商店街から少し外れた場所に立つ、十階建てのマンションだった。
被害者宅は八階。外から見上げれば、顔の大きさ二つ分くらいの小さな窓が規則正しく並び、その一つが遺体の見つかった部屋にあたる。
だが見たところ、他の階と何の違いもない。どれも同じ造りで、外からでは手がかりらしいものは見つからなかった。
「ふつうのマンションにしか見えないね」
ねむはつぶやきながら首をかしげた。
エントランスはオートロックで、カメラ付きのパネルが設置されている。
入るには鍵が必要で、入居者以外の人物なら、部屋番号を押して誰かに開けてもらうしかない。
つまり、鍵を持たない者が出入りすれば、どうしても不自然な動きになってしまう仕組みだった。
「外部の侵入はやっぱり難しいか」
ねむは顎に手を当てながら考える。
(忍者でもない限り、ここからは入れないか)
やがて現場の部屋の前まで来ると、制服警官が立っていた。
「すみません、立ち入りは──」
楠木がすっと警察手帳を見せる。
「彼女はいいんだ」
「……捜査一課の刑事さんでしたか。どうぞ」
警官は驚いたように姿勢を正し、二人を通した。
(意外と偉い人なんだな)
部屋の中に入ると、ねむの目に飛び込んできたのは窓際の光景。
写真で見た通り、被害者はそこで倒れていたという。窓はスライド式のタイプ。外は夕暮れの街並みが広がっている。
ねむは窓から顔を出して見上げた。
上には、同じ造りの小さな窓が並んでいる。
「……上の階にも人が住んでるの?」
「住んでるはずだ」
ねむは迷いなく言った。
「会ってみたい」
(私が思ってる推理が合ってるならきっと上の階の住人は……男性だ)
楠木は頭を抱えたが、結局しぶしぶ頷いた。
こうして二人は上の階の住人のもとを訪ねることになった。
楠木がインターフォンを鳴らすと、しばらくして「ガチャ」と音を立ててドアが開いた。
現れたのは落ち着いた雰囲気の男。
「何度もすみません」
楠木が頭を下げる。
男は軽くため息をついた。
「……はぁ、いいですけど。何か用ですか?」
ねむの視線はすぐさま彼の右手に向かう。
そこには光るリング。
(彼女持ち? それとも結婚指輪? ……まあ、関係あるかは知らないけど)
ねむは楠木の袖をくいっと引っ張り、小声で囁く。
「そこの窓から下を見たいんだけど、聞いてみて」
「え?」と戸惑う楠木だったが、しぶしぶ尋ねる。
男は一瞬嫌そうな顔をしたが、結局渋々承諾した。
部屋に入ると、ねむは思わず目を瞬かせた。
「……何もないですね」
本当にシンプルな部屋。どころか、生活感がほとんどない。家具も最低限で、荷物らしい荷物がほとんど見当たらない。
「ええ。あんまり物を置くのは好きじゃないので」
男は淡々と答える。
(ミニマリストなのか、それとも……)
ねむは顎に手を当てた。
そして窓際へ歩み寄り、下を覗き込む。
視界の先には、一直線に被害者宅の窓。真下に位置している。
(やっぱりね……この位置なら、何かできる)
「事件の日にこの窓から下に、何か音が鳴るような物は落ちてなかったですか?」
ねむが訊く。
「あぁ、事件の日は空き缶が落ちていたな」
楠木は答える。
満足げに小さく頷くと、ねむは振り返った。
「最後に──被害者の奥さんに会いたいんです」
楠木は目を丸くした。
女子高生の好奇心が、いよいよ事件の中心へ踏み込もうとしていた。
楠木に紹介され、被害者の妻・小牧史恵と対面する。
落ち着いた顔立ちの女性で、悲しみを隠すように淡々と振る舞っていた。
ねむの視線は自然と彼女の手元へ向かう。
(……やっぱりね)
そこには、先ほど上の階の男がしていたものと揃いのリングが光っていた。
楠木は形式的な挨拶を済ませ、何やら事件の経過を尋ねている。
その横で、ねむはスマホを取り出し、事件当日のニュースを検索した。
──その日は、スーパームーン。
(なるほど。この部屋の窓からなら、きっと最高に綺麗に見えただろうね)
スクリーンに映る月の写真を見た瞬間、ねむの頭の中で何かが噛み合った。
(なんほどね……そういうことか)
「楠木さん」
ねむは彼のジャケットの裾をちょんちょんと引っ張った。
「ん?」
「ちょっと一旦向こうの方へ」
不思議そうな顔をする楠木を、人目のない廊下の端までぐいっと引っ張っていく。
ねむは背伸びし、耳元に小さく囁いた。
「──犯人も、トリックも分かったよ」
「な、なんだって!?」
楠木が目を見開く。
ねむは小声で説明を始めた。
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