第22話 黒羽村の金色②
「で、どう? 何か分かりそう?」
悠真が尋ねると、ねむはあっさり首を振った。
「うーん、全然分かんない」
「……え」
「まぁ、そんなに急ぐことでもないし。そんなことより――」
ねむはお腹を押さえた。
「お腹すいた」
「そこ!?」
楠木と悠真の声がぴったり重なった。
「だって、朝から歩きっぱなしだよ?」
「お前は探偵ってより、食欲の化け物だな……」
楠木がため息をつき、悠真は苦笑した。
帰り道、林の影で声がした。
ねむがふと足を止める。
(……あれ?)
木の向こうでは、新藤と 宿の客・久賀が並んで話していた。
ふたりとも小声だが、どこか険しい表情。
「知り合い……なのかな」
ねむがつぶやくと、楠木は眉をひそめる。
「偶然じゃなさそうだな」
「……まぁ、別に関係ないか」
ねむは気にしたような、していないような顔で歩き出した。
やがて、宿が見えてくる。
煙突から細い煙が上がり、玄関の方から香ばしい匂いが漂っていた。
「……あ、いい匂い」
ねむは一気に表情を明るくし、匂いに釣られるように駆け出した。
「ねむ、待って!」
悠真が慌てて追いかける。
夕食の席には、湯気の立つ鍋と焼き魚の香ばしい匂いが並んでいた。
ねむは待ってましたとばかりに箸を握り、勢いよく食べ始める。
「はぁ……うまっ」
「お前な、埋蔵金探しのときより真剣な顔してるぞ」
楠木が呆れ顔で言う。
少し遅れて、久賀と朝比奈も食堂に現れた。
「遅くなってすみません」
朝比奈は穏やかに微笑むが、その目はどこか湖の色に似ていた。
食事を終えると、ひと息つく。
「……風呂、行くか」
楠木が肩を回す。
「賛成。温泉って聞いてたしね」
ねむがのんびりと立ち上がる。
「じゃ、行こう」
支度を整え、三人は館の裏手にある共同の湯屋――
小さな銭湯へ向かった。
外の空気は冷え、星がぽつりぽつりと浮かび始めていた。
そして、その屋根の上で――カラスが一羽、じっと三人を見下ろしていた。
銭湯は、宿の裏手――川沿いの崖下にあった。
男女で左右に分かれ、その真ん中には清流が流れている。
柵越しに川の音が響き、湯けむりの向こうには月の光が反射していた。
「……いい場所だね」
ねむは思わず感嘆の声をもらした。
「風呂入りながら川見えるとか、贅沢」
「その分、虫も贅沢に出そうだけどな」
楠木のぼやきに、ねむは笑いながらタオルを握りしめる。
「じゃ、またあとで」
ねむはふたりと別れて女子風呂の暖簾をくぐった。
湯気がゆらめく。
そこにはすでに朝比奈美奈の姿があった。
肩まで湯に浸かり、ゆったりと目を閉じている。
「いらっしゃい、ねむさん」
朝比奈は目を開け、柔らかく微笑んだ。
「ここ、景色がいいわよ。柵の隙間から川が見えるの」
「ほんとだ……きれい」
ねむも湯に浸かり、ほうっと息をついた。
川の音、夜風の匂い。
そして、遠くでかすかにカラスの鳴き声――。
(……また、鳴いてる)
ねむがそう思ったときだった。
脱衣所の方から足音が近づいてくる。
「失礼しますね」
姿を現したのは、宿の手伝いの木島とよ子だった。
タオルを手にして、少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、休憩の間に少しだけお湯をいただこうと思って……。
お邪魔でしたら――」
「全然。どうぞどうぞ」
朝比奈が微笑みで促す。
銭湯は二つあり、ひとつは柵に囲まれた内湯のような小さな湯船。
もうひとつは、階段を少し上った高台にある“川が見える露天風呂”。
とよ子は「じゃあ、あっちの方で」と言って、申し訳なさそうにタオルを持って上へ向かった。
その瞬間――。
「――きゃあぁぁぁぁッ!!!」
甲高い悲鳴が夜気を裂いた。
ねむと朝比奈はほぼ同時に立ち上がる。
「今の、上から!」
タオルを掴んだまま、二人は駆け上がった。
階段の先、露天風呂の柵の向こう――。
川沿いの岩場に、何かが倒れていた。
明かりに照らされ、濡れた石の上に横たわる人影。
その傍らには、漆黒の羽に覆われた**“何か”**が立っていた。
「……え?」
ねむは息を呑む。
それは人の形をしている。だが――明らかに“人”ではなかった。
背中から広がる黒い羽。
顔には天狗を思わせる異形の仮面。
右手には、月光を反射する刀が握られていた。
倒れているのは――新藤だった。
首筋に赤黒い液体が流れ、地面を染めている。
「しん……どうさん!?」
ねむが声を上げると、仮面の存在がこちらをゆっくりと振り向いた。
赤く光るような瞳。
――ぞわり、と空気が震える。
その瞬間、川を挟んだ銭湯の反対側から楠木の声が響いた。
「おい、どうした!? ねむ!」
「河原に……死体が!!」
ねむが叫ぶ。
楠木と悠真が男子側から回り込もうとする。
ねむと朝比奈も慌てて服を引っかけ、外へ飛び出した。
しかし、川原に着いたとき――そこには何もなかった。
新藤の姿も、黒い羽の怪物の影も。
ただ、冷たい川の水が流れ、月明かりが岩を照らしているだけ。
「……い、今、確かにいたよね?」
朝比奈の声が震える。
ねむは唇を噛んだ。
「いた。新藤さんが……血を流して、倒れてた」
楠木が辺りを照らすが、足跡も、血の跡も――何も残っていなかった。
「……消えた?」
悠真が呟く。
夜風が吹き抜ける。
そのとき、山の方からカァァァ……という低い鳴き声が響いた。
風に乗って、どこからか“唄”のようなものがかすかに聞こえた気がした。
> からすがなくよ よるのはて
> あしおとひとつ きえてゆく
ねむは思わず空を仰ぐ。
黒い影が、月の前を――ゆっくりと横切った。
ねむたちが呆然と立ち尽くしていると、足音が後ろから駆けてきた。
「おい、どうした!?」
姿を現したのは久賀一馬だった。
肩で息をしながら辺りを見回す。
「悲鳴が聞こえたと思ったら……なにがあった!?」
「新藤さんが……殺されたんです」
ねむが言うと、久賀の目が見開かれた。
「な、なんだって!? そんな馬鹿な――」
「いたんだよ、本当に!」
朝比奈が声を震わせながら言う。
「黒い羽をした……まるで“鴉武者”みたいな奴が、刀を持って立ってたの!」
そのとき、宿の方から灯りを持って駆けつけたのは、悠真の叔父――藤田浩平。
「どうしたんだ、何があった!?」
そのすぐ後ろには、村人の黒瀬の姿もあった。
「……あの悲鳴、まさかまた“あれ”か?」
彼は低くつぶやき、周囲を睨む。
楠木が険しい顔で言った。
「みんなで確認したい。確かに“鴉武者のような人影”と、血を流した遺体を見た。
だが――今は、何も残ってない」
川の水面は静まり返り、波紋ひとつない。
足跡も、血の跡も、誰かが転がった痕跡すら消えていた。
「……川に流されたのか?」
楠木が声を荒げる。
しかしねむは、膝をついて地面を見つめた。
「……おかしい。こんな近距離で血が流れてたのに、地面がまったく濡れてない。
跡形もなく消えるなんて――あり得ない」
「幻を見た、ってわけじゃないよな」
黒瀬が低く言うと、朝比奈が即座に首を振る。
「違います! 私達、ちゃんと見ました! 新藤さんから血が――」
「……もういい、今は冷静になろう」
浩平が手を上げる。
「これ以上は危険だ。夜の山は足元も悪い。明日、明るくなってからもう一度探そう」
楠木は唇を噛みながらも、うなずいた。
「そうですね……それが賢明です。だが、一応警察には連絡を入れておきましょう」
浩平は宿へ戻り、電話をかけた。
しばらくして戻ってきた彼の顔は冴えない。
「駐在の警察官がひとり来るそうだ。……ただ、“事件性がはっきりしない限り、本格的な捜査はできない”ってさ」
「は? ここまで言っても?」
楠木の声が一段上がる。
「見間違いの可能性がある、ってよ。まったく、田舎の警察はのんきだな」
「……まぁ、仕方ないよ」
ねむが立ち上がり、袖で手をぬぐう。
「人数をかけないと……暗い中で捜しても何も見えない」
「そうだな……」
楠木がため息をつく。
「明日の朝イチでまた探してみよう」
夜風が冷たく吹き抜ける。
その風に混じって、どこからかカァ……という声が聞こえた気がした。
ねむは無意識に空を仰ぐ。
雲の隙間に浮かぶ月の下――黒い影がひとつ、静かに飛んでいった。
(……消えた死体。血の跡もない現場。鴉武者の影)
(まさか、本当に――“呪い”なんてものが?)
そんな考えを振り払うように、ねむは顔を上げた。
「今は考えても仕方ない……帰ろ。寒くなってきたし」
その声には、わずかな震えが混じっていた。
夜が明けた。
山の端から朝日が差しこみ、鳥の声が静かな谷に戻ってくる。
黒羽村は、昨夜の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
「結局、見つからなかったんだな……」
楠木がつぶやく。
ねむは眠そうに目をこすりながら、あくびをひとつ。
「寝不足で死体捜索とか、今後やることないだろうな……」
宿の前には、村の駐在警察官と数名の村人が集まっていた。
年季の入った制服に麦わら帽子を被った年配の男――藤木巡査。
頼りないながらも、村では唯一の警察官だ。
「昨夜の場所から川に落ちたとすれば、流された可能性もありますな」
藤木がゆっくりと言う。
「この川は北へ向かって流れ、やがて“墨蓮湖”に注いでおります」
「……つまり、流れ着くとしたら、そこか」
楠木が顎に手を当てる。
ねむはふらりと川の方へ目をやった。
川面には朝の光が反射し、冷たい風が頬を撫でる。
「川の終わりが湖ってことは……もし本当に流されたなら、あそこに着くかも」
「行ってみよう」
悠真が強く言った。
こうして、警察と宿の人たち、そしてねむたちは再び列をなして山道を進む。
昨夜見たあの黒い湖へ――。
やがて、木々の間から“墨蓮湖”が姿を現した。
朝の光を受けているはずなのに、その水面はやはり黒く沈んでいる。
霧がかすかに漂い、湖面のあちこちに白い蓮が浮かんでいた。
「……静かだね」
ねむがぽつりとつぶやく。
風が止まり、全員が息をのむ。
「……見て!」
朝比奈の声が震えた。
湖の中央――白い蓮の群れの中に、何かが浮かんでいた。
最初は木の枝かと思った。
けれど、それはゆっくりと回転しながら、光を反射する。
人の腕。
その次に、黒く濡れた髪。
そして――。
「……新藤さん!?」
悠真が叫んだ。
そこには、蓮の花に囲まれるようにして新藤の死体が浮かんでいた。
顔は青白く、目は虚ろに開かれ、衣服の一部には黒い羽のようなものが貼りついている。
ねむは足を止めた。
「……まるで、“湖が飲み込んで吐き出した”みたい」
静寂。
風も止まり、鳥の声さえ消える。
そのとき、湖の奥でひとつ――白い蓮がふっと揺れた。
まるで、何かが潜んでいるかのように。
楠木は低くつぶやいた。
「……これは、もう“事故”じゃ済まされないな」
墨のような水面が、ゆっくりと波打った。
湖の底から、何かがこちらを覗いているような気がした。
湖畔には、人の気配が集まり始めていた。
地元警察の藤木巡査、宿の主人・浩平、そして村の男たち。
彼らが慎重にロープを伸ばし、墨色の湖面に浮かぶ遺体を岸へと引き寄せる。
水から上げられた瞬間、周囲の空気がひやりと変わった。
新藤の身体は、鉛の水に長く浸かっていたせいか、灰色に近い肌色をしていた。
衣服の裾には細かな羽根が貼りつき、胸のあたりには――大きな斜めの切創。
「……ひでぇ傷だな」
楠木が眉をひそめる。
切り口は鋭く、まるで刀のようだった。
「……見て!」
朝比奈が声を上げた。
新藤の口の端から、何か黒いものが覗いていた。
楠木が、そっと引き出す。
――それは、一本の黒い羽だった。
水に濡れて艶を失い、しかし形ははっきりしている。
まるで、誰かが意図的にそこへ差し込んだかのように。
沈黙。
風も止まり、木々のざわめきすら途絶える。
「……これは、“からすむしゃさま”の祟りだ」
低い声でそう言ったのは、村の男・黒瀬彰人だった。
彼の顔は青ざめ、唇が震えていた。
「言っただろう……唄にあるんだ。“あしおとひとつ きえてゆく”ってな……」
そうつぶやくと、黒瀬は恐怖に突き動かされるように、その場を一歩あとずさった。
ねむの脳裏に、昨日聞いたあの旋律がよみがえる。
からすがなくよ よるのはて
あしおとひとつ きえてゆく
もりのはざまに かげひとつ
りんどうゆれて なみだふる
(……ほんとに、唄の通りだ)
ねむは唇を噛んだ。
(昨日、確かに自分たちの目の前から――遺体も、犯人も、消えた)
あの黒い影。あの羽。
そして、今目の前にあるこの現実。
楠木が低く言う。
「……犯人が人間じゃないって言いたいのか?」
黒瀬は答えず、ただ首を横に振った。
湖面の向こうでは、一羽のカラスが低く鳴いた。
その声は、まるで――誰かが笑っているように響いた。
面白いと思ってもらえたら、ブクマしてもらえると嬉しいです。
トリックの感想とか、「ここが気になった」って一言でも大歓迎です。




